擁護はムリンゴ。おれ怒リンゴ。
2018年。ナッシュ・エドガートン監督。デヴィッド・オイェロウォ、ジョエル・エドガートン、シャーリーズ・セロン、アマンダ・サイフリッド。
朝から晩までまじめに働いていたハロルド。会社からクビを言い渡され、友人だと思っていた経営者にだまされ、最愛の妻まで横取りされてしまう。人生のどん底に突き落とされたハロルドは上司のリチャードと性悪女のエレーンへの復讐のため、出張先のメキシコで偽装誘拐を企て身代金5億円を奪う作戦を実行する。しかし、ハロルドが死ねば会社に保険金が入ることに気づいたリチャードは殺し屋を雇い、ハロルド殺害をもくろむが…。(映画.comより)
おはようみんな。
いきなりですが、キライな言葉は「One for All , All for One」。俺は俺で勝手にやるさ、という基本精神で生きてますので、こういうラグビーじみた精神を強いられることを何よりも苦手としています。
したがって僕は連帯責任の拒否者でもあるわけです。小学生の時分に、修学旅行先で僕の班の奥田くんがカレーをぶちまけるという失態をおかし、「同じ班の人たち全員で掃除しなさい!」と先生は言ったけれども、僕はそれを拒否して超然たる態度でカレーを食べ続けた。その理由は、もちろん、奥田くんの尻拭い…というよりカレー拭いをしたくなかったから…という他にも、何でもかんでも連帯責任にするのは奥田くんの為にならない、と感じたからです。
連帯責任が当たり前になると、たとえミスしても自分の罪が等分化されて相対的に軽減する、と考えるような狡猾な大人になってしまう。僕は奥田くんを、そんな無責任な大人にしたくなかった。だからあえてカレーを食べ続けたんですねえ。同じ班の岡山さんからは「馬鹿野郎」と言われてしまったけど。
この話を通して言いたかったことは、最近ラクガキにハマってるので描いてほしい絵があったらリクエストしてよってことです。
最近Twitterの方で、変態映画ブロガーのKONMA08さんと、家庭内裸族の変態・れんげさんの似顔絵を描きました(お二方のご尊顔は下に添付)。れんげさんは早速アイコンに使ってくれましたが、KONMA08さんは礼のひとつもありませんでした。Gさんとやなぎやさんも描いてほしそうにしていますが、順番を争ってケンカばかりしてるので差し当たり放置しています。
左がKONMA08さんで、右がれんげさんですが、まあ大した違いはないのでどっちがどっちでもいいです。
はっきり言って、僕に描けない絵はないので、どんなリクエストがきても絶対に成功させますよ。先祖に誓って。
こないだ披露したジブリヒロインの萌え絵を見れば一目瞭然ですよね。
僕の筆が、火を噴きますよ!!!
それにしても、このジブリの萌えイラスト。まったく反響がなかったのですが、どういうつもりなんですか? ころしますよ?
そんなわけで本日は『グリンゴ 最強の悪運男』です。ちょっと酷い回になってるかもしらんが、意にも介さず疾風怒涛の更新雷撃をおまえに!!
◆コーエン兄弟をやりたいのがバレバレのグリンゴ! コピーの亜流のなれの果てのコピー! そしてバレバレはグリグリへと昇華していく…◆
うわぁー、ややもすると今年の『ひとりアカデミー賞』の「A級戦犯死刑確定ベスト」に輝きうる作品を観てしまったわー。
それが『グリンゴ』。
俺はすでに怒リンゴ。
どういうストーリーかって言うと、プロメチウム製薬会社の共同経営者ジョエル・エドガートンとシャーリーズ・セロンは医療用マリファナをメキシコ麻薬カルテルに横流ししており、ビジネスの話をするべく表向きは旅行と称して部下のデヴィッド・オイェロウォを連れメキシコに向かう。
へえ。ちょっと面倒臭そうなストーリーであるよな。
そこでデヴィッドは二人の企みを知った上に、愛する妻が上司ジョエルと不倫していることまで発覚。怒り狂ったデヴィッドは偽装誘拐を企て自分の身代金を要求し、これに焦ったジョエルは元傭兵の兄シャールト・コプリーにデヴィッドの救出を依頼する。だが、見事シャールトーが救出作戦を成功させたあと、デヴィッドが死ねば製薬会社に保険金が入ることを知ったジョエルは掌を返して救出依頼を暗殺指令に変更した。
なかなか面倒臭いストーリーである。
一方、ジョエルの会社がメキシコを撤退すると知ったカルテルの首領は、平社員のデヴィッドを幹部と勘違いして部下たちに誘拐するよう命じた。その頃、アメリカの楽器店に勤めるアマンダ・サイフリッドは男友達とメキシコ旅行を楽しんでいたが、その友達の狙いは麻薬の運び屋で一山当てることだった…。
なかなか面倒臭いストーリーである。
映画は、悪運男のデヴィッド、彼を利用する上司ジョエル&シャリセ、凶悪なメキシコ麻薬カルテル、唯一の良識人アマンダの4つのパートを面倒臭げにクロスカッティングしながらモッタラモッタラ進んでいくが、デヴィッドを助けたり裏切ったりとコロコロ態度を変えるサブキャラクターとしてジョエルの兄シャールトーと、メキシコのモーテルを経営する兄弟のエピソードも挿入されるので総計6パートの同時並行となる。
面倒臭え。
豪華出演陣。
もう結論めいたことを先に言ってしまおう。
コーエン兄弟のコピーの亜流をさらにコピーしたその亜流。
…のコピー。
「コメディとバイオレンスが同居するスタイリッシュなコンゲーム」と言えば聞こえはいいがよォ。
要するにコーエン兄弟をやっていて。
『赤ちゃん泥棒』(87年)や『ファーゴ』(96年)から『ノーカントリー』(07年)、『バーン・アフター・リーディング』(08年)までまるっと総ざらいしたようなコピーの亜流のコピー。の亜流をさらにコピーしたその亜流。
…のコピー。
そこにタランティーノの『パルプ・フィクション』(94年)や『ジャッキー・ブラウン』(97年)のような出たとこ勝負のドタバタ劇とオフビートな笑い、それにオリバー・ストーンの『ナチュラル・ボーン・キラーズ』(94年)の煌びやかな毒気と『Uターン』(97年)のごとき雁字搦めの苦難をポップに彩っていく。とりわけメキシコ麻薬カルテルとの拉致・奪還を扱ったスリラー群像劇という点でもストーンの『野蛮なやつら/SAVAGES』(12年)とまるっきり同じ。
かように90年代はコーエン兄弟、タランティーノ、ストーンらを中心としたちょっぴりお洒落なバイオレンス・スリラーがスタイリッシュとされ、大変に流行っておりました。
そうした作品は無数のフォロワーを生み、その後メジャー/インディーズを問わず似たような亜流作品―別名「ゴミ」が粗製乱造された。誰とは言わないけどガイ・リッチーとかマシュー・ヴォーンとか中島哲也とか。中でも有名なのは『スモーキン・エース/暗殺者がいっぱい』(06年)だが、近年でもマーゴット・ロビー主演の『アニー・イン・ザ・ターミナル』(18年)とか蜷川実花の『Diner ダイナー』(19年)といった恥ずかしい映画が臆面もなく作られている。
ほいで、その最新作がこれ。
つまりコピーの亜流のコピーの亜流…
でそのまたコピーの
そのまた亜流の
そのまたコピーの
そのまた亜流の
なれの果ての
コピーの亜流の
なれの果ての
亜流のコピーの
コピーの亜流の
コピーのなれの果ての
亜流の
亜流の
亜流の
コピーのなれの果て。
…のコピー。
まさにコピー機がぶっ潰れるほどのコピーっぷりといえる。しかもカラーコピー。
監督を務めたのは主要キャストであるジョエル・エドガートンの実兄ナッシュ・エドガートン。
つまりジョエル・エドガートンのコピー。
しかもカラーコピー。
兄ジョエル・エドガートンも監督業に手を出している。
◆悲劇グリンゴ! 目的も目標もなくただ漫然と“状況”だけが垂れ流されやみくもに右往左往する痴呆化した110分の物語迷宮がこのオレを閉じ込める!◆
商業映画のシナリオには「三幕構成」といって、まず最初の10分間で(1)主人公が誰で(2)何をする物語で(3)どのような状況なのかを簡潔に提示する「セットアップ」という手順があるけれども、この『グリンゴ』…なんと主人公デヴィッドが何をする物語でどのような状況なのかが50分経っても分かりません。
う~グリンゴ!
デヴィッドは企業合併による失業をやたらと恐れているが、このくだりが異常に長い。
一方、ジョエルとシャリセは隙あらばオフィスでセックスをおこない、出張先では本筋と関係ないであろうビジネスの話を延々する。話がまったく見えてこない。
その間、楽器店のアマンダとカルテル首領の日常がクロスカッティングで描き出されるが、この段階ではまだ誰が何をする物語で今どういう状況なのかが分からないから「で」と思うことしか俺たちにはできない。
しかもこの感じが最後までループします。
うーグリンゴ!
偽装誘拐でジョエルを強請ろうとしたデヴィッドがカルテルから本当に誘拐される映画後半に至ってさえ、ジョエルはデヴィッドの妻と逢引きしているところをシャリセに見つかって修羅場を迎えたり、そのあとジョエルとの肉体関係を解消したシャリセが前を向いてたくましく生きていく…といったまったくもってよく分からないサブストーリーが観る者を存分に攪乱し「で」を引き出していくゥ!
巻き込まれ顔のデヴィッド・オイェロウォ。
クライマックスではDEA(麻薬取締局)との銃撃戦からデヴィッドを救ったカルテルの参謀が麻薬捜査官だったと判明するが、彼はその直前にDEA…いわば仲間を殺してるんだよね、銃撃戦に乗じて。もうムチャ&クチャである。なんぼほど行き当たりばったりのシナリオなのか。
総じて言えることは目的も目標もなくただ漫然と“状況”だけが垂れ流され、やみくもに右往左往する痴呆化した110分の物語迷宮がこのオレを閉じ込めた…ということだけだ。
Oh グリンゴ!
やがてデヴィッドはすべての登場人物と交差することになるが、特にアマンダやモーテル兄弟などは繋がりが薄すぎて「で」としか思わないので群像劇としてまったく機能していない。ただ点と点が散らばってるだけ。いや、ある意味では「で」が散らばってるだけとも言えよう。
彼らだけでなくシャーリーズ・セロンも存在意義なしのキャラクターだった。居ても居てもなく本筋には一切影響せず、かといって脇を充実させるだけの個性や役割も持たない。ただ意味もなく画面に映ってるって感じだ。ここも「で」の発生源である。グリンゴのシャリセは「で」の発生源。
というか、よく考えたらデヴィッドとジョエルと麻薬カルテルの三すくみだけで成立する物語なんだよね、これ。何がなんでも群像劇にしたくて無理やりキャラを増やしたとしか思えないスタイル・コンシャスの醜悪さにはおののくばかりだ!
なんたるグリンゴだというんだ!
シャーリーズ・セロン。
極めつけは無駄なシーンが多い。
デヴィッドを殺そうとしたシャールトーがモーテル兄弟の妨害を受けて車に撥ねられるも、のちに戦線復帰して再びデヴィッドの命を狙う…という展開。映画はやたらな頻度でシャールトーをカットバックしては、怪我の手当て、車の調達、デヴィッド追跡のプロセスを捉えていくが…これ要リンゴ?
クライマックスでポンと出して「実は生きていた!」でいいところを、生き延びたシャールトーがどのように態勢を整えてデヴィッドのまえに再び現れたかを懇切丁寧にクドクドクドクド見せてくるので私の中の脳内赤ペン先生が添削開始。「ハイここは端折ろうねぇ」、「ハイここも無駄な時間流れてますねー」、「物語る力、ゼロですか?」と添削すること延べ18ヶ所。赤ペンのインクも切れるわ。
もうグリグリじゃんか!
サングラス&髭ボーボーなので、そうと言われてもそうは見えないだろうが『第9地区』(09年)のシャールト・コプリーです(右)。
◆惨劇のグリンゴ! もはやグリでもなければンゴでもない! 「コ」すら言えない僕たちに残された言葉は「で」のみであった!!◆
『最強の悪運男』と副題にあるが、本当に悪運なのはこの映画を観てしまった全人民の方である。全体的に何がしたいのかまったく分からず、作り手のビジョンやコンセプトもさっぱり見えてこない、大変に困った映画だ。
とりあえずコーエン兄弟っぽいことがやりたいというのは分かったが、その程度の志なら仲間内の自主映画でやってて下さいと頭を下げに行くことさえ前向きに検討せざるを得ないレヴェル。ラベル。
シナリオの迷子ぶりもさることながら、コメディとバイオレンスがひとつの世界観の中でちゃんと溶け合ってないのがむず痒くて歯痒くて「北野武や三池崇史でも観てセンス磨け」と提言しようかどうかと前向きに検討しているオレがここにいた。
映像面では一応それと分かる画面を撮って正確に繋いではいるが、この手の映画に必要なのは正確さよりも個性。個性的なショットや個性的な演出こそが観たいのだ。明らかにタランティーノをやってる『ベイビー・ドライバー』(17年)は模倣の中にも個性があったし、逆に『ホテル・エルロワイヤル』(17年)なんかは個性的な模倣がすてきだった。
その点『グリンゴ』ときたらナイ!
この忌々しいフィルムがスクリーンに映し出すものは“個性的な画面”ではなく“それと分かる画面”。
美しくもなければ格好よくもない。
特徴もなければ面白味もない。
グリでもなければンゴでもない。
ただ撮られただけの「で」としか言いようのない画面である。
せめてコーエン兄弟っぽいものをリスペクト全開モードで見せてくれれば「コーエン愛すごいね!」とまでは言えないまでも「コ!」ぐらいは言えただろうが、たぶん本作の作り手たちは本当にコーエン兄弟が好きというよりコーエン兄弟っぽいことをしてみたかっただけなのだろう。いかに無関心か、如実に画面化しとったわ(フィルムは嘘つかない)。
「コ」すら言えない僕たちは「で」と言っていくしかないようだ。というか、もうこうなってくると本作のタイトルは『グリンゴ 最強の悪運男』ではなく『 で 』である。
醜悪で退屈な『 で 』は、当然というべきか興収/批評において慎ましやかに玉砕した。緊張も興奮も笑いも刺激もない無味乾燥の作劇と、意思も工夫も愛も創意も感じない死んだ映像群は、まるでカビの生えた乾パンを俺に思わせる。非常食にもならない。
それでもグリンゴだとおまえは言うのかッ!
そうか、言うんだな! ならこれ以上つき合うのはもうムリンゴ!
追記
トランプ政権への反骨精神からか、最近メキシコを舞台にしたハリウッド映画がめちゃめちゃ多いよね。ランボーもバッドボーイズもターミネーターも皆メキシコに行っちゃうし。グリンゴさえも…。
最近あまり見かけないアマンダ・サイフリッド(左)。
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