シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

エブリデイ

地域密着型の憑依霊体が無考えに恋する話。

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2018年。マイケル・スーシー監督。アンガーリー・ライス、ジャスティス・スミス。

 

肉体を持たない主人公「A」が毎朝別人の身体に憑依しちゃうみたいな骨太なさくひん。

 

おはみー。

「好きな国に行けるとしたらどこがいい?」

 10年前の真夜中、京都伏見にあるファミレスの7番テーブルにて友人Sにこの質問をされた私は「アメリカ」と答えた。

「うわぁ…ベタやなー」

イラっとしたので友人を滅してやろうとおもった。

そりゃあ、たしかにアメリカという答えはベタかもしれない。好きな料理にハンバーグを挙げるほど子供じみた答えかもしれない!

だが私のアメリカに対する憧憬はチョット只事ではないぜ。ほとんど毎日と言っていいほどアメリカの映画を観てはその景色や文化に憧れ、アメリカの音楽を聴いている。日本の政治よりアメリカの政治に関心がある。風呂上がりには胸に手を当ててアメリカ国歌「星条旗」を独唱。ラグビーを意地でもアメフトと言う。地元の京都よりもニューヨークの方が詳しい。四条界隈でアメリカ人と目が合うたびに口パクで「ヘロー」と言う。スラム街でバスケしてる黒人たちに混ざりたいと思っている。

どうだ分かったか! こういう色んな憧憬があった上での「アメリカ」発言なんだよ。ベタの一言で済ますな!

ためしに私は「そなたはどこに行きたいん」とその友人に訊いてみました。

「やっぱヨーロッパかな」

ばくぜん!!

おまえの方から「好きな国に行けるとしたら~」って言ってきたのに、まさか自分だけ大陸名を挙げるとはな! 漠然としすぎて掴みどころがナイジェリア。

これを指摘したところ、その友人…

「まぁ、でも、結局フランスになるよね。それはやっぱり」

あ。めっちゃイキってるやん。ヨーロッパ=フランスですか。しらこ。素直に「アメリカ」って答えた私の好感度がここへきて鰻登りやん。

「…ていうか」と私は言った。

「京都伏見の真夜中のファミレスでこんな話をしてる時点でどこにも行けないよ、俺たち…」

7番テーブルは水を打ったように静まり返った。

 

そんな切ない思い出トークに始まった本日は『エブリデイ』です。先に謝っておくとレビューの体をなしてないっていうか…レビュー自体を放棄しました。

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◆A「やっぱムリあるわ」

毎日他人の身体に憑依してしまう実態なき主人公「A」が女子高生に恋しちゃうといった中身である。

毎朝「A」は他人の身体のなかで目覚める。いわば人々の身体から身体へと旅する意識だけの存在だ。誰に憑依するかは選べず、性別や人種はランダムに決まる。だが歳の近い人間だけに憑依するようだ。Aに憑依された人々は全員学生なのでAもまたティーンエイジャーなのだろう。

毎朝Aは身体を借りた人物のことを手早く調べ、なるべくその人物になりきって慎ましく一日を過ごす。そいつが通っている学校に行き、交際相手がいれば恋人を演じる…という具合だ。翌日になるとAはまた別人の身体にお引っ越し、それまで身体を乗っ取られていた奴は昨日の記憶をほとんど失っているが、まあ大したことではない。

 

なるほどね。ティーン向けの青春恋愛ものとボディスナッチャーものを融合させた斬新な映画であるね。

…と言いたいが『ビューティー・インサイド』(15年)とソックリなんだよなぁ。

『ビューティー・インサイド』はわたくし一押しの女優ハン・ヒョジュの主演作で、こっちはヒョジュに惚れた主人公が「毎日外見が変わる」という設定。総勢123人の俳優が主人公を演じたので123人1役という型破りな記録を打ち立てたことでお馴染み。

まぁ「他人に憑依する」と「自分の外見が変化する」とではえらい違いだが、映画としてのルックはほぼ同じなんだよな。要するに「顔」を持たない主人公の日替わり別人映画という点で、本作は明らかに『ビューティー・インサイド』を意識した作りになっている。

で、先に結論を言うと…これを観るなら『ビューティー・インサイド』を観た方がよい。

本作よりも遥かに質が高いし、皆様におかれてもより健康的な映画ライフを送って頂けると思う。ハン・ヒョジュもめちゃめちゃ綺麗だし。わかったか? 『エブリデイ』を観るぐらいなら『ビューティー・インサイド』を観るんだぞ?

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ハン・ヒョジュが贈るしゅぎょくのラブストーリー。

 

さて、『エブリデイ』の話に戻ろう。

Aが惚れたのはアンガーリー・ライスという無性にガーリックライスが食べたくなるような名前のJKであった。映画が始まってAがまず最初に憑依したのはガーリックライスの彼氏ジャスティス・スミスである。Aはジャスティスの身体を借りてガーリックライスとデートをするうち、彼女の清潔な心に惹かれて「この娘いいな」と思った。「でも彼氏持ちかー」とも思った。

翌日、とある女子に憑依したAはガーリックの通う高校に行く。そこで普段のジャスティスがとても冷たい男だと知った。男友達との遊びばかり優先してガーリックにはほとんど無関心。そのくせ独占欲だけは強く、後日イケメン男子になったAがガーリックに話しかけただけで「オレの女にちょっかい出すようなマネはオレに断じて許されないぞ!」などと文法むちゃむちゃなことを言ってAを追い回すような真正DQNだった。

ジャスティスという名前なのに心に全然ジャスティスのない奴であった。

毎日ジャスティスに傷つけられているガーリックは「あんな奴とは別れるべきよ!」と親友に忠告されても「でもカレ、ああ見えてたまに優しいのよ。それに見た目がタイプだし♡」と言って彼との不毛な関係をずるずる続けている。そんな彼女に毎日違う人間として猛アプローチをかけるA…。

二人の恋は始まるのであろうか!?


どっちゃでもええわ。

始まろうが始まるまいが私の知ったことではない。この開幕20分で私の興味はサーッと引いてしまいました。

まずガーリック。Aからは「清潔な心の持ち主」と高く評価されたが、私に言わせればただのダメな女だ、おまえは。

百歩譲って「彼氏がろくでなし」なのは良しとしよう。今の十代なんてロクでもない奴らしかいないからな。それに「ジャスティスの心が自分に向いてないと知りながらも交際を続けること」も不問に付す。まぁ、観ているこっちはイライラしてしょうがないが、ある意味これは恋愛の美徳でもあるからな。

私が問題にしているのは、もはやガーリック自身がジャスティスのことを好きかどうかも分からなくなっているのにダラダラと交際を続けていることだ。結婚20年の夫婦ならともかく、おめぇはまだ若いんだから。とっととジャスティスを過去にしろ。若さというのは「決断できる」ってことなんだから。

あのな、ガーリック。とりあえずインド行け、おまえは。ガンジス川のほとりで瞑想でもすれば今後の身の振り方も変わるだろう。よし、分かったら行け。

 

そしてA、おまえは積極的すぎ。

恋にがっつくのはいいが、もう少し自分の特性と相談しながら慎重に事を進めるべきだ。

そもそもガーリックと結ばれたところで上手くやっていけるの? だってアンタ…毎日別人の身体に憑依しちゃうわけでしょう?

軽くネタバレになるが、このあとガーリックはAの憑依特性を受け入れたうえで両想いになる。しかしAはガーリックとの将来を考えて不安になった。

毎日外見が変わる自分と付き合ったガーリックは真っ当な社会生活を送れるのか?

もし将来結婚したとして、生まれた子供に憑依特性が遺伝したら?

それに自分の憑依対象はいつも健康な人間とは限らない。事故や病気で今まさに生死の境をさまよっている人間に憑依してしまうかもしれないのだ(肉体が滅べばAも消える)。

このような不安要素を加味したAはガーリックと話し合いを重ね「僕たちの関係だけどさ…これちょっと…やっぱムリあるわ」と言って別れる方向で合意した。

だから言うたやん。

ハナから見えてたやん、この結末。

おっさん、ずっと心配しててんで。「憑依特性どないすーん?」ゆうて。「結ばれたとて憑依特性どないすーん?」ゆうて。それでもAが憑依特性のデメリットを顧みずに突っ走るから「えらい自信やな。何か策でもあるん?」思てたけど…あらへんやないか。

おまえは今世紀最大の向こう見ずか?

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男性陣は全員Aです。

 

◆A「がんばったらできた」◆

なかなかアホらしい映画であった。

まぁ、本作がターゲットにしているのは15歳~25歳ぐらいのヤング層。YouTubeに余暇を費やし、Twitterで世間を知り、LINEでしか他者と交歓できないような前途有望な若者たちである。おっさんはもうじき48歳になるので、こういう映画の楽しみ方がよくわからないんだ。

なんしか設定がムチャクチャで、そればかり気になって映画どころではなかった。

 

なぜかAが憑依するのはガーリックの通う高校の近所に住むティーンエイジャーばかり。

ずいぶん虫のいい話じゃないか。なにこの地域密着型の憑依霊体は。

それに当初の設定だと憑依時間は24時間のはずだったが、ガーリックに「明日もその顔のままでいて♡」と頼まれたAは「試してみるよ!」と言って結局2日も3日もその人間に憑依し続けた。

それはナシですやん。

「毎日違う人になる」というのが本作のコンセプトなんでしょ? それを勝手に変えるのはナシですやん。一度決めたルールを変更しないでよ。

こういう映画大嫌いなんですよ。作り手が「この映画にはこういう法則や制約があってそれに従って展開していきますよ!」ってルール説明しておいて後になって自分たちの都合でいいようにルールを変えちゃうってパターン。「やっぱりあの設定ナシにします」って。

これをやられるとルール自体が意味を成さなくなって物語の世界が信用できなくなるの。『ハンガー・ゲーム』(12年)とかそのオンパレードでしたけど。

 

とはいえ私も鬼じゃないさ。ルール変更するにしてもそこに妥当な理由があればまだ納得はできる。たとえば本件の場合、じつはAの憑依現象は日に日に弱まりつつある…という裏設定を(後付けでもいいから)説明したりとかさ。それだったら「あぁ、だから何日も同じ人の身体に憑依し続けられたのか」と無理やり納得できなくもない。

だが現実は苛烈だ。こんな気の利いた理由付けはしてくれない。それが『エブリデイ』

Aは同一人物の身体に何日も憑依できた理由として「がんばったらできた」と言った。

がんばったらできたん?

つまり…好むと好まざるとに関わらず毎朝いろんな人の身体に乗り移ってしまうAの数奇な人生って…がんばりでどうにかなるの?

ていうか「がんばり」ってNANI。どういうことなの。幸いAは「がんばり」について詳しく説明してくれました。

「毎朝ぼくは、その人の身体から意識が押し出されるような感覚を味わうんだ。それで違う人の身体に乗り移るわけだけど、今回は押し出されないように抵抗してみた。がんばったんだ。そしたら居残れた。やってみるもんだね、何事も」

 

鼻殴ったろかオマエ!

 

もうええ。もうワシは知らん。このあと映像面の瑕疵も論ってやろうと思っていたが、止めじゃ止めじゃ。ワシのエブリデイが台無しになってしまう。

最後までレビューできなくてごめんな。もう寝るわ。

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