シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

かごの中の瞳

世界一どうでもいいバレるかバレないかサスペンス。

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2016年。マーク・フォースター監督。ブレイク・ライブリー、ジェイソン・クラーク。

 

夫のジェームズと赴任先のバンコクで幸せな結婚生活を送るジーナは、子どもの頃に遭った交通事故が原因で失明してしまったが、献身的な夫の支えで何不自由のない生活を送っていた。ある時、医師のすすめで受けた角膜移植により片目の視力を取り戻した彼女は、心から喜ぶ一方で、初めて目にした夫の姿が夢想していた素敵な夫ではなく、地味で冴えない中年男だったという現実に直面する。これまで眠っていた好奇心や冒険心が目覚め、流行りのファッションで着飾り、外の世界へと飛び出していくジーナ。そんな妻にジェームズは疑念と嫉妬を感じるようになる…。(映画.comより)

 

おはようございます。

最近 私がうっすらと忘れかけてる人物ランキング第1位、KONMA08さん。

リンクは貼りません。貼るとやって来ますから、あの人。リンクを貼ったときだけ調子よくやって来て「最近ふかぴょんのブログにお邪魔できてないですぅ~」とか決まり文句を言うんだから。最近じゃなくて常時だよ!

まるで「最近どう? また近い内にご飯でも行こうよ!」って半年置きぐらいに連絡してくるけど一向に具体的なスケジュールを教えてくれないギリギリの友達みたい。

でも私は、KONMA08さんのそういうところが好きなんですよ。ずっと言い訳してる感じというか。

ディスリスペクトという名の純リスペクト。

 

そろそろ映画評に参りましょうね。

以前『アデライン、100年目の恋』(15年)評のコメント欄にてjijicattanさんとブレイク・ライブリー論を展開しましたが、本日はそんなライブリー嬢の主演作 『かごの中の瞳』です。

※だいぶネタバレしてます。

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◆ふたつの貌、その往還◆

うわっ、うわっ、出し抜けになんだ。

盲人を扱った映画を10秒以内に5つ答えよって?

誰が答えんの? オレが答えんの?

えーと…『暗くなるまで待って』(67年)『見えない恐怖』(71年)『セント・オブ・ウーマン/夢の香り』(92年)、あとなんだ…、『ドント・ブリーズ』(16年)

やべ、あとひとつ出てこねえ。ちょっと待って。ホント・プリーズ。

 

~10秒経過~

 

畜生めがぁー。どうやら失格なんだと。さすがに10秒はキツいっつーの。誰がこんなゲーム考えたんだよ。まぁオレか。

でも、あとから調べてみるとまだまだ沢山あったよ。『盲目ガンマン』(71年)『ブラインドネス』(08年)『ブラインド・フィアー』(13年)、『イマジン』(15年)などなど。あとアメコミの『デアデビル』(03年)も。

そして本作! というわけで『かごの中の瞳』を張りきって語って参る。

 

目の見えない主人公、という設定からサスペンスやホラーで扱われることが多い題材だが、本作はその内奥にもう一歩踏み込んだ生々しい盲目映画になっている。

物語は、子供の頃に失明したブレイク・ライブリーと、献身的に彼女をサポートする夫ジェイソン・クラークの夫婦生活を慎ましく描きだす。

まず驚くのは、夫の赴任先のバンコクで目は見えずとも幸せに暮らすライブリーがとてつもなく地味な風貌で灰色の存在感を醸していることだ。髪が顔にかかってろくに見えないし、見えたとしてノーメイク&ローキーなので予備知識がなければこれがブレイク・ライブリーだとは誰も気づかないだろう。

ところが、手術を受けて視力を取り戻した中盤以降から見る見るうちに快活な女になり、メイクやファッションにも凝り始める。はじめて見る夫の顔や家の内装にすこし落胆したライブリーはあちこち出歩いて世界を謳歌するが、夫は別人のようになった妻に苛立ちを募らせ、次第に互いへの思いやりを忘れていく…。

これまでは妻の失明が二人の愛を繋いでいたが、なまじ視力が回復したばかりに心がすれ違ってしまう。『かごの中の瞳』激烈にビターな夫婦崩壊映画である。


ライブリーが別人のように変わる、というアイデアには思わずクルッと舌を巻いた。

私は以前酷評した『アデライン、100年目の恋』(15年)評のなかで「ブレイク・ライブリーは何者でもない貌なので派手な映画のヒロインには向かない」と指弾した。

この女優は「セレブの顔」を持つ美人だが、カメラに向ける「貌」はきわめて退屈で印象に残らない(だから本作ではわざわざ鼻の付け根に傷痕をつけることで「貌」を作っている)。この二面性こそがブレイク・ライブリーの特徴である。

そんなライブリーがふたつの貌を往還するのがこの映画。

視力を取り戻したことで「セレブの顔」になっていく妻と、失明していた頃の「何者でもない貌」をこそ愛していた夫との摩擦が夫婦生活に軋轢を生じさせていく…というストーリー。ある意味では自身のウィークポイントを見事に逆張りして「ライブリーここにあり!」を高らかに謳いあげたブレークスルーブリー。

ようやくこの女優を「ちょっといいな」と思えた作品でした。

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ズベ公から大人気の海外ドラマ『ゴシップガール』でセレブ女優の仲間入りを果たしたブレイク・ライブリーさん。


『ステイ』演出で評価もステイ◆

監督は『チョコレート』(01年)『ネバーランド』(04年)で知られるマーク・フォースター。近年では『007 慰めの報酬』(08年)『ワールド・ウォーZ』(13年)『プーと大人になった僕』(18年)といった大作映画を手当たり次第に撮りまくる売れっ子の中堅監督である。

私はこの映画でブレイク・ライブリーを見直した反面、これまでは割と高く買っていたマーク・フォースターに少し幻滅してしまったンである。


いくつか瑕疵のある映画だが、まずは映像表現を斬っておかねばなるまい。

どうやらライブリーは全盲というわけではなく、ほんの僅かだけボヤッとした像を見ることができるらしいのだが(なんやそれ)、そんな彼女のボヤボヤとした視覚イメージがPOV方式で頻繁に挟み込まれるのでかなり鬱陶しい。

それのみならず、カメラはライブリーの肌をクローズアップしたり、ドローンを使った俯瞰撮影に興じたり、雨で濡れたような映像や仰角気味のショットを使ってみたり…。果ては失明の原因となった子供のころの交通事故を突然フラッシュバックさせるなど随分と勝手なことをする。妻の視点に立ったかと思えば次のショットでは神の視点からすべてを俯瞰し、飛んだり揺れたり明滅したりと…忙しいカメラである。

この無節操きわまりない映像表現は、ユアン・マクレガー&ナオミ・ワッツという私だけが得をする史上最高のキャスティングにも関わらず美意識の奴隷と化した宇宙追放級の愚作『ステイ』(05年)とまったく同じだ。

『ネバーランド』路線のマーク・フォースターは買えるが『ステイ』路線のマーク・フォースターは大変な三流。今回はその三流ぶりが遺憾なく発揮され、せっかく『プーと大人になった僕』でさらに好感を持ったフォースターへの評価もステイせざるを得ないほど私の心はぐずぐずに腐り果てた。


物語に戻ろう。

視力を取り戻したライブリーは夫クラークの支えを必要としなくなり、自分の目で世界を見て、自分の行きたい所に行けるようになる。キメキメに着飾ってナイトクラブでガクガク踊った。プール教室で知り合ったラテン系のマチズモ男子とバッコリ浮気もした。素晴らしいことである。セレブレーションである。これが人生である。

それでこそのブレイク・ライブリーであるぅぅー(面目躍如であるー)

ところがどっこい、スットコドッコイのクラークはそんな妻に嫉妬心を募らせ、彼女を手元に置いておくための究極の束縛行為に出る。

「まだ完治してないから毎日点眼しなさいよ」と言われて主治医からもらった目薬にハンドソープ各種を混入してライブリーを再び失明させるのだ!

無論、目薬が細工されているなんて夢にも思わないライブリーは、ちょっとカワイイ声で「沁みる~」と言いながら健気に猛毒目薬を点し続け、次第に目が真っ赤っかになっていく。

いや、えぐいえぐいえぐい…。やってる事だいぶエグいがな、旦那。今年いちばん引いたシーンだわ。

失明さえすれば妻はまた自分を頼ってくれるし冷めた夫婦関係もすべて元通りになる…とクラークは考えたのだ。さすがクラーク博士。俺たちに考えつかないことを平然と考えてのける。そこにシビれる目が沁みるゥ。


そしてクライマックス。

ようやく夫の小細工に気付いたライブリーが主治医から新しい目薬(ええやつ)をもらって再び視力を回復させ、しかしクラークの前では失明したフリを続けながら夫の動向を探っていく…といったドメスティック・サスペンスにもつれ込む…。

ここだけ読むとかなり面白そうでしょう?

ざんねん。面白くないのだよ。

その理由は最終章で紐解くつもりだよ。

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ダフト・パンクみたいなことになってるライブリー嬢(左)と、『プロメテウス』(12年)のパッケージ写真みたいな顔をしたジェイソン・クラーク。


◆着地点なきサスペンス◆

サスペンスに着地点がないのである。

小細工を看破したライブリーがクラークから逃げ出すでも問い質すでもなく「見えてないフリ」をしながら粛々と夫婦生活を続ける理由がいまいち判然としない。

一方のクラークも、ライブリーに「出かけてくるよ」と言って家の階段をおりたあとに足音を殺して再び妻のいる階上へ向かう…というサスペンスシーンの通り「本当は見えてるんじゃないか?」と妻を疑っているわけだが、仮に「見えていたこと」が露呈したところでその先がないのである。

べつに本作は嫉妬に狂った夫が妻殺しを企むようなサイコホラーではないので、ライブリーの嘘がバレたとしてもクラークはきっと「なんでそんな嘘つくん!」と言ってショックを受けるのが関の山。

要するにバレようがバレまいが大した違いはない。

だから緊張する余地がない。世界一どうでもいいバレるかバレないかサスペンスだよ!

もしもライブリーが視力回復後も変わらずクラークのことを愛していたのなら別の意味でサスペンスも生じ得たのだろうが、どっこい視力回復後はクラークの顔や性格に幻滅して夫婦生活は破綻寸前。バレてもバレなくても結局この二人は別れることになるし、それを受け入れられない夫が一線を越えて妻を殺害するような危うさもない。「失明したフリ」というサスペンスが着地点を持たないのだ。

ついでに言うならバンコクが舞台である必要性もまったく感じないし、ライブリーの盲目芝居やそれに付随するちょっとしたサスペンスも撮り逃している。


まさかマーク・フォースターの作品にこんな悪態をつく日が来るなんて思ってもみなかったが、とりあえずの収穫は…ようやく自己発見したブレイク・ライブリーが女優として蕾をつけ始めたことと、ジェイソン・クラークの(相変わらずの)いかがわしさ。

三度に渡るベッドシーンはこれといった情感をフィルムに刻むことなく、ライブリーが過去の事故現場を訪れるシーンも説話的機能を持たない。私の脳内に刻まれた「マーク・フォースター」という字がすこし薄まってしまった。

ただしラストシーンで生まれた赤ん坊がクラークの子なのか浮気相手の子なのか…というあたりを濁す手腕だけは一丁前である。

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