零式・直感爆選法のすべてを教えたる。
2018年。大野大輔監督。松本穂香、西山繭子、田中偉登。
鈴木ララはエスカレーターもWi-Fiスポットもない田舎町でシングルマザーの久美子と引きこもりの弟ルルオと同居し、塾の講師をしたりYouTubeに動画を投稿したりしていた。ある日、撮影クルーを引き連れたテレビディレクターの神野が彼女のもとを訪れる。(Yahoo!映画より)
おはようございます。
普段『シネ刀』は朝7時ごろに更新してるが、この前書きに取り組んでる今現在は6時55分だ。つまりあと5分で書き上げて更新しなきゃならないってことだなぁ。5分前書きのクオリティ見せつけるで!
昨日はひたすらレビューストックの編集をしていた。文章を校正したり画像を集めてきたり、まあそのような事だ。大体いつもお酒を飲みながら酔筆してるので勢いで書いた第一稿をそのまま載せるわけにはイカンのである。酩酊時に書いたものを素面のときに校正し、それをまた酩酊時に最終チェックしてアップする。まぁ、結果的には酩酊状態で最終稿を仕上げているので素面で校正した意味がほとんど無いのだが―…
おっと、時間がきたようだ。これぞ5分前書きのクオリティ。
話半ばにして映画評に突入する本日は『アストラル・アブノーマル鈴木さん』です。
◆人はわたしを光速の意思決定者と呼ぶ◆
よろしい。観る映画を選ばないという選び方…その名も「無作為鑑賞法」の実践者たる私が提唱してやまない、もうひとつの最終奥義をお主に授けよう。
それが「零式・直感爆選法」ってやつだ。聞いたことぐらいあるだろう? ないか?
「直感」と名のつく通り、最初に目に飛び込んできたポスターやスチールの第一印象から直感で観る映画を選ぶ…という鑑賞法だが、これ自体はさして珍しいものではなく、多くの映画好きが日常的におこなっている事だと思う。
だが直感で選んだあと、DVDパッケージの裏面から文字や画像情報を集めたり、スマホを開いてレビューサイトの平均点を参考にしてはいまいか。ほんの少しでも情報を得たのなら予備知識をつけた上で鑑賞に臨むことになるので「直感」ではなくなってしまうんだぞ。
人は直感というものを信じているようで、実は誰よりも己の直感を疑う生き物だ。
たとえばペットを飼うときに「ビビッときて直感で決めた!」とは言っても、結局は財布や血統書とよく相談したあとに決定しているため、正確を期すならこれは直感ではない。正しくは直感で選んだあとに論理的に精査して決定したのだ。
色恋における一目惚れも同様。最初に一目惚れしても、そのあと相手をよく知るために会話を重ね、そこで得た情報を冷静に体系化し、交際相手に相応しいかどうかの最終決定へと至るので、やはりこれも直感とは言い難い。
つまり人は、最初は直感で選んだとしても、そのあと直感の確度を論理的に精査した上で意思決定しているわけだ。人は自分が思っているほど「直感」なんて使ってないし、アテにもしていないということがお分かり頂けただろうか。
ところがトコロテン、こと映画に関して、私はいちど直感で選んだ以上は一切の予備知識を入れることなく鑑賞に臨む。ウィレム・デフォーの最新作のタイトルが『永遠の門 ゴッホの見た未来』(18年)だと知った時点で、すでに公開されていたトレーラーやスチール写真に一瞥たりともくれず、監督や物語の詳細情報も入れることなく劇場に向かうことを決定した。その間、わずか0.0000006秒。すごいだろ。まじだぜ。
もはや「これは絶対観るぞ」という直感に達する前に「これは絶対観るぞ」と意思決定したも同然であり、言うなれば直感に先んじた直感なのである。わかるか。
私は“直感のその先”を感じ取ることができるのだ。
うおおぉぉぉぉこれが「零式・直感爆選法」じゃいいいいい。
我こそは直感が直感という形を持つまえに直感していく光速の意思決定者なのだ。なんて驚くべき事柄なんだ!!!
私の直感がザワついた頃にはすでに私は意思決定を終えているッ。つまり「この映画を観る」と心で決めたあとに「この映画おもしろそう。観たい!」という直感がやってくるわけだ。遅い遅い。あくびが出ます。私は直感が訪れるのを待つほど暇ではない。先に意思決定させてもらうぜ。シュッ。
どうかな、異次元漫談について来れてる?
そんなわけで、光速の意思決定者たる私が「零式・直感爆選法」で選んだ映画が『アストラル・アブノーマル鈴木さん』である。
この作品はYouTubeで全話配信されたwebドラマの再編集劇場版だ。まったく、ふざけんじゃねえよ。どこまで広がるんだ、映画のカタチ。
主演は松本穂香。朝ドラの『ひょっとこ』だか『ひよっこ』だかで注目を集め、その後『この世界の片隅に』のドラマ版でヒロインを演じて脚光を浴びた期待のニューカマーらしい。去年から主演映画もバシバシ作られていると言うぞ。
そんな松本穂香主演でお送りする『アストラル・アブノーマル鈴木さん』。
どういう映画かと言うと、群馬県の片田舎に暮らす自称グレートYouTuber・鈴木ララの冴えない日常をボヤッと映し出したオフビートコメディである。『ナポレオン・ダイナマイト(旧邦題:バス男)』(04年)や『川の底からこんにちは』(09年)が好きな人にはハマるだろうし、苦手な人はトコトン拒否反応を示すようなアクの強い映画である。
それにしてもオフビートが過ぎる。
映画は、松本演じるララが自部屋の真ん中に二つ積み重ねた段ボールの上にスマホスタンドを立てようとする長回しに始まる。これからYouTubeの撮影を始めようとしているのだが、スタンドがなかなか立たず、段ボールの上でビヨンと跳ね返って倒れてしまい、「あぁ…」と薄く溜息をつきながらスタンドのベストポジションを探すさまが2分ぐらい続く。
どれだけ言葉を尽くしても伝わらんだろうが、絶妙な角度で「ビヨン♪」と倒れるスタンドがとてもよかった。主演・松本穂香、共演・スマホスタンドと言っても差し支えなかろう。
結局段ボールの上にバケツ置いて安定感求めた。
◆やさぐれた若者の自意識を炙り出す、居た堪れなコメディ◆
財政破綻まっしぐらの群馬のクソ田舎。ララは左目に花の眼帯をつけ、上下スウェットで、木製のハンマーを抱えて近所をウロウロしている。勝手に「グレートYouTuber」を自称しているが、やってることは湿気取りに溜まった水を飲もうとしてやめたり、アンチコメントを書いてきた「がんがんモジャ丸」の似顔絵をチャッカマンで燃やしながら暴言を吐くといったド低俗な内容だった。
再生数はまったく伸びないが、ラクして稼いでチヤホヤされたい願望だけは一丁前。普段は感情が抜け落ちたようにアンニュイな感じだが、虫の居所が悪いときはシングルマザーのママン(西山繭子)や引きこもりの弟ルルオ(田中偉登)に当たり散らす。
収益ほぼゼロのYouTube活動をする傍ら塾講師のアルバイトもしているララは、ひょんなことから教え子にメディアの欺瞞を説き始め、「メディアは嘘つく生き物だ。ほら、言ってごらん。メディアは嘘つく生き物だ」と復唱させ、やがて一人で暴走する。
「メディアは嘘つく生き物だ。
メディアは嘘つく生き物だ。
メディアは嘘つく生き物だ!
メディアは嘘つく生き物だ!!
メディアは嘘つく生き物だ!!
メディアは嘘つく生きmクソがッ!!」
とりあえずメディアが嘘つく生き物だという事がよく分かった観客は、「これは正解じゃないよ。答えだから」という吐き捨てたララのセリフを若干引きながら受け止めることになる。
そんなララが「地方でもがく若者」をテーマにしたローカル・ドキュメンタリー番組の取材対象に選ばれたり、東京で女優をしている双子の妹・鈴木リリ(一人二役)をピストルで脅すといったどうしようもない日常が激烈にゆるいタッチで描かれていく。
塾講師をするときも眼帯。
こりゃアレだ。要するにやさぐれた若者の自意識を炙り出す居た堪れなコメディなんだ。
ふたりで芸能事務所に応募したのに妹のリリだけ芸能界入りを果たし、テレビで紹介されたリリの家族は事務所が用意したエキストラ。かくしてララは妹への妬みと家族を捨てた憎悪から芸のない毒舌一辺倒の底辺YouTuberと化すのだが、その毒舌もほとんどが負け惜しみ。日頃の鬱憤をYouTubeにぶち撒けてるだけなのに、その動画を「ソウルとプライドの結晶」と評するなど、思い上がりも甚だしい承認欲求モンスターなのであった。
そんなララのイタさが最も表れてるのがYouTuber引退オフ会のシーン。リリを脅すつもりが逆に「YouTuberやめろ」と脅されたララは、バイト先の塾の教室を8000円で借り、司会者を1万円で雇って引退オフ会を開いたが、当日集まったファンは2名。とてつもなく残念な空気が漂う中、司会者だけが(仕事と割り切って)溌剌としてるさまが却って痛々しい。
司会「引退を決意された理由はどういったものでしょうか!?」
ララ「動画を作るやる気がなくなったっていうか…」
司会「引退した後は何をされる予定ですか?」
ララ「資格とか取りたいっすね」
司会「へぇーッ。どういった資格ですか!?」
ララ「あー…簿記とか」
司会「簿記!!! それはぜひ頑張って頂きt」
ここで塾のチャイムが無常にも鳴り響き、それを聞き終えた一同はさらに重い沈黙に包まれる。気を取り直した司会者が「それではララさん、お気に入り動画BEST3を発表して下さい!」と言ったが、参加者の内の1人が以前アンチコメントをしてきたがんがんモジャ丸ということに気付いたララは「帰れ。おら。帰れ」と言いながらモジャ丸を小突き回して部屋から排除した。これで参加者は1名(ちょっと怯えている)。
忌々しそうに席に戻ってきたララはドカッと椅子に足を乗せて「えー、第3位…」と呟く。お気に入り動画BEST3発表するのかよ。そしてこの何ひとつ楽しくないオフ会を続行するのであった。
わたくしは催し物が失敗したときに漂う居た堪れない空気というのが笑いのツボなのでこのシーンは非常によかったな。
アメリカ映画でもよくあるでしょう。せっかく張り切って準備したのに誰かがブチ壊してパーになるみたいな気まずい祝祭空間というか。小雨降ってるのに無理してバーベキューしてる奴らとか。あと東京五輪も。
たとえば当ブログでも、前書きで私が読者からいろいろ募集したのに誰ひとり応募してこない…みたいな伝統芸能があるんだけど、正味の話、あれはハナから誰も応募してこないことを見越した上で募集してるので完全なる独り相撲。「誰からも相手にされない自分」というものに漂う哀愁とか滑稽さを自分で作って自分で楽しむことが好きなんです。
だから、そういう哀愁を独特の間とテンションで創出した本作にはどこか共鳴しちゃうの。「こういう空気感が好きな奴のセンスわかるわー」みたいな。
終始殺伐とした引退オフ会。
◆余談が過ぎる章◆
映画後半では、いかがわしい音楽プロデューサーを連れて実家を訪れた妹リリが「妊娠したから芸能界やめてこの人と結婚する」と言い出したことで修羅場を迎える鈴木家の一大事が低温気味に描かれる。
ここでは劇中唯一の常識人かと思われたママンが静かに怒りを滾らせており、フェスやライブをプロデュースしているリリの恋人に地酒を飲ませて悪態をつくのだが、ここでのママンがパワーワードの宝庫でにっこりしちゃう。
「献杯。あ、間違えた。乾杯」
「どこまでうちの娘プロデュースしてくれてんだ」
「偉そうにフェスとライブ区別してんじゃねーよ」
一方のララは湿気取りに溜まった水でジャスミンティーを作り、それを飲んでしまったプロデューサーがふらふらになるのを傍目に「飲まなくてよかったー」と呟いた。人格否定された上に薬剤ティーまで飲まされたプロデューサーが遂に激怒して家を飛び出すと、引きこもりの弟ルルオが立ちはだかりバトルを挑む。
ルルオ 「行くなら俺を倒してから行けよ」
フェスP「なんだよオマエっ…。キモいんだよ!」
ルルオ 「貴様がキモいんだよ」
フェスP「貴様貴様うるせーな! 少年誌か!」
貧弱な男二人が「あっ」、「あっ」、「回んな…」などと言いながらぐちゃぐちゃと揉み合うさまが5分以上の長回しで描き出される惨めなバトル。最終的にフェスPの過呼吸により辛勝をおさめたルルオは「カマしたじゃん」とララに祝福され「やったったぜ」と誇らしげに呟いた。
もはや「何を見せられてるのか」という疑問を遥か手前で捨て去った私は、ただ漫然と映し出される画面の推移を半開きの口で見守るばかりだった。妙にジワりながら。
なんだかんだで楽しんでしまったわ。
ま、映画としてはダメなんだけどさ。YouTuber、引きこもり、テレビのヤラセといった社会風刺に一丁噛みしてる風ではあるが実際は冷やかしの範囲に留まってて、ただ背伸びして何かを斬ろうとしてるだけ。
技術面では、もはや何も指摘することがないです。ショットもトランジションもなければモチーフの活用もなく、そもそも元がwebドラマを再編集したものなので“映画”として“批評”しても何の意味もないという状態。この辺りは福田雄一の「映像作品」と似ている(また福田)。
ここから先は完全なる余談だが、世の中には映画と名のついた作品が沢山あるけれど、果たしてそれが本当に「映画」かどうかなんてことは実際に観てみないとわかりませんよ。たとえばジェームズ・キャメロンの『アバター』(09年)は映画だったが、その後作られた3D映画の多くはただの2時間アトラクションだった。さりとて「これは映画だ!」なんてことは言ったもん勝ちなんだから、われわれ観客が“観”極めにゃならぬ。それができない国から文化水準が下がっていきます。
Netflixオリジナル映画、テレビ局主導のドラマ劇場版、マンガの実写化、3D映画、ひと昔前ならケータイ小説の映画化…。そういうものに「これは映画じゃない!」と憤ってみせても、結局彼らに映画を作らせているのはそれに食いつく一般ピーポーなんだからね。決して映画業界がおかしな方に向かってるわけではなく、すべては民度よ。バカの多い国から順番に文化は衰えてゆきますね。
まあなんだ。「零式・直感爆選法」を使うとこんな風変わりな作品を引いてしまって批評に困った挙句苦しまぎれの余談タイムでお茶濁すハメになるので、今回わたくしに伝授された皆さんはくれぐれも濫用を控えて頂きたいと思います。
~今日の学び~
1. 余談タイムは何か言ってるようで何も言ってない。
2. 「零式・直感爆選法」は諸刃の剣。
一人二役の松本穂香。ラストシーンは踊り狂います。
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