ダルデンヌ兄弟は不要な貌を撮らない。
2016年。ジャン=ピエール・ダルデンヌ、リュック・ダルデンヌ監督。アデル・エネル、ジェレミー・レニエ、オリヴィエ・ボノー。
ある日の夜、診療受付時間を過ぎた診療所のドアベルが鳴るが、若き女医のジェニーはそのベルに応じなかった。しかし翌日、身元不明の少女の遺体が診療所近くで見つかり、その少女が助けを求める姿が診療所の監視カメラに収められていた。少女はなぜ診療所のドアホンを押し、助けを求めていたのか。少女の死は事故なのか、事件なのか。そして、ジェニーはなぜドアホンに応じなかったのか。さまざまな疑問が渦巻く中、ジェニーは医師である自身の良心や正義について葛藤する。(映画.comより)
あいす。
風呂上がりにシャンプーしたかどうかをよく忘れてしまうので、そんな時は濡れ髪を触ってコシがあるかどうかを確かめるのだが、ここで重要になってくるのが指先の触覚性。そう、オレは髪についた微妙な油分まで感じ取ることができるゴールドフィンガー。人肌に触れればその人の年齢や健康状態をたちまち言い当て、宙に手をかざせば気温や風向きをアッちゅう間に読んでしまう奇跡の指を10本も持っているのだ(人はそれを指先十勇士と呼ぶ)。
それだけに指を怪我することが怖くて、ピアニストでもないのに指を大事にしています。まぁREALな話、指の怪我は執筆に障るからね。チンピラに指1本をヘシ折られるぐらいなら両膝の皿をブチ割られた方がマシ。まあ、こんな最低な択を強いられるようなチンピラと出会いたくないのだけど。そもそも。
指の話とは関係ないけど、背骨が変形して翼が生えたらいいのにって今なんか思った。
よほど前書きに苦しんでいるのだろう。もうこんな話しか出てきません。
そんなわけで本日は前回の帳尻合わせをするべくガチ回です。俎上に載せたのは『午後8時の訪問者』。
◆ダルデンヌ兄弟はヨーロッパ映画をささやかに覚醒させる◆
いつまでもヌーヴェルヴァーグの夢に酔っているわけにもいかぬので現代フランス映画も見つめていかねばならないが、80年代以降は全世界的に―とりわけヨーロッパ圏がそうだったように、作品単体として目を見張るものはあっても作家が育たないという文化的苦境が続いている。
とりわけ「作家主義」というイデオロギーを唱えたフランスは世界で最も映画作家が多い国だったが、その輩出率は年々低下しており、80年代はレオス・カラックス、90年代はジャン=ピエール・ジュネ、ゼロ年代はフランソワ・オゾンがどうにか商業性と折り合いをつけながら数々のすぐれた映画を残してきたが、それでもフランスでは10年に1人しか映画作家が出てないことになる(もちろんこの話の要点は2010年代は遂に1人も出なかったということだ)。
当然その間、かつては気鋭の作家と呼ばれていたマエストロたちはいなくなってしまう。2010年代だけでも、ロメールを、レネを、リヴェットを、オリヴェイラを、そして去年アニエス・ヴァルダをなくした我々は、緩やかに、だが確実に「映画の浅瀬」へと向かっていることを自覚せねばなるまい。
これは悲観的な話ではなく現実的な話だ。だがこの禍々しい文章を読んで寂しいきもちになってしまった読者を慰めるために少しだけ楽観的な話もしておくと、人がいまいちど映画の深淵に帰るために観ておくべき現役作家がフランスには3人いる。正確には4人だな。
フランソワ・オゾン、オリヴィエ・アサヤス、ダルデンヌ兄弟(※出身はベルギーだが)。
いずれもシネアストの手本となるような一流作家にも関わらず謙虚で品がいい。イタリアの大家のように「オレで“映画”を完成させる」というような傲慢さがなく、みな好き好きに撮っているだけなので、彼らに影響を受けたであろう無名/新人監督たちの作品もあらゆる制約から解放されがちである。
※現在のイタリア映画が絶望的なまでに動脈硬化を起こしているのは、“映画”を完成させようとしたフェリーニやヴィスコンティの影に飲み込まれてしまったためだ(ベルトルッチでさえ、もう自分には撮るべきものがないと気付いてキャリア中期で求道を諦めてしまった)。
とりわけダルデンヌ兄弟はフランス・ベルギー映画にとってのヒーラー(癒し手)。
まな板の上の2匹のイワシのように大人しいジャン=ピエール・ダルデンヌ(兄69歳)とリュック・ダルデンヌ(弟66歳)は、いつも肩を寄せ合ってニコニコしている物静かな老兄弟で、そうした知的な雰囲気は彼らの作品にも漂っている。技巧をべつの言葉で、演出をそれと知られず、意図を無言のうちに語ってみせる一流のシネアストだ。『ロゼッタ』(99年)と『ある子供』(05年)でカンヌ映画祭のパルム・ドールを二度も取ったので「ベルギーの巨匠」と呼ばれることも多いが、彼らほど巨匠という言葉が似合わない巨匠もまたといまい。ダルデンヌ兄弟は、若手監督や無名役者、それに我々観客のいる世界に寄り添ってくれるヒーラーなのだ。かつて北野武が『ソナチネ』(93年)や『HANA-BI』(98年)で日本人のあまりに鈍い美的感覚を多少なりとも引き上げたように、ダルデンヌ兄弟はヨーロッパ映画をささやかに覚醒させる。
そんなダルデンヌ兄弟の最新作『その手に触れるまで』(19年)が新型コロナウイルスの拡大予防により公開延期されそうなので、その間になんとなくレビューしなかった『午後8時の訪問者』をもう一度観ておくことにした(Amazonプライムビデオにブッ転がってるので天下万民が簡単に観ることが可能)。
『少年と自転車』(11年)
午後8時の診療所。若き女医アデル・エネルが研修医のオリヴィエ・ボノーを叱っているときにインターホンが鳴り、これに出ようとしたオリヴィエを「受付時間は過ぎてるわ」と言って制止した。本当は出てもよかったが、研修医との力関係を誇示するためにあえて制止したのだ。ところが翌日、そのインターホンを鳴らした娼婦の遺体が診療所の近くで発見される。その死に責任を感じたアデルは監視カメラの映像を手掛かりに死んだ女の身元を調べ始めるが…。
以上がこの映画の大筋だが、決して犯人探しを主としたミステリではない。
第一、ミステリをやるにはダルデンヌ作品は登場人物が極端に少ないうえ、『ある子供』や『少年と自転車』(11年)で最低のクズ男ばかり演じてきた常連俳優ジェレミー・レニエが事件当日に娼婦を目撃したアデルの患者ルカ・ミネラの父親を演じてもいるのだ。
じゃあ誰がどう見ても犯人ジェレミーやん。
そうなのである。ハリウッド映画に喩えるなら「ゲイリー・シニーズを見たら黒幕と思え」なのである。あまつさえ研修医のオリヴィエはアデルに叱られたことで医師の夢を諦め田舎に帰ってしまうので、画面にはジェレミーとルカの親子だけが取り残されるわけだ。そしてジェレミーは他作品に多く前科を持つクズ役の似合う俳優。謎解かせる気あらへん。
では本作は何を描いたか? それを探すのが映画デショ。
事件当日に娼婦を目撃した患者のルカ(左)から話を聞き出そうとするアデル(右)。
◆そして扉は開けられる◆
至って小市民的な題材とミニマムな演出設計によって高度に組織された映画だと思う。
ストーリーに言及するほど大したストーリーが展開するわけでもないので、今回はもっぱら“ある種の層”だけに向けた面倒臭い映画論を綴っていこうと思う。今日はそういう回です。
まずもってダルデンヌ兄弟は“不要な貌”を撮らない。
復職後に突然解雇を告げられた女性が同僚16人の家を訪ねて解雇取消条件であるボーナスの放棄を懇願して回る『サンドラの週末』(14年)では、カメラがマリオン・コティヤールの貌だけを95分追い続けるというミニマリズムの極地みたいな実験をしていたが、そこまで執着的でない本作でも、やはりカメラは主要人物以外の貌をイメージの隅に追いやっていた。
『サンドラの週末』(14年)
もちろん「貌を撮らない」というのは比喩表現だが、いよいよ本作ではこの比喩が半ば物理的に達成されていたので『サンドラの週末』以上に狂った作品だと思った。
ファーストショットで診察を受ける患者は背中を向けていて、待合室で倒れた子供はアオリの構図で顔がろくに見えない。それ以外にフレームインする人物は軒並み横顔といった具合だ。
このように、映画はカメラに映った被写体の数を意図的に操作することができる。
たとえ3人映っていても1人にすることが出来るし、全員消すことだって出来るのだ。すぐれた映画作家は、観客が物語を理解する上で「重要でない貌」は予め消しているし「覚えなくていい貌」は記憶に残らない顔立ちの役者を使っている(そして記憶に残らない撮り方で観客のイメージから抹殺する)。
逆に、アデルに叱られて田舎に帰ったオリヴィエは、開幕早々に物語から退場するにも関わらず「この貌は覚えておかねば」と誰もが記憶に留めずにはいられない抜群の構図でファーストショットに映えていた。その理由はあまり明白で、後のシーンでオリヴィエが再登場するだけでなく、医師として葛藤するアデルが自分を重ね合わせる対象…いわばドラマを裏から支えるキーパーソンの役割を担っていたからに他ならない。
叱られたぐらいで医者の夢を諦めたオリヴィエ(右)。
映画は、自責の念に駆られたアデルが娼婦の写真を持って東奔西走する数日間を描くが、どれだけ聞き込みをしても誰も「知らない」と言う。身元調査は何の進展もなく、アデルは娼婦との関わりを知られたくない人々から冷たくあしらわれ、時に誰かに雇われたチンピラから脅されもした。警察は被害者の葬儀の日程が決まれば教えるという約束を反故にし、身元不明の娼婦は無縁墓に葬られてしまう。
こうした数々の描写から、どうやら本作の主題が“罪滅ぼしをするアデル”ではなく“社会から黙殺された娼婦”の側にあることが少しずつ見えてくる。このあたりも上手い。アデルは社会に見放され、誰からも忘れられ、死の真相すら隠された娼婦の身元を特定して無縁墓に名を刻むために東奔西走する。『午後8時の訪問者』はミステリでも罪滅ぼしの物語でもなく、人間の尊厳を問い、さらにその奥にヨーロッパが現在直面している移民問題を横たわらせた、実にダルデンヌ兄弟らしい作品だった。
少し感動的なのは、アデルに関わるまいとしていた人々が彼女にほだされるように無関心を捨て去り“貌”を取り戻していく過程である。
彼らの心を多少なりとも開いた契機はモノを渡す/受取るという挙措。
アデルは故郷を訊ねたオリヴィエの母親に届けてほしいと頼まれたコーヒーポッドと紙コップを仕事中のオリヴィエに渡し「飲む?」と訊かれて再び紙コップを渡し返されるし、彼女を工事現場の巨大な穴に突き落としたルカ少年はアデルが自力で這い上がってこれるよう金網を穴に落としてやる。
窓や扉の開閉もサスペンスに活用されているが、この物語はアデルが扉を開けなかったことに端を発しているので、サスペンスフルに…というよりはドラマティックに扉は開閉される。事件後のアデルは、料理中だろうと睡眠中だろうと、インターホンが鳴れば診療所の扉を開けに行く。それは「医師がまず最初にすべきこと」ではなく「他者と関係する総ての人間がまず最初にすべきこと」なのだ。
◆落ちたボタンは拾われたとき姿を変える◆
鑑賞者の多くは覚えてないだろうし、私もすぐ忘れるだろうが、診療所にやってきて罪を告白したジェレミーが急に逆上してアデルに掴みかかった際に彼女のコートのボタンがちぎれて床に落ちる…という些細な描写がある。
尤も、ちぎれた瞬間は見せず、微かに床に響くコロン…という音から「あ、コートのボタンがちぎれたのかな」と推し量れる程度の本当に些細な描写なのだが、私はこういう瞬間にこそ映画を感じる。皆はどうだろう?
その後アデルは、トイレに行ったきりなかなか戻ってこないジェレミーを待つあいだにボタンを探して床から拾いあげる。直後、トイレから響いたものすごい物音。驚いた彼女が慌ててドアを開けるとベルトで首吊り自殺しようとしたジェレミーが水道管を破裂させ、全身ぐしょ濡れでバカみたいに蹲っていた。ジェレミーの暴力性を表象したボタンは、音もなく自殺未遂の前兆を告げる小道具へと姿を変えていたのだ。
ようやく自首する決心がついたジェレミーが「警察に電話してくれ」と頼むと、アデルは「自分でしなさい」と言ってケータイを貸した。きっと、こういう事は自分で電話しないと意味がないのだろう。“渡す/受取る”の反復はこれにて完結する。
ラストシーンではじめて診療所の開閉がメロドラマを生むが、これはぜひご自身の目で確認されたい。
ボタンちぎりの異名を欲しいままにしたジェレミー(右)。
映画通は観客が見たがるものを見せない秘匿術こそがダルデンヌ兄弟の作家性なのだとしたり顔で言う。『ある子供』でジェレミーが自分の赤子を売り払おうと廃墟に赴き、買い手から赤子を置いて隣のフロアで待機するよう指示されると、カメラは壁一枚隔てたこちら側で待機するジェレミーを映し続け、その向こう側からは微かな足音と赤子を抱きかかえる際の衣を擦ったような音だけを響かせる――つまりフレーム外で起こっている出来事を不可視のオフ・スペースとして観客に提示することがダルデンヌ兄弟の作家性なのだと。
間違っちゃいない。現に本作でも事件は常に壁越しに起きる(娼婦を拒否した診療所のドア、ジェレミーが首を吊り損ねたトイレ)。
だが、ここに少しだけ修正を加えるなら、そうした秘匿術によって画面にリリカルな情感を生起せしむる事こそがダルデンヌ兄弟なのだ。
コーヒーポッドを渡す。紙コップを受け取る。金網を穴に投げ入れる。落ちたボタンを拾う。ドアを開ける。そんなささやかな挙措の一つひとつが粒立ちのいい抒情としてスクリーンの端々に息づき、新鮮にして繊細な人間表現たりうるのである。
おもしろいことに、この兄弟の長編劇映画はいつも同じスタッフで作られている。
監督/脚本/製作をダルデンヌ兄弟が兼任し、撮影監督がアラン・マルコァン、編集技師はマリー=エレーヌ・ドゾと、お馴染みの固定メンバーが阿吽の呼吸でワンショットずつ作り上げていく緊密なチームワークは、たとえば往診の帰り道にアパートの窓から「パンを忘れてるよ。下に来て!」と言われたアデルが三階から落とされたパンをキャッチするような親しげな連携にも現れている。
(C)LES FILMS DU FLEUVE - ARCHIPEL 35 - SAVAGE FILM – FRANCE 2 CINEMA - VOO et Be tv - RTBF