シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

処刑の部屋

名匠・市川が撮り急いだマットな失敗作。

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1956年。市川崑監督。川口浩、若尾文子、宮口精二。

 

島田克巳はU大学の4年生。気難しい銀行員の父と常に顔色をうかがっている母にやりきれなさを感じていた。大学野球リーグ戦でU大学が優勝した夜、歓喜と熱狂のさなか、克巳と友人の伊藤はその夜知り合った女子学生のビールに睡眠薬を忍ばせて犯した…。(角川映画)

 

おはようございます。

最近、健康に気を使って自炊した料理をノートに記録しています。いつ何を食べたかを振り返ることで今後の食事方針を決めて、より健康なバデーを獲得する…といった狙いがあるわけです。

だけど、いつも泥酔状態でふざけながら記録しているためか、まったく参考にならないんです。この夏こそは理想のバデーを手に入れようと思ったのに。

 

7月1日

・冷やし中華の暑中見舞い

・まる齧りトマトのまる齧り(ときに齧られ)。

・カップラーメン(間食として)

 

7月2日

・肉と野菜のセレナーデ

・お味噌汁

・冷奴の生姜固め

・オレンジおいしい

 

7月3日

・卵3つ

・四畳半炊飯記 ~北国からジュンへ~

・ポッキーに似た何か

 

7月4日

・キュウリのポストモダンな食べ方

・肉と野菜の離婚調停

・ジウス

 

こんな感じで埒が明かないので、もうやめました。

ちなみに「ジウス」というのはジュースのことでしょうけど、「ポッキーに似た何か」や「肉と野菜の離婚調停」がどういう料理だったのか、本当に思い出せない。まったく無意味な4日間でした。

そんなわけで本日は『処刑の部屋』です。

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◆太陽ギラギラ◆

本作は性と暴力の中に人間の本能を求める若者の生態を描いた太陽族映画っていうか…市川崑の失敗作である。

原作は石原慎太郎。弟の石原裕次郎を起用した『太陽の季節』(56年)『狂った果実』(56年)の原作小説を手掛け、戦後日本文学の「第三の新人」に続く存在として文壇にセンセーショナルを巻き起こした作家である(東京都知事になったのはその遥かあと)。

ちなみに石原慎太郎の代表作『太陽の季節』という小説は、自堕落な学生にナンパされて妊娠した少女が中絶手術の失敗で死んでしまう…といった陰々滅々たる内容である。さらにキツいのは『完全な遊戯』(57年刊行。映画化は58年)。無軌道な男たちが知恵遅れの少女を拉致・輪姦したあとに崖から突き落として殺す…という背徳の中身なのである。

だが、あまりに残酷な内容から賛否両論を巻き起こした『太陽の季節』が芥川賞に輝いたことで石原ブームが巻き起こり、氏の小説に出てくるような倫理観が欠落した若者たちは「太陽族」と呼ばれ、青少年の強姦や暴行が社会問題化した。それでも作られ続ける太陽族映画と上映反対運動は日増しに加熱し、これを受けて新たに設立されたのが映画倫理委員会、いわゆるところの映倫である。

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政治家になる前は文壇の麒麟児だった慎太郎氏。

 

話は逸れるが、私は慎太郎の息子・石原良純は好きで、幼少期の写真を見るたびに笑ってしまうのである。

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つのだじろうの漫画やん。

 

そんな石原ブームの真っ只中に発表された短編小説が『処刑の部屋』(56年掲載)。掲載と同じ年に映画化されました。

日々悶々としている大学生の川口浩(川口浩探検隊)は悪友とつるみ、女学生二人のビールに睡眠薬を混ぜてレイプする。もはやただのスーパーフリーである。

女学生の若尾文子は自分を犯した探検隊に惚れてしまうが、探検隊の方は特定の恋人を作らないという高尚な主義を掲げており見向きもしない。

おもしろいのは、探検隊たちが定期的にパーティーを主催しては儲けていること。大学生がイベント企画で小遣いを稼ぐ…というしゃらくさい生態は1950年代から既にあったのだなぁ。しかしアガリをかすめようとした探検隊は別の大学の連中に捕まり、壮絶なリンチを受ける。そこに現れた若尾は自分を捨てた探検隊にナイフを向けるのだった…。

探検隊ら男子学生の享楽的な生き方と、お嬢様だった若尾がナイフを握るまでの狂気の機微。あるいは親世代を通して戦後日本の核家族の崩壊を描いたインモラルムービーである。

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◆実はインテリだったという裏ぎり◆

前章の頭で「市川崑の失敗作」と述べたが、本作の失敗は小説が発表されてわずか3ヶ月後に本作が公開されたという時期的な問題に原因があると思う。要するに撮り急いだのだ。

市川崑は前衛映画を手掛ける一方できわめて商業主義的な打算に長けた作家でもあるため、太陽族ブームに便乗するべく石原の執筆と並行して映画の準備を進めていた。その結果、何から何まで粗削りな見切り発車まるだし映画と化してしまったのだ!

 

銀行マンの父・宮口精二が貸付金の回収を終えて銀行に戻ってくると息子の探検隊とその友人・梅若正二が金を無心しに来て…というファーストシーンが徹頭徹尾つまらない。

探検隊と宮口の親子関係、あるいは梅若との友人関係はこれといって何も示されず、梅若の約束手形を割るくだりも後のシーンに活きない。このシーンで示された情報といえば父が銀行勤めをしていることと胃がめちゃめちゃ弱いことぐらいなのだが、どちらも本筋とは無関係。

父に金をたかった不良息子の探検隊は、その足で大学の研究会に顔を覗かせてヴェーバー批判の議論に参加する。そこで若尾と知り合うのだ。ようやく話が動き出したぞ、という感じである。

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ジト目で若尾を見やる川口浩探検隊。シニカルな美形ぶりがよい。

 

若尾はインテリ女学生らしく、ヴェーバー批判の場でひどくややこしい言説をまくしたてる。

若尾「社会が階級によって構成されていることだけに重視して、そこにある精神文化を無視することは唯物史観の間違った適用ではないでしょうか!」

ひゃ、さすが若尾。かしこやなー。えらい難しそうなこと言わはるわぁ。

すると先ほどまで若尾のインテリぶった言説にチェッと口を尖らせていた探検隊が、やおら若尾に食って掛かった!

探検隊「要するに価値概念の置き方の違いだよ。意識や精神が前提条件となり、その帰結として人間存在が認められるというものではない。必要なのはトラルアル・アンド・エラーによって自己の生活現実を少しずつ固定させていくことだ。生活現実の中に生起する自己の行為から精神の論理体系を作り上げることが先決問題でしょう? そういうダイナミックな――…」

ちょちょ、ちょまー、ちょまー!

ちょっと待っておくんなはれや。おまえもインテリやったんかい。「精神の論理体系」とか言うてますやん。

あれ? 探検隊って不良学生じゃなかったっけ? こんなにも弁舌爽やかにヴェーバー批判をするようなインテリジェンスだったというの?

かと思えば、このシーン以外に探検隊の知性が垣間見えるような瞬間は一度もなく、それどころか喧嘩とレイプとパーティー主催に明け暮れるゴロツキとして描かれているのである。

どないやねん。ほな、このヴェーバー批判のシーン要らんやないけ。キャラぶれまくっとるやないか。

 

このように、なんだか調子っ外れなのである。なにこの辻褄の合わなさ。辻と褄が駅でバイバイしてもうとる。

現に本作は、尤もらしい理屈で石原文学を擁護し続けた盟友・三島由紀夫が評するところの「反知性主義が正面に押し出された肉体信仰的作品」とあるように、やはり探検隊は「騒ぐ、犯す、暴れる」といった野蛮な身体性によって若尾のようなエスタブリッシュメントに反撥すべき主人公像を体現せねばならないのだ。

しかしその「反撥」を「若尾との知的な議論」という形でおこなってしまったのが大失敗。結果的にエスタブリッシュメントに盾突く主人公がエスタブリッシュメントの側に身を置いてしまう…というワケワカメな矛盾を招いてしまったのだから。

急拵えのツケはこのようにして支払われることになります。もっと脚本を煮詰めるべきでしたよ、市川さん。

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川口浩探検隊。

 

◆マットな画面が唯一の見所◆

その後のレイプシーンには嫌悪感も緊張感もなく、そもそもレイプなど撮りたくもないし撮れもしない市川はジャンプカットでさらりと逃げおおせる。

また、若尾が自分を犯した探検隊に惚れてしまう…という常識ではちょっと考えにくい展開は、文学なればこそその複雑な心の機微を表現しうるものであって、映画だと相当量のモノローグを使わないことには到底無理筋。どうしても若尾の心境変化が不自然に見えてしまうのである。

このように、いかにも小説をそのまま映画にしたという作品なのだが、言うまでもなく小説をそのまま映画にするなど土台無理な話。文字媒体をむりやり映像媒体に変換したところで無数の文字化け(綻び)が露呈するのみザッツオールなのである。

三島由紀夫の『金閣寺』を映画化した『炎上』(58年)や、島崎藤村の同名小説を手掛けた『破戒』(62年)では、主人公の文学的思惟を見事な映像言語に落とし込んだ市川だが、本作ではやれ契約だの期限だのに追われてか…完全に撮り急いでおります。拙速とはこのこと。

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睡眠薬を混ぜたビールで女子を酔わせる探検隊。ジト目やめい。


二枚目青春スターの川口浩探検隊は最低のクズを泥臭く演じており、その父を演じた宮口精二(『七人の侍』の久蔵!)もまた映画の首を絞めるような神経症的な芝居で作品のテイストを引き立てている。

ひたすら暴力が打ち続くラスト15分のリンチシーンの息苦しさだけは本作の見所かもわからない。スタイリッシュな市川にこんな画が撮れたんだって感心しちゃったね。こういう泥臭さは黒澤明の専売特許なのにな。まるで油絵具をぬたぬたと塗りたくったようなマットな画面。水気がぜんぜんない渇いた画面。怖いですねえ、恐ろしいですねえ。

逆に小津、溝口、木下なんかはシャバシャバしているというか、水彩画のようなウエットな画面なのね。「ショットの水分」に目を向けてみるのも存外おもしろいかもわからないね。

なぜか淀川先生の口調になってるな。元に戻さなきゃいけないね。でも、まぁいいか。もう終わるんだし。

そんなわけで『処刑の部屋』は、やや場当たり的に過ぎました。出たとこ勝負が通用するほど映画はデタラメには出来ていない、ということを改めて再認識した一本です。

市川ほどの名匠でもやらかしてしまうんだから、これから映画を撮るぞーなんて意気込んでらっしゃる映画学校の生徒諸兄は注意が肝心ですぞ。

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水っ気のないマットな画面だな。こわいですねぇ。ノワールですねぇ。

 

(C)KADOKAWA