ミスチル的飛躍はやめろ。
1980年。ジェームズ・グリッケンハウス監督。ロバート・ギンティ、スティーブ・ジェームズ、クリストファー・ジョージ。
犯罪地帯ニューヨークを舞台に、戦友を半身不随にされた主人公がベトナム還りの経験を活かして悪人どもを処刑するバイオレンス・アクション!
ヘイ、BOY。
本日はベトナム帰還兵もの第二弾、その名も『エクスタミネーター』を叩き斬って参ります。
最近、新作映画にまったく興味が持てない上に、少しでも美的感性や教養を必要とする、いわゆる映画らしい映画にも食指が動かず、もっぱら80年代前後の通俗映画ばかり観ています(楽なんです)。
たぶん夏のせいだと思うんですよねぇ。
スクリーンから何かを感じ取ってそこに様々な考えや思いを巡らせつつゆったりと咀嚼していく…みたいな文化的営為に精神の潤いを見出すにはこの国はあまりに暑すぎる。
なけなしの感性や思考力が根こそぎ奪われるわ。
たぶん映画を楽しむには、秋から冬にかけてが最も集中して鑑賞できる理想の季節だと思うんですよ。
芸術の秋なんて言いますが、映画にしても娯楽である前に芸術ですからね(「映画は娯楽だ!」という人は映画を芸術として理解することを放棄した人だと思ってます)。
だいたい夏って人を狂わせるよね。普段はもっとお利巧さんなのに、夏になると皆ちょっとバカになってると思うんですよ。特に私とかね。暑さで頭がヤられてしまうんでしょうね。短気になったり(いつもの事か)、思考力が渋滞したり(いつもの事か)、想像力が糞詰まりを起こしたり(いつもの事か)。
というわけで、夏はもういいっす。飽きた。疲れた。秋カモン。
じゃあ、『エクスタミネーター』です。
◆汚物消毒映画◆
知る人ぞ知るカルト映画。タイトルが酷似していることから『ターミネーター』(84年)の亜流と思うだろうが、こちらの方が4年早い。
ちなみに『エクスタミネーター』とは害虫駆除業者の意。
そしてポスター写真には火炎放射器を持ったデンジャラスな男。嫌でもあの言葉が聞こえてくる…。
「汚物は消毒だぁ~~」
確実に武論尊はこの映画を観て『北斗の拳』を作ってますね。武論尊というペンネームはチャールズ・ブロンソンに由来しているし、詳しくは後述するがブロンソンは本作のようなビジランテ映画のシンボルでもあるからだ。
◆復讐、逆ギレ、人肉ミンチ◆
さて、ロバート・ギンティ扮するベトナム帰還兵のエクスタミネーター(以下エクスタ)は、寂れた町工場で積み荷をどんどん運んだりぽいぽい投げたりする仕事をしている。
同僚は、ともにベトナムで数々の修羅場を潜り抜けてきたスティーブ・ジェームズだ。
エクスタ(右)と戦友スティーヴ(左)。仲いいんだから~。
エクスタが「お前はいい奴だからコーヒー買ってあげちゃう」と言って自販機に行ってる間に、スティーブはチンピラどもにカツアゲされるが、さすがは帰還兵、「スティーブー」と言いながら一人で全員をズタズタにやっつける。つよいぞー。
だが逆恨みしたチンピラは、後日スティーブを集団で襲い、首の骨をへし折って半身不随にしてしまうのだ!
なんてことしやがる!
えらい顔なっとる! えらい顔なっとる!
そしてエクスタがぶち切れるわけです。
戦友を半身不随にしたチンピラどもに復讐するが、これがアッという間に全員を皆殺しにしてしまうのだね。
さすがは帰還兵、なんという手際のよさ。まだ映画が始まって30分しか経ってねえぞ。
この先どうするんだろう…と思っていると、ニューヨークの牛肉流通を押さえて不当な利益を上げているマフィアのボス(以下牛肉ボス)に目をつけたエクスタは、彼を誘拐して倉庫に吊るし上げる。
吊るし上げられてムスッとする牛肉ボス。
…なんで?
たしかに牛肉ボスは邪悪な奴だけど、スティーブが半身不随にされた件とは何の関係もないし、そもそも仇討ちはすでに成し遂げたはずだ。どういう行動原理…?
エクスタは牛肉ボスから住所を聞き、金庫の場所を聞き、暗証番号も聞き出す。牛肉ボスが答えを渋ると、彼の真下で口を広げて待っている巨大ミンチ機を作動させようとする。
エクスタが金のありかを聞き出し、牛肉ボスが「やめやめやめぇー」と騒いでいる図。
どうやらエクスタは牛肉ボスの家に忍び込んで金を盗むつもりらしい。
ここでようやく話が繋がった。エクスタは戦友のお見舞いに行った際、「妻と子供のことは心配するな。一生暮らせるだけの金を工面してやる」と誓っていたのだ。まぁ、なるほどね。戦友とその家族のために牛肉ボスから金を奪おうとしているのか。
金のありかを聞き出したエクスタは牛肉ボスを倉庫に残したまま彼の豪邸に向かうが、体よく侵入したと思いきや番犬に襲われて死ぬ思いをする。どうにか犬を殺して金庫の金を奪ったエクスタ、牛肉ボスを吊るしっ放しにした倉庫に舞い戻り「番犬がいることを黙っていただろ!」と逆ギレして、「ちょ待ぁー。ちょ待ぁー」という牛肉ボスの叫びを無視してミンチ機のスイッチをパイルダー・オン!
デレッデン♪ デレッデン♪
デレッデン♪ デレッデン♪
デレッデッデッデ、デレデレデデーデー♪
空にそびえる くろがねの城♪
無敵の力は ぼくらのために♪
正義の心を パイルダー・オーン!♪
飛ばせ鉄拳! ロケットパンチ♪
今だ 出すんだ ブレストファイヤー♪
ちなみにこの人肉ミンチネタは『キングスマン: ゴールデン・サークル』(17年)でパクってましたね。
ここまでは理解できるのだ。
戦友を半身不随にしたチンピラどもに復讐して、戦友の家族のために腐敗した権力者から金を奪う。まぁ牛肉ボスからすればとんだとばっちりだけどね。
エクスタの行動原理は一貫している。ともにベトナム戦争を生き抜いた戦友への情である。実にハートフルだ。そしてちょっぴりセンチメンタルでもある。
◆ビジランテ映画のふりをするな!◆
ところがこのあとが問題なのである。
スティーブの仇討ちと家族のアフターケアを完遂し、あてもなくニューヨークを漫ろ歩くエクスタは、行く先々で「害虫駆除」をおこなっていく。
売春斡旋業者にガソリンをかけて焼き殺したり、SM大好き市会議員の股間をバンバン撃って殺したり、老婆をカツアゲしたチンピラもろともその車を爆発炎上させたりなど、街のダニどもを一掃する世直しに目覚めるのだ!
でも…なんで?
個人的な趣味でいえば、この手のビジランティズム(自警主義)を扱った映画は全身の毛穴からアドレナリンが噴き出すほど大好きなのだが、本作の場合はエクスタが世直しに目覚めることに何の理由もないので釈然としないことおびただしい。
この世にはビジランテ映画というのがあるわけですよ。無いと思っていたキミ、あるんだ。
ビジランテ、すなわち自警主義を一言で表すなら「法で裁けないならオレが裁く!」という私的制裁のことだ。
ビジランテ映画に先鞭をつけたのは『ダーティハリー』(71年)である。法の番人たる刑事が、法を無視して悪人を射殺したのだ。この映画は公開当時に一大センセーションを巻き起こしたが、リベラル派からは激しく批判される一方で一般観客からは大歓迎された。
以降、堰を切ったようにビジランテ映画が続々と作られた。
家族を失ったことで世の中のクズどもを憎悪する『マッドボンバー』(72年)、『狼よさらば』(74年)、『ロサンゼルス』(82年)。
「悪人は殺しても構わない」という神の啓示を受けて私刑をおこなう『処刑人』(99年)や『スーパー!』(10年)。
冴えない高校生がアメコミヒーローの真似事をする『キック・アス』(10年)。
やはりビジランテ俳優といえば「う~ん、マンダム」でお馴染みのチャールズ・ブロンソン。
『狼よさらば』に始まる「Death Wishシリーズ」は5作品まで続いた。
また、アメコミ自体もビジランティズムに溢れている。特に『クロウ/飛翔伝説』(94年)や『パニッシャー』(04年)のようなアンチヒーローなどに顕著だ。
そしてその代表格こそが『バットマン』(89年)。コウモリに襲われてトラウマを抱えた少年が、自分と同じトラウマを与えるためにコウモリのコスチュームを着て勝手気ままに悪党を懲らしめるという、かなり歪んだアンチヒーローである。
だからバットマンは悪党を殺さない。自分自身が「恐怖の象徴」となってトラウマを植えつけることに悦びを見出している変態だからだ。
アメコミ三大アンチヒーロー。バットマン、パニッシャー、クロウ。
ところが、エクスタが自警主義を振りかざすことには、ダーティハリーのような「法への叛逆」やマッドボンバーのような「社会に対する逆恨み」、あるいはバットマンのような「トラウマの道連れ」…といった理由が何もない。
映画前半では「戦友のため」だったのが、後半では「社会のため」に私的制裁を加えていく…というチグハグな話になってて、その辻褄が全然合っていないという。
「ミスチルか!」って思いましたよ。
中期までは「恋人への愛」とか「社会への不満」について歌っていたのに「HERO」あたりから人類を代表して世界平和を唱えだす…みたいな博愛バンドに。
Mr.Childrenとしてのエクスタミネーターだよ!
実際、かつてのミスチルもこの映画のエクスタみたいに過激な歌詞が多かったからね(その頃のミスチルは好きでした)。
特に「LOVE はじめました」の歌詞はなかなか強烈である。
殺人現場に野次馬たちが暇潰しで群がる
中高生たちが携帯片手にカメラに向かってピースサインを送る
犯人はともかく まずはお前らが死刑になりゃいいんだ
でもこのあとニュースで中田のインタビューがあるから
それ見てから考えるとしようか
◆社会派ぶらずに社会悪を摘発するのがビジランテ映画でしょうが◆
映画後半は、政府の要人が大統領選挙への影響を危惧してCIAにエクスタを抹殺させようという不穏な動きがあり、その一方でNY市警のクリストファー・ジョージ警部も独自調査でエクスタを追う…という「エクス逮捕劇」が展開されていくが、事ここに至ってはもうそんなモノはどうでもよろしい。
要するに、エクスタがベトナム帰還兵なのも、CIAの政治的策略に陥れられるのも、いっさいは「エクスタは悪人ではなく戦争の犠牲者なのです!」なんてちょっと深いテーマに切り込むための記号でしかなくて、『ソルジャー・ボーイ』(72年)と同じく「問題は社会の側にある」というレイヤーを無理やり重ねることで社会派ぶっているだけ。
社会派ぶらずに社会悪を摘発するのがビジランテ映画の美学だとすれば、本作はそこから大きく逸脱しているし、単なるB級バイオレンス・アクションの域を出ない。
そんな顔してもムダだ。
何より不満なのは火炎放射器の出番が少なすぎることである。パッケージ詐欺はやめろ。
火炎放射器の出番が少ない「火炎放射器が出てくる映画」など燃やしてしまえ!
というわけでパイロマニアの皆さんには『バトルランナー』(87年)がおすすめです。