シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

東京おにぎり娘

おむすびコロリ、キャワオにコロリ!

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1961年。田中重雄監督。若尾文子、中村鴈治郎(2代目)、川口浩、川崎敬三。

 

おにぎり三角、恋も三角。握ってちょうだい恋の味!

人に見せない涙の味は、下町娘のいじらしさ。私は今が食べざかり!

 

うん、おはよぉ…。

最近ちょっぴりダウナー気味の私です。ある映画のレビューが大失敗してしまったので、一から書き直すべきかお蔵入りするべきかで悩んでおるのです。

ちなみに過去にお蔵入りした評は、ロン・ハワードの『ザ・ペーパー』(94年)や、ホアキン・フェニックス主演の『ビューティフル・デイ』(17年)。あとTHE YELLOW MONKEYの音楽ドキュメンタリー『オトトキ』(17年)

失敗評というのは、書いてる途中で気付くものではなく、書く前から「あ、これはまずいぞ…」という予感があるわけです。わかりますか。

たとえば、玄関で靴を履きながら「何かが違う…」という違和に襲われ、ドアを開けた瞬間に「今日はろくでもない一日になるぞ」と確信する日ってない?

あ、ない? まぁ僕もないけどね。

でも感覚としてはそんな感じです。

書いて失敗した評というのは書く前から失敗してるんです。

とかく失敗というのはそういうものではないかしら。「こうしたから失敗した」のではなく「そうする前から失敗していた」。ゲームの学びはここにあります。特に将棋みたいな奥の深いボードゲームはね。さっきの指し手を間違えたのではなく、すでに最初の一手目から負けは決まっていた。そういうことです。

そんなわけで本日は『東京おにぎり娘』ですけど、かなりダウナーっていうか…テンションだだ下がりの鬱々とした文章になっていると思います…。ごめんなさい…。

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◆日本のジャック・ニコルソン、中村鴈治郎やで!◆

おにぎり、おにぎり!

皆さんお馴染み『東京おにぎり娘』だよ!!

ヘイみんな。握ってる? やっと来たでぇー『東京おにぎり娘』が!

さてさて、この映画。気になる主演はキャワオこと若尾文子。またもやこの子。圧倒的出現率。何度登場すれば気が済むのか。そろそろいい加減にしてくれよ。

さぁ、おにぎり、おにぎり。じつにホカホカしていて塩気の利いた映画です。おにぎり娘がチャキチャキに頑張るといった意味内容の91分が皆さんをお待ちしておりますよ。いやー。いかにも爽快。いかにも明朗。私のハートまで三角に握られてしまいました。クーッ、味な真似を!

本作は大映フルパワーの作品だよ。主演のキャワオを筆頭に、川口浩川崎敬三叶順子など大映ヤングスタァがずらりとガン首揃え、ベテラン勢には沢村貞子伊藤雄之助村田知栄子、極めつけは2代目中村鴈治郎のお出ましだ。


とりわけ本作は中村鴈治郎が事実上の主演と言ってよいよい、帰りは怖い。

このおっさんは成駒屋の屋号を継いだ由緒正しき歌舞伎役者。「マロニーちゃん♪」でお馴染みのげしゃげしゃ愛嬌ばばあ・中村玉緒のパパンである。

そんな鴈治郎、のちに歌舞伎をやめて銀幕デビューを飾り、黒澤の『どん底』(57年)、小津の『浮草』(59年)、市川の『鍵』(59年)などで俳優としての才能を満開ギリギリまで開花させた! また、重要無形文化財に認定された生きものでもある。つまり人間国宝。おまけに紫綬褒章をゲットし、文化功労者にまで選ばれました。もはや何のこっちゃである。

好きな俳優なんだぜ、おれ。映画では頑迷固陋な大阪人を演じることが多いが、その内奥に見え隠れするオヤジ心の機微には何度も泣かされそうになりました。いやらしい見た目、意外なかわいさ、しんみりオヤジ心…という共通点から、無理くり米俳優に結び付けるならジャック・ニコルソンが適当かと存じます。

三代目中村鴈治郎を襲名するのはジャック・ニコルソンで決まり。

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キャワオと鴈治郎。


そんな面々でお送りする『東京おにぎり娘』

これは洋服屋を営む父・鴈治郎とその娘キャワオの親子物語である。この時点ではまだキャワオはおにぎりを握っていません。

キャワオは幼馴染の川口浩探検隊と仲がよかったが、キャワオの叔母(沢村貞子)と探検隊の母(村田知栄子)が二人の縁談を勝手に取り決めたことで反結婚同盟を結びます。

あれ? どこかで聞いたワードだな…。

まるっきり『最高殊勲夫人』(59年)  と同じやないかボケ。

ええ加減にせえ。デジャブがすげえわ。大映だかイズミヤだか知らんけどよ。似たり寄ったりの映画ばっかり作りくさって、この餓鬼。台本使い回しとんのか。

しかも二人の結婚話が持ち上がったことで、キャワオは一人になってしまう鴈治郎を心配し、父の方は虚勢を張って「ワシは大丈夫やさかい結婚したらええねん」とエールを贈る。

あれ? これもどこかで聞いたワードだぞ…。

まるっきり『あなたと私の合言葉・さようなら、今日は』(59年)と同じやねん。

もうええて。この短いスパンでなんべん同じデジャブ喰らわすんじゃ。パターン貧困か? どうせまたラストではキャワオと探検隊が結ばれてエンダーイヤー、涙を呑んだ野口が「スウィートハートベイビー」を歌うんでしょ。ど突き回したろか。

…と思いきや!

そうはおにぎり娘が卸しません。

たしかに設定こそよく似ているが、おにぎりのように話がコロコロ転がっていき、まるで観る者が『おむすびころりん』のジジイのように必死で話を追いかけていると木の根元の穴にホールインワン。「あ、そこに落ちるの?」という結末が待っているのであるのである。

だから、キレてごめん。ゆるして

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キャワオと鴈治郎(キャワオがお着替えしている)。

 

◆頑固者ほど素直。中村鴈治郎やで!◆

父・鴈治郎が昔気質のためにちっとも流行らない洋服屋は閑散たる有様で、どうにか家計を立て直したいキャワオは自宅を改装しておにぎり屋「おむすびコロリ、キャワオにコロリ」を始める。通称キャワコロである。

キャワオ「おにぎり、いりませんか」

「いるいるいるいる」

キャワオ「おにぎり、食いたくありませんか」

「くうくうくうくう」

キャワオ「おにぎり、買ってくれますか」

「かうかうかうかう」

大繁盛である。あっという間に売り切れ、あかぎれ、ボロ儲け、たちまち左団扇で笑いがとまらぬ鴈治郎親子。それにしても、なぜキャワコロは大繁盛したのか?

キャワオがキャワイかったからザッツオールである。

この美人の若女将にコロリと参っちまった客たちは、おむすびのようにコロコロと店に転がり込み、大して美味くもないもおにぎりをアホみたいに注文した。心まで握られてしまったというわけだ。

なお、キャワオ目当てで毎日店に通っている大企業社長・伊藤雄之助はこのような名言を残している。

「キャワオさんのスベスベのお手て。その手で握ったおにぎりはいつだって美味いんだ。僕たちの勇気。明日への英気」

なにをいってるかぜんぜんわからない。


そんなキャワオの周りにはタイプの異なる3人の男たちがいる。

ひとりは探検隊。新宿の劇場で演出家をしている色男で、キャワオとは幼馴染である。お互いの家族が勝手に縁談を取り込めたが、果たして白馬の王子様となるのか!?

ひとりはジェリー藤尾。こちらもキャワオの幼馴染。ねじり鉢巻を頭にまいてキャワコロを手伝ってくれているお調子者の江戸っ子だ。キャワオに惚れているぞ!

ひとりはKAWASAKI。かつて鴈治郎にクビにされた洋服屋の弟子で、現在は別の仕事で大成。クビにされたとはいえ鴈治郎への恩を返すためにキャワコロの開店資金を出してくれた好青年である。キャワオに惚れているぞ!

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左から探検隊、ジェリー、KAWASAKI。

 

かかるイケメン三銃士とキャワオの交流が描かれる一方で、パパンの鴈治郎に隠し子がいたことが発覚。探検隊の劇場でダンサーをしている叶順子だった。ここから物語は鴈治郎の視点に移り、腹違いの娘二人を持ったパパンの複雑な心境が描破されていく。

事実、このパパンは本作のなかで最も深く描き込まれた裏主人公なのだ。

焼肉屋での順子との再会では必死で涙をこらえ、本当は貧乏なのに気前よく小遣いをやる。そして順子が焼いてくれたシイタケを食って泣く。ひそかに惚れていた麻雀屋の女将・藤間紫は、鴈治郎が仕立てた服を売り払ってよその男と結婚してしまった。失恋してまた泣いちゃいます。

そして、キャワオへの「結婚してほしい」という願いと「手放したくない」という思いの二律背反したオヤジ心を通して「素直さ」と「頑固さ」の二項対立が巧みに描かれている点も見所である。

鴈治郎は30年も続けた仕立屋の肩書きに並々ならぬ矜持をもっているが、散々反対したおにぎり屋を勝手に始めたキャワオをどうも怒りきれない。30年かけて育てあげた店を潰されたという憤懣の一方で、キャワコロの繁盛によって家計が立ち直ったという実績もまた認めざるを得ないからだ。

さらに、かつては意見対立の果てに喧嘩別れした弟子・KAWASAKIの恩返し(出資)によって店が繁盛したという事実も受け入れ、あれほど嫌っていたKAWASAKIに深々と頭を下げて和解するようなナイスガイなのである。

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もう一人の娘・叶順子のパフォーマンスを食い入るように見つめる鴈治郎。口あいとるぞ、おっさん。


鴈治郎を見て私は思う。そも頑固者ほど素直なのだと。

頑固者とは、己の思想・信条・美学・道徳を愚直につらぬく人間、いわば理非曲直を明確化する人間のことであり、それゆえに融通が利かず他者と衝突する困ったちゃんとして周囲から迷惑がられる人間でもあるのだが、ひとたび相手の義理や理屈に符号する部分があればたちまち理解を示して素直になる生きものだ。

辞書を引けば「頑固…かたくなで、なかなか自分の態度や考えを改めようとしないこと」と書いてあるが、これは逆説で、ちゃんと相手の言い分を聞いたうえで理解できる点には素直に賛同する(ただしそうでなければ自分の態度や考えを改めない)というのがより正確な定義となる。

したがって鴈治郎が素直になる瞬間にはギャップ萌えが生起する。なまじ「萌え」とは程遠い「オヤジ」という生態だけに、あれほど頑固で憎たらしかったオヤジが児童のように素直になる一瞬にこそ萌えの瞬間最大風速が訪れるというわけだ!

ちなみにそんな鴈治郎、映画の舞台は東京下町なのにコテコテの大阪弁を話しているが、どうやら自称「大阪生まれの江戸っ子」らしい。なにをいってるかぜんぜんわからない。

 

◆「放射」と「吸収」の親子やで!◆

さて、再びキャワオの出番である。

反結婚同盟を結びながらも秘かに探検隊に惚れていた彼女は、意を決して「結婚してよぉ」と告白するも、なんと探検隊はキャワオの義妹・順子に惚れていた。涙と動揺を隠しながら必死で笑顔を浮かべ「ウソよ。結婚してなんてウソなの。ちょっと試してみただけ!」と冗談めかしたが、さすがのチャキチャキ娘もこれには参った様子。

帰り道でしくしく泣いちゃう。

だが泣き顔を映さなかったのはさすが。天真爛漫なキャワオは決して涙を見せないし、また見せてはいけないのだ。

なぜなら、涙はすでに鴈治郎と順子の再会シーンで流されたからである。

近ごろの日本映画や韓国映画が品性下劣なのは感傷に湿りすぎるためである。どいつもこいつもビービー泣きやがって、糞っ垂れめが。

いいか。涙のカードは1枚だけだ。どこで切るかが腕の見せ所なんじゃないの?

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泣いてはいるが涙は見せないキャワオ。「かわいい!」と「かわいそう…」のアンビバレント的失恋シーン。


本作の真骨頂は、派手に失恋したキャワオがその痛手を「泣く」ことではなく「飲む」ことによって消化(=昇華)させた点である。

すっかり捨て鉢気分のキャワオはぐちゃぐちゃになるまでヤケ酒を煽り、ヘロヘロのべらんめえ口調で鴈治郎をディスり倒す。その泥酔ぶりがなんとも切ないのである。

ここで放射と吸収のモチーフが顕在化する。

これまでの鴈治郎は涙を流し、小遣いを渡し、心のままに怒りや不満を吐き出すように「放射する人物」として描かれてきた。放射というのは吐き出すということです。

対してキャワオは苦労を買い、酒を飲み、金を稼ぐといったように「吸収の人物」である。一世一代の愛の放射も大失敗に終わり、悲恋の放射(泣くこと)でさえその身に固く禁じた彼女は、だからウンと酒を飲んだ反動でこれまで抑えつけてきた感情を思いきり放射したのだ!

その後、二人の「放射」と「吸収」の役割はクルッと逆転する。まるで父と娘の人格が入れ替わったように、父は謙虚になり、娘は大胆になるのだ。そしてそれが両者にとっての「成長」として描き上げられるのである。ういー、お見事。

 

ただしメイン二人を追うあまり他のキャラクターが添え物になってしまっている。これは看過できん。

探検隊はまったく弾んでないし、ジェリー藤尾も埋没気味。ラストシーンで恋人候補に挙がったKAWASAKIに至ってはロクな人物描写もない。父に対する叶順子の思いもずいぶん単純化されており、そのうえ義姉キャワオとは一度も顔を合わせぬまま映画が終わってしまうというお粗末さ。

田中重雄は年間5本も手掛けるプログラムピクチャー専門の監督だからか脇役を軽視した態度が散見されます。ナメてんじゃねえぞ。

60年代初頭の東京を切り取ったロケーションはことごとく醜いが、却ってエネルギッシュに映っていたので良しとする。雑多でふてぶてしい新宿が60年代の夜明けを告げておりました。

なお、何度か映されるおにぎりはいずれも不味そうだった。

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真心こめて今日も握るで、飯も心も!

 

(C)KADOKAWA