シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

脱出

 欺瞞と矛盾の「死体ダム隠し理論」。

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1972年。ジョン・ブアマン監督。ジョン・ヴォイトバート・レイノルズネッド・ビーティ、ロニー・コックス。

 

ダム建設によって消えてしまう前に川下りをしようと奥深い渓谷へやって来た4人の男たち。だが、地元民との些細なトラブルが彼らのレジャーを「死のゲーム」へと変えてしまった…。

 

おはようございます。

最近シャワー中によく口ずさむ曲はサザンオールスターズの「雨上がりにもう一度キスをして」です。非常にキーが取りづらいのでシンガーソングライターの私でもおいそれとは歌えないんですよ。

あと、そう。来月レコードを出すので買ってくださいね。「おっかなびっくり」っていうシングルです。目標売上枚数は20枚です。

 

さて。年が明けてからというもの おっさん漬けであります。ブログに加齢臭が漂い始めて困っているので、そろそろ色っぽい女性でも召喚したいところですね。でも今日だけ我慢してね。

おっさん週間のフィナーレを飾るのは『脱出』という名作映画です!

おっさん4人がキャッキャ言いながら川下りしていると…といった紛うことなきおっさん映画ですよ。画面に女性が映るのは約5秒だけですから(それもエキストラ)。

それでは参りましょう。おっさん汁、噴出!

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◆山と弓矢とおっさんと◆

これは「ずっと観たかった映画TOP50」の41位である。普段行かないビデオ屋に行ったときにしれっと置いてあったので、見つけたときはそこそこ嬉しかった。

第45回アカデミー賞で3部門にノミネートされたもののゴッドファーザー(72年)『キャバレー』(72年)に受賞を独占されてしまった不遇の傑作なので、じっくり語っていきたいと思うぞ。


4人のおっさんが渓流に川下りを楽しみにきたが、村落の地元民はどこかよそよそしい。この渓流は近々ダムの建設によって湖底に沈められる予定なので、地元民たちは4人を建設会社の人間だと勘違いして警戒しているのである。

だが4人は自然を愛する爽やかなおっさんたちで、「ダムなんて作る必要ないよね」、「そうとも。自然を壊すな!」と言い合っている。

また、カヌーで川下りをして「進まん進まん」と騒いだり、ボウフィッシングで魚を釣っては「ウェイ」と喜んでいるような無害な小市民なのだ。

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川下りを楽しむおっさん連中。見るからに無害である。

 

映画は、彼らが川遊びに興じる様子をほのぼのと素描していくが、村落の人々から怪訝な目で見られるファーストシーンの禍々しさが依然尾を引いている。

おっさんたちの笑顔のかがやき。乱反射する水面のきらめき。せせらぎ。ゆらめき。そんな美しい自然風景の薄氷一枚隔てた下には、何かとてつもなく悪いことが起きそうな予感がみなぎっているのである。

だが案ずることはない。俗にいうノープロブレムというやつだ。


4人組の内の2人がジョン・ヴォイトバート・レイノルズなのだから!


ジョン・ヴォイトといえばアンジェリーナ・ジョリーのリアルパパとして知られているのでパパジョリーと呼ぶことにする。俳優としては真夜中のカーボーイ(69年)で伊達男を演じたり、『チャンプ』(79年)ではボクシングの世界チャンピオンを演じたタフガイだ。

ところが本作ではギター弾きのロニー・コックスや小デブのネッド・ビーティと同じく大人しい性格で、魚も殺せないチキンハートのパパジョリー…。

少々頼りないが心配には及ばない。俗にいうノープロブレムだ。何度も言わせるな。

もう一人のバート・レイノルズこそがキング・オブ・アメリカンタフガイで、常に男性ホルモンをまき散らしているような典型的マッチョ。出演作も『ロンゲスト・ヤード』(74年)『キャノンボール』(81年)といった男臭い映画ばかり。

この男がいれば何が起きても大丈夫だろう。

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左からパパジョリー、バート・レイノルズ、小デブのネッド、ギター弾きのロニー。

 

そして事件は起きる。森に迷い込んだパパジョリーと小デブのネッドがイカれた地元民2人に銃を突き付けられたのだ。

イカレ男の一人は小デブを裸にして奇声をあげながらカマを掘る。パパジョリーはレイプされて泣き叫ぶ小デブをどうにかして救おうとするが、もう一人のイカレに銃を突きつけられているので身動きが取れない。

そこへバート・レイノルズが駆けつけ、ボウフィッシングでレイプ野郎の心臓をシュッと射抜く!

もう一人の男は逃がしたもののレイノルズ様様である。やはり頼りになる男だ。こんな時のレイノルズ。あなたの街にレイノルズ。一家に一台レイノルズ。

ところがこれは運命の序章に過ぎなかった。この映画の真の恐ろしさとそれゆえの傑作性はその後の展開へと譲られることになる…。

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元祖ランボー! 元祖ホークアイ! 元祖『ハンガー・ゲーム』!


◆自然の裁き 文明人の欺瞞◆

襲われた小デブを救うためにレイプ野郎を殺したバート・レイノルズ。彼のランボーのごとき活躍によって事態は収拾したかに見えたが、死体の処理をめぐって4人の議論が紛糾する。

ギター弾きのロニーは「警察に届け出て正当防衛を主張するべきだ」と言うが、レイノルズは「裁判になると地元の陪審員は味方してくれないぞ」と反論し、どうせあたり一帯はまもなくダムの底に沈むのだから死体を隠しても絶対に見つかるまいと主張するのだ。

いちばんの被害者である小デブは耐えがたい辱めを受けているので、できれば事件を公にしたくないという心境からレイノルズの「死体ダム隠し理論」に賛同する。

「おまえはどういう意見を持っていますか」と問われたパパジョリーは、銃を突き付けられたことがよほど怖かったのか、呆然とした顔で「わからない。何も考えられない…」と言って思考を放棄した。

レイノルズは「民主主義でいこうや」と言い、死体処理をめぐる今後の活動方針を多数決で決めることに。その結果がこちら。

サツに届け出る  1 (ギター弾き)

サツに届け出ない 2 (レイノルズ、小デブ)

無効票      1 (パパジョリー)

「多数決の結果、サツに届け出ずに死体を隠す運びとなりました」とアナウンスするレイノルズ。「やっほほ」と小躍りして喜びを表現する小デブ。「なんでじゃ」と拗ねて地面を蹴るギター弾き。

何も考えられないパパジョリー。

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死体ダム隠し理論に基づく男たち。


この映画はよく見るとかなり変則的な構成であります。

この世には『イージー・ライダー』(69年)ブレーキ・ダウン(97年)のように都会から来たよそ者が排他的な地元民から迫害される系という映画群が存在する(私の大好物)

よそ者がいい気になっているのを快く思わない地元民が、やがて牙を剥き主人公の命を狙う…というローカルの闇。本当に怖いのは都会より田舎…という田舎スリラーである。

てっきり本作もその系譜なのだろうと思って観ていたのだが、4人が死体の処理をめぐって仲間割れを起こす中盤以降から、まるで渓流のように流れが変わり始めるのだ。

これは「よそ者」と「地元民」の二項対立を扱った作品ではなく「人間」と「自然」の対立構造を見つめた作品なのだろう。

 

監督のジョン・ブアマンは小デブが受けた辱めを「自然によるレイプだ」と説明したように、本作は自然をレイプしてダムを作り続ける文明人に裁きを下した映画なのである。

では、なぜ自然を愛する4人が裁きを受けねばならないのか。

彼らにも文明人の欺瞞があったからだ。

レイノルズは村落で暮らす地元民に「川を下った先にある町まで車を搬送してくれ」と頼むファーストシーンから地元民のことを下に見ており、思うように交渉が進まないと「じゃあ頼んだぞ」と言って金だけ渡し、早々に会話を切りあげる。まるで言葉が通じない野蛮人を相手にするように。

また、本当にレジャーが好きなのはレイノルズだけで、あとの3人は強引に誘われて渋々ついて来たという事情がセリフの端々から読み取れる。あとの3人は、カヌーの漕ぎ方や魚の釣り方を口やかましく指示するレイノルズに内心うんざりしているのだ。

極めつけは、消えゆく自然を憂いてダム建設に反対論を唱える彼らが自分たちの罪を隠すためにやがて建設されるダムを利用するという矛盾(死体ダム隠し理論)

なんちゃってエコロジストの欺瞞がボロボロと暴かれていく、じつに意地の悪い映画なのである。

SNSの弊害をSNSで説いてインテリ面してる奴とか「機械なんてロクなもんやないで!」と言いながら電化製品の恩恵に浴している中年(ウチの親)など、文明批判はいつもブーメランとなって我が身に突き刺さる。

私にしても「スマホばっか触んな!」と言ってスマホ依存の現代人を軽蔑しながら休みの日には一日中パソコン触ってるからね。

というわけで、本日のパワーワード「文明批判はブーメラン」に決定いたしました。アリス。

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◆弩ブラックなサバイバル・サスペンス!◆

死体を山に埋めた4人は「さぁ、早く帰るぞ!」と言ってカヌーを漕ぎはじめる。もはや笑顔は消えております。この地獄のような状況から文字通り『脱出』を試みるのだが、さらなる追い打ちが4人を苦しめる。

ギター弾きはどこかから飛んできた銃弾を受けて死亡、カヌーから放り出されたレイノルズは激流に飲まれて足を骨折する。カマを掘られた小デブは未だにケツを痛がっている。

さっきまで格好よかったレイノルズが骨折してヒンヒン泣き叫ぶ姿が正視に耐えない…。あんなに粋がって「釣りはこうすんねやで!」とか「カヌーはこないして漕ぐんや!」などとレジャーの心得を説いたり ランボーの真似をしてええ恰好していたレイノルズが足を折ったぐらいで幼児のように泣き叫んでいる。

やはりブアマンは意地が悪い。

それに死んだギター弾きは腕があらぬ方向に曲がっちゃってるし。

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何がどうなったらこういう事になるのか。

曲げすぎて脇破れてますやん。


さて、無傷なのはチキンハートのパパジョリーだけ。

このシーンを観ていて、私はポケモンを思い出しました。手塩にかけて育ててきたモンスターたちが四天王戦で次々にやられてしまい戦力外の秘伝要員だけが生き残ったときの絶望感に似ている。

「こいつ一匹でどないせえゆうね」ということである。それがこのシーンのパパジョリー。

崖の上に人影をみとめたパパジョリーは「あいつがギター弾きを撃ったんだ!」と考えた。レイプ現場で自分に銃を突きつけた男が仇討ちのために撃ってきたのだ、と。

「よーし、やったるでー」と意気込んだパパジョリーは弓矢を担いで崖をよじ登り、チキンハートを跳ね返してその男のド腐れハートを見事に射抜く!

しかし、そのあと小デブと一緒に死体を確認したパパジョリーの顔から見る見るうちに血の気が引いていく。

デブ「…これ別人じゃない?」

あちゃー。

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ひとりで頑張るパパジョリー。


パパジョリーが殺した男の正体は最後までボカされたままなので実際のところは分からない。もしかすると人違いして全然関係ない人を殺してしまったのかもしれない…という後味の悪さを残したまま静かに映画は終わっていくのだ。

『脱出』は徹底した底意地の悪さがひたひたと張りついたブラックなサバイバル・サスペンスである。唯一の良心だったギター弾きのロニーが唯一の死亡者でもある…というところも含めてホントに意地が悪い。

70年代に珍作・迷作を連発したジョン・ブアマン『殺しの分け前/ポイント・ブランク』(67年)未来惑星ザルドス(74年)などヘンテコリンな映画ばかり撮ってきたカルト監督だが、本作はそんなブアマンが理知的に撮りあげた最初で最後のまっとうな作品。

撮影はロング・グッドバイ(73年)未知との遭遇(77年)ディア・ハンター(78年)など錚々たる傑作を手掛けてきた大家ヴィルモス・ジグモンドが担っており、70年代特有の渇いたショットが人間の欲深さを浮き彫りにしている。

幼少期に観ていたらトラウマ必至の胸糞映画であった。小さなお子さんがおられる方はぜひ見せてあげてください。

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おっさんずラブはこっちだろ!