シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

恋は雨上がりのように

 出来は雨上がりのように。

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2018年。永井聡監督。小松菜奈、大泉洋、清野菜名。

 

怪我で陸上の夢を絶たれた高校2年生の橘あきらは、偶然入ったファミレスの店長・近藤正己の優しさに触れたことをきっかけに、その店でアルバイトをはじめる。45歳の近藤はあきらより28歳も年上で子持ちのバツイチだったが、あきらは密かに近藤への恋心を募らせていく。ついに思いを抑えきれなくなったあきらは告白するが、近藤は彼女の真っ直ぐな気持ちを受け止めることができず…。(映画.comより)

 

ハイどうもねー、平成に何かを置き忘れてきたみんな。

遅ればせながら、今年10月にBABYMETALが発表なすった2枚組の新譜『METAL GALAXY』を入手しました。

このシーデーは初回限定盤3種類と通常版の計4種類があって、横着して詳細を調べなかった私には違いがよくわかりません。

ただでさえ私はオーパ最上階にあるタワーレコードに辿り着くまでにエレベイターの乗り方をミスって右往左往ならぬ上往下往、ようやくタワレコに辿り着いたかと思えば店内が広すぎて迷子になってしまい、商品も見つけられず酸素欠乏、泣く泣く店のお姉さんに「BABYMETALの新譜を余にください」と欲求したはいいが、案内された場所には4種類の『METAL GALAXY』が無知な私を待ち構えていた。

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余計な特典やデーブイデーはいらないのでとにかく通常版が欲しかったが、はて、どれが通常版なのやら皆目見当もつかずパニックを起こした私は、「ままよ!」とテキトーに選んだダミーケースをレジスターに持って行ったらば、こんだ別のお姉さんが対応してくれて、「少々お待ちください」と私に言い残してバックヤードに消え、実物の商品を探すべく右往左往、だがどれだけ探しても商品が見つからないことに業を煮やしたお姉さんは、ついに辛抱たまらず「ギャラクシー!」と騒いで軽くパニックを起こしなすった。

その後、ようようお姉さんが持って来てくれたのが初回限定盤で、これがまたアナログレコードみたいな馬鹿でかいサイズだったので「荷物になるのでいりません」と拒否。「もう少し常識的なサイズの同商品を余にください」と言ったところ、またぞろ商品を探すべく右往左往したお姉さんは「ギャラクシー!」と本日二度目のパニック。ようようお姉さんが持って来てくれたシーデーは、なるほど通常のシーデーサイズだったがヤケに分厚く、3枚組の様相。

「これは通常版ですか」と私。

「いいえ、これは2シーデー+デーブイデーの初回限定盤です」とお姉さん。

「デーブイデーはいりません」と私。

「ほな通常版を買ったらどうですか」とお姉さん。

「そうします。通常版を余にください」と私。

「また取ってきます」とお姉さん。

「毎度お騒がせしております」と私。

「ギャラクシー!」と言いながら通常版を探しにいくお姉さん。ギャラクシーで返事すな。

結句、通常版を手にするまでに2回も3回もお姉さんにバックヤードを探させてしまい、非常に申し訳ない気持ちがした。なんとなれば通常版にはダミーケースがなく商品本体が売り場に置かれていたからである。

それをレジに持っていけばものの1分で会計が終わっていたところを、あろうことか売り場に置かれた通常版を見逃して初回盤のダミーケースをレジに持って行ってしまったがためにお姉さんがパニック地獄を味わうハメになったのである。余計な手間を取らせて本当に申し訳ないことをした。だが、あえて責任をなすりつけるなら4種類もバージョン違いを用意したBABYMETALが悪いともいえる。

家路についた私は、皮膚に特殊なクリームを塗りながら『METAL GALAXY』(通常版)をたっぷり楽しんだ。通常版で十分。初回盤を買おうとする奴らはうれしがりだ。

 

そんなわけで本日は『恋は雨上がりのように』

※途中ドロッドロに泥酔しながら書いたせいで映画評として完全に失敗しております。

お酒のせいにするのもどうかと思うけど事実なので言わせて頂きました。

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◆雨は映画の専売特許◆

以前ある人から「この映画を取り上げてください!」とリクエストを受けていたのだけど誰だったかは忘れました。

渋谷あきこさんだったかな…。もうわかんねえや

されどリクエストにはしっかりお応えしていく、この真摯にして強固な姿勢。こういうところを評価するべきじゃないかなぁ?

 

さて、眉月じゅんのアキレス腱断裂恋愛マンガ『恋は雨上がりのように』小松菜奈×大泉洋のドリームタッグで映画化した本作。ちなみにわたくし原作マンガとアニメ版は既に堪能済みであります。

足を怪我したことで大好きな陸上ができなくなった女子高生あきらが、バイト先のファミレスの店長(45歳バツイチ)に片想いする…といった甘酸っぱい意味内容だ。

なぜこんな乙女チックな作品を私のようなファッキンモンキーベイビーがマンガのみならずアニメ版まで堪能したかと言うと『恋雨』が端的にすぐれた作品だったからである。それ以外の理由を何に求めるとおまえは言うの?

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『恋雨』は今の時代には珍しくストレートな恋愛マンガで、物語全体に純文学の香りが漂っております。

走れなくなったあきらは「人生の雨宿り」をしているときに店長と出会い、このまま雨が続けばいいと思う。だが店長は小説家の夢破れ、前にも進めず後にも引けない待ったなしの中年。前途あるあきらを思うからこそ求愛を突っ撥ね(と言いつつ世間体や自己憐憫もあっちゃったりなんかして)、陸上ができずに腐っているあきらを前に進ませるための「雨宿りの役割」に徹しようとする。

早い話が雨乞い女とてるてる坊主の恋の天候バトルが叙情的に織り上げられた作品なのである。ピンとこない喩えで申し訳ないけれど。

まぁそんなわけで、マンガ版、アニメ版、映画版のすべてにおいて雨を使った心情表現が基本演出となる。もちろん優位なのは映画。マンガ好きとアニメ好きには悪いが、雨は映画の専売特許だぜ!

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◆小松菜語り◆

さて、困ったことに大泉洋が好きではない。

私にとって大泉洋、阿部サダヲ、竹中直人は三大アレルギー俳優だ。というか喜劇系の人たちは軒並みダメです。宮藤官九郎、ムロツヨシ、佐藤二朗、古くで言えばフランキー堺とかね。見てるとイライラしてしまう。

だけど安心されたい、本作の大泉洋はいわゆるあの大泉洋ではない。落ち着いた役柄とシリアスな芝居で持ち前のモンキーテンションを封印。また、主人公である小松菜を引き立てるための補助的芝居に回っているので、あまり大泉洋大泉洋していない。

いわゆるあの大泉洋とは真逆の人間…いわば小泉邦を演じているのだ。

小泉邦…大泉洋の対義語。また、いわゆるあの大泉洋が大泉洋大泉洋していない様子。

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小泉邦としての大泉洋。

 

対する小松菜も水際立ったチャームを見せつける。

小松菜といえばシャキシャキした歯ごたえがとても楽しく、味噌汁や中華炒めなどで広く使われる冬の野菜であるが、ここで言う小松菜とは小松菜奈というニンゲンのことなのでくれぐれも野菜の小松菜と混同してはいけない。

ちなみに私は大の小松菜好きである(いま言ったのは野菜の方の小松菜だ)。

小松菜はハウスで栽培されているので一年中スーパーで売られているが、やはり旬の12~3月に食べておきたいところ。さて食べ方だが、私の場合は鍋料理で使用することが多い。クッタリを通り越してドロドロになるほど煮詰めることで小松菜のアイデンティティとも言えるシャキシャキ感を根こそぎ奪ってやるのだ。この状態の小松菜はギターを奪われたジミー・ペイジに近い。わかるだろう。ペイジはギタリストだが、最悪ギターを奪われてもテルミンを演奏することができる。つまりジミー・ペイジとはロックシーンの小松菜である。

また、小松菜はポン酢との相性が抜群にいいので、豚しゃぶ等においてもポテンシャルを発揮、その存在感たるや豚すら圧倒する王者の風格。まさに野菜界のミック・ロンソンとは言えまいか。デヴィッド・ボウイという天才パフォーマーの横で弾きながらもミックサウンドを強く打ち出した唯一無二のあのセンス。とはいえ豚しゃぶに喩えて「ミック・ロンソンはロックシーンの小松菜」などと言うつもりはない。それを言ってしまうと半ば自動的にボウイが豚ということになってしまうからだ。

 

はっきり言って、私は「小松菜を食べるために鍋を作る」といっても過言ではないほど小松菜をリスペクトしている。

これは刺身にも言えることで、方々で刺身好きをアピールしている私だが、実のところ刺身が好きというより刺身と一緒に食べるツマが好きなのだ。つまり私にとってツマとは豚よりプライオリティの高い小松菜と同等の価値を持つのである。

これと同じことが本作の二人にも言えます。小泉邦が豚だとしたら小松菜は小松菜。

『渇き。』(14年)『ディストラクション・ベイビーズ』(16年)では他の役者を引き立てるべく端役に甘んじていたが、本作では豚としての小泉邦を制して鍋の主役に躍り出た。

 

この映画は現時点における女優・小松菜を撮り尽くす勢いで、その若さや美しさを真空パックした記念碑的作品である。優雅な挙措、身体のラインを活かした動態、よく見るとへちゃむくれの顔。風になびき雨に濡れる髪もドラマティックだ。女優としての小松菜を野菜としての小松菜に喩えるなら、まるで小松菜(野菜の方ね)を使ったレシピを片っ端から試すかのようなビーガンパーティーの様相を呈している。

対して、豚肉としての小泉邦は出る幕もないというか、芝居上のアドをすべて小松菜を譲っていて実に大人しい。

だから本作の小松菜はヒロインではなく主人公なのである。

野菜が主役の鍋料理などいくらでもあるように、小松菜もまた「ヒロインの貌」から「主人公の貌」へと凛々しさを増してゆきます。

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◆『寄生獣』は何度観ても面白い映画ではない◆

さて…、困ったことに何度読み返しても前章で書いたことがサイケすぎて理解できない。

疲れと酔いと眠さから意識朦朧状態で書いたので不思議な鍋の話とかもしている(私の名誉のために言っておきますが断じてふざけて書いたわけではありません)。

だが安心されたい。この第3章は日を空けて書いておりますので体調は万全、しっかり批評していきと思う。

 

小松菜と大泉洋の恋模様が物語のメインだが、家族、旧友、バイト先の仲間といった脇役たちとの絡みが楽しい。同じ陸上部の幼馴染み・清野菜名はケガで一線を退いた小松菜を部に復帰させようとするが、その気のない小松菜がバイト先で恋にうつつを抜かしていることにもどかしさを感じながらも彼女の意思を尊重する。一方、夢破れし大泉店長は作家の夢を叶えた同級生・戸次重幸の前でだけ砕けた笑顔を見せ、文学と心中するつもりで創作に打ち込んでいたあの頃の自分に思いを馳せる。

このように、すべての脇役がなんらかの形でメイン2人の人物描写に裨益していて、ただ画面を賑やかすためだけに登場するキャラクターが1人もいない。コメディリリーフの濱田マリでさえ、店長を腐すことで中年親父の自己憐憫を払拭するという除湿器的な役割を持っていて。

メイン2人に収斂するよう巧みに計算された人物配置が繊細で奥深い世界を築きあげております。さながら目で楽しむ文学といったところかしらね。

 

小松菜がバイト先の磯村勇斗にデートを強要されるシーンと、その数日後に大泉店長とデートするシーンの露骨すぎる対比もコミカルでいい。磯村とのデートでは部屋着みたいなテキトーな格好で現れ、映画館で『寄生獣』(14年)を観ている間もセミの抜け殻みたいな顔をしていたが、大泉店長とのデートではとっておきのオシャレを決め込み『寄生獣』鑑賞中も大泉の反応を脇目に見ながらクスクス笑う小松菜のギャップ。

なぁぁぁぁんて微笑ましいシーンなんだ!

 大泉  結構グロかったね。面白かった…?

小松菜何度観ても面白いと思います♡

いや、それはない。

小松菜、それは違うぞ? 『寄生獣』はロバート・ロドリゲスの『パラサイト』(98年)をすげぇ金かけて日本でやって失敗しましたってだけの映画なんですからね!! パラサイト・マミーが自宅に帰ってくるシーンでは「あと10メートル…、あと5メートル…」と説明台詞に凭れ掛かっていて、影や足音を使った映画的な見せ方に乏しい。体育館ステージ上の深津絵里との視線の交わりもあれでいいのか。染谷将太の視感ショットから思いきりズームインして深津絵里の髪を風でなびかせる…ぐらいのケレンがあってもいいのでは。

出演者もことごとくブスに撮られてたしな。橋本愛は撮り方にコツの要る曲者女優だから仕方ないにせよ、もともと綺麗な深津絵里をブスにしてしまえる山崎貴に「ある意味こいつは世紀の天才なんじゃないか」と敬服。東出昌大もブスだったし、國村隼の泥ダンゴっぷりに至ってはパラサイトよりも遥かに気味が悪いという山崎マジック。絶好調であります。

『Yayga! 』に書き込んだ自分のコメントを一部引用。

 

それに小松菜…オマエずっと店長のリアクションばかり楽しんでてロクにスクリーン見てなかったじゃねえか!

それなのに「見た」とあなたは言い張るか?

いいですか、映画というのは1秒でも見逃したら何も見てないのと同z

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磯村勇斗との映画デートでは空手チョップTシャツでの真顔鑑賞(画像上)。

大泉店長との映画デートでは隅々までめかし込んでの脇見鑑賞(画像下)。

デートシーケンスでの構図の反復。雨の降る/降らない、傘を差す/差さないというサブテクスト。何より「走る」というモチーフに貫かれた青春恋愛映画の瑞々しさ。青と白を基調とした爽やかな色彩も気持ちよい。アキレス腱もぶっちり断裂していく。

ポルカドットスティングレイの「テレキャスター・ストライプ」に乗せて小松菜が全力疾走するファーストシーンのダサさには「早くも雨雲…」と心配になったが、いっやー、巻き返したねー。

出来は雨上がりのように。

 

【謝罪文】

この章を書いたときもすこしおさけをのんでしまいました。いいきもちになって雑談ばかりしてしまったことを深くお詫びします。

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(C)2018映画「恋は雨上がりのように」製作委員会 (C)2014 眉月じゅん/小学館