シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

吸血髑髏船

物理法則をいろいろ超越したシクッターズカット版。

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1968年。松野宏軌監督。松岡きっこ、入川保則、岡田真澄。

 

太平洋の真っ只中で、積み荷の金塊を狙う5人のならず者たちが船員たちを惨殺し、同乗していた船医・西里の新妻・依子を犯し、殺した。それから3年後、依子の双子の妹・冴子は、亡き姉の怨念に操られるかのように略奪者たちに復讐していく…。(Amazonより)

 

どうもこんばんは。

今朝、Every Little Thingを張り叫んでいたら時を忘れてしまって更新し損ねたので、まあ明日に延ばしてもいいのですが急遽更新します。現在19時です。

ちょっと今から食材をゲットしに行かないといけないので愉快な前書きは勘弁願います。

そんなわけで、本日取り上げるのは久しぶりに恐怖映画。きっと皆さん、震えあがると思いますよ。以前やなぎやさんや渋谷あきこさんから「かわいい」と絶賛された松岡きっこの主演作『吸血髑髏船』!  同性から「かわいい」と評されたら大したもんです。

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◆入川、またお前か!◆

松竹が『吸血鬼ゴケミドロ』(68年)に続いて性懲りもなく製作した怪奇シリーズ第二弾。主演は『めくらのお市 地獄肌』(69年)で元気いっぱいに鞭を振り回していた松岡きっこ

金塊強盗に殺害された犠牲者の双子の妹が少しずつ精神に異常をきたしていく…という内容の本作。強盗グループが一人また一人と変死していくが、殺された姉とその敵討ちに燃える妹が松岡きっこの一人二役なので、姉の怨霊が呪い殺してるのか、はたまた妹が復讐してるのか…というあたりを上手くボカしたまま話が展開されます。なお双子の姉をアネキッコ、妹をイモキッコと表記する。

映画は旅客船を襲う5人の強盗グループが船員・乗客を皆殺しにするシーンに始まる。そこで新婚旅行中だった船医・西村晃とアネキッコが無残に殺されてしまうのだ。主犯の顔にはひどい火傷の痕があり、その造形がいかにもチープな特殊メイクだったので「大丈夫かな、この映画」と思った。

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それから3年後。湘南沿いに建つ教会で神父・岡田真澄の助手をしているイモキッコは恋仲の入川保則(またお前か!)とダイビングを楽しんでいる時に海中で骸骨を発見。「ぶはぁ」と驚いた二人は慌てて逃げたが、その日からイモキッコは3年前の惨劇に執着するようになった。一卵性双生児はどれだけ離れていても相手の思考や感情が分かるらしく、近頃は殺されたアネキッコの声がよく聞こえるというのだ。

入川もイモキッコの姉が金塊強盗事件の犠牲者であることはよく知っていたが、婚約を誓ったイモキッコに落ち込まれると結婚が長引くと危惧。思いつめる彼女を鼻で笑い「考えすぎ」、「そんな馬鹿な」、「ノイローゼだよ」で片づけようとした。

「気のせいだよ。俺たちが見た骸骨だって、きっと錯覚だったんだ。海藻かもしれないよ?」

海藻なわけねえだろ、カス。

骸骨を見たのがどちらか一人だけなら錯覚だった可能性も大いにあるが、二人して「骸骨を見た」と認識したんだから本物の骸骨だったと考えるのが道理だろうが。こういう「気のせいだったと楽観視することの方が難しい状況」にも関わらず楽観的になれる人間って羨ましいよな、バカでよォーッ。

なんで入川に対してこんなに怒ってんだろ、おれ。

それは『めくらのお市 地獄肌』の入川が、お市という妻がありながら小悪魔キッコの誘惑にホイホイ引っかかったマヌケ野郎だからである。そのうえ本作では念願叶って(?)キッコと結ばれたのに海藻とかくだらないこと言いやがって。

f:id:hukadume7272:20200525083953j:plainイモキッコこと松岡きっこ(左)と入川保則(右)。

 

その後「姉の声がするぅー」と言いながら嵐の海に飛び出したイモキッコは、3年前に沈没したはずの旅客船でアネキッコの霊に会い、航海日誌から強盗グループの名前を割り出したが、姉夫婦を殺した主犯の名前だけが分からない。その日を境に姿をくらましたイモキッコに、入川は「絶対に見つけて結婚するぞ!」と捜索を決意し、岡田神父は「祈りを捧げましょう」と非建設的なことを言った。

ここから物語は犯人視点に立ち、金塊を分け合って3年前に解散した強盗犯たちが再び集結する。ナイトクラブのオーナーをしている金子信雄。投資家になった小池朝雄。酒と博打で富を失った内田朝雄

ええい、朝雄が二人もいて紛らわしいなぁ。

3人が集まったのは他でもない。内田が死んだはずのアネキッコを街で目撃したためであり、旧悪の露見を恐れた3人は今度こそアネキッコを殺すべく証人抹殺計画を練らんとしていたのだ。

ここで疑問なのは、ことによると内田が目撃したのが瓜二つの双子の妹・イモキッコの方だったのでは…という可能性だが、結局これは最後までよく分からないままだった。

これ以外にもどうも本作には曖昧な点が多いのだが、それもそのはず。この映画はロケに使われた貨物船の提供者が試写を見てクレームをつけたことから大幅にカットされ、そのためシーンの前後がうまく繋がらず、映像・脚本ともに整合性がまったく取れないダメ編集に甘んじた世紀の失敗作なのである。

死んだはずの犯人グループの1人が次のシーンでは元気満々で現れたり、海に落ちて死んだはずなのにシーンが変わると船内に死体があったり…など、物理法則を超越した謎編集がどんな怪奇映画よりも怪奇な身振りで観る者を翻弄するのだ。もうハチャメチャじゃん。

極めつけは事あるごとに登場する髑髏や蝙蝠のチャチな造形。子供も騙せやしない。

f:id:hukadume7272:20200525084032j:plain髑髏だぞー。

 

◆物理法則超越編集の精髄◆

先述した物理法則超越編集によりイマイチ話の筋がわからぬまま映画は進んでいき、ダブル朝雄はイモキッコの謀計により死亡。港町で潜水夫をしていたもう一人の犯人・山本紀行は海中の髑髏に殺された。

この犯人グループが次々と変死していくシーケンスでは『サイコ』(60年)のシャワーシーンを内田朝雄(汚いおやじ)で再現したような史上最低のオマージュで観る者をたっぷり呆れさせたあと、金塊強盗事件の主犯が長年イモキッコを世話していた岡田神父だったという…どんでん返しというよりは卓袱台返しに近い大トリックが明かされる。

岡田はアネキッコ夫婦ならびに船員乗客を皆殺しにしたにも関わらず、そのあと聖職者になり、ひとり残されたイモキッコを引き取り教会で面倒を見てやっていたのだ。顔の火傷痕をゴム製の模擬皮膚で隠しながら…。もう悪人なのか善人なのかよく分からない。

そんな岡田神父は「姉の仇を何人か殺してしまいました」というイモキッコの懺悔を聞き、彼女を失神させてプレートアーマーの中に押し込んだ。海に沈める心算である。どんな事情があれ女の子をプレートアーマーに入れてはいけないのでやはり悪人だと思った。

ちなみにフランス生まれの岡田眞澄は日活ニューフェイスとして石原裕次郎の作品に多数出演した二枚目俳優であり、本作では火傷痕の特殊メイクも相俟って『ザ・フライ』(86年)のジェフ・ゴールドブラムを彷彿させてやまなかった。

f:id:hukadume7272:20200525084054j:plain岡田眞澄(左)、入川保則(右)。

 

そこへ入川が「イモキッコさーん」と駆けつけてきたので、吃驚した岡田はイモキッコをその場に放置したまま教会を出て、なぜか海に出る。教会の扉を開けた入川は、まさかプレートアーマーの中にイモキッコが入っているなど夢にも思わない。

なぜか海に出た岡田は3年前に自分が襲った旅客船、いや…幽霊船の中でアネキッコの夫・西村晃に襲われた。マシンガンで射殺したはずの西村はなぜか生きていて、3年間も船室に閉じこもって化学薬品の実験に勤しんでいたのである。

この際だから何を食って3年間も船室で生き永らえたのかという食料問題は問わずにおきたい。

鋼鉄をも溶かす薬品が「血肉」と「燐」と「腐った血」で出来ているという非科学的な配合も問わずにおく。

「俺が悪かった。助けてくれ!」と命乞いする岡田に「イヒヒ…」と歩み寄る西村がうっかり足を滑らせて転落死したことに「じゃあ何の為のこのシーン!」と叫ぶこともよしておく。

だがどうしても疑問なのは、つい先程まで教会のプレートアーマーの中で失神していたイモキッコと彼女を探していた入川がなぜか幽霊船に乗船しているという不可思議な行動原理である。

もう訳がわからん。これが物理法則超越編集の精髄だというのかぁ。

逃げようとした岡田はイモキッコから鈍器で殴りつけられ「すこぶる痛い!」ともがく内にミスって薬品浴びて溶けて死んだ。「そっか」って思った。事態を傍観していた入川に「すべて終わった。帰ろう」と言われたイモキッコは入川を海に突き落とすと幽霊船もろとも爆破して死んだ。「そっか」って思った。

ひとり海に浮かんだ入川は「どういうアレでこういう状況になったのかぜんぜんわからない」という顔をして、観る者のきもちを代弁した。

霧にけぶる海面に「終」の字が図々しく浮かび上がる。

f:id:hukadume7272:20200525084158j:plainイモキッコ(左)と死んだアネキッコ(右)。キッコ渾身の一人二役。

 

◆カルト映画論◆

どえらいポンコツ映画を観てしまった。

松竹の怪奇映画路線などしょせんは下手の横好きか。低俗映画の小林久三とエロ映画の下飯坂菊馬が共同脚本を手掛け、何の実績もない松野宏軌が監督とあっては暖簾に腕押し。髑髏やコウモリの安い造形を隠したいがために全編モノクロで撮られており、意欲作『吸血鬼ゴケミドロ』から僅かに公開日をズラすという抱き合わせ商法同然でその余波の蜜にありつこうとする企みなど全部見通しだ!

しくじりまくりの編集にも関わらず「少しでも金になれば」の拝金精神で公開するあたりがいかにも松竹らしいが、このディレクターズカット版ならぬシクッターズカット版は、しかし松竹の輝かしい汚点として現代では逆に有難がられてもいて。

これが失敗映画の不思議な点なのだが、本来、人々の間では「映画の完成度」などというものは良かろうが悪かろうがそう大した違いはないのである。

少なくとも思考と感性を総動員して理解に臨まねばならない「文学」や、繰り返し付き合わないと構造の細部が見えてこない「音楽」、あるいは二度と同じものを再現できない「演劇」などに比べると、映画なんてものは労力を必要としない芸術媒体なので、べつに駄作を観ても大した損にはならんのである。せいぜい2時間とチケット代が無に帰すぐらいだが、そんなものは他の芸術媒体に比べると遥かに軽度のリスクに過ぎず、ともすると私やあなたのように「こんな駄作を見た!」ということを話のネタにした場合など、むしろリターンすら得ているぐらいだ。

現に過去の失敗作が後年になってカルト的な人気を博すことがままある。『幻の湖』(82年)を見よ。『シベリア超特急』(96年)を見よ。『デビルマン』(04年)を見よ。酒のあてに映画観賞会で流せば大ウケ必至のパーティグッズとして重宝されているではないか。

また、世の中には駄作愛好家なる人種がことさらにカス映画を喧伝しているので、誰の記憶にも残らない50点の映画よりも、いっそ鮮烈なる0点映画の方が注目を浴びて再評価(逆評価?)されやすいという文化的パラドックスが巻き起こっているのだ。しょせん映画評価など浮世の下馬評。タカが知れている。

かく言う私も「これほどの問題作を無視するわけにはいかない」という思いから本日俎上に載せたが、そのために『吸血髑髏船』など知らずともよい読者諸兄にこれをアピールしてしまったので、むぅー、同罪。カス映画喧伝罪の片棒を担いでしまったというわけさ。ドロン!

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プレートアーマーに入れられたイモキッコ(防御力UP)。