シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

31年目の夫婦げんか

トミー・リー・ジョーンズの勃ち待ち映画。

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2012年。デヴィッド・フランケル監督。メリル・ストリープ、トミー・リー・ジョーンズ、スティーヴ・カレル。

 

結婚して31年目を迎え変わり映えのしない毎日を送っていたケイは、もう一度人生に輝きを取り戻そうと夫のアーノルドを無理やり連れ出し、1週間の滞在型カウンセリングにやってくる。カウンセラーから予想もしなかったさまざまな“宿題”を課されて驚くケイは、次第にため込んでいた感情を吐き出していき、口の重たいアーノルドも本心を打ち明け始めるが…。(映画.comより)

 

おはよう、人民。

夢の話をしちゃおうかな。夢といっても胸にいだいて「いつか絶対叶えてやるぞ」と誓う方の夢ではなく睡眠時に見る方の夢です。

 

私の夢に出てきた俳優(1)スティーヴ・ブシェミ

だいぶ昔に見た夢なので詳しいことは覚えてないけど、どこか爽やかな場所でスティーヴ・ブシェミと私がピクニックをしていたような。ブシェミは入れ歯を外して私にくれました(なぜか真っ黒の入れ歯だった)。そのあと逃げていったと思う。

 

私の夢に出てきた俳優(2)藤田まこと

一時期よく出てきました。『はぐれ刑事純情派』を毎週見ていた頃です。私は夢のなかで藤田まことの車に乗せてもらって夜道をドライブしました。ドライブっていうか、まぁ、誘拐されてしまったわけです。純情派と言ってるのに私を誘拐する藤田まこと。隅に置けない。

 

私の夢に出てきた俳優(3)アンジェリーナ・ジョリー

これはちょっと淫夢なので詳しい話は遠慮しておきます。

 

そんなわけで本日取り上げる映画は 『31年目の夫婦げんか』。どんなステキな映画なのでしょうか。

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◆熟年夫婦の心のすれ違いをセックスで打破する世界◆

子供たちが独立したことで夫婦の時間が減りつつあることに孤独を募らせる妻メリル・ストリープは、無口で皮肉屋の夫トミー・リー・ジョーンズを説得して遠路はるばるメイン州まで1週間滞在型のカップルカウンセリングを受けに行く(4000ドルもする)。
カウンセラーのスティーヴ・カレルはこれまでに数多くの夫婦を救ってきた結婚ドクター。一体どんなカウンセリングがおこなわれるのやら…って中身。

 

ことあるごとにオスカーを取ることでお馴染みのメリル・ストリープと、ことあるごとに缶コーヒーを飲むことでお馴染みのトミー・リー・ジョーンズ(以下BOSS)の豪華共演作に心はポカポカ!

監督は『プラダを着た悪魔』(06年)『マーリー 世界一おバカな犬が教えてくれたこと』(08年)を撮ったことをたぶん誇りに思っているであろうデヴィッド・フランケル『マーリー』は最高の犬映画だったが、ウィル・スミスがバカみたいな顔してボーっとしてるだけのオールスター謎映画『素晴らしきかな、人生』(16年)で大爆死して現在反省期間に入っている監督です。

 

さて、本作は結婚31年目を迎えた夫婦の再生の物語。テーマは「熟年夫婦の心のすれ違い」で、これを夫婦二人三脚で打破していく映画である。

こう書くと聞こえはいいが、実際のところは熟年夫婦のセックスレス解消映画でした。

物語は、不思議なドレスでおしゃれをしたメリルがBOSSの寝室に行って「したいの…」とせがむも「あっ。俺はその…気分が悪くて。昼間食ったポークのせいだろう」とやんわり断られるシーンに始まる。ポークを言い訳に使う男、BOSS。

二人は寝室が別々で、子どもたちが家を出たあとは会話もめっきり減ったという。

そんな味も素っ気もない夫婦関係を修復しようと決意したメリルは、いやんいやんするBOSSを連れてカレル先生のもとを訪ねるが、そこでおこなわれたカウンセリングの大部分はなぜか性生活に関する内容。

「今でも奥さんに欲情しますか?」

「奥さん以外には欲情しますか?」

「最後にしたのはいつ?」

「最後に一人でしたのはいつ?」

「お気に入りの体位は?」

さらには「宿題」と称してさまざまな性技の実践を求められた二人は、映画館で口淫したりモーテルで手淫したりと大忙し。66歳トミー・リー・ジョーンズと63歳メリル・ストリープの中折れセックスシーンも2度ほど用意されてます(ニーズ不明)。

そんなわけで、“ハートフル熟年コメディ『31年目の夫婦げんか』”というポップなパッケージに釣られて家族で見た日にゃあ確実にお茶の間が凍りつくこと請け合いの作品である。

あ、先に言っておくべきだったかな。

今からコテンパンに酷評するで。

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カップルカウンセリングという名のセックスカウンセリング。

 

勃てばハッピーエンドという世界

とてつもなく下品な映画である。

映画館で『奇人たちの晩餐会』(98年)を観ているBOSSの股ぐらに潜り込んだメリルがせっせと口淫に勤しむシーンは「性生活の改善」を口実とした下ネタコントに終始している。まったく不可解かつ不愉快および不誠実ならびに不愉快である。あ、不愉快はすでに言ったか。

大体こんなシーン観て誰が得するんだよ。

だが映画は「あの大ベテランにこんな事させちゃいました!」なんて誇らしげな顔でメリルとBOSSを撮り続ける。なんて下品なのだろう。その悪フザケぶりがもう痛々しくて痛々しくて…。

あまつさえウケ狙いで撮ってる製作陣に対して主演二人は至ってまじめに芝居をしている。また、BOSSの股ぐらに顔を突っ込んでいるメリルは居た堪れないほど自虐的かつ神経症気味のキャラクターなので笑うに笑えないというか、笑いが相殺されてんだよ。

そんなわけで、画的にかなりキツいです。本当に誰も得しない映画。

 

そもそも「熟年夫婦の心のすれ違い」というテーマを十把一絡げにセックスレスに押し込むこと自体が大いに疑問である。夫婦間の会話がなくなったり互いが感謝の気持ちを忘れてしまったのは全てセックスレスが原因なのか? なんだそりゃ。

だが、あくまで映画はセックス問題中心で進んでいく。メリルはBOSSが中折れするたびに「やっぱり私のこと愛してないのね!」となり、逆に感情表現が苦手だったBOSSは「性の宿題」をクリアするごとに優しくスマイリーな夫に変わっていくのだ。すごいですよ、数十年ぶりに同じベッドで眠っただけで人格まで変わるからね、BOSS。

で、最終的には上手にセックスできたから夫婦仲がよくなりました♪ってところに着地しちゃうの。

いや、先後関係がもう…。

つまるところ、二人の結婚生活が上手くいくかどうかが「愛情」とか「感謝」とか「思いやり」ではなくBOSSが勃つかどうかに懸かっていて。

もうこれが全てよ。だって「セックスの成功=勃つこと」がハッピーエンドに直結しちゃってんだから。『愛のむきだし』(09年)に優らずとも劣らない勃起エンドだよ。

また、裏を返せば映画全編がBOSSの勃ち待ちとも言える。なんやねんこれ。

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観る者はBOSSが勃つのを待ち続ける。

 

また、映画はメリルの側からしか描いておらず、立ち入った質問をぶつけてくるカレル先生に嫌悪感を示すBOSSを「非協力的で理解のない夫」として描いている。

や、待たれよ待たれよ。

わざわざ妻が受けたがっていた4000ドルもするバカ高いカウンセリングに参加するために1週間も仕事休んで飛行機とレンタカー乗り継いでメイン州の寂れた町まで来ただけでなくブツブツ文句垂れながらも毎日しっかりカウンセリング受けて「宿題」も実践してるBOSSがいったい何故ゆえ「非協力的で理解のない夫」の誹りを受けねばならないのぉ~~~~

結婚31年目でここまでしてくれりゃ十分だろ。

また、BOSSがムッとした態度を取るたびにメリルがめそめそ泣いて「悲劇の妻」を演じるので相対的にBOSSが悪者に見えてしまうのよね。その辺のバランスも悪かったな。

対してメリル、「新婚時代に戻りたい!」とか「ていうか二度目の結婚式を挙げたい!」などメルヘンな願望を口にしてやまず、はっきり言って相当に甘ったれたキャラクターです。

ここからは主観でモノを言うが、結婚30年の夫婦が行着く先を自分の両親に見た私にとってメリルとBOSSの夫婦生活は至って普通(当事者にとっては深刻な問題かもしれないが、その深刻さがスクリーンに立ち現れてこないのではお話にならない)。

もしこの映画を大阪のおばはんに見せたら「結婚なんてそんなもんやッ」の一言で片付けられるだろうな、って。その程度のことしか描かれてないんだもの。

恐らく作り手のヴィジョンにあったものは「熟年主婦の孤独」を「艶笑的なタッチ」で描いたライトコメディなのだろうが、どっちも失敗している…というより二つの要素が足を引っ張り合っていて。ウディ・アレンでも観て出直して来いといわざるをえない。

次の章でもコテンパンに酷評するで!

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よくよく考えるとBOSSは最初から良い夫です。

 

◆肝心のカウンセリングがつまらない世界◆

おそろしく単調な映画で、あくびも出ないほど退屈であった。その原因は上映時間の約半分を占めるカウンセリング・シーン。

散々カリスマ、カリスマと煽り立てられて登場したカレル先生がごく普通のカウンセラーで、奇抜なメソッドも持たなければユニークなキャラクターでもないので、我々観客は本当にタダのカウンセリングを延々見せられるだけ(アカの他人の)。

何故もっとハジけたキャラクターにしなかったのか。ましてやスティーヴ・カレルはコメディアンだぞ。コメディアンに「平凡な常識人」を演じさせるなんて…どこまで頭がトロいのか。溜息も出ない。

したがってカメラは三者が向き合って淡々と会話するさまを事務的に切り返すのみ。パッ、パッ、パッ。つまんね。これが1週間分続くのである。あくびも出ない。溜息も出ない。涙が出てきた。

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スティーヴ・カレル。代表作に『40歳の童貞男』(05年)『リトル・ミス・サンシャイン』(06年)など。近年は演技派転向。ちなみにBOSSが劇場で観ていた『奇人たちの晩餐会』(98年)のハリウッドリメイク版『奇人たちの晩餐会 USA』(10年)では主演を務めている。

 

シナリオもさることながら、主演二人の表情、ロケ、掛け合い、音楽など、すべてに於いてスカスカだった。どれくらいスカスカなのかと言うとAmazonから届いた荷物の段ボール箱ぐらいスカスカである。あるいは一人暮らしの3LDKぐらいスカスカである。

ダメ押しでもう一発手裏剣を…。

メリルとBOSSの子供たち(既婚)は会話の上でしか出てこないくせに、浜辺で二度目の結婚式を挙げるラストシーンにはちゃっかり顔を出していた。現金な奴らだよ! 両親との関係性や子供たち一人ひとりのエピソードも一切描かれないので、ラストシーンだけ都合よく集まって「家族揃って超ハッピー!」みたいな空気を出されても作り物の幸福にしか見えないのだが。

というか、むしろ子供たちをメインストーリーに絡めない理由がわからない。

「メリル&BOSSの夫婦関係」と「子供たちの新婚生活」を絡めたり対比させる術などいくらでもあっただろうに。たとえば何だろうな…メリルは熟年主婦ならではの滋味深い一言で我が子の新婚生活のちょっとした危機を救い、逆に子供たちは新婚者ならではのフレッシュなアドバイスでメリルを勇気づける…とかさ。わかんねぇけどさ。やり様ならいくらでもあるじゃん。無限大じゃん!!!

 

唯一の見所を紹介してとっとと終わる。

この映画の見所は…そうだな、ベッドに寝そべったトミー・リー・ジョーンズを足の裏から水平に撮った股間ショット、あるいはメリルから性感マッサージを受ける際の股間ショットです。

まぁ、トミー・リー・ジョーンズの股間研究家にはおすすめの作品ってことだな。

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研究材料は豊富です。