心の声だだ漏れロマンス。
2000年。ナンシー・マイヤーズ監督。メル・ギブソン、ヘレン・ハント、マリサ・トメイ。
広告代理店で働くニックは仕事にも女性にも自信満々のバツイチ独身男。ところが彼は、他社から引き抜かれた女性エグゼクティブのダーシーに狙っていた部長の座を奪われてしまう。そんなある日、ニックは自宅の風呂場で転倒したのがきっかけで女性の考えていることが声となって聞こえるようになる。彼は他人に弱味を見せないダーシーの心の声を図らずとも聞いてしまうのだが…。(映画.comより)
おはようございます。
本日は『ハート・オブ・ウーマン』というロマンティック・コメディを取り上げたいと思っています。
皆さんが私のことをどう思っているかは知りませんが、ロマンス映画に逐一キレるようなストロングスタイルの実践者だと思ってらっしゃる方がいるとすればまことに遺憾であります。私がキレるのは恋の噛ませ犬が出てくるロマンスだけです。
「ちょっとやそっとじゃキレないんだぞ」というところを見せつける為にも『ハート・オブ・ウーマン』を語っていかねばならないので、そろそろ評に移りますね。よろしくどうぞ。
◆名作の仲間入りをしそびれた不遇のロマコメ◆
世紀末にかけて米国産ロマンティック・コメディ(以下ロマコメ)が猛威を振るったことは皆さんよくご存じかと思う。『メリーに首ったけ』(98年)、『ユー・ガット・メール』(98年)、『ノッティングヒルの恋人』(99年)という具合に、20世紀の集大成に相応しい女性映画が世界を席巻し、来たる21世紀に向けて恋の爆撃機を発射するというカタパルト的な役割を見事に全うした。
そしてこの『ハート・オブ・ウーマン』もアメリカ本国では2000年12月15日に公開されており、21世紀のぎりぎり手前で「世紀末ロマコメ」の連名に間に合った作品である。
実際、この作品は製作費の7000万ドルに対して3憶7000万ドルの興収を記録したヒット作になったし、監督はのちに『恋愛適齢期』(03年)、『ホリデイ』(06年)、『マイ・インターン』(15年)といったヒット作を連発することになる(今となってはスイーツ御用達の)ナンシー・マイヤーズ女史であるから『ユー・ガット・メール』や『ノッティングヒルの恋人』と同等の扱いを受けてもバチは当たらないだろうに、どうも名作の仲間入りをしそびれた感があるので、まずはこれに憤ってみたいと思う。
本作がいまいちパッとせず、数あるロマコメのひとつになってしまった遠因には、おそらく主演カップルがメル・ギブソンとヘレン・ハントという、『きみに読む物語』(04年)を理想の恋愛映画とするようなマヌケな観客にとっては少々近寄りがたい俳優を擁してしまったという事実が挙げられる。
それにメル・ギブソンとヘレン・ハントがロマコメに手を出したのは今回が初。ヘレンは『恋愛小説家』(97年)でヒロインを演じているが、監督のジェームズ・L・ブルックスは徹底して退屈な人間なので『恋愛小説家』をロマンティック要素ほぼ無しのヒューマンドラマに仕上げている。
おまけに本作の撮影当時、メルギブは44歳、ヘレンは37歳。これではロマコメのターゲット層である10~30代前半のスイーツ女子からは見向きもされない。「オヤジじゃん。卍。オバハンじゃん。卍」ザッツオールである。
あまつさえ両者の代表作が、キレた警官が賊をぶっ殺す『マッドマックス』(79年)と牛が竜巻に飛ばされる『ツイスター』(96年)なのだ。
このような不利な条件がすべて整ったことで、本作は世紀末ロマコメの名作という栄誉を取り逃し、数あるロマコメのひとつとして映画史の辺境に埋没してしまったというわけだ。
これに異を唱えたいのは誰?
オレ!!
というわけで、今さらながらこの不遇の良作を褒め倒して参ります。
◆私の憧れだったメルギブが…◆
『或る夜の出来事』(34年)や『レディ・イヴ』(41年)、あるいは『アパートの鍵貸します』(60年)といった映画史的記憶を辿るまでもなく、元来ロマコメというのは大人同士の恋愛を指すジャンルだった。分別があって身なりもきれいな大人の男女が、どうも色恋沙汰になるとトンチンカンな醜態をさらしてしまう。そこに恋愛の甘美性と諧謔性が漂う…という非常にもどかしい雰囲気があったわけだ。
ところが、80年代以降のロマンティック・コメディは野放図きわまりない若者文化に吸収されてしまい、フィービー・ケイツだとかシビル・シェパードのような愚にもつかないロマコメ女王をめったやたらに輩出して、その血を受け継いだゾーイ・カザンやズーイー・デシャネルといった小娘だらけの現在に至る。
むかつくぜぇぇぇぇ。
80年代のロマコメにはゴールディ・ホーンとかシェールのような魅力溢れるアラフォーがたくさんいたのになぁ…。
おっと失敬、個人的なノスタルジアを爆裂させてしまった。
要するに、もともとロマコメというのはいい歳した大人の男女がやむにやまれず恋愛衝動に突き動かされる…というある種の痛々しさがあったわけで、そこだけ押さえて頂ければと思います。
そして本作。メルギブもヘレンもバリバリの仕事人間だ。
メルギブは広告代理店のクリエイティブ・ディレクターで次期部長を有望視されており、私生活でもプレイボーイぶりを遺憾なく発揮する自信家。一言でいえば自分大好きの高慢ちきなのだが、女性社員からは受けがいい。
ところが、ライバル社からヘッドハンティングされたヘレンに呆気なく部長の椅子を奪われてしまったメルギブは、ヘレンから女性用品の広告の案を出すように命じられるが、女の気持ちがまったく分からないのでロクにアイデアを出せずに苦しむことになる。
まぁ、彼が苦しむのも当然の話だ。メル・ギブソンというのはモヒカンの暴走族を惨殺したり麻薬カルテルを麻薬ごと爆破したり、あるいは誘拐犯との交渉電話で「今すぐ息子を返せ! オレが貴様を見つけたらなぶり殺しにするからな!」なんて物騒なことを叫んでしまうプッツン俳優なので、女の気持ちなど分かるはずもないのだ。
そんなわけで、どうにか女の気持ちになってアイデアをひねり出そうとするメルギブが化粧品や脱毛クリームやストッキングやらを自宅の浴室で試用するシーンには大いに失望してしまう。
世界中の男が憧れたメル・ギブソンが、半裸ですね毛を脱毛して「やああああ、痛ってええええ」などとオカマみたいな声を出したり、ストッキング姿でうろうろしているところをメイドのおばはんに見つかってしまうのである(しかもこのシーンがやけに長い)。
そしてドライヤーで感電した上にもんどり打って気絶するメルギブ…。
すね毛の脱毛に勤しむメルギブ。
夢がこわれました。
私が憧れたメルギブはここにはいない。
まるでスタローンが目先の笑いを取ろうとして『刑事ジョー ママにお手上げ』(92年)という最低のコメディ映画でオムツ姿を披露したときのような、とても悲しい気持ちがした。
女心を理解しようと努めるメルギブ。
◆心の声だだ洩れロマンス◆
ところが話はここからだ。
メルギブは浴室での事故によって女性の心の声が聞こえるという不思議な能力に目覚めるのだ。
翌朝、いつものように彼が出社すると、笑顔で挨拶をして通りすぎていく女性社員たちの心の声がメルギブの耳に入る。
「今日も臭いわね。香水つけ過ぎなのよ…」
「ヘレンに部長の座を奪われていい気味。おもろ」
「ナルシスト親父!」
そこではじめて自分が周囲の女性から猛烈に嫌われていたことを知ってひどく落ち込み、こんな能力なんていらないと嘆いてみせるのだが、ものは考えよう。やがて「この能力をうまく活用すればすべてが思い通りになる」という邪悪な野望が頭をもたげ始める。
この読心術を使えば仕事や恋愛における駆け引きを完璧に制して、すべての女性を意のままに操ることができるのだ!
憎きヘレンの心を読んで彼女が思いついたアイデアをことごとく盗んで失脚させたり、コーヒーショップ店員のマリサ・トメイを鮮やかに口説き落としてベッドイン。ああしてほしい、こうしてほしいというマリサの心の声に応えて満足度100パーセントのハイパーセックスを提供してみせる。
100パーセント満足げなマリサ・トメイ。
そうこうするうちに堅物女と思っていたヘレンの人間的な面に強く惹かれ、当初はメルギブの傲慢さを嫌っていたヘレンの方も女心がわかる彼に好意を寄せていく。メルギブは彼女を失脚させたことを猛烈に悔いはじめ、今度はこの読心能力を人助けのために使おうと決意した…。
予期せぬタイミングでロマンスが紡がれ、最低なことばかりしていたメルギブの人格更生プログラムに舵を切るあたりが実に往年のロマコメらしい。
大人の恋愛を描きつつも読心能力という荒唐無稽な設定がいいアクセントになっていて、なんともキュートであるよなぁ(若い俳優でこれをやってもバカなラブコメになるだけ)。
ジュディ・グリアが孤独を抱える幽霊社員を演じていて、彼女の自殺願望に気づいたメルギブが東奔西走するクライマックスは圧巻だ。ただでさえメルギブにはプロムでボーイフレンドに捨てられた娘のケアとヘレンに真実を告白するという大事な予定が詰まっており、この3つの用事を並行的に処理するさまがすさまじい熱量を維持したままラスト30分で描かれることになるのだ。
これが大人の恋愛や! しっぽりしたもんや!
◆精霊としてのヘレン・ハント◆
メルギブが浴室で醜態をさらすシーンを除けばかなり好意的に観た作品なのだが、ひとつ懸念しているのはこの映画は女性観客の目にどう映るのかということ。
不可抗力とはいえ女たちの心の声が聞こえるようになったメルギブがそれを利用して悪さばっかりする…という展開が映画中盤を支配するので、ことによると不愉快な思いをする女性観客がいるかもしれない。
だが、これを撮ったのが女性監督のナンシー・マイヤーズというあたりがなんとも面白く。女性心理の細やかな描写だけでなく、女心がわからない勘違い男(能力獲得前のメルギブ)と女心がわかって図に乗る男(能力獲得後のメルギブ)をシニカルに定点観測し、最終的には女心に理解を示せる公平な男(能力喪失後のメルギブ)を描き上げているのだ。
また、物語の求心力たり得ているのはメルギブではなくヘレン・ハントの方で、ヒロインにも関わらず品があって慎ましい身振りがフィルムの全域に心地よい雰囲気を行き渡らせている。
ヘレン・ハントに対する個人的な思いを言えば、先に挙げた『ツイスター』と『恋愛小説家』以外にも『ペイ・フォワード 可能の王国』(00年)とか『キャスト・アウェイ』(00年)でもヒロインを飾っているし、近年の『セッションズ』(12年)ではポリオ患者のためのセックス代理人を演じて大きな話題を呼んだが、なぜかあまり印象に残らない女優のひとりである。
印象に残らないといっても批判めいたニュアンスではなく、要はロビン・ライトやアネット・ベニングのように決して映画空間を邪魔しない女優なのだ。ただそこにいるだけで爽やかな空気をカメラに送り込むことのできる精霊タイプの名女優とでも申せば納得して頂けるでしょうか。
とにかくヘレン・ハントの透徹した気品がこの作品に好感を抱く決定打になっているのは間違いねえんだ。
マリサ・トメイが恋のかませ犬になっていないあたりにも好感が持てる。
『ハート・オブ・ウーマン』は大人のロマコメにも関わらず非常にキュートでちょっと馬鹿馬鹿しい、愛すべき作品なんだ。
だけどメルギブが浴室で醜態をさらすシーンは…(まだ言う)。
~決して映画を邪魔しない精霊女優たち~
ハレン・ハント(左)…先述した代表作以外には『死の接吻』(95年)、『ソウル・サーファー』(11年)など。わたくしの好きな女優の一人でございます。
ロビン・ライト(中央)…代表作に『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94年)、『メッセージ・イン・ア・ボトル』(99年)など。近年の『ワンダーウーマン』(17年)ではガル・ガドットを鍛えたアマゾン族の女将軍を演じた。
アネット・ベニング(右)…代表作に『アメリカン・ビューティー』(99年)、『キッズ・オールライト』(10年)など。近年では『20センチュリー・ウーマン』(16年)ですばらしい芝居を見せたが、未だオスカーを手にしていない無冠の女王。