シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ダンスウィズミー

ミュージカル? いいえ、拷問器具にもなり得るゾンビ映画です。

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2019年。矢口史靖監督。三吉彩花、やしろ優、宝田明。

 

一流商社で働く勝ち組OLで、幼いころの苦い思い出からミュージカルを毛嫌いする鈴木静香は、ある日、姪っ子と訪れた遊園地で怪しげな催眠術師のショーを見学し、そこで「曲が流れると歌って踊らずにいられない」という“ミュージカルスターの催眠術”にかかってしまう。その日から、静香は街中に流れるちょっとしたメロディや携帯の着信音など、あらゆる音楽に反応するように。術を解いてもらおうと再び催眠術師のもとを訪れた静香だったが、そこは既にもぬけの殻。困り果てた彼女は、催眠術師の助手をしていた千絵とともに、催眠術師の行方を捜すが…。(Yahoo!映画より)

 

おはようねーん。

前回の前書きでジュンク堂京都店が潰れてしまう悲しみを訴えたが、翌日さっそく「ありがとぉー」と心の中でわめきながらジュンク堂京都店の扉を押したる私、欲しい本を半ば無理やり選び抜いたものの、閉店間際に飛び込んだが為、二冊目を選んでいるときに「そろそろ帰ってください」と店員さんに頼まれてしまい、「帰ってほしかったら一緒に本を探してください」と逆に頼み返してロラン・バルト著『映像の修辞学』を探して頂き、大変有難かったのだが、パラパラめくってみて「おもんなそ」と倦怠したので、結局『映像の修辞学』は買わず最初に選んだ一冊目だけをレジスターに持っていくという軽い裏切りに出た。

ちなみに何の本を買ったかについては照れるので教えてあげないこととする。

この店で本を買うのもいよいよ最後かー…なんてしみじみ感慨に耽りながら会計をしていると、店員さんが本を包んでくれながら「来月閉店するんですゥ…」とへこたれた顔で言ってきたので「あっ! 存じ上げております。この度はご愁傷様でした」とお辞儀。たまたま上下黒の格好をしていたので喪服みたいなイメージにおさまった私、会計後に両手で受け取った本が遺影のメタファーみたいなことになって。了。

 

そんなわけで本日は『ダンスウィズミー』です。ド軽薄週間もいよいよ佳境、次回で終わり。これが終わったらオールド・キャンペーンと称して古めの映画を10連発ぐらい放ちます。

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◆矢口深読み論◆

矢口史靖をいいと思ったことがないのだけれど、映画好きの間にはファンが多いみたいね。『ウォーターボーイズ』(01年)『スウィングガールズ』(04年)を今でも褒めてる人って結構いるのだし。

そんな矢口作品、安定したおもしろさに太鼓判を押す人民がいる一方ではテレビドラマの延長線上と評されることも多く。なるほど。演出を削いだ淡泊な画運びがオフビートな心地よさに着地した『ハッピーフライト』(08年)なんかは、ともすれば映画から離陸してしまったテレビ的構造を持っていたのかもしれない!

で、問題は前作の『サバイバルファミリー』(17年)である。この作品は日本全国の電力供給が止まったことでライフラインを失った人民が自給自足の生活を強いられるさまをハンパなタッチで描いたサバイバル映画で、これは航空産業の裏側に肉薄した『ハッピーフライト』と同じく伊丹十三的な知恵袋映画の性格を持っているのだが、ここへきて演出だけでなく矢口作品の大きな魅力だった娯楽性(ユーモア)までもが失われてしまいます。シナリオも輪をかけて杜撰になってきて盛り上がらないことおびただしい。

 

そして最新作『ダンスウィズミー』

お世辞にも華があるとはいえないキャスト陣。ポスターデザインは主演女優がくるくるしてるだけの実に簡素なもの。プロモーションも地味で、売る気があるのかないのかよく分からないパッケージングである。

極めつけはミュージカル映画不毛国の日本において、それも『ラ・ラ・ランド』(16年)『グレイテスト・ショーマン』(17年)が根絶やしにした土地に今さらミュージカルの種を植えようとする無謀な身振り。しかも公開時期が『アラジン』(19年)と被ってもいる。

ひぇぇ…負け戦感がすごい。

案の定、全国週末興行成績では初登場10位という地獄の滑り出し、関係者各位がゲボ吐くほど大コケしてしまいました。うひょー。

だが映画を観るまえの私は「こうなることは初めから織り込み済みで、今度の矢口は商業ベースを無視して本当に撮りたかったものを撮ったのだ」と読んでいた。そう考えないと辻褄が合わないほど誰がどう見ても売れないパッケージだし、何よりトレーラーから感じる謎の前衛精神こそが決定打。

さてさてさてさて。気になる内容は、三吉彩花扮するミュージカル嫌いのOLが音楽を耳にすると無意識に身体が動いてしまう催眠術にかかってしまう…というストーリーある。

なるほど、なるほど、ほどほどになるほど。着想はおもしろいじゃん。

だがな、詳しくは後述するけど…これってミュージカル映画として成立しない設定だと思うのね。ミュージカルであることを自己否定した無理筋の設定つーか。まずそこに驚いた私は「どえらい設定カマしてきたな」と思い、矢口史靖の大いなる挑戦を見届けようと鑑賞に至った次第なのであります。

結果から先に申し上げる。

 

>「今度の矢口は商業ベースを無視して本当に撮りたかったものを撮ったのだ(ドヤ!)」

ぜんぜん違った。

 

>「トレーラーから感じる前衛精神(キリッ!)」

気のせいだった。

 

>「矢口史靖の大いなる挑戦(パッパーン!)」

買いかぶり過ぎた。

 

あかん、予想ぐっちょぐちょや。

なんて残念な気持ちがするんだ。ただ無考えに売れない企画を押し通し、ミュージカルの自己矛盾に突っ込んでいって、然るべき玉砕を遂げただけの映画だった。

ひょいー! だとしたら何これ…。失敗することが分かりきっていただけに「そこを逆手に取った秘策でもあるのかな?」なんて深読みしてしまったけど…ただ穏当に失敗しただけやないか。

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◆『ダンスウィズミー』という拷問器具◆

一流企業に勤めちゃいるが毎日他人の目を気にしながら生きている三吉彩花は、幼いころに学芸会のミュージカルの主演を射止めたもののヘタをこいてしまい、爾来ミュージカルが大嫌いになったクール系OLである。そんな彩花が姪を遊園地に連れて行ったときに胡乱な催眠術師に出会い音楽を聴くと乗らずにはいられない体質にされてしまう。そのせいで所かまわず発作的にダンスしまくる彩花は周囲の人々からきちがいだと思われてしまった(ショック)。

催眠を解いてもらうべく再び遊園地を訪れたが、借金をこさえた術師はすでに雲隠れしていてニッチもサッチもブルドッグ、すっかり頭を抱えてしまった彩花は給料未払いでぷりぷり怒っていた術師のパートナー・やしろ優と出会い、二人で行方をくらました術師を捜す旅に出る。

ちなみに催眠術師役が『ゴジラ』(54年)の主演俳優でお馴染みの宝田明なので、まあ早い話が宝探しならぬ宝田捜しをする話ってこったな。あはん、このギャグおもろ。

宝田捜しを依頼した探偵・ムロツヨシや、旅中に出会ったストリートミュージシャン・chay(本業もミュージシャン)との交流を織り交ぜつつ、東京から北海道までのロードムービーが描かれてゆくゥー。

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やしろ優(左)と三吉彩花(右)。

 

いきなり急所を突くようで申し訳ないがミュージカルとして0点である。

ファーストシーンでは名優・宝田明がお世辞にも魅力的とはいえない歌を披露するが、齢85歳、寄る年波には勝てず…歌がバックミュージックに掻き消されてほぼ聴こえないという不条理スレスレの様相を呈す。

ミュージカルなのに声量不足で聴こえないって…終わってるでしょ。

私はヘッドホンで鑑賞していたが「え、宝田の声ちっさ。宝田なのに!?」と軽くパニックを起こしたあと「それともコードが悪いのだろうか。接続不良?」と思ってテレビジョンやヘッドホンを仔細に点検してみたが異常らしきものは見当たらず、また機器が壊れている様子もない。壊れていたのは宝田の声量だった。そう結論すると、急に腹が立ってきて「宝田ァ!」って思いました。

まぁ、とはいえ宝田はしゃーない。85歳のゴジラ俳優だし。生きてくれてるだけで有難いのだ。宝田をゆるす。

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せっかく歌ったのにバックミュージックにすべてを掻き消された男。

 

問題は主演・三吉彩花で、歌も踊りも絶妙にヘタなのである。ウィキペディアを覗いたところ特技はダンスらしいが「特技でこれ?」と思わずにはいられない、何ともハンパな身のこなし。あと山下久美子のカバー「Tonight 星の降る夜に」はね…ちょっと聴いてられなかったです。あんな歌じゃ星も降らんだろ(しかも2回歌う)

まあ、スレンダーな8頭身ボディとフォトジェニックな佇まいがこの人の武器なので、ダンサーというよりモデルという目で見れば見れなくもない。長旅を通じてアーバンな雰囲気が少しずつ野暮ったくなっていくのもいい。

余談だが、角度によっては『スウィングガールズ』の上野樹里に似ている(確実に矢口の趣味)。

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ビミョーな歌と踊りで観客を惑乱させた女。

 

撮影に関しては『ピッチ・パーフェクト』(12年)同様にカメラ寄りすぎ&カット割りすぎなので0点。そも「足元を映さない」というのは「タップすら見えない」ということなので0点どころか論外なのです。

また、とても愚かなことに欧米のミュージカル様式に倣っているので、オフィス等での群舞にはこれを日本映画でやることの小っ恥ずかしさが画面に充満する。

分かりよく喩えると「結婚式の余興でダンスしてる映像」がYouTubeに沢山あるが、あれってモロに欧米的なノリだわな。あれもあれで相当恥ずかしいと思うのだが、それを劇映画として大々的にやられると…こりゃあもうマグナム級に恥ずかしいわけであります。ちなみに私が普段通ってる映画館は欧米人の観客が割に多いのだけど、もしそこで本作のトレーラーが流れてきたら「うわ、恥ずかしい恥ずかしい。日本がヘンな国と思われる…」ってどきどきしちゃうレベル。今風に言うなら共感性羞恥ってやつだな。

そのくらい欧米のミュージカル様式を日本でやっちゃうことの場違い感、思慮の浅さ、思い上がりというものには凄まじい違和と羞恥が生じるのであります(日本人イラストレーターが日本のマンガ丸出しタッチで描いたアメコミみたいな)。

ミュージカル映画というより「共感性羞恥心 誘発装置」と言った方が正確なので、拷問器具としての用途は辛うじて認めらます。

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共感性羞恥を誘発する拷問器具としての『ダンスウィズミー』。

 

文句は尽きません。

映画中盤からはロードムービーに変わるが、これに関しても「えっ?」というパードゥン感は否めず。宝田を捜して北海道に行く…という動機付けからして強引なのだが、まぁそこはゆるす。

それにしてもだ。わざわざロードムービーという物語類型を取ったのだから、催眠状態の彩花が行く先々で無意識ダンスを踊ってトラブルを巻き起こしそうなものだが、トラブルどころか無意識ダンスによって他者と温かいコミュニケーションを取るのである。

他者と温かいコミュニケーションを取ること自体は実に結構なのだが、このシーケンスの気持ち悪さは彩花が躍るダンスがあくまで無意識によるもの…という点。

つまり旅中のダンスを通じて描かれた彩花の人間的成長はすべて彼女の意思に反した無意識の産物。彩花自身は依然ミュージカル嫌いであるにも関わらず、反射的に踊ってしまったことで図らずも他者と親交を結び「今回の旅でなんか成長できたわ」みたいなドヤ顔かまして映画は終わるのだが…これって成長なのだろうか?

また、彩花とやしろが婚約者に裏切られたストリートミュージシャン・chayと出会って元カレの結婚式にカチコミを掛けに行くシーンの調子っ外れなトーン(急にホラーテイスト)や、彩花たちと別ルートで宝田を追う金貸し3人組のサイドストーリーも夾雑物でしかない。

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歌手のchayが演技しchayます。

 

◆このヒロインは音に反応するゾンビに過ぎない◆

前章だか前々章だかで「音楽を耳にすると無意識に身体が動く設定はミュージカル映画として成立しない」と述べた。

そも、ミュージカルとは歌や踊りで感情表現をする。いわば人物の心情が可視的に造形されたものこそがミュージカルなわけだが、彩花の場合は催眠の支配下によって強制的に「踊らされている」状態。つまり彩花のミュージカルには意識、感情、主体性が何ひとつ乗っていないのである。そのうえ彼女には踊っている間の記憶がないというのだから、こりゃもう踊る端から「踊る意味」が霧散していく動機不明のミュージカル。ミュージカルである意味がないミュージカルなのである。

「意識が欠如したミュージカル」という意味で、本作のヒロインは限りなくゾンビに近い。音に反応するゾンビだ。百歩譲ってもう少し可愛いものに喩えるならフラワーロックだな。

この「彩花=ゾンビ問題」を裏付けるのがクライマックスだ。

北海道までやってきた彩花たちは宝田のショーの最終日に間に合い、そこでやしろが思うように催眠術をかけられない宝田を助け、咄嗟に場内に音楽を流したことで催眠状態に入った彩花をステージに上げて3人でミュージカルを披露、大いに客を沸かせてショーを成功させる。そのあと彩花は催眠を解いてもらってハッピーエンドを迎えるが、いや待たれよ待たれよ。

結局、宝田のショーを成功させた彩花は催眠術で利用されただけ。最後までミュージカル催眠に振り回されただけザッツオールじゃん。

 

にも関わらず、催眠が解けたあとのエンドロールでは彩花が自ら楽しそうにチャキチャキ踊っているのだが、いや待たれよ待たれよ!

いつミュージカル嫌いを克服したん。

「催眠が解けること」と「ミュージカル嫌いを克服すること」を混同してない?

おそらく長旅を通じて人々と踊り合う内にミュージカルへの嫌悪感を薄めていったのだろうが、それならそれで克服の契機ぐらい見せるべきだろう。映画なんだから。

まぁ、なんにせよミュージカル嫌いの人間が余計にミュージカル嫌いになるだけの話にしか見えないんだけどね。この設定だと。

 

そんなわけで、きっつい映画だったわー。

肝心のミュージカルパートは撮影的な手落ちにまみれていて、おまけに小っ恥ずかしい欧米ノリの一点突破とくる。話自体もミュージカルがしたいのかロードムービーがしたいのかよく分からない状態で、観終えたあとの感想は三吉彩花のプロポーションが最高だった(あとムロツヨシが邪魔だった)という浅薄きわまりないもの。

「三吉彩花のプロポーションが最高だった」ではなく「三吉彩花のミュージカルが最高だった」って思わせてくれないとミュージカル映画として失格だと思うんですけど、っていう。

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「とにかく踊っちゃえ!」と言わんばかりの彩花。「踊りよければ全てよし」と言わんばかりのやしろ。「踊ったもの勝ちさ!」と言わんばかりのムロ。全員しばくぞ。

 

(C)2019「ダンスウィズミー」製作委員会