「つまらない」という感覚がここまでビビッドに立ち上がってくる映画もなかなか珍しい。
2018年。イーライ・ロス監督。ジャック・ブラック、ケイト・ブランシェット、オーウェン・バカーロ。
両親を亡くし、叔父のジョナサンの世話になることになった少年ルイスは、ジョナサンが魔法使い、隣家に暮らす美女ツィマーマンが魔女だと知る。ある日、ジョナサンの屋敷に世界を破滅させる力を持った時計が隠されていることがわかる…。(Yahoo!映画より)
ああ、なんていうことだ…。ついに電子レンジがイカれちまった。
電子レンジって使わない人は本当に使わないけど使う人は本当に使うよね。私の場合はめちゃんこよく使う。電子の世界からやって来たレンジの使い手といっても差し支えないぐらいよく使う。
冷飯を温めたり、冷凍食品を温めたり。時にはアイデアを温めたり。冷めてしまった愛情を温めたり…。
むしろ「入りたい」とさえ思ってるからね。電子レンジの中に。誰かぼくを600Wであっためて。少しは温かい心を取り戻すから。
人生になくてはならないもの。それがレンジ。
レンジを失った今、私は温かいものを食べることができない。愛もアイデアも湧いてこない。ぬくもりを失っちまったというわけさ。600W 2分でチンするだけですべて元通りなのにさ…。
そんな哀愁たっぷりの私が本日お送りするのは『ルイスと不思議の時計』。
正直、映画評とか書いてる場合じゃないんですよ。電子レンジどうにかせな。
◆イーライ・ロスにとっての悪条件がすべて揃った負け戦映画◆
これはひどかった。
馬鹿ガキを騙すことぐらいはできるだろうが18歳以上の青少年を騙すのは少々難しい作品である。
もっとも、将来の夢は魔法使いですと言って憚らないようなイタい連中にとってはお気に入りの一本になるかもしれないが、たぶんその夢は一生叶わないからさっさと第二志望の夢に飛びついたほうがよい(とはいえ夢は大きく持った方がよい)。
スプラッター・ホラーを本領とするイーライ・ロスは、こんな中途半端な映画を撮ってしまったことでかなり深刻なダメージを受けたと思う。詳しくは後述するが、上手に作れなかったことを悔いて自宅の壁にがんがん頭を打ちつけている可能性は高い。誰か止めてやれ。
筋をビャッと説明する。
両親を亡くしたオーウェン・バカーロ少年(以下バカ坊)が叔父のジャック・ブラックの屋敷に引っ越すと家中の家具が生き物のように動き回っていた。彼の魔法で生命を与えられたのだ。その家に入り浸っている隣家のケイト・ブランシェットも魔法使いだったので、バカ坊は「僕も魔法やるー」と言って二人から魔法を教わった。
しかしバカ坊はかなり馬鹿な坊主なので、覚えたての魔法で死者を蘇らせてしまった。墓から蘇ったカイル・マクラクランはとてつもなく邪悪な奴で、時間を巻き戻して人類を消し去るというえらく手の込んだ計画に取り組み始めたのでこれをどうにかする、という話。
面白そうですか、これ?
映画の主舞台はほぼ屋敷の中だけ。つまり密室劇。
密室劇はホラー演出の基本なのでイーライ・ロスの得意とするところだが、いかんせんファンタジー要素との食い合わせがとてつもなく悪い。
密室劇ゆえに活劇を封じられた「椅子ネコ」や「植木ライオン」といったそれなりに魅力的なキャラクターはただ敷地内をうろつくばかりで、ジャック・ブラックが放つ火の玉もスペクタクルを欠く。密室だから。もし野外で魔法が使えたのならいくらでも楽しいシーンが撮れたはずだが、それだと『ハリー・ポッター』の二番煎じになるところまで読んでのあえての密室劇なのだろうが、そもそも密室ファンタジーというのは成立し得ない。ティム・バートンも『ダーク・シャドウ』(12年)で同じことして大失敗したでしょうに。
で、結局これといった打開策を見出すまえにそのジレンマに押し潰されてしまったのがこの映画。
つまり本作のようなホラー・ファンタジーはイーライ・ロスの天敵なのである。この人が絶対に手を出してはいけないジャンル。手を出した時点で負け戦が確定してしまう。あまつさえ、追い打ちをかけるようにコメディ要素まで絡んでくるのだから、あとは推して知るべし。
何がツラいって、あのイーライ・ロスがなんとも窮屈そうに映画を撮っていること。ザッツオールだぜ!
せっかくジャック・ブラックとケイト・ブランシェットがじゃれ合ったり掛け合ったりしているのにビタイチ楽しそうな雰囲気が伝わってこないしクスリとも笑えないのはそうした理由による。ジャック・ブラックの個性も完全埋没。
ファンタジーとコメディという苦手分野をホラー作家のイーライ・ロスが苦虫を噛み潰したような顔でまとめ上げようとしているが、3つのテイストはまとまるどころか分裂の一途を辿っているので、なんというか…『ザ・マミー 呪われた砂漠の王女』(17年)を観ているような感覚とでも申しましょうか。やろうとしてる事が一向にまとまらないままエンドロールを迎えちゃう…っていう事故ね。
はっきり言って「つまらない」という感覚がここまでビビッドに立ち上がってくる映画もなかなか珍しい。混じりっ気なしのつまらなさである。
私は『ホステル』(05年)や『ノック・ノック』(15年)のほかに、製作・脚本を手掛けた『アイアン・フィスト』(12年)などで好き勝手するイーライ・ロスが好きなので、この映画はちょっと正視に耐えなかったな。ただつまらないのではない。あまりに痛々しいのだ。
ある種の純粋性すら身にまとった透徹したつまらなさである。
◆監督やる気なし◆
第一幕は話がまったく動かない上に、ジャック・ブラックのキャラクターがコミックリリーフなのかキーパーソンなのか判然とせず、ケイト・ブランシェットもほとんど出てこないので30分まるまる死に時間という有様。
第二幕、物語の目的は依然として見えてこず、魔法もホラーもギャグも中途半端。室内では三者がグダグダ喋って、たまにセコい魔法が画面を冷やかすといった申し訳程度のエンターテイメントが観る者の眠気をかろうじて撃退してくれるが、かといって眠気を吹き飛ばすほどのパワーはないのでそのうちまた眠くなる。
バカ坊がカイル・マクラクランを復活させてしまった第三幕からようやく面白くなるのかと思いきや、依然として舞台は屋敷内から一歩も出ず、三者の連帯、懺悔、苦悩といったそれぞれのドラマもいつの間にやら忘れ去られていて、画的にも内容的にもまったく代わり映えしないまま なし崩し的にマクラクランをやっつけて大団円を迎える。
椅子ネコや植木ライオンはまったく活用されず、ドアの開閉や窃視にサスペンスが宿ることもない。カボチャのオバケに襲われるシーンも悲しくなるぐらいヌルくて…『アタック・オブ・ザ・キラー・トマト』(78年)をやる余裕すらない様子。
オーライ、イーライ。はっきりしたぜ。
あんた、完全にやる気ないね。
途中で勝負を諦めてしまった水泳選手みたいだ。私が思うに撮影初週おわりで「あ、これダメだ」と心が折れたのだろう。私もよく不貞腐れるタイプだから気持ちは何となくわかるが、それにしてもさすがに酷いなぁ、これは…。
最悪、魔法描写さえよければ結果イーライ(あっ、オーライか)とも思うがそれすら放棄してしまっているのでね。さすがにそれじゃあ擁護できない。
魔法で動くマネキンはただ紐を吊ってプラプラ動かしてるだけだし、ジャック・ブラックが幼児退行するCGのサムさなんて目も当てられない。どえらい惨事だ。
例えるなら、そう、スタッフが2人しかいない朽ち果てた遊園地でやってる三流のお化け屋敷以下。
本作はスティーヴン・スピルバーグが設立したアンブリン・エンターテインメントが製作していて、この会社はスピルバーグ作品以外にも『グレムリン』(84年)、『キャスパー』(95年)、『モンスター・ハウス』(06年)といったライトなホラー作品を世に送っている。
そんな会社から監督業を任されたイーライ・ロスが苦心惨憺した果てに勝負を諦めた水泳選手のごとくヤケを起こすのもまぁ無理からぬこと。共感はしないが理解はできる。なんとなれば、臓物ぶちまけてナンボのB級スプラッターを得意とするイーライ・ロスにキッズ向けのホラー・ファンタジー大作を撮れというのは、例えるならヘヴィメタルバンドに「エレキギターを使うな!」と言っているようなものだからだ。
本作に置き換えると「ガチのホラーはやるな!」ということ。それが売りなんですけどねえ、っていう。
そんなわけでイーライ・ロスの力がビタイチ発揮されてない世紀の不発作と相成ったズッコケだるだるファンタジー。本人もさぞかし不本意だっただろう。絶対自宅の壁殴ってると思うぞ。
俳優業もこなすイーライ・ロス。『イングロリアス・バスターズ』(09年)ではあの手この手でナチスを葬る男を嬉々として演じた。
◆傘映画としてはイイ◆
こんな惨澹たる状態にあって、唯一仏のごとき輝きを放っていたのが我らがケイト様!
まったく光彩を放たない中盤までは「今回はケイト様を以てしてもダメか」と諦めていたが、第三幕に至ってようやく活動的になり始めたこのキャラクターは、やおら所作、表情、愛嬌、優美を惜しみなく発揮する。傘もよくブン回す。
こうなったら無理くり褒める。
2010年代現在、傘というのは極めてナウいモチーフで、『キングスマン』(14年)や『メリー・ポピンズ リターンズ』(18年)などでも絶賛登場しているが、ケイト様が持つ紫の傘の前ではボロ傘同然よ。
本作を辛うじて擁護しうるフレーズがあるとすれば…もうこれしかないだろう。
2010年代最高の傘映画!!
紫の衣装に身を包み、紫の傘を自在に操って魔法を繰り出すケイト様はグラフィックとして完成されていて、内容的なつまらなさの代償を支払うがごとく輝いてらっしゃるのだ。
私が信頼している某映画マニアが「ケイト・ブランシェットは記号的な芝居しかできない」と評しておられたが、その記号性が本作の気性と抜群にフィットしていて。この人って『インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国』(08年)とか『ハンナ』(11年)ぐらいコテコテの役の方が面白かったりするのでね。
あと、ブルーレイの特典映像ではケイト様がくねくねとした高貴なダンスを披露しておられるので映画本編よりそちらがオススメ。間違いねえわ。
映画の救済者 ケイト・ブランシェット(踊りもする)。
あぁ――――……しんど。
まぁ、久しぶりにトコトンつまらない映画を観た、という経験それ自体がなかなか面白かったので良しとするかぁ…。いや、やっぱりムカつく。
ちなみに吹き替え版は「えっ、その程度でお金が貰えるなら僕も声優やりたいんですけど空きあります?」と思うぐらい最低だった。こうしてプロの声優さんたちの仕事が奪われていくんだなーって。結局事務所の力がモノを言うんだなーって。
かなりムカついた映画だし、イーライ・ロスにとっても生涯忘れられないぐらいの苦い経験になったかもしれないが、どっこい、翌日観た『デス・ウィッシュ』(18年)の方がなかなか良かったので、う~ん…ゆるす!
イーライ・ロスをゆるしていく!!!
というわけで明日は、同年に製作したイーライ・ロス監督作『デス・ウィッシュ』評をパワー全開でお送りします。お楽しみに!
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