シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

わがままなヴァカンス

ビデオ屋のエロティックコーナーって要るけ。

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2019年。レベッカ・ズロトブスキ監督。ミナ・ファリド、ザヒア・ドゥハール。

 

カンヌで暮らす少女ナイーマは、帰省中の従姉ソフィアと夏休みを過ごすことに。普段はパリで暮らすソフィアは、高級ブランド品を身にまとい肉感的な体つきで男を虜にする魅力的な女性になっていた。別荘地でのグループディナーや高級クルーズなど、初めての大人の世界で刺激的な経験をするナイーマだったが…。(映画.comより)

 

あいっす。そして、ほいっす。

私は1970年代のサブカルチャーが好きなので「1970年代に生まれたかった」というのが昔からの口癖なのだが、よく考えたら、っていうかよく考えるまでもなく、70年代のサブカルチャーを謳歌するならもう少し前に生まれておかないと時代と年齢が符合せんわけである。

たとえば1970年チョッキシに生まれてしまったら、物心がつく頃には既に80年代にゴリ込んでいて、70年代をリアルタイムで駆け抜けられないという憂き目に遭ってしまう。まさに時代に寝坊してしまうわけだ。したがって、70年代を駆け抜けたい場合は1950年代、少なくとも1960年代初頭には生まれておく必要があるのである。

と言ってしかし「1950年代に生まれたかった」なんて人に云ふと「50年代が好きなのね」と思われてしまうのではないかしらン。こちとら70年代が好きだからこそ70年代を謳歌すべく前もって50年代に生まれることを希望しているわけだが、大抵の人はそんな逆算を汲み取るほど暇ではないので「50年代に生まれたかった」なんて言うと「50年代が好きなのね」と額面通りに理解(=誤解)されてしまうのである。

とはいえ、かかる思惟をすべて説明すべく「私は70年代が好きなので、その頃に折よく二十歳が迎えられるよう微調整して50年代に生まれかったとあえて主張しておきますが、私の好きな時代はあくまで70年代なので誤解なきよう宜しくお願いします」などとやたらな長大センテンスを口にするのも憚られるし……うー……困ったなあ!

そんなわけで本日は『わがままなヴァカンス』です。

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◆エロ・アパルトヘイトはやめろ◆

この映画はビデオ屋の「エロティック」というコーナーに置かれていた。つくづく思うのだがエロティックコーナーなど必要だろうか。潰すべきではないだろうか。

エロティック映画自体の絶対数が少ないのだからコーナーを構えたところで大した利益にもアピールにもならないだろうし、現にほとんどの客はエロティックコーナーなど素通りする。それに一口に「エロティックな映画」と言ってもポルノ映画のように露骨な性描写を扱った作品もあれば美しく性を捉えた耽美的な作品もある。『SHAME シェイム』(11年)をエロティックのコーナーに置いて『ラストタンゴ・イン・パリ』(72年)をドラマ映画のコーナーに置くわけは?

昔通っていたビデオ屋に至っては、ギャスパー・ノエの『アレックス』(02年)がエロティックコーナーに置かれていた。これはひどい。モニカ・ベルッチが9分に渡ってレイプされる映画だぞ。性暴力がエロティックだとでも?

よろしい、ならば『エマニエル夫人』(74年)の横に『告発の行方』(88年)を置くがいい。シュールなビデオ屋だと噂になって案外繁盛するかもしれない。

私がエロティックコーナーを潰したいと思うときはエロティックコーナーから選んだ作品がなかなかの快作だったときである。

『サンパウロ、世界で最も有名な娼婦』(11年)は忘れがたい逸品だ。私は自分がレンタルしたDVDの回転率を独自調査するべく、次に店を訪れたときにDVDを棚から0.5センチほど手前に動かすという癖があるのだが、『サンパウロ』に関しては半年経っても0.5センチ手前に突き出たままだった。つまり私のあとに誰もレンタルしてないということだ。寂しくなった私は『サンパウロ』を勝手に面陳してエロティックコーナーの前で憤慨してみせた。

「なまじこんな所に置いてるから誰も借りんのじゃあ!」

エロ・アパルトヘイトはやめろ。

 

さて、今回取り上げるのは「零式・直感爆選法」で選んだ『わがままなヴァカンス』。この映画もまたエロ・アパルトヘイトの悲しき対象となったフランス映画である。

カンヌの海辺で暮らす16歳の高校生ミナ・ファリドが久しぶりに従姉と再会してサマーバケーションを送るのだが、少し見ないうちに従姉のザヒア・ドゥハールはわがままボディの申し子になっていて、行き当たりばったりのセックスばっかり謳歌していた。「ヒェー、これが大人の女かぁ」と戸惑うミナは、しかし毎日ザヒアと遊び歩くうちに甘き夜の夢に魅せられてゆき…!!

古今東西、さんざっぱら作られたきた「凡庸な主人公が仲良くなったカリスマに憧れて未知の世界に足を踏み入れる系の青春譚」である。

わがままボディを惜しげもなく披露したザヒア・ドゥハールは、サッカーフランス代表数名との未成年売春でスキャンダルになった元高級コールガールで、現在は下着デザイナー兼モデルというダマしみたいな肩書きでファッション界のセレブに上り詰めた。ソフィア・ローレンを彷彿させる顔にクラウディア・カルディナーレの四肢…という無敵のキメラボディをここぞとばかりに利用しての映画初出演であります。おめっとさん。

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胸に乗せてるのはウニ。さすが下着デザイナー、ウニすら衣装にしていく海鮮ファッションの申し子。

 

監督は『美しき棘』(10年)『プラネタリウム』(16年)で着々とフランス映画界における女流監督のポストを確かなものにしつつあるレベッカ・ズロトブスキ

かわいい女の子の危うい思春期をオシャレに撮ってアートを気取るという点ではソフィア・コッポラ並みの面の皮の厚さを誇る「雰囲気だけのアートかぶれ監督」である。

はっきり言って大嫌いなタイプだ。過去に『美しき棘』はmixiレビューで、『プラネタリウム』は当ブログで酷評済みなので一部抜粋して字数稼ぎをする。

 

「孤独なティーンエイジャーに優しく寄り添い、彼女たちの“痛み”だの“心の闇”だのをセンシティブに切り取った自己憐憫ポエム映画の金字塔。しゃらくせえ。病人のドキュメンタリーじゃないんだからよ、被写体にカメラがやさしく寄りかかる必要なんてあるか?

あと、おっぱい出しすぎね。出てくる女の子がことごとく服を脱いで、意味なくぺろんぺろん乳を放り出す。乳のタイムセールか? さっきまで服着てた女の子が、気付いたら片乳ぺろーんってなってて「ぺろーんなっとるがな。しまいーな」と思ってると、観客がその娘に気を取られてる隙にもう一人の女の子が「今だ!」とばかりに乳を出す。その不意打ちに対して「あっ、おまえ! いつの間に出したんや」なんて思ってると、はじめに片乳だけ出してた娘がしれっと両乳出してて「あーもう両方出てもうてるやんか」と思っているともう一人の娘が…の繰り返し。乳のもぐら叩きか?」

『美しき棘』評にて

 

「この手の映画は過去に226回ぐらい観てきたのでもう勘だけで言ってしまうが、監督のレベッカ・ズロトブスキにはべつに撮りたいものなんて無かったのだろう。

はっきり言ってこの監督、ただ不思議なオーラをまとった美少女が遊んだり悩んだりしてるさまをオシャレでアート風のカメラワークで切り取って「ええの~ええの~」なんつって恍惚&悶絶してるだけの美少女オタクだ。これは悪口ではなく本質です。

『プラネタリウム』評にて

 

f:id:hukadume7272:20200419083610j:plain『美しき棘』(左)、レベッカ・ズロトブスキ(中央)、『プラネタリウム』(右)。

 

◆憧れのザヒアを守れ◆

ズロトブスキ過去作に比定すると『わがままなヴァカンス』は激怒するほどの作品ではないのでひとまず私の精神衛生を保つことには成功されています。

それはひとえにレア・セドゥ、リリー=ローズ・デップ、ナタリー・ポートマンに向けられていた偏愛的な眼差しがいくらか冷静さを取り戻し、カメラが被写体を擁護することの罪深さを自覚した賜物であろうと思う。

私が考える気持ち悪い映画というのはカメラが無条件に被写体を擁護した映画である。

物語の中で裁かれるべき人物から観客が抱くであろう嫌悪を意図的に取り除く行為や、愛や青春を免罪符に特定の人物・状況をやたらに美化する身振り。つまりは観客の移入を強いるための教化、誘導、印象操作などである。

たとえば今にも精神に異常をきたしそうな女の子の内的葛藤を描いた作品があったとして、ある種の映画監督は主人公の苦しみをさも大袈裟に描き、思い悩む彼女にやさしく寄り添い、周囲の環境が彼女を追い込んだのだという同情を観客に強いることはしても彼女自身の甘えや愚かさには一切突っ込むことなく、もっぱらこの女の子を「不憫な被写体」として全面擁護し、あまつさえそのような茶番的慰撫によって湿った画面をメロドラマだと言い張るかのような感傷的もしくはアート風のショットの連鎖の中に見出した「現代の若者のリアル」などというそれらしいテーマに充足(ことによると埋没)しては「儚くも美しい映像詩」などと提案された嘘八百でしかないコピーに満足して(歯茎を剥き出しながら)下品に笑ってのけるのである。

まあ全部ソフィア・コッポラのことなんだけど。

f:id:hukadume7272:20200419083820j:plainソフィ子の初監督作『ヴァージン・スーサイズ』(99年)

 

そのような「気持ち悪さ」と距離を置いただけズロトブスキの新作は遥かに良心的である。

性欲と金銭欲に忠実なザヒアと彼女に魅せられていくミナを批判の対象としながらも、その中で女たちの生き方を提示してみせたバイアス無しの女性映画。ザヒアの享楽生活は死んだ母親に対する悲嘆の反動としてさり気なくドラマタイズされてるし、ミナもまた享楽への純粋な好奇心からではなくザヒアが醸す奥ゆかしさに魅せられたからこそ“わがままなヴァカンス”に追従するのであーる。

16歳のミナにとってザヒアは単なる従姉ではなく、自分にないものをすべて持っている憧れのお姉さん。それだけに彼女の男遊びが心配で、一緒にオーディションを受けるはずだったゲイの親友との約束を反故にしてまで日がな一日ザヒアから離れない。そんなザヒアがナイトクラブで出会った軟派な小金持ちのヌーノ・ロペスから高級クルーズでの食事に誘われれば当然監視役として同伴するが、結局その夜ザヒアとヌーノはセックスしてしまった。この時にミナが感じたショックは想像に難くない。難くないよー。

憧れのザヒアにはすぐ男に引っかかるという唯一の弱点があったわけだが、それをミナはある種の矜持を持って「彼女の貞操は私が守る!」と必死でカバーしていたにも関わらず、その甲斐空しく“憧れのお姉さん”が“ちゃらちゃらした軟派野郎”と寝てしまったというのだからなぁ。なんてことだよ。護衛任務失敗だよ。

傷心するミナを慰めてくれたのは、ヌーノの下でこき使われているブノワ・マジメルという中年男だった。マジメルという名前だけあって実に真面目なマジメルは、ザヒアにもミナにも下心はなく、人知れずヌーノの女遊びに辟易していた哲学好きの無口な男。そんなマジメルに対して不真面目な情欲を抱いたミナはそれとなく彼を誘ってはみたが「やめろ。君はまだ子供だ」と一蹴されてしまう。真面目! サラッと色仕掛けをかわされたミナは我が身の未熟を痛感するばかりであった。

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◆ほぼ『魔女の宅急便』◆

映画は示唆的なイメージやセリフを借りながらセレブリティの光と影を穿っていく。なかなか好いじゃん。カンヌの夏をよく捉えたジョルジュ・ルシャプトワの撮影に約1.7秒間の拍手を贈るものとする。

別荘地でのグループディナーでザヒアとクロチルド・クロが女同士の議論をするシーンが印象的だ。クロチルド・クロといえば『パリの家族たち』(18年)で子供思いのママンを演じていたが、ここでは読書家をアピールするザヒアに「どんな小説を読むの?」、「色々よ」、「色々って、例えば?」と執拗に喰ってかかる女を好演していた。「整形しなくても十分かわいいのに」と嫌味を飛ばすクロと「あなたの自然な老い方に憧れます」と言い返すザヒアの“優雅な会話”には「ぉふー…」と溜息を漏らすばかりだ。互いの内心に「生意気な小娘め」、「このババアが」という憎悪を飼いながら、あくまで笑顔を浮かべて切った張ったを演じる身振り。京都人だからこういうシーン好きですよ。

 

だがどれだけ男を狂わせるザヒアもクロが思っていたような小娘に過ぎなかった。ザヒアとのアバンチュールに飽きたヌーノは、クルーズ船の骨董品が盗まれたと嘘をつき、その罪をザヒアになすりつけて一方的に関係を切る。夜の港沿いをトボトボと歩くザヒアの後姿にはミナが憧れていた「魔性の女」の色気はなく、まるで客に捨てられた娼婦のような哀憫だけが漂っていた。

かくして翌日姿をくらましたザヒアに夏の終わりを感じたミナは慎ましい日常の中に回帰していく。ザヒアから貰ったシャネルの鞄に夏の思い出を閉じ込めて―…。

まだ置くか? まだこの映画をエロティックコーナーに置き続けるか!? (まだ言うゥー!)

たしかにザヒアは歩く公然わいせつ罪みたいな格好をしているし、ウニを使った性的メタファーもなかなか際どいが、あくまで物語の本質はノスタルジックな青春譚である。少女が大人の階段を上り始めるまでのひと夏を瑞々しく活写した作品なので、ある種『魔女の宅急便』も同然なのだ。ある種ね。

『魔女の宅急便』(89年)

『千と千尋の神隠し』(01年)

『わがままなヴァカンス』

この打線を大事にしていこう。みんなで。

私はスリーアウトでその監督に見切りをつけちゃうけど、レベッカ・ズロトブスキは首の皮一枚で繋がりました(13年製作の『グランド・セントラル』は未見)。どうもおめでとうございます。ハイありがとうございます。

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