シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

希望の灯り

真夜中にこっそり観るべき上質の倉庫映画。

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2018年。トーマス・ステューバー監督。フランツ・ロゴフスキ、ザンドラ・ヒュラー、ペーター・クルト。

 

ライプツィヒ近郊の田舎町に建つ巨大スーパー。在庫管理係として働きはじめた無口な青年クリスティアンは、一緒に働く年上の女性マリオンに恋心を抱く。仕事を教えてくれるブルーノは、そんなクリスティアンを静かに見守っている。少し風変わりだが素朴で心優しい従業員たち。それぞれ心の痛みを抱えているからこそ、互いに立ち入りすぎない節度を保っていたが…。(映画.comより)

 

おはようございます。

スーパーマーケットで好きな売り場はお刺身売り場です。閉店間際に来て値引きシールの貼られたお刺身を眺めているときが憩いの一時。

私にはかなり不気味なお刺身の食べ方があるのだけど、確実に引かれるのでご紹介はしません。そんなことを紹介しても何もいいことはないのだし。前だけ向いて生きていたいのだし。

 そんなわけで本日は『希望の灯り』です。スーパーマーケットのバックヤードが舞台という、ちょっぴり珍しい映画ですよ。

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◆倉庫映画の急先鋒◆

真夜中が好きだ。

真夜中に飲むコーヒー、真夜中に観る映画、真夜中に読む本。近所から聞こえてくる誰かの悲鳴。犯罪でも起きているのだろう。

世界が眠りにつき、私は「どこでもない場所」に切り離される。ゆっくりと流れる時間の中で私は少しずつ内省的になってゆくのだ。自分は一人きりなのだと思えた。近所からまた誰かの悲鳴が聞こえる。私の近くで犯罪が起きている。真夜中が好きだ。

そんな私とステキなあなたの真夜中に安らぎをもたらす映画がドイツから届いておりまーす。

 

本作は旧東ドイツ・ライプツィヒ生まれの監督トーマス・ステューバーの処女作で、同じく旧東ドイツ出身のクレメンス・マイヤーの短編小説『通路にて』を原作に持つ。閉店後の巨大スーパーマーケットの倉庫を舞台に、そこで働く人々の悲喜こもごもを静謐なタッチで描いた小品である。

スーパーの在庫管理係として仮採用されたフランツ・ロゴフスキは、毎晩閉店後の巨大倉庫で飲料担当のベテラン社員ペーター・クルトのアニキ(ペーターのアニキ、略してペニキ)、からフォークリフトの操縦を教わる。フランツは初対面のペニキに挨拶もしないほど無口な人間だが、ペニキの方も無駄なことを口にしない性格なので自然と気が合った。二人は仕事に疲れるとトイレの個室に隠れてよく煙草を吸う。無言で。

ある日、フランツはコーヒーマシーンの置かれた休憩室で知り合ったお菓子担当のザンドラ・ヒュラーに淡い恋心を抱く。彼女はフォークリフトの二人乗りというタブーを犯して通路をびゅんびゅん駆け抜けるような女だった。そして暴力亭主から受けた心の傷を周囲に隠している人妻でもあった。

相変わらず何も喋らないフランツは、仕事をサボってチェスばかりしている煙草売り場の「チェスおじさん」や、パスタの種類にやたら精通している「咳き込みおばさん」など多くの仲間たちとの交流を通じて本採用を目指します。さらに夜は更けていく。

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倉庫映画の急先鋒。

 

◆東ドイツを生きた男、統一後のドイツを生きた男◆

美しく青きドナウ」に乗せてフォークリフトが真っ暗な倉庫の通路をワルツのように回転しながら行き交うファーストシーン。奥行きのある巨大倉庫を一点透視図法で捉え、その細い通路を人工衛生のように漂うフォークリフトの優雅さは『2001年宇宙の旅』(68年)ならぬ『2001年倉庫の旅』と言える。

その曲が終わると「G線上のアリア」が夜勤者たちの心の支えとなる(すべてオーナーによる選曲)。

全編に漂う哀愁は、まるで夜勤者たちそれぞれの人生から発せられたように、倉庫を、売り場を、事務所を埋め尽くしていく。クレメンス・マイヤーの原作小説は東西統一後のドイツで負け組として生きる人々の哀切を捉えた作品らしく、本作でも至る所に苦み走った描写が点在しています。

東ドイツ時代、このスーパーマーケットはトラック輸送の国有企業だったが、やがて西ドイツ資本に呑まれて今のスーパーができたとペニキは言う。フランツは返事をしない。

かつてはクラシック好きのオーナーやチェスおじさんと一緒にトラックを走らせていたペニキは「あの頃に戻りたい」と言って煙草を吸った。フランツはシカトした。

ペニキは東西統一の波について行けず、東ドイツ時代から時が止まったままの悲しい男なのだ。そんなことを知る由もないフランツは、彼にもらった煙草を黙々と、あるいはモクモクと吸っていた(コイツはいつもペニキから煙草をもらう)。

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色んな仕事を教えてくれるペニキ(左)。

 

フランツはまったく感情の読めない奴だが、かつては万引きや車上荒らしをして刑務所に入っていた過去がある。両腕と首の後ろにタトゥーが入っており、仮採用時にオーナーから「客に見えようにしろ」と言われたので、毎日出勤するたびに制服の襟を立て、袖を伸ばしてから売り場に出る。出勤のたびにこの所作が小気味よく反復されるのがいい。

フランツは人がなにか話していてもシカトばかりするふざけた野郎だが、色んな仕事を教えてくれるペニキには懐いているようで、しょっちゅう二人で煙草を楽しむ。これがまたヤケに美味そうに吸うのだ。この映画は音がとてもよく、かすかな機械音やコーヒーを嚥下する音までクリアに捉えているので、喫煙シーンでも「ジジ…」という葉の燃焼音がちょっとした味わいになっている。あとなぜか波の音が頻繁に聴こえてくる。

フランツは陳列棚の向こう側にいるザンドラと目が合うたびに会話を重ね仲良くなっていくが、この棚越しの会話はベルリンの壁を越境する恋人同士のようだ。

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棚の向こう側のザンドラと目が合って「あっ」。

 

実際、ペニキは東西統一前のドイツで人生の大半を過ごした男。対するフランツは統一後のドイツで青春を送った世代だ。また、過去に囚われたペニキとは対照的に未来に向かって歩こうとするフランツの決意は例えば襟を立て袖を伸ばしてタトゥーを隠そうとする出勤前の儀式にも顕れている。

そんなフランツが、ザンドラの誕生日に廃棄処分されたショコラをカッターナイフで切り分け、蝋燭をぶっ立てて渡すシーンがステキだった。なかなか可愛らしいことをする男だ。

ちなみに主演フランツ・ロゴフスキは『ハッピーエンド』(17年)でイザベル・ユペールの息子を演じた俳優である。

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つくねみたいな顔したフランツ(よく人をシカトするが真面目に働く)。

 

一方のザンドラは殺人的な愛嬌を振りまく女だ。

既婚、40歳、得意技は禁止行為であるフォークリフトの二人乗り。決して美人ではないし駆け引きに長けた恋の熟練者というわけでもないのだが、彼女の言動は一つひとつがどこか意味深で人を惹きつけるものがある。言いかけたことを途中でやめるとか、そういうことだな。無口なフランツとの沈黙を破って「会話が弾むわね」なんてことを言うユーモア感覚もステキだと思った。

二人はやがて両想いになるが、だからと言ってどうこうなる事はない。奥手なフランツに呆れ笑いを浮かべたザンドラが自らキスを求めることもなければ、彼女を苦しめる暴力亭主をフランツが殴りにいくような芝居がかった展開もない。スーパーの裏で開かれたクリスマスパーティでも二人はただ身を寄せ合って寒風にガタガタ震えているだけだ。

また、フランツやペニキの過去が語られていく中でザンドラだけが不透明なキャラクターとして描かれている点もおもしろい。幾つかのセリフの端々からある程度までは推測できるのだが、ここでは言わずにおく。

ザンドラ・ヒュラーといえば息が詰まるほど笑った『ありがとう、トニ・エルドマン』(16年)に於いてとてつもなく気まずい状況でホイットニー・ヒューストンを絶唱してのけた娘役である。本当にいい女優だなぁ。

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魅惑のザンドラ。

 

◆物語の舞台と撮影法が調和した静かなる良作◆

映画は終始淡々と…というか深々と進んでいくのだが、注意深く観ていると奇妙な可笑しさに満ちていることがわかる。それこそ『ありがとう、トニ・エルドマン』にも通じる裏拍の笑いというか。

ザンドラとの関係がこじれて失意のどん底を味わったフランツがバーで浴びるほど酒を飲んでUFOキャッチャーをプレイするシーンがある。文章にしても何も伝わらないだろうが、このシーンが無性に可笑しいのだ。

ただでさえ、私はもともとUFOキャッチャーで失敗した人を笑ってしまうという性癖がある。コインを投入し全神経を集中させてクレーンの位置を決めたというのにぬいぐるみの山に突っ込んだアームが空を掴んで元の位置に帰ってくるバカバカしさ。笑う。クレーンが上がった衝撃で一度は掴んだぬいぐるみがポロッと落ちて元の木阿弥と化してしまう虚しさ。かなり笑う。このときプレイヤーが残念そうな顔をしていれば可笑しさ倍増だ。

なんというか…この一連の流れが大層マヌケに見えてしまうのだ。

作り手もそこを分かっていて、フランツがバカみたいにコインを消費するさまを「シリアスな笑い」として撮っています(そのあと悲願のぬいぐるみゲット!)。

 

このようにオフビートな笑いを挟みながらまったりと進んでいく本作だが、思わぬところで騙し討ちを仕掛けてくる。

勤務後にフランツを家に招いたペニキは「隣りの部屋で妻が寝てるから静かにな」と言って粛々と酒を酌み交わしたが、実はペニキには妻などいなかった。そのあと訪れる悲嘆と喪失の急展開。そして悲しみを乗り越えたフランツは、以前から倉庫内に響く「波の音」の秘密を知る…。

 

『希望の灯り』はアキ・カウリスマキを彷彿させるタッチだが、それ以上にウェス・アンダーソンのような豊かな遠近をもった構図横移動を多用したショットが印象的だ。これはパレットラック(重量棚)が規則正しく並んだ倉庫の空間性に最も適した撮影法なのだろう。フォークリフトの水平運動とハンドリフトの上下運動もいい。物語の舞台とその撮り方が完璧に調和している。クラシック音楽の使い方も大仰でない。

これは是非あなたたちに勧めたい作品です。もっとも、私が4000字近くも使ってダラダラ語らずとも既にあなたはこの映画が醸す豊かな雰囲気に魅了されているだろうが。「観てみたいけど退屈するかも」なんて甘えた考えは今すぐこの場で捨てるべきだ。

心配すんな。真夜中はわれわれの味方だ。

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