シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

アンロック/陰謀のコード

トニ・コレットおよびポップコーン民について。

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2017年。マイケル・アプテッド監督。ノオミ・ラパス、オーランド・ブルーム、トニ・コレット。

 

CIAの尋問のスペシャリストだったアリス・ラシーンは、ある受刑者を「完落ち」に追い込めず多数のテロ犠牲者を出してしまったことをきっかけに前線から退き、ケースワーカーとしてロンドンで穏やかな生活を送っていた。そんなある日、バイオテロ計画の情報を握る容疑者が逮捕され、アリスは尋問官としてCIAに呼び戻される。絶妙な尋問で容疑者を完落ちさせるアリスだったが、かつての同僚からの連絡で、CIAを装った偽捜査官たちの罠だったと気づく。CIA内部に裏切り者がいることを知った彼女は、テロを阻止するべく孤独な戦いに身を投じるが…。(映画.comより)

 

ウン、おはよー…。

ジュンク堂京都店が2月末で閉店すると知って深い悲しみを覚えております。

映画の専門書は殆どここで買ったものなァ。4階の窓から降ってきたら死んでしまうようなサイズの『定本 映画術 ヒッチコック・トリュフォー』を買ったのもこの店だった。あまりの重さと大きさゆえ、店員さんに渡された瞬間「こんなバカでかい荷物を持って帰るのか」と嫌気が差して危うくその場で返品しそうになったのはいい思い出だ。

また、芸術書の棚の前で友人と映画なぞなぞの掛け合いをしていて店員さんに摘まみ出されたのも今となってはいい思い出だし、検索機のタッチパネルの反応が悪くて結局検索できなかったのも捉えようによってはいい思い出だ。『映画理論講義―映像の理解と探究のために』を買うか買うまいか決めあぐね、しばらく立ち読みしている間に居眠りしてしまったのもいい思い出といえるし。すべてをいい思い出に変えていく男。

 

近代文学にのめり込んでいた学生時分も大変世話になり、井伏鱒二や川端康成の小説は大体この店で集めた。大学生のころは美大に通いながらも芸術に唾する文学青年だった私も、今やめっきり小説を読まなくなり、学が減った。より莫迦な奴になった。

やはり小説を読むのは好い事だと思いますよ。物語を通して時代や文化が知れる、日本語を通してボキャブラリーやレトリックが伸びる。国語力、すなわち「言葉を操る能力」というのは、つまるところ自分の気持ちや考えを誤差なく相手に伝える力に他ならないわけだからな。

日常生活における我々の意思伝達は誤差の塊である。たとえば今の気分がターコイズブルーだとしても、ターコイズブルーという語彙を持たなければ「ブルー」という言葉で割り切るしかない。それを聞いた相手は「へえ、ブルーなのね」と誤解してしまう。これぞ意思の妥協、気持ちの四捨五入。感情の微妙なニュアンスを余すところなく明瞭に伝える術を知らないばかりに、本当のあなたはいつまで経っても人に理解されない。伝わらない。届かない。こんな悲しいことがあっていいのか!

なので私は、皆さんが使っている俗語やネットスラングの類を極力使わないようにしている。出来る限り自分の言葉を綴っていきたいなあ。

その一方で、「分かりやすさ」を優先する為にあえて俗語やネットスラングを使うといった逆説的な打ち方もあるし、たとえば「エモい」といった言葉を平仮名で「えもい」と表記するだけで、メタ的に「皮肉を込めてあえてこの俗語を使ってるんですよ」といった括弧付きの意味に変わったりもするので一概に俗語を否定するものではないのだけれど!!!

なんしか、今の私はちゃんと読書している人に対してちゃんと劣等感を抱いている。これはちゃんと抱くべきだし、現代人としてちゃんと持つべき最低限の危機意識だと思うからだ。オレは前向きにオレを恥じている。積極的に恥じていこう。小説読まなくなってすんませんでしたああああああああ。

 

あらよっと! そんなわけで本日は『アンロック/陰謀のコード』です。軽く映画紹介したあとは延々と与太話しております(うそも書いてるよ!)

どうでもいいけど「延々」のことを「永遠」と間違えるバカが多すぎて「本読め」と思ってしまいます。おまえみたいなもんの為に本屋があるんだよ!

ありがとう、ジュンク堂京都店!!!

閉店する前に何冊か買いにいきます。

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◆権謀術数のコンゲーム(犯人はマイケル・ダグラス)◆

私が勝手に発表した「2010年代に大躍進した俳優ランキング」の女優部門で堂々の7位に輝いたノオミ・ラパスの映画です。

だいたいの出演作では何かから逃げたり何かに立ち向かったりしていることから、今やすっかりミラ・ジョヴォヴィッチの子分みたいな立ち位置になってきたが、ノオミの本領はアクション女優というよりリアクション女優という点にある。

『プロメテウス』(12年)では自らの腹部を掻っ捌いてクリーチャーを摘出し、『ラプチャー 破裂』(16年)では頭部にセットされた拷問用ヘルメットの中に無数の蜘蛛を入れられ、『セブン・シスターズ』(16年)に至っては眼球をえぐり出されたり頭を吹き飛ばされるなど、事あるごとに悪夢に放り込まれてはなりふり構わず絶叫するリアクション芸を確立した。

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そんなノオミが相も変わらずトラブルに巻き込まれてしまうのが『アンロック/陰謀のコード』である。

過去のテロ事件で大勢を死なせてしまったトラウマから現場復帰できずにいるCIA尋問官のノオミは、ロンドンのコミュニティセンターで働く一方でMI5のトニ・コレットと協力してテロの情報を集めていた。

ある日、CIAに呼び戻されたノオミはイスラム過激派によるテロ計画の容疑者を尋問するよう頼まれる。テロを仕掛ける際の合言葉を聞き出すことが彼女の任務だ。

ところが、尋問中にCIA本部の元同僚から電話が掛かってきて「テロ計画の容疑者を尋問してくれへんけ」と頼まれたノオミは、思わず「へ?」とまぬけな声を発した。

 

ノオミ「どないなっとんねん。その任務ならすでに引き受けたやん。そやから今尋問してるんやん

 

  同僚 「えっ! うっとこはそんな任務与えてへんで。今どこにおるん

 

ノオミ「なんや変なホテルや。隣の部屋にCIAの皆さんがいやはるけど

 

  同僚  それほんまにCIAけ?

 

ノオミ「えっ、うそ…。怖い怖い怖い怖い

 

  同僚 「なになになに怖い怖い怖い

 

ノオミ「ほな罠やんけコレ。合言葉聞き出したら容疑者もろともウチまでイかれてまうんちゃうん?

 

  同僚 「絶対イかれるやろ。自分やばいな。ごっつハメられてもうてるやん

 

ノオミ「ちょやばいやばいやばい

 

  同僚 「はよ逃げた方がええんちゃう? あんじょうやりや

 

ノオミ「おおきに、おおきに。ほなそろそろ切るわー

 

  同僚 「ういー。ほいだらね~

 

緊迫感みなぎるシーンである。

電話を切ったノオミは隙を突いて先制攻撃、むちゃくちゃに銃を撃ち散らかしてホテルから脱出した。ノオミの推理では、どうやらCIAの内部に潜む裏切者がイスラム過激派を利用してテロを仕掛けようとしているんだって。

そこからは流転の逃亡生活が始まる。CIA長官のジョン・マルコヴィッチから疑われたノオミは、かつて不倫関係にあった元上司マイケル・ダグラスに接触して匿ってもらったが、謎の暗殺集団が踏み込んできてダグ公が殺されてしまう。その後、孤立したノオミは泥棒家業のオーランド・ブルームと出会い「自分、ほんま男前やなぁ。『ロード・オブ・ザ・リング』またやらへんの?」などと交流を深めていたが、なんとブルームは裏切者。ノオミは「ラパスー」と叫びながらこれを返り討ちにしてトニコレ姐さんと共にテロの容疑者を……

いや…、もうよそう。

筋を書くのが馬鹿らしくなってきたので結論だけ申し上げる。

犯人はダグ公です。

ノオミを欺くために暗殺集団と示し合わせて殺されたフリをしたダグ公。その正体はテロリストを使って生物兵器を爆発させようと企む悪徳CIAだったのだ。動機は「アメリカ政府に危機感を持ってもらうため」らしい。なんやねんそれは。

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見よ、この顔ぶれ!

 

◆ひたすらトニ・コレットの話◆

『アンロック』は豪華俳優陣を見て得した気分を味わう映画です。以上。

『氷の微笑』(92年)『ゲーム』(97年)では騙される側だったマイケル・ダグラスは騙す側へ回り、ジョン・マルコヴィッチは『コン・エアー』(97年)の時のような悪態キャラをセルフパロディ的に演じてくれる。わけのわからないファンタジー大作でエルフや海賊を演じてきたRPG俳優オーランド・ブルームはついに泥棒という新たなジョブを得た。

そして本作のMVPは、ノオミを助けるMI5局員を演じたトニ・コレット!

味方だと思っていたキャラクターが次々と裏切者に転じていく本作において、トニコレ姐さん(通称トニ姐)は真っ先に疑うべき人物だろう。ノオミが唯一心を許した友人なのだし、あまつさえ爬虫類系の顔立ちで目つきも鋭い(裏切り顔)。

でも裏切らないんだな~。裏切りそうで裏切らないという裏切り。それがトニ姐の流儀なのである。坊主すれすれのベリーショートもよく似合っております。

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ミリタリー感が割に似合う。

 

黒幕ダグ公のヒットマンからノオミを救出したトニ姐は「これが私の日常よ」とでも言うかのような飄々たる身振りで自動小銃をばりばり撃って敵を追い返す。その際、スコープを覗きながら銃を乱射した振動で頬っぺたがぷるぷる揺れるあたりが見もの!

私の知る限り、トニ姐は顔に肉がつかないタイプなのでこれまで一度も頬をぷるぷるさせたことなどないが、そんなトニ姐の頬っぺたをどうにか揺らすことはできないものかと考えた制作陣は「銃の振動を利用する」と閃き、そこから逆算的に本作のシナリオが紡がれていったのである。つまりこの映画が作られることになった起源、淵源、濫觴こそがトニ姐の頬っぺなのだ。

トニ姐の頬っぺは一本の映画を創造し、『アメリカン・スナイパー』(14年)に続いてぷくぷく頬っぺ映画の新たな潮流となった。

誰もが揺れぬと思っていた頬が揺れたとき、映画の歴史もまた揺れたのである…。

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ぷくぷく頬っぺ映画としての『アメリカン・スナイパー』

 

ところで、なぜMI5のトニ姐はCIAのノオミと組織を超えた絆を育んでいるのだろう。それはほかでもなくノオミがトニ姐と同じくリアクション芸を極めた同志、すなわち変顔女優だったからである。

ノオミのリアクション芸には精一杯のゴリラみたいなパワーが漲っているが、対するトニ姐のリアクション芸には「これが私の日常よ」とでも言うかのような余裕があり、それでいてどこかドイツ表現主義を思わせる狂気が宿っている。表情筋の稼働率も段違いだ。だからこそ、ノオミのなかに自分と同じ匂いを嗅ぎ取ったトニ姐は彼女と協力して命まで救うのである。

『アンロック』はそんな二人の友情に胸を熱くさせる作品でありました。

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ノオミ・ラパス(上段)とトニ・コレット(下段)の変顔真剣勝負。

 

◆ポップコーン批判◆

概してアホみたいな映画であった。

キャラクターの行動原理が終始ボケていて、誰が何の目的でその行動を取ってるのか…といったあたりが曖昧模糊のもこみち状態。

それに、裏切ることに何のメリットもないキャラクターがわざわざハイリスク・ローリターンな謀反を働いては返り討ちに遭っていくので、恐らく「この世界の住人は総じておつむが弱い」という裏設定でもあったのだろう。尋問官というノオミの人物設定もまったく活かされないし、そもそも彼女は口より先に手が出るタイプ(尋問官である意味っ)。

事程左様に底抜けバケツみたいに粗いシナリオだが、監督のマイケル・アプテッド「ボーン・アイデンティティみたいなものを期待されても困る」と逆上するかのような熱いパトスをスクリーンに叩きつけ、このまったくドキドキしないコンゲームを持ち前のハッタリ精神だけで描きあげた。

アプテッドの態度はポップコーンムービーとしてはこの上なく正しい。整合性よりもサービス精神、迫真の演技よりも俳優のネームバリューで観る者の目を楽しませる。この節操のなさ。

ポップコーン!

ポップコーンムービー…アホみたいな顔してポップコーン食べながら気軽に鑑賞できる娯楽映画の総称。

 

ここからは純度100パーセントの雑談に移るが、私はストーリーやリアリティ描写に対して揚げ足を取るような映画好きのことを心底バカだと思っている。

とりわけアクション映画やホラー映画などで、自ら危険に巻き込まれにいくような行動を取った主人公に対して「仲間がくるまで待てよ!」とか「リアリティなさすぎ!」などとツッコミ(という名の茶々)をいれる人民が大勢いるが、筋で映画を観ていない私なんかは「いや、バカでアンリアルなのがポップコーンムービーなんでしょ?」と思っちゃうのである。「キミたちだってそういうのが好きでポップコーンムービーばかり観てるんでしょ?」って。

仮に主人公が単独行動せずに応援が来るまでジッと待機してるようなリアルな作劇だったとして…そんな映画おもろいか?

このポップコーン民め!

 

ポップコーン民(別名、馬鹿豚ポップコーン)

 

・話題性の高い商業映画しか観ない層。映画をジャンルで括ることをやたらに好み、この世にはアクション、SF、サスペンス、ホラーの4種類の映画しか存在しないと思っている。

 

・荒唐無稽な映画を好むわりにはリアリティをやけに重視し、ちょっと現実離れしたシーンがあるとすぐさまツッコミという名のポップコーンを投げつける。

 

・事件解決後に到着したパトカーに「警察無能すぎ」とポップコーンを投げつけることでシナリオの欠点を見破った気になる(早々にパトカーが到着してしまうと話が終わってしまうことを考慮しない)。

 

・キャラクターの取った行動に「普通そんなことしない」とポップコーンを投げつけることで知性を誇示する(そのキャラクターが「普通ではない状況」に身を置いていることを考慮しない)。

 

・たとえばホラー映画において、怪しい気配を感じたヒロインが一人で様子を見にいくシーンでは「無防備すぎてバカ」と突っ込むが、この時点のヒロインはまだ霊や殺人鬼の存在を知らないために自らの行動が無防備だとは考えていない(だから一人で様子を見に行った)。

 

・また、このヒロインの行動原理は「危険かもしれないが気配の正体を確かめておきたい」、あるいは「確かめるまで安心できない」といった好奇心憂心にほかならない。そうしたキャラクター心理にも無頓着で、ただ一般論としての「普通」とか「リアル」という枠の中でしかストーリーを解釈できないのがポップコーンである。

 

・総じて想像力がない。

 

どうしよう、ポップコーンへの憎しみが止まらない。

もう少しだけいいですか。

スラッシャー映画など観ていると、殺人鬼から逃れ逃れて車に乗り込んだヒロインが恐怖のあまり手が震えてキーを落としてしまう…といったお決まりの一幕がある。普通の観客であればヒロインに感情移入して「早く早く!」とハラハラするところだが、これがポップコーン民になると「このバカ女!!」と激昂するのである。

だが、そういう奴に限って家を出たあとにカギを忘れたことに気付いてワタワタしたり、食事のあと友人に会計させておいて「ごめん、万札しかない」とか言い出すのだ。要するにヒロインより鈍臭い。

あ、全部おれだわ。

なんて決まりが悪いんだ。ポップコーンを批判するつもりだったのに、いつの間にか身に覚えがあることばっかり書いてたわ。

だいたいなあ、ポップコーンに肩入れするわけじゃないけど…

カ ギ 落 と す か ね ?

結局のところ、私はモノを落とす奴がこの世で一番まぬけだと思っている。すぐ財布を落として「やべー」とか言ってる奴、すぐスマホを落としてバキバキにする奴、食事中に箸をぽろぽろ落とす奴、ちょっと怖いからといってカギを落とすヒロイン…。

なにを落とすことがあるん。

持っとけよ。

こんな性分なので、道端に落ちてる手袋とかに対しても無性に腹が立ってくるのである。「なんで落とすん…」という疑問が高じて怒りに昇華してしまうのだ。こないだなんて椅子に付けるキャスターが道の真ん中に落ちてたからね。2個も。

どうやったらキャスター2個も落とせるのか教えてくれ

ぜひ落としてみたいものだね!!!

 

追記

『アンロック/陰謀のコード』はサッと楽しめるバカ映画だったが、惜しむらくはノオミの顔芸に乏しい。ぜひとも次作ではハードアクションハードリアクションの融合を目指してほしいと思います!

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 トニ姐とお散歩♪

 

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