慣れに寄生されるとオレミドロになるよ。
1968年。佐藤肇監督。吉田輝雄、佐藤友美、高英男。
旅客機が空飛ぶ光体と遭遇、計器が狂い岩山に不時着した。乗客たちはからくも一命を取り留めたかに思われた。だが乗客の一人は吸血宇宙生物ゴケミドロに身体を乗っ取られていたのだった…。(Yahoo!映画より)
はい、ご苦労さん。好きなお香のかおりはサンダルウッド!
私は執筆時のお供として酒とハードロックを楽しみながらインド香を焚くという70年代の伝説のミュージシャンみたいな事をしているのだが、その中でもいちばん優先度が低いのがインド香。でも楽しんでる。
インド香といってもカマストラとかアフロデシアとか何十種類もあって訳がわからんので、アジアン雑貨店などで買い求める際は「試し嗅ぎ」をして自分好みの香りを探し当てるほかないが、いかんせんアジアン雑貨店などというものはお香の煙がすでに店内に充満しているため、試し嗅ぎをしたところで商品の香りなのか店内の香りなのか判然とせんのである。しかも私は鼻が詰まっている。
だもんで、試し嗅ぎもそこそこに直感で5~10種類ぐらいテケトーに購入(20本入りで150~200円程度です)、家で各種楽しんでみて好みに合ったお香だけをトーナメント形式で勝ち上がらせて上位数種類だけをメモ、次回来店時には上位勢に加えて新規のお香をいくつか買い足して再び自宅でお香トーナメントを開催! これを繰り返していけば、最終的には「自分好みの究極のお香TOP5」みたいなランキングが確立するのである。そうなれば、あとはTOP5の精鋭香だけを随時補充すればハッピーフレイバーライフの一丁上がり、っつう寸法よ。
このトーナメントがまた楽しいんだよな。「ハイ、おまえは駄目ー。二度と買いませーん」といって一回戦で落としたり「あんさん、見かけによらず優しいじゃん…」つって二回戦に進出させたり。
そーのこーのして、我がお香トーナメントの頂点に君臨したのがサンダルウッドというわけだ。匂いだけはどうしても文章で伝えられないのが悔しいが、いい香りですよ。ガネーシャ神が見えるわ。
そんなわけで本日は『吸血鬼ゴケミドロ』です。
◆出し抜けにレッドスカイ◆
映画好きのジジイの間では松竹初の特撮怪奇映画のカルト作として、それより下の世代の間では『キル・ビル』(03年)で描かれた「真っ赤な空」の引用元として知られる『吸血鬼ゴケミドロ』は、同年に松竹が製作した『昆虫大戦争』(68年)と双璧をなす野心作である。
特撮は特撮でも怪獣映画ではゴジラ(東宝)とガメラ(大映)に太刀打ちできず、前年に公開した『宇宙大怪獣ギララ』(67年)で大恥をかいた松竹。「ならば怪奇路線の特撮で勝負だ!」とファイトを出し、SFとスリラーが好きで好きでたまらない佐藤肇を東映から連れてきて撮らせたのが『吸血鬼ゴケミドロ』なのじゃ。
主演は菅原文太、高宮敬二、寺島達夫らと共に「ハンサムタワーズ」の一員として売り出された吉田輝雄(以下ハンサム)。
物語は至極単純。ハイジャックされた旅客機が山に不時着し10人の生存者が右往左往しているとハイジャック犯が空飛ぶ円盤をがっつり目撃。水銀状の不定形宇宙生物・ゴケミドロにスナッチされてしまうのだ!
つまり本作はボディ・スナッチャーもの*1の系譜といえる。宿主を変えながら人の生き血を吸うゴケミドロから逃げきろうとする10人のサバイバルが描かれるが、その本質はゴケミドロではなく生存者たちの集団心理の方にあって、危機的状況に陥った人間がむき出しにするエゴイムズを厳しく撃った作品なんである。欲、欺瞞、保身、裏切り!
そう聞くと「ンーフーン、立派なパニック映画じゃないか」と思うかもしらんが、本作がカルト的な人気を博しているのは色んな意味でやべえ映画だからである。
そりゃあタランティーノが『キル・ビル』でオマージュを捧げるぐらいだから“ソッチ系の人”に好まれる作品なのはあまりに自明と言え過ぎる。
それでは皆さんと一緒に本作のやば味を見ていきたいと思う。
まず映画が始まると地獄みたいに真っ赤な空を飛ぶ飛行機が映される。
開幕1秒でこれ。
この強烈な空は後ほど登場するゴケミドロより遥かにショッキング。だが副操縦士のハンサムは機長に向かって「どうしたんでしょうね」などと言っている。
この空の異常さを「どうしたんでしょうね」で済ませる気かこいつ。
そこへ管制塔から連絡が入り、機内に時限爆弾が積まれているので羽田空港に引き返せと言われたハンサムは乗客の鞄をチェックしていくが、途端、飛行機に鳥がバンバンぶつかって窓を血で染めあげた。
機内のパニックに乗じたのは乗客の1人・高英男で、やおらライフルを振り回して沖縄に進路を変更しろと言ったが、赤い光とすれ違った飛行機は沖縄どころかどこかの岩山に不時着してしまう。副操縦士のハンサムとスチュワーデスの佐藤友美(以下CA友美)、それにハイジャッカー英男を含む乗客8人以外は全員死んでしまいました。
ここまでがアバンタイトルで、飛行機が岩山にぶっ叩きつけられた直後におどろおどろしくタイトルが浮かび上がる。まあ『吸血鬼ゴケミドロ』というより『大惨事チミドロ』の様相を呈しているわけだが。
この間わずか10分! 異常な空、時限爆弾、鳥たちの死、ハイジャック、墜落事故…。
たった10分の内にいろいろ起こりすぎ。
時間の有効活用化がすごすぎ。
その後、ゴケミドロに寄生されたハイジャッカー英男、通称 英男ミドロが消失している間、遭難した9人は大破した機内に残って助けを待つか脱出するかで揉めに揉める。そこへ英男ミドロが現れ、恐怖の吸血攻撃で1人ずつ屠っていくのだ!
以下は登場人物紹介です。
ハンサム
正義感の強い副操縦士。本作の主人公である。空のことは誰より詳しいはずなのに、異常なほど赤く燃える空を「どうしたんでしょうね」で片づけた精神力を持つ。言うほどハンサムではない。
【クズ度】0%
【通り名】レッド・マインド
CA友美
スチュワーデス。ハイジャッカー英男の人質にされた実績を持つ。そのあと英男がゴケミドロに寄生される瞬間を目撃して精神崩壊を起こすも後に正気を取り戻すことに成功している。
【クズ度】0%
【通り名】意識フライト
英男ミドロ
ゴケミドロお気に入りの宿主。寄生前はハイジャッカー英男として単身旅客機を武装制圧した実力の持ち主だったが、英男ミドロになってからは非武装かつ緩慢な動きで吸血攻撃を仕掛けてくるだけなので、相対的に見れば大幅に弱体化したキャラクターといえる。
【クズ度】40%
【通り名】ゆらゆら歩きの生き血吸い
北村英三
次期総裁選挙を控えた政治家。我が身かわいさに平気で他人を蹴落とす。それどころか映画後半では積極的に他人を殺そうとする姿勢を見せる。喉の渇きを癒すためにウイスキーを飲んで余計に渇く…という悪循環にハマりし者。
【クズ度】100%
【通り名】ラストエゴ
金子信雄
兵器会社重役。政治家・北村の腰巾着で、権力欲しさに自分の妻を北村にあてがっていたが、ゴケミドロ騒動に乗じて北村に叛逆するつもりでいる。水をくれという北村の目の前で水を捨てた実績がある。
【クズ度】80%
【通り名】オアシスクラッシャー
楠侑子
金子の妻だが、北村とは夫公認の愛人関係にある。クズ2人に翻弄された悲しき女。生きる意味を模索した実績を持つ。映画後半ではゴケミドロに操られて崖から飛び降りた。
【クズ度】10%
【通り名】断崖のアリア
加藤和夫
精神科医。英男がゴケミドロに寄生された瞬間を目撃したCA友美に催眠術をかけ、その時の様子を証言させた実績を持つ。職業柄、極限状態に追い込まれた人間の心理に興味があるので今回のゴケミドロ騒動をそれなりにエンジョイしている。
【クズ度】0%
【通り名】惑乱のナイトメア
高橋昌也
宇宙生物学者。CA友美の催眠下での証言からゴケミドロの存在を確信して宇宙人侵略論を展開した。職業柄、吸血の現場を見るべく誰かを生贄にして外に放り出そうという北村の案に賛成したが、のちにハンサムのヒューマニズムに感化されて己を恥じた実績を持つ。
【クズ度】20%
【通り名】半分宇宙人の味方
山本紀彦
社会を憎むあまり自殺願望を抱き「飛行機を爆破する」と犯罪予告をした、一昔前の2ちゃんねらーみたいな若者。ハンサムからも愛想を尽かされ機内に軟禁された実績を持つ。ダイナマイトを隠し持っている。
【クズ度】30%
【通り名】幽囚のダイナマイター
キャシー・ホーラン
英語しか話せない未亡人。ベトナム戦争で夫を失ったことから反戦思想を持つ。その高邁な精神からみんなの諍いを鎮めようとした平和主義者だが、映画後半ではヤケを起こしてハンサムにライフルを突き付けるなど誰よりも好戦的な姿勢を見せた。
【クズ度】20%
【通り名】言ってる事とやってる事の逆転者
◆行動原理むちゃむちゃの二大パニッカー◆
昔、中古のVHSで観た記憶をおぼろげにしながらも、やはり当時の印象は大きく変わるもの。いまの自分の目で観返すとそりゃあもう映像も編集も脚本も芝居もチャチ極まりなくとても批評に耐えうるものではないが、それでも浮世では「和製SF映画の大傑作!」などという語の誤用で今なお絶賛されており、挙句タランティーノが大ファンだと公言したことを機に名実ともにカルト映画の仲間入りを果たした『吸血鬼ゴケミドロ』。そのカルトたりえた所以は、ほかでもなく一度観たら脳裏にこびりつく鮮烈な映像感覚だ。
これは典型的なトラウマ映画というやつで、『地獄』(60年)然り『野獣死すべし』(80年)然り、人の生理に障りながらも「やべぇもん見ちまった」と窃視の快楽を刺激する、ある種のトリップムービーなのである。
本作が公開されたのは1968年だが、60年代後期といえばスター・システムが崩壊し始め、「国民的スター」が「カルトスター」に取って代わったアングラ隆盛期。これを機に前衛芸術…いわばカウンターカルチャーの狼煙が上げられ、寺山修司、横尾忠則、美輪明宏、つげ義春、安部公房などが茶の間のポップカルチャーを奇襲。映画界からは鈴木清順、大島渚、松本俊夫ら実験映画作家が挑発的な作品を薄ら笑いで発表した(現在ではサブカルチャーとして定着し自称変人たちに親しまれている)。
そうした時代背景から誕生したのがゴケミドロ。
グロテスクなトリック撮影、反対色を使ったサイケデリックな色彩、エコーする不吉な音響、サブリミナル的に挿入される記録写真…といったトラウマ演出のつるべ打ちはさながらカウンターカルチャーの百貨店の如し。一階はグロ、二階はエゴ、三階へ参りますとアクションが…てな具合である。屋上には何があるんだ。
そんな本作に装填された最高火力のトラウマ爆弾、それが美形シャンソン歌手・高英男なり!
ハイジャッカー英男から英男ミドロへと華麗なる変身を遂げた美しきヴィラン。額の割れ目からニュルニュルと侵入/外出を繰り返すゴケミドロの生贄! その卑猥! さんざん暴れた映画終盤でも純白のスーツに埃ひとつないのは歩いてターゲットを追うからか!
なお高英男は本作の出演以降、近所のガキンチョから「ゴケミドロ、ゴケミドロ」と迫害を受け「参っちゃったなァ」と思った…というッ!
額の裂け目はカルトへの入り口!
物語も愛嬌たっぷりである。ゴケミドロを目撃した恐怖から口が利けなくなったCA友美を精神科医・加藤が催眠術で証言させるシーンの阿呆らしさで、私は「精神科医といえば催眠術。この短絡発想」とクッタリ脱力した。
その後も行動原理のよくわからないキャラクターたちが思い思いにパニックを起こすさまにこっちがパニック。とりわけ二大パニッカーが物語を攪乱する。一人は未亡人のキャシーで、いま一人は政治家の北村である。
キャシーは「宇宙生物は人間がくだらん戦争に明け暮れてる隙に地球を攻撃しようとしてるのです!」と言った宇宙生物学者・高橋に向かって泣きながら英語で何かまくし立て、ぷいと背を向け嗚咽する。
「あの女、なんて言っとるんだ!?」といったヒアリング能力ゼロの政治家・北村に「戦争は絶対にいけないと言ってるんです!」とハンサムが通訳。
ハンサム「ベトナム戦線で従軍中だった彼女のご主人は一週間前に戦死されたそうなんです! ご主人の遺体と再会するために岩国の米軍基地に行くところだったそうです!」
話の文脈。
辛うじて「戦争」という共通点こそ認められるが、それにしても地球侵略論を展開した高橋に向かってキャシーが身の上話を披歴するのは少しく不自然。そのうえ涙を拭ったキャシーはロングショットからでも目視できるカメラ目線でこう叫ぶ。
「戦争はいやだ! みんなが悲惨になるから…」
反戦メッセージを無理くりねじ込もうとする松竹の荒くれがすごい。
その後、ゴケミドロの存在に半信半疑の一同が「だれか生贄を立てて旅客機の外に放り出そう。そして吸血される現場を見学するのだ!」というハチャメチャなアイデアをめぐって論争してるとき、反対派のハンサムに向かって「I don't wanna die!」を連呼したキャシーが銃弾を撃ち込むという裏切りに出る(ハンサムは腕を負傷)。
戦争はいやだと言いながら真っ先に戦争を仕掛ける女。
ハンサムの腕から滴った血がキャシーの死んだ夫の遺影を真っ赤に染めるショットが印象深くもあるが、いかんせんキャシー・ホーランの三文芝居は悲しみより笑いを呼ぶ。
「戦争はいやだ!」と言いながら銃を撃つキャシー。さすがは言ってる事とやってる事の逆転者。
もう一人のパニッカー・北村英三は他のパニック映画にも類を見ないヒールで、我が妻を北村に差し出した金子信雄が幾らかマシに思えるほどの弩クズである。すべてのクズキャラが北村を前にすると善良に見えるのだ。これぞ相対性クズ論。
外国人というだけでキャシーを吸血見学の生贄にしようとしたり、それが叶わぬならと軟禁中の2ちゃんねらー山本を旅客機の外に放りだすなど鬼畜の所業(2ちゃんねらーは隠し持っていたダイナマイトで英男ミドロと対峙するもポカして自爆)。
また、ハンサムのヒューマニズムや高橋のゴケミドロ実在論を頭ごなしに否定するなど、とにかく観る者の神経を逆撫でする憎っくきヒゲオヤジなのだが、いよいよパニックを起こし始める映画終盤に至っては逆に憎気が愛想になるほどムチャクチャなキャラクターと化していく。
なぜか仲間を殺そうとするのだ。
「機内に残るより脱出すべき」と意見を合致させたキャシーと結託して岩山に逃げ出すも、ひたひたと追りくる英男ミドロの前に「死ねっ」と言ってキャシーを突き出し自分だけ逃げる身振り。
あるいはキャシーを見殺しにしておめおめと旅客機に逃げ帰り「ドアを開けてくれー」という醜い懇願を受け入れてくれたハンサムとCA友美を「死ねっ」と言って外に突き落としドアを閉める身振り。
遂には機内に残っていた高橋に「生きて帰れたらワシの身振りを世間に公表するつもりだろう! 死ねっ」と騒いで高橋を絞殺しようとする身振り。
仲間は一人でも多い方が生存率も上がるのに、なぜか減らそう減らそうという方にしか考えが働かないパニッカー北村。
その末路は、英男から高橋に宿替えしたゴケミドロに怯え、駆けつけたハンサムに「ワシは死にたくないっ。おまえが死ねっ」という世界一軽薄な名言を残したのち高橋ミドロに吸血される…という実に呆気ないものだった。
高橋がミドロ化してるとも知らずに絞殺を企む北村(左)。
◆鮮烈な遭遇、して。◆
およそパニック映画では極限状態に置かれた人間が醜い本性をさらけ出すものだが、しかし本作、『ポセイドン・アドベンチャー』(72年)や『タワーリング・インフェルノ』(74年)、あるいは『新幹線大爆破』(75年)といった“立派な映画”に比べるといかにもチャチ。随所に見られる贅肉ショットが促した全シーン緩慢化は84分の上映時間すら長いと感じさせるほどだ。
贅肉ショット…挿入しない方が前後のショットが綺麗に繋がるような皮下脂肪のごときショットを撮影・挿入すること。また、それによって破綻したモンタージュを指す。造語だけど。
それでも大映の『透明人間と蝿男』(57年)や東宝の『マタンゴ』(63年)とセットで語られるほど人々の記憶に今なお残り続けているのは、たとえばスタンリー・クレイマーの『渚にて』(59年)に出てくるコカコーラの空き瓶が無常の表象として北村のウイスキー瓶に受け継がれていること、あるいはもっとシンプルにヒッチコックの『鳥』(63年)を律儀にやっているといった“映画の記憶”を人に呼び覚ますからであろう。違ってたら申し訳ないけど。
ゴケミドロの本体。
アッと驚くラスト6分30秒は話さずにおくが、きっと『猿の惑星』(68年)を初めて観たときの余韻に包まれるはずだ。
奇しくも同年公開の『猿の惑星』と同じく、この手のトラウマ映画というのは鮮烈な遭遇によってしかまともに楽しめない映画なのだと思う。ポスターに使われたラストシーンのショットから誰もが知った気になった『猿の惑星』がワッツ暴動と米ソ冷戦を描いた骨太なサーガであり、今こそ再評価さるべき人種問題に肉薄した痛快☆政治エンターテイメントにも関わらず、意外と人は『猿の惑星』を観ない。なぜ観ないかと言うと「すでに結末を知っている」とか「猿ばかり出てきて面白くなさそう」など様々な理由はあろうが、総じて言えることは「遭遇した気になっているから」であろう。
事実、今や『猿の惑星』を観ることは新鮮な体験ではない(だからリブート版3部作が作られた)。
あと20年もすれば、トラウマ映画を観てもトラウマを植え付けられないばかりか「なんてことないじゃん」の一言でカルト性を跳ね返してのける不感症のニュージェネレーションが「鮮烈な遭遇」を知らぬまま未来のSNSのプロフィールに「映画が好きです」なんてことをぬけぬけと書く時代が訪れるのだろうか。
はっきり言って『吸血鬼ゴケミドロ』は大した映画でもなんでもないが、この前衛性に初見時ほど反応することなく、むしろ余裕の見物をしてしまった私は、機内の窓から英男ミドロに襲われる2ちゃんねらー山本を好奇の目で見ていた北村やキャシーと同類だと思いました。まさにオレミドロ。慣れに寄生されてしまっていたわ。
そも、映画は「おしゃれ」とか「古臭い」という概念を持たない。
それを持つのは我々の側ね!!!
おしゃれか野暮かなんてことは映画を観る人間の感覚の問題だ。古臭いか目新しいかも我々観客の鮮度に懸かっている。かように、映画へ向けた言葉はすべて自分に跳ね返ってくるわけだから、たとえば『マーズ・アタック!』(96年)を観て「大したことないじゃん」と言った人間(昔のオレミドロ)は大したことのない己が頭脳をいたずらに曝していただけなんである。なんていう事なんだ。
とにかく今回『吸血鬼ゴケミドロ』を観て思ったことは「驚くべき映画を観たときにしっかり驚けるような“感覚の鮮度”は冷凍庫に突っ込んで腐らぬようにしておこう」ということなのであった。
忘れらんねえよ。
*1:ボディ・スナッチャーもの…その嚆矢となった『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』(56年)をはじめ、『遊星からの物体X』(82年)や『ゼイリブ』(88年)のように生物の身体を乗っ取る地球外生命体が人間に化けて人類を滅ぼす…という筋を持つ一連の作品群のこと。ジャック・フィニイのSF小説『盗まれた街』(55年)を源流に持つ。1950年代に生まれたボディスナッチャーものの背景には反マッカーシズムが横たわっており、誰が共産主義かも分からないのに片っ端から弾圧するアカ狩りへの社会不安をSFという形で寓話化している。