性犯罪時代を生き抜くバイブルやで(棒読み)。
1969年。帯盛迪彦監督。松岡きっこ、渚まゆみ、E・H・エリック。
現代はセックスの氾濫時代。もっと適確に言うと、世は性犯罪時代になりつつある。その証拠をお目にかけよう。これからお話しする四つのエピソードは、女の指から指へと渡った一個のダイヤが目撃した、赤裸々な人間の実体である。(KADOKAWAより)
はい、おはようございます。
朝にする話かどうかは意見が分かれるところだけれど、人を励ましたり相談に乗ってあげることが元来できないタチなのだわって話を今からするわ。
私自身は、心が傷ついたり何かに悩んだりした経験が恐らく一度もないので、人に悩みごとを相談されても“悩む”という精神構造がそもそもよく分からず、毎回「悪いけど僕では力になれないからあの人に相談するといいよ」といって紹介状を書いてほかの人に回す…という医者みたいなことをしています。
ゆえに落ち込んでる人を見ても、“落ち込む”という心のメカニズムがよく分からないので「そう落ち込まずに、明日に向って撃てばいいじゃん」みたいな無責任なエールを送ることができず、かと言って「答えが見つかるまでトコトン落ち込めばいいじゃん」と言うのも何だか無責任のようだし、苦渋の決断として大体いつも放置してますね、落ち込んでる人を。「ごめん僕には干渉できない領域ザッツオール」と心で唱えて。るるお。
…というようなことを人に話したら「そういうときは深く考えずにポジティブな言葉をかけてあげればいいんだよ!」とアドバイスされました。それができないって話を今したところなんだけど…って思った。
さらには、まさにそのアドバイス自体が“深く考えてないポジティブな言葉”であって、私の話に対して何の回答にもなってない時点でアドバイスとしての無効性がさっそく証明されてるじゃん、とも少し思っちゃった。
元来、私は「きっと大丈夫」とか「信じたらイケる」とか「明日になったら治ってる」とか「この戦争が終わったらあの娘と結婚するんだ」みたいな根拠のないポジティブワードが大嫌い…というより、むしろ全てを疑ってかかることを基本態度に生きているので、“ポジティブな言葉をかけてる自分”というものをポジティブに捉えられないのだ。だってねぇ。ドリカムじゃあるまいし。
10000回だめでヘトヘトになったら10001回目も多分だめだろ。統計論的に。
こういう風に考えてしまうので、今日も私はせっせと紹介状を書いております。
まじめな話をしたあとで申し訳ないけど、本日は『性犯罪法入門』というゲテモノ映画です。
◆オムニバス映画、それはデアゴスティーニの付属のおもちゃ◆
ポルノ映画、アダルト雑誌、ソープランド、カーセックスの流行に伴い、性犯罪が急増した昭和元禄。夜の街には風営法に抵触した疑惑の店舗が立ち並び、電車に乗れば痴漢の魔の手があなたを撫でる。世はまさに性犯罪時代!
かかる未曾有のスケベブームに警鐘を鳴らすべく、スケベ映画のカリスマ・帯盛迪彦が手掛けた矛盾まみれのB級ソフトコア『性犯罪法入門』がこのたびAmazonプライムビデオ「シネマコレクション by KADOKAWA」にしれっとエントリされていたので、さっそく親に隠れて観ました。一人暮らしだけど。
内容は、あなたの心を動かす珠玉の性犯罪オムニバスだ。
ダイヤの指輪が語り部となり、その指輪の持ち主が変わるたびに次のエピソードに進んでいく…という構成。また、1エピソードにつき1性犯罪が取り上げられ、そのつど刑法の解説が入るというユニークな演出付き!
これさえ見れば性犯罪者予備軍たる諸君の未来はたいへん明るいものとなるだろう。
出演者は『吸血髑髏船』(68年)の松岡きっこを始め、渚まゆみ、E・H・エリックなど、喜ぶことも嘆くこともできないビミョーな役者が結集した。
語り部となるダイヤの指輪。
映画が始まると、きらきら輝くダイヤモンドの指輪が優雅に喋り始め、そこにメッローウなスキャットが流れる。
ルールルー、ルルール~
ルールルー、ルルール~
「私はダイヤ。美しい女の指にかしずくダイヤの指輪。愛され、蔑まれ、拾われ、捨てられて、人さまざまな秘め事に触れた手に擦る。私はダイヤ…」
ルールルー、ルルール~
ルールルー、ルルール~
ルルルルルゥ~~
ぽろん、ぽろん(フラメンコギター)
ル~ルル~、ルルゥ~ル~~~~♪
あ、そう。
この一言に私の全感情が集約されていく。
第1話は、松岡きっこや渚まゆみ等からなる4人組のズベ公がオープンカーを乗り回してボーイハントに興じる…というロクでもない中身だ。
なぜか波止場で詩集を読んでいた小倉一郎をナンパした4人は、ホテルに誘ってビールを飲ませ、力尽くで童貞を奪う。
小倉「やめてよゥ。いやだよゥ!」
ズベ「ウフフ。かわいい坊やね。キッスをしちゃう♡」
事を終えたあと、シャワーを浴びたきっこは感謝の印にダイヤの指輪をあげたが、後日、女たちに犯された小倉はその体験を仲間に話して得意満面。小倉がダイヤを売り払ったところで第1話のおしまい。
渚まゆみ(中央)と松岡きっこ(右)。
なんら展開性のないエピソードだが、まあ、往々にしてオムニバス映画とはそういうもの。むしろ、一つひとつは大したことのない欠片が集まることで、最後には大きな図像を象っていくのだ。いわば各エピソードはデアゴスティーニの付属のおもちゃ。毎号購読し続けることで少しずつパーツが集まり、やがてはカックイイ模型が完成するのである。
それにしてもこの第1話、いくらパーツの一部とはいえショボ過ぎはしまいか。記念すべき創刊号の最初のパーツが「逆ナン童貞強奪」では世話がない。
ところが存外、映像面はベリークールなのだ。ズベ公たちの擦れた佇まいといい、車を流しながら街ゆく男を値踏みする移動撮影といい、まるでタランティーノの『デス・プルーフ』(07年)を思わせる外連味に満ちている。この感覚は好きだ。良しだ。やはり松岡きっこと渚まゆみのプラスティックな美貌がスタイリッシュ・ジャンクムービーによく映えるのだ。
そういうことを思いながらの、鑑賞でしたねえ。
刑法の解説が入ります。
◆多分これはストックホルム症候群の一種◆
続く第2話は、小倉が売った指輪を買い取ったE・H・エリックの物語。貿易商社の部長がバイヤーのエリックに秘密のセックスクラブを紹介する…というロクでもない中身だったわ。
目隠ししたエリックが謎のタクシーに運ばれた先は謎の洋館。そこで謎の長谷川待子と夢のような謎の一夜を過ごしたエリックは、謎の待子に指輪をプレゼントするという謎の行動をとったが、翌朝待子は元締めに張り倒され、指輪を奪われる。謎。
というのも、じつは待子はゴリゴリの娼婦で、この洋館は貿易商社の社員寮を改造した売春宿だった…というのだ!
あ、そう。
またしても私の全感情、全神経が「あ、そう」なる不思議の語に集約されていく。
薄々お気づきの読者もおられるだろうが、たぶん私は、のちの第3話と第4話でも「あ、そう」を言い続けるんだと思う。
洋館が売春宿で待子は娼婦…ということぐらい普通に見ていれば誰だって分かりそうなものだが、なぜか最後に「実はここは売春宿で彼女は娼婦だったのです!」みたいな種明かしヅラするストーリーテリングが意味不明すぎて。種明かしなんかしなくても、ハナから種も仕掛けもねえんだよ!
謎のタクシーが首都高を走る場面は『惑星ソラリス』(72年)を思わせるに十分な霊感があったとはいえ、このエピソードもまったく展開性はなく、デアゴスティーニのしょっぱいパーツを思わせる何かの断片まるだし…といった感じのディス・ストーリーだった。第1話のような視覚のエッジも立ってなければ、作品としての積極的もビタイチ感じない。多分こういうのを「日和る」と言うのだろう。
だが、往々にしてオムニバス映画とはそういうもの。第2話はとかく日和りがちというか「まぁまぁまぁ。一旦ね」みたいな勝手に安定期突入モードに入るものである。
それにしても、何が「一旦ね」なのだろうか。いったい一旦なんだというのだ。
そういうことを思いながらの、鑑賞でしたねえ。
ハイ、次は第3話ね。
またぞろ指輪が転売され、その買い手となった重役・森乃福郎が、妻の山東昭子に「なにこのダイヤの指輪。どうせ愛人への贈り物なんでしょう」と見抜かれて指輪を取られちゃう…というロクでもないシーンに始まる。
ロクでもなくないシーンに始まることはこの先あるのだろうか。
妻に指輪を取られてむしゃくしゃした森乃は、デートクラブでナンパした三木本賀代を無理やりホテルに誘って姦通。したところ、賀代の夫を名乗る諸口旭が自宅に押しかけてきて「よくも俺の妻を汚したな。代わりにおまえの女房を一晩貸せ」と恫喝。困り果てた森乃は金で解決を図ろうとするも、夫の性犯罪にショックを受けた昭子は、その恨みから諸口に抱かれる道を選ぶ。諸口がカーセックスの最中に昭子の指からダイヤを掠め取ったところで第3話はおしまい。
あ、そう。
私の全感情、全神経、全思想が「あ、そう」へ向かって疾駆するという、もはや爽やかと言ってよい余韻すらもたらした第3話。
ようやく少し展開性のあるエピソードが見られてチョッピリ嬉しい心持ちがするが、よく考えたら今頃になって「少し展開性のあるエピソード」が見れたくらいでいちいち嬉しがる方がおかしいのではないか、という気もしてくる。
多分これはストックホルム症候群の一種なのだろう。
たとえば、ひたすら眠い映画を見せられて、ほんの一瞬だけ盛り上がるシーンがあると、それまで耐えてきた眠みが報われたような気がして、嬉しがりみたいにその映画、もしくはそのシーンを過大評価してしまう…という心理だ。たぶん私はその罠に引っかかっている。ストックホルム症候群の一種だ。
それはそうと、しっぽりとカーセックスを決め込んだ山東昭子も、今や自民党の参議院議員である。世界は確実に破滅へと向かっている。
そういうことを思いながらの、鑑賞でしたねえ。
◆恋は…私の恋は、空を染めて燃えたよ!◆
はいはい、第4話ですよ。
ようやく訪れた最終話では、指輪の最後の買い手・杉狂児の危険なプレイが火を噴いた。
入江洋佑と笠原玲子は1歳の息子を仲睦まじく育成する幸せな夫婦。洋佑の父・狂児も極めて愉快な好々爺である。
だが、この家族には世にもおぞましい秘密があった。
なんとっ、洋佑が会社に行ったあとに玲子は義父の狂児とSMプレイを繰り広げていた…というロクでもない秘密なのだ!
あ、そう。
私の全感情、全神経、全思想、全霊魂が「あ、そう」の祭壇周辺をくるくると踊る。たぶん衛星とかでは感知できないと思う。
テーブルの上でパンツ一枚になった玲子を秘密の手つきでマッサージする義父・狂児。今度は和室で馬乗りにされ、汗だくの玲子に尻をぶたれて「ひひん、ひひん」。大いに喜んだ。
それが終わると、狂児! 玲子の下着をウキウキで干しながらピンキーとキラーズの往年の名曲「恋の季節」をオク下で歌いだす!
わーすれられないのー あーの人が好きよー
あーの人が言ったー こーいの季節よ~
なんだかこんな映画を観てる自分がひどくミジメに思えてきた。
したところ、向かいの団地に2人のSMプレイを双眼鏡で見ていた覗き魔の青年あり。彼が暴露レターを投函したことで玲子たちの秘密の遊戯は夫・洋佑の知るところとなり、洋佑激憤。玲子をしばき回して車に乗せ、「いつからだー!」と暴走運転した果てにガードレェルを突き破り転落。夫婦は一命を取り留めたが記憶喪失になった。ばってん、それが功を奏して夫婦愛が再燃してヨカッタネ、という結末である。
もはや「あ、そう」とすら思わないほどどうでもいいレヴェルのストーリーが図々しく展開していることにある種の感動すら覚え始めたオレがいる。
これで4つのエピソードは全部おしまい。
否!エピローグがあった。
エピローグでは再びメッローウな音楽が鳴り、遂にどこかの幸せな新郎新婦の結婚指輪になったダイヤが一人語りを始めます。
ルールルー、ルルール~
ルールルー、ルルール~
ルルルルルゥー
ぽろん、ぽろん(フラメンコギター)
ル~ルルー、ルルゥ~ルー
パーパーン、パパーパーン(結婚式の音楽)
パパパパパンパンパーン
きんこん、きんこん(鐘の音)
「この結婚に幸あれとお祈りしましょう。愛の証としてお努めするときがアタシの最高の瞬間だから。
でも、ご両人さま? すべてはこれからよ。月日はあなたたちの愛を消そうと狙っているわ。法律のお世話にならないよう、お大事にね♡」
パーパーン、パパーパーン
パパパパパンパンパーン
きんこん、きんこん
からからから(ブライダルカーに括りつけた空缶が地面に跳ねる音)
ルールルー、ルルールゥ~
ルールルー、ルルールゥ~
ルルルルルゥー
ぽろん、ぽろん(フラメンコギター)
ル~~ルルゥ~~
あ、そう!
【うれしいおまけ】
当ブログには松岡きっこのファン…通称 子きっこ達がひそんでいます。やなぎやさんとか、渋谷あきこさんとか、あとやなぎやさんとか。それになんと渋谷あきこさんまで。その数、2名。1000倍したら2000名。これはものすごい数ですよ。
そんな2000人の子きっこ達のためにスペシャルフォトを作ってあげました。題して「きっこ、ドキっこ! 写してフォトっこ」。
とくと堪能されたい(礼はいい)。
2000人のファンを持つ松岡きっこ。