シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

映画を捨て置いてイエモン特集

ハイ、ポケモンのあとはイエモンですねー。映画が好きでこのブログに遊びに来てくれてる方々を末代まで裏切っていく所存でございます。ご苦労さまです。

2004年に解散して2016年に再結成したTHE YELLOW MONKEYの19年ぶり9枚目となるオリジナル・アルバム『9999』のリリースを記念して今回はイエモン特集です。はっきり言って。

なに。「映画評が読みたくてわざわざこんなブログに来てやってるんだよ。ニーズを履き違えんなよ」とおっしゃる?

映画なんか知るかあ!

ボケェーッ! 生まれてこのかた映画なんか観たこともないわ! 映画の話は二度とするなよ! ひねり潰してやるぞ、オマエの明日を! 記念写真やぶったろか!

 

さて。映画好きの連中を脅しつけたことだし、ようやくイエモン特集が始められます。

類は友を呼ぶとはよく言ったもので、私の周りにはやなぎやさんワキリントさんのようなイエモン仲間が「イエモン、イエモン」と言いながらピクミンみたいにワチャワチャしてるんですよ。少数ではありますがね。

特にやなぎやさんは「ふかづめさん、イエモンのアルバム、もう少しだね!!」と一人で騒いでピクピクしておられました。大丈夫なのでしょうか。

そんなイエモン分子たちと一緒に楽しめるような記事になったらいいなって。

イエモンとはどんなバンドか? みたいな手引き書的な部分はスキップしてるので、ある程度は知っていることを前提にビャーッと書いた記事になっております。いつも以上に誤字脱字があったら、それはごめんね。

~イケてる目次~


①イエモンはダサい

GLAY、LUNA SEA、L’Arc-en-Cielなどが人気を博した90年代バンドブームにあって、イエローモンキーはやや異色のバンドだった。

メンバーのルックスは総じて良く、とりわけボーカルの吉井和哉は少女漫画のモデルに使われるほど大和撫子たちのセックスシンボルと化していたし、男性リスナーからは「洋楽オンリーの自分が唯一聴く日本のバンドはイエモンだけ」と言わしめるほど音楽性の高さが評価されていた。

現に、わりと早い時期からオリコンチャートを荒らしていたイエモンだが、「追憶のマーメイド」「太陽が燃えている」をチャート上位に送り込みながらもいまいちマイナー感だけが拭えなかったのである。少なくともお茶の間から流れてきて家族全員が「いいよねー」と思うようなバンドではない。

その理由こそがイエモンの魅力と直結してもいるのだが、まずひとつには「ダサい」という要素が挙げられる。

イエモンはダサい。

ゆえに格好いいわけだが、兎にも角にもダサい。

もともとオカマみたいな格好をして世に出てきたイエモン。MVでは終始おどけ、テレビに出れば洒落のめし、コンサートでは奇妙な踊りに身をくねらせ、口を開けば親父ギャグと下ネタのオンパレード。ギャグセンスも昭和まるだし。彫刻のように美しい顔を持つ吉井和哉は、ビジュアル系全盛の時代にも関わらず「悲しきASIAN BOY」のMVのなかで頭を坊主に刈りあげて鼻血を流すという王子キャラにあるまじき痴態を進んで演じた。

この道化精神の根底には、ほかでもなく「THE YELLOW MONKEY」というバンド名が洋楽コンプレックスに対する自認と自虐によって名付けられたというマニフェストがある。

90年代のJ-ROCKといえば サザンオールスターズやMr.Childrenが広めた「日本語ロック」が日本独自のロック様式を模索していた時代だ。いかにして洋楽のロックサウンドに日本語を乗せるか…という試みね。

だがイエモンは「日本独自のロックなんて本来存在しないんだから洋楽の猿真似をしてカッコつけてもしょうがない」と考えた。考えたというより諦めた。アメリカとイギリスを親に持つロックンロールを日本人がやったところで所詮は模倣止まりなのだ。

その諦念から、あえて自らに「THE YELLOW MONKEY」という東洋人に対する蔑称を冠したのである。「ファッキン・ジャップですが何か?」ということだ。

だからイエローモンキーはダサいことを進んでやる。コンプレックスを受け入れた人間は最強だ。開き直ったデブとかな。

近ごろのJ-ROCKバンドはやたらと英語歌詞が多くて洋楽サウンドを取り入れてるが、「だったら洋楽聴くよ」と思わないか? 思うよね。「思う」で決定。言っちゃ悪いけど下位互換だもんな。日本でロックを鳴らす以上は日本ならではのサムシングがなければ聴く意味がないわけで。そして「日本ならではのサムシング」に満ち溢れているのがイエローモンキーなんである。

詳しくは後述するが、初期イエモンの音楽性はジャパメタとグラムロックに根差しているものの、中期以降ははっきり言って昭和歌謡である。

とりわけソロになったあとの吉井和哉の歌謡趣味は止まるところを知らず、美空ひばり、藤圭子、ゴダイゴなどをカバーしまくるといった有様。

洋楽もどきのJ-ROCKを聴く暇があるならイエモンを聴け!!

THE YELLOW MONKEY「LOVE LOVE SHOW」

「がんばっちゃうもんね」。これが歌えるのはイエモンだけ。愛嬌たっぷりのおバカソング。


②変遷する音楽性

イエローモンキーの音楽性を一言で表すのは難しいが、あえてひとつだけ単語を選ぶとすれば「エスニック」だろうか。たぶん違うな。何なんだろうな。わかんねえ。それぐらい一言で表すのは難しい、ということだけ理解してくれ。理解はしたか? よく理解をしました。

彼らの音楽性は各時代ごとに何度か変化している。

インディーズ時代はジャパメタ「WELCOME TO MY DOGHOUSE」がその筆頭。ラウドネスやアースシェイカーのような国内バンドのほかにもモトリー・クルーやチープ・トリックといった海外バンドからの影響が見て取れる。

メジャー初期はグラムロックだ。やはりイエモンといえば和製デヴィッド・ボウイ。「売れるアルバムを作れ」というレコード会社の命令を無視して製作したコンセプトアルバム『jaguar hard pain』を「俺らなりのジギー・スターダスト」と称するほどボウイナイズされていた時期だね。それがよく分かるのが「アバンギャルドで行こうよ」「SUCK OF LIFE」ほか多数。

そして、チャートを意識した中期以降はハードロックとオルタナティヴ・ロックを摂取しながらも昭和歌謡に根差した独自の音楽性を発展させていく。

90年代後期は日本のみならず全世界のロックシーンがオルタナ一色だったが、きわめて70年代的な「ハードロック」と「昭和歌謡」という過去の遺物を引っ提げて21世紀に突撃したバンドなんてイエローモンキーぐらいだろう。知らんけど。その姿勢を体現しているのが「BURN」「球根」。ハードロック歌謡という「洋楽コンプレックスにまみれた日本人」にしか生み出せない名曲だ。


そして2004年にイエローモンキーが解散したあと、吉井和哉はソロの道を歩みはじめる。このソロ期にこそ吉井の音楽マニアぶりが狂奔していて、イエモンのルーツを解き明かす鉱脈がざっくざく。

イエローモンキーという呪縛から解放された吉井はバンドのイメージやセールスなど気にせず、鳴らしたい音を思う存分に鳴らした。時には世界的プレーヤーのジュリアン・コリエルやジョシュ・フリーズを擁して、時にはすべての楽器を自ら演奏するなどして音楽と戯れ、幸せなひと時を味わう。ビートルズやオアシスといったUKロックからピンク・レディーやあがた森魚のような昭和歌謡までを横断した11年間の長旅だ。

吉井和哉のおもしろさは、バンドやソロに関わらずその時々の精神状態が音楽に反映されるという点に尽きると思う。オリコン上位を目指して燃えまくっていた頃の「太陽が燃えている」、イエモン卒業を考えていたころの卒業ソング「プライマル。」、解散して鬱になっていた時期のソロ一枚目『at the BLACK HOLE』、そしてバンド再結成を決意したソロラストシングル「クリア」といったように、我々リスナーはその時々の曲を通じて「吉井和哉のいま」を定点観測するといった具合に精神状態まる見えミュージシャンなのである。

イメージを守ったり役を演じることはしない。一つ一つの楽曲がイエローモンキーのドキュメンタリーなのだから。

THE YELLOW MONKEY「熱帯夜」

右傾ロック「悲しきASIAN BOY」の次のシングル曲にあたり、こちらは極めて耽美主義的な歌謡ロック。この世界観の下地には三島由紀夫の文学があったりします。この頃の吉井はとてつもなく美人だった。


③吉井リリックの世界

イエローモンキーを語るうえで避けては通れないのが歌詞の世界。

イエモンを代表する歌詞といえば「JAM」「日本人はいませなんだー! いませなんだー!」のヒステリック連呼が有名だが、それだけではない。いや、あえてこう言わせてもらおう。

そんなもんではない。

吉井は中卒だし九九もできないが、歌詞に関しては驚異的な才能を発揮するリリックモンスターだ。はっきり言って吉井よりも遥かに文才のある私(!)も未だに意味を解き明かせないほど深遠な詞を書く。

吉井リリックの真骨頂は言葉遊びとメタファーに尽きたり尽きなかったりするン。

吉井の言語感覚を成しているものは、比喩、倒語、回文、掛け詞、空耳、語呂合わせなどを縦横無尽に使いこなす豊穣な語彙。言い回しがおもしろいのである。妙に深いのである。たまに笑ってしまうのである。

私が思うヨシー・フェイバリット・リリックをダーッと抜粋するので、ぜひとも感性の電波塔をおっ立てて味わって頂きたい。

 

絶望と希望のバトミントン

人様に迷惑とコーヒーはかけちゃいけない

自信が化粧したようなプライド

アホのソテーができるぜ

不自由と嘆いてる自由がここにある

いつかキミがくれた謎のクローバー

この恋は人から見れば5足で1000円の靴下さ

デフォルメした思い出を指通りよくしようかな 「だからってそれは最新のコンディショナーじゃないぞ」なんてね

弱い自己主張は捨てられて 強い個性だと殺される

寒い朝にこっそり おにぎり握るように愛してくれない?

ごめんねが小さじ3杯

虚しさだけを言い渡された受刑者みたいね

闇の奥で叩き鳴らす黒いタンバリン 光る回る歌う浴びる音の血しぶき

「どこにも行かないでくれ」と書かれたニュースペーパー

(ファックを送信します)

ガソリンスタンドに寄った 可愛い女の店員がオーライオーライと言った 本当にオレはオーライか?

みんなに死んだらいいなと思われる ピーナッツ ピーナッツ ピーナッツに似ている

笑顔がキレイな君の 裏側こそが美しい

オレの祖先はアリゾナのスネイク

きみを剥いたら 涙が止まらない オニオンベイビー

後ろの正面 私でござる

あ そうだ 君のおセンチ何cm?

 
などなど。よくそんな言い回しを思いつくな、というケレン味溢るる歌詞世界。

個人的に大好きというか…いつ聴いても笑ってしまうのが「Romantist Taste」「いつかキミがくれた謎のクローバー」

謎のクローバーってなに。

しかもそのあと「火で燃やし」って続くからね。

なんで燃やすん。せっかくもろた謎のクローバー、なんで燃やすん…。

…という感じで、歌詞の物語の奥を想像すると可笑しくてしょうがないのである。

また、イエモンと切っても切り離せないのがセックス&ドラッグ。そのような過激な歌詞は良しとされない日本の音楽業界のなかで巧みな比喩を使って道徳の法を掻い潜ってきた吉井のリリックをフィーチャーしてみるね。

※下ネタのオンパレードです。

 

花子の奥まで太郎を入れたい

狭いベッドの列車で天国旅行に行くんだよ(中略)僕は孤独なつくしんぼう

さあおいでよ 私はあなたの馬 その宝物 頭に乗せてよ どこまでも走るよ ごちそうさま

 

これ ぜんぶセックスのことね。

いちばん秀逸なのは「LOVE LOVE SHOW」「私はあなたの馬 その宝物 頭に乗せてよ」というところ。意味は知りたい人にだけ教えてあげます。また、「雨が続いて 雷鳴って 山が火を噴き 海が荒れても」というDメロの歌詞も巧い。セックスのプロセスをすべてメタファーに置き換えた技アリの詞だ。

サザンほど露骨でなくスピッツほど爽やかではないエロスの世界。何を歌うにしてもそのものズバリな表現は下品でしかないが、比喩を使うことで詞が色彩豊かになり解釈も広がるのだ。おそらく吉井は「セックス」というキーワードを100通りぐらいの言い方で表現することができるだろう。「身体で身体を強く結びました 夜の叫び 生命のスタッカート」とかね。

ちなみに、もっと卑近なセックスメタファーがこちら。

 

きみの毛並みは鳥のようだ まだ若いからピンク色だ

さあ目の前で開いて見せて 淋しそうなトカゲをいじって うれしそうな音が聞こえるね

愛で溢れるソースをかけて 天使のような君を食べる 使い込まれたナイフとフォークで骨までしゃぶる 君のすべて吸い尽くす

 

お茶の間が「いいよねー」とならないのも納得の卑猥さ。

お次はドラッグソングだが、これも巧みな比喩で直接的表現をうまーく回避してらっしゃる。

 

スプーン一杯の幸せを分かち合おう

僕はブリキのトランペットで自由の水を吸い込んでる

蒔いたみたいなROCK

 

「蒔いたみたいなROCK」の「撒いた」とは「大麻」のことで、これはさすがに歌にできないし歌詞にも載せられないので逆さ言葉にしてるわけです。

このように、詞の一部にセックスやドラッグといった妖しいモチーフを放り込むことで曲に影をつけるといった比喩法をよく使う吉井だが、ごくまれに一曲の歌詞がまるごとメタファーになっているという空恐ろしいこともやってのける。

歌詞が全文メタファーなのは「審美眼ブギ」「HOTEL宇宙船」「プライマル。」の3曲。

2ndアルバムに収録されている「審美眼ブギ」は自分たちを批判した奴らへの逆襲ソングだ。

「この貝殻のカミソリで君の顔を切り裂いてやる」の「貝殻のカミソリ」とはレコードのことで、批判した連中に音楽で復讐してやる…というニュアンス。「長さは50.56センチ キリンの首をちょんぎって馬にする」というのはデビューアルバムを「長い」と酷評した音楽評論家への皮肉だ。ちなみに1stアルバムの収録時間が50分56秒。

 

「HOTEL宇宙船」はラブホテルでのセックスを歌った曲である。

イントロで聴こえる「鍵! 宇宙!」は「ハニー」と「ウォンチュー」に掛けている。ちなみに「鍵」はホテルの鍵を指したものでもあり、その後に続く「満点の星空」はホテルの照明のこと。つまり入室!ってことですよ。

サビの「メキメキ太くなれ我が望みよ」は推して知るべし。「時々邪魔になる我が生死よ」の「生死」は「精子」のこと。歌詞カードに載せられないから変換しただけ。サビ終わりには「キンモクセイの香る思い出が好きだよ」とあるが、金木犀は銀杏と同じく精子の臭いを発する樹木。間奏で吉井が叫ぶ「ほしぶどう!」は睾丸のこと。

 

下品な話が続いております。こんなはずじゃなかった。

解散前のラストシングル「プライマル。」は一見すると普遍的な卒業ソングのように思えるが、これはバンド解散を決意した吉井がイエローモンキーに別れを告げた曲だ。だから「プライマル」のあとに「。」(句点=ピリオド)が打たれているし、歌詞に出てくる「キミ」とか「あなた」という二人称もイエローモンキーのことを指すわけだ。

「あなたよりも好きな人が他にいるから」→ソロになりたい。

「紅塗った君がなんか大人のように笑うんだ」→解散を決意した今、過去の自分がほんの少し大人びて見える。

「さようなら きっと好きだった」→多分オレはイエローモンキーを愛していた。

今の自分たちが昔の自分たちと訣別した解散ソングなのである。もはやイエモンファンにしか意味が伝わらない全文暗号みたいな曲だ。明るくてキャッチーなメロディーを持っているのでカラオケでやたらと人気のある曲だけどファンとしてはあんまりノレない…という不思議な曲である。むしろ号泣してしまうンである!

ちなみにプライマルというのは「最初の~」とか「原始の~」といった意味。すでに解散が決定したラストシングルでわざわざこんな言葉を選ぶ底意地の悪さ。吉井和哉です。

 

ダブルミーニングについても少しだけ触れておきたいな。

「セミダブル溺死体」と「セミダブル(ベッド)でキスしたい」とか、「I CAN BE SHIT,MAMA」と「アッカンベーしたまま」とかね。

「女の子はしょっちゅう 獣のようにネイル」は「女の子は焼酎 獣のように寝入る」と掛かってて…みたいな話もしたいのだけど、そろそろこの辺でやめておかないとシバかれます誰かに。

あとこれは私の推論に過ぎないが「BURN」と「HEART BREAK」は歌詞の物語が続いてます! 2曲でひとつの物語になっとんにゃわ。

THE YELLOW MONKEY「SHOCK HEARTS」

曲も好きだけどMVはもっと好きです。ケバケバの化粧が超好み。色んな映画のワンショットがサブリミナルみたいに映るけどキミはいくつ分かるかい? 僕はほとんど分からないよ!

 


④アルバム寸評

ここからはオリジナル・アルバムを一枚ずつ語っていくっていうビミョーなコーナーです。こういうことするの、大好きなんですョ。

 

『Bunched Birth』(91年)

自主レーベルで作られたインディーズアルバム。長らく廃盤になっていてオークションで高額で取引されていたが、再販されたので余裕たっぷりにゲットして頂けます。

ジャパメタとグラムロックの融合は早くもこの時点で完成していた。初期イエモンの「安っぽさ」や「サーカス感」が満載のキュートな一枚である。

未だにコンサートの定番曲として大人気の「WELCOME TO MY DOGHOUSE」「LOVERS ON BACKSTREET」はこの時すでに産み落とされていたんですねぇ。

 


『夜行性のかたつむり達とプラスチックのブギー』(92年)

メジャーデビュー初のオリジナルアルバム。

とてつもなくシャイなアルバムである。こわごわと楽器に触っているような演奏と遠慮がちなボーカル。個人的には「これを聴くなら『Bunched Birth』を聴く」という感じだが、疾走ロックンロールの「Chelsea Girl」、ベースが楽しいゲイソング「This Is For You」、ギター泣きまくりの「真珠色の革命時代」など意外と粒ぞろい。

ちなみに某友人は「Oh! Golden Boys」を絶賛してやまない。いわく「この曲は『LOVE LOVE SHOW』への布石」とのこと。言われてみればそうかも…。

 


『未公開のエクスペリエンス・ムービー』(93年)

私が最も好きなのがこの2ndアルバム。世間のイメージでは次作『jaguar hard pain』に吸収されてしまった感が否めないが、吉井が分裂症を引き起こした記念碑的アルバムだと思うんだよな。

ベートーヴェンの「月光」に始まり、デヴィッド・ボウイの「It's No Game (Part1)」へともつれ込む「MORALITY SLAVE」を皮切りに、嗜虐的/自虐的なエログロ趣味や同性愛ソングが犇めき、吉井のなかの「俺、僕、私」を3つの人格にわけた三大バラードを詰め込んだアイデンティファイの一作。初めてイエモンがイエモンになった誕生日みたいなアルバムである。不器用な恋人に爪を切られながらの祝福。

 


『jaguar hard pain』(94年)

これはまるっきりデヴィッド・ボウイの『ジギー・スターダスト』です。

戦場で死んだジャガーの魂が50年後の現代にタイムスリップして恋人マリーを探し続ける…という悲しくも壮大なストーリーを描き上げたコンセプト・アルバム。

レコード会社からは「売れるアルバムを作れ」と言われていたが、先行シングルは「悲しきASIAN BOY」のみというセールスをドン無視した意欲作と化す。おまけに吉井は丸坊主。

「セルリアの丘」「MERRY X'MAS」ではモーガン・フィッシャーがピアノを弾いてる…というのが信じられない(クイーンのヨーロッパツアーにも参加したモット・ザ・フープルのメンバー)。

ちなみに「街の灯」はチャップリンの映画に着想を得たもの、というのが私の試論。

 


『smile』(95年)

『jaguar hard pain』で好き放題やったので今度はレコード会社の意向に沿って思いきりチャートを意識したアルバムに。

どの評を読んでも「頽廃性が後退して明るくポップになった」とあるが、なぜかそうは聴こえないんだよなぁ。音に関してはたしかに装飾過多なので煌びやかなイメージは持ってるけど、歌詞に関してはむしろ過去最凶にエグいし癖の強い主旋律も多いと思うぞ。

メタル炸裂の「“I”」からの歌謡バラード「Hard Rain」の流れがいい。『smile』というタイトルなのにアルバムジャケットには泣く女。相変わらず天邪鬼。

 


『FOUR SEASONS』(95年)

ブレーク後、イエモン中期のターニングポイントとなる作品で、まるで別バンドのように音楽性がガラッと変わる。厳密には70年代グラムをやめて90年代オルタナ路線に以降した時代に合わせた音へ。見るからに金のかかったアルバムで、「Four Seasons」「空の青と本当の気持ち」など垢抜けた曲も多く、ここから平気で7分を超えるような大曲主義が始まっていく。

すごくトータリティの高いアルバムだけど、次作の『SICKS』にすべての面で超えられてしまったという不遇の作品なのかもしれない。

 


『SICKS』(97年)

しばしばJ-ROCKのマスターピースのひとつとして名前が挙がるほどの大傑作。

このアルバムのために300曲作ってその中から13曲選び完璧な曲順で配置したように、まずは全体構成の美しさに酔う。アルバムの世界観にそぐわないとして「JAM」「SPARK」といったヒット曲をあえて収録しなかったことが作品性の高さを物語っている(そのためミリオンセラーを逃した)。

全編に漂うUKロックの匂いと洗練された歌詞。透明度の高い楽曲と清涼な空気感。あまりの完成度の高さからイギリスでもリリースされ、2010年にはデジタル・リマスター盤『COMPLETE SICKS』が発売された(「なんで同じCD2枚も買うの」と妹に呆れられた苦い思い出が満開)。

ダウンロード販売によって音楽が曲単位で切り売りされたり、プレイリストで一枚のアルバムがバラバラにされちゃうような今の時代にはもう二度と生まれないアルバムだろうな。

ちなみに「楽園」のMVは映画『シャイニング』(80年)に着想を得たもの、というのが私の試論(間違ってないはず)。

 


『PUNCH DRUNKARD』(98年)

奇跡的名盤『SICKS』を作り上げたことでパンチドランカーになってしまった吉井が、このままオルタナ路線を続けても『SICKS』に喰われるだけだと判断、思いきって直球ハードロックアルバムに舵を切ったのがこの7枚目。

残念ながらあまり心を惹くアルバムではない。自ら生み出した『SICKS』という怪物の呪いを断ち切ろうとして雁字搦めになってる印象で、先行シングルの「球根」「BURN」「LOVE LOVE SHOW」をほかのアルバム曲が補完しているだけ…という凡庸な構成。「パンチドランカー」のグルーヴや「ゴージャス」のリフは楽しいんだけどなぁ。ただ単に好い曲を詰め込むだけでは好いアルバムにはならないのが難しいところ。美しいショットをいくつ繋げても美しい映画にはならないように。

 


『8』(00年)

フジロックでの大失敗や暗黒のパンチドランカー113本ツアーなどで心身ともにボロボロの状態で製作された再結成前のラストアルバム。

エンプティここに極まれり。テーマもコンセプトもなく、タイトルやジャケットも「なんとなく」で選んだだけの心ここにあらず炸裂の一枚である。すでにこの時点で吉井の頭には解散の二文字が浮かんでいた。

どっこい、メンバー自身は「テーマはない」と言うが、必然的に「終焉」というテーマに貫かれていて、わけても「ジュディ」から「HEART BREAK」までのA面5曲は同じ匂いをまとった曲として統制されている。終盤の「メロメ」「バラ色の日々」「峠」も葬式三部作を象っているが悲しすぎるので通しでは聴けない。

 


そして19年ぶりのオリジナルアルバム『9999』へ…。

エマが弾く「Breaking The Hide」のギターではフライングVが使われているらしいぞ!

しかもマイケル・シェンカー本人の!!!

 

⑤ベストイエモンソングTOP10

最後にベストイエモンソングTOP10でも発表させて頂きます。再生回数ではなく思い入れの強い順で。


10位 薔薇娼婦麗奈

 9位  花吹雪

 8位  ネバーギブアップ

 7位  シルクスカーフに帽子のマダム

 6位  カナリヤ

 5位  SUCK OF LIFE

 4位  天国旅行

 3位  BURN

 2位  LOVERS ON BACKSTREET

 1位  夜明けのスキャット

 

ありがとうございます。栄えある1位は由紀さおりのカバー「夜明けのスキャット」となりました。

「カバー曲を1位に選ぶなんて邪道!」という貴重なご意見は謹んで便所に流させて頂きます。「大」でね。そもそも「カバーで人気を得るなんてコスい」みたいなセコい発想は日本だけだよ! くそ島国が!

「夜明けのスキャット」にはイエモンの本質ともいえる耽美主義やデカダン趣味が散りばめられていて、これ以上にイエモンらしい曲はないと思っているんだ。で、1位です。

時間が余ったのでソロ期のTOP10も発表しようかな。誰も望んでやしないけど。


10位 母いすゞ

 9位  ロンサムジョージ

 8位  WANTED AND SHEEP

 7位  朝日楼 (朝日のあたる家)

 6位  Hattrick'n

 5位  恋の花(ライブVer)

 4位  FALLIN' FALLIN'

 3位  血潮

 2位  WEEKENDER

 1位  BELIEVE

 

ハイ、ありがとうございます。ソロの方が音楽性が豊かなので10曲に絞るのが難しいけど、まぁ、こうなったん。

そもそもこんなランキングを作ったところで何の意味もないことをオレは知ってんだ。曲単位ではなくアルバム単位で語らないと意味がないんだ。音楽ってやつは。

で、アルバムの話をしますと、音を深めた向地性の傑作『Hummingbird in Forest of Space』と、音を楽しんだ背地性の快作『The Apples』が私のなかではソロ期のツートップで、この2枚にはイエモンを解散させてまで作った意味が狂奔してると思うで。ソロファンからは『at the BLACK HOLE』が人気だけど、個人的には打ち込みとか宅レコがあまり好みじゃないのでこの2枚を選ばせてもらいました。

 

つうこって終わり。書きたいだけ書いて嵐のように去っていく男。それがおれ。

(せっかくだし文字数を9999文字にしたかったけど1万字超えちゃった。野郎~)