ドラマーなのに両手をケガする男。
1957年。児井英生。北原三枝、石原裕次郎、青山恭二、芦川いづみ。
石原裕次郎の代表作にして日本映画黄金時代を象徴する作品。ジャズ界を舞台に、流しの若者がトップドラマーにのし上がっていく業界の裏側を描いた、昭和32年のトレンディー・ドラマ。(NIKKATSUより)
おはぴ。
白い靴下を履くことに抵抗があるんだけど、まあ今日は前書きはいいでしょう。だるすぎる。とりあえず記事を更新するな。
そんなわけで本日は『嵐を呼ぶ男』だ。何かが高鳴るぜ!
◆「粗削り」って言うな◆
日活といえば何であろうか。石原慎太郎原作の“太陽族”映画の台頭。それに伴う石原裕次郎の台頭。吉永小百合の台頭。謎の無国籍アクションの台頭。日活ロマンポルノの台頭。
中でも石原裕次郎と吉永小百合の台頭レベルは群を抜いているが、どうも二人の人気・風格に見合うだけの映画会社としての体力が乏しく思え、どうしても日活をイロモノ扱いしてしまう。そんな私がここにいます。
そうそう。かつて北海道旅行の途中で裕次郎フアンのパパンに連れられ「石原裕次郎記念館」を訪れたのはかれこれ25年前になるだろうか。当時の私はまったく裕次郎に興味が持てなかったし、その後も日活派のパパンと決別した私は松竹派へと進み「日本映画といえば松竹」というそれはそれでえらい極端な固定観念を強固なものにしていたので、未だに日活映画をイロモノ扱いしてしまうのである。
さて、近ごろアマプラやU-NEXTに石原裕次郎、吉永小百合、渡哲也、宍戸錠あたりの日活映画がやけくそみたいに大量エントリされていたので「日活いっとくか」とフンドシを締めて鑑賞にかかったのが『嵐を呼ぶ男』。嵐を呼ぶ男を観る男。
高度成長期の象徴たる石原裕次郎がスティック片手に「おいらはドラマ~」とボソボソ歌う名シーンが今でもボソボソ語り継がれる同氏の代表作である。
裕ちゃんのようす。
物語は、音楽学校の生徒・青山恭二がジャズクラブの興行主・北原三枝に掛け合い、流しのジャズドラマーである愚兄・裕次郎を売り込むシーンに始まる。折よく三枝がプロデュースしている6人組ジャズバンド「シックスジョーカーズ」でチャーリー(笈田敏夫)と呼ばれているドラマーが大手事務所に引き抜かれたことで、裕次郎は二代目ドラマーとしてシックスジョーカーズに棹差すわけである。
バンド名のセンスよ。
シックスジョーカーズはすごいよな。思いついてもまず付けないでしょ。
そのあと、裕次郎の実力を見定めた三枝は「粗削りだけど、なにか光るモノがあるわ…!」と評価した。その後も三枝は、何かにつけて「粗削りだけど~」という言い回しで裕次郎のドラムを評価し続けた。
何か言ってるようで何も言ってない批評ワード「粗削り」。
空を掴むがごとく曖昧模糊な言葉にも関わらず、なんとなく「批評してます感」が出せる偉ぶりワードランキングにおいて堂々の4位を記録した「粗削り」なる語をここぞとばかりに使ってゆく三枝。
ちなみになんとなく「批評してます感」が出せる偉ぶりワードランキングの上位3位がこちら。
3位 深く考えさせられる(←考えたことを具体的に述べてない時点で何も考えてない)
2位 最高傑作のひとつ(←最高傑作がいくつもある時点で「最高」ではない)
1位 無駄のない演出(←何が「無駄」で何が「必要」かを見極めうる批評眼をそもそもオマエは持っているのか? という話)
その後、映画は甘いロォマンスや苦いホームドラマを包摂しながら、無鉄砲な若きジャズドラマーのサクセスストーリーをフィルムに焼き付けていく。
裕次郎とチャーリーの熾烈なドラム合戦。弟・恭二とのブラザー愛。かつてチャーリーと恋仲にあった三枝と下宿先の大家の娘・芦川いづみが裕次郎に想いを寄せる恋の複雑多角形。音楽の仕事に猛反対するママンとの厳しい確執。業界内で強大な権力を持つジャズ評論家・金子信雄との駆け引き、および取り引き。
これは嵐の予感だぜ!
いづみと裕次郎。
弟の恭二。
◆裕次郎のシンしゃん奏法が火をふく◆
『嵐を呼ぶ男』の「嵐」とは、You are my そーそーいつもすぐそばにある譲れないよ誰も邪魔できない方の「嵐」ではなく、怒涛のドラムプレイ(いわば嵐)を見せる主人公のことだが、いざ蓋を開けてみると『セッション』(14年)のようなジャズ要素よりも家庭再生譚としてのドラマ性が色濃く物語を浸している。浸しているんだ!
その最たる主題が親子間の断絶であろう。
裕次郎のママンは音楽家のようなヤクザな商売を嫌忌しており、長男のことは疾うに諦めたがせめて恭二だけは真っ当な職に就いてほしいと願う次男優遇者。裕次郎がクラブの花形プレイヤーとなりメディアを席巻するほど成功しても「アンタのせいで恭二が余計に音楽へのパッションを燃やしちまったじゃないか」と言って蔑視のまなざしを向ける。ママンに認められたいのに成功すれば成功するほど却って疎まれる裕次郎がとても不憫です。
一方、ドラムを叩き狂う兄に憧れ、音楽学校でクラシックを習う恭二には壮大な夢があった。夜道を漫ろ歩く恭二が兄に向かって夢を語り散らすシーンがいい。
恭二 「僕、なんだかモヤモヤしてたんだ。こんな喧しくて複雑な都会。人々が大都会のメカニズムの中に押し込められて、まるで窒息しそうになってるだろう?
いちど人間が、都会という大きな機械から離れて個人に戻ったとき、そこにはいつも自由奔放な生命の躍動があるんだよ! すべてが解放され、人間性がこの星空の下で躍動して、明日の活動の糧になるんだ。
ボクはこの大都会のメカニズムと人間性の相克、そして友和。そうしたものを作曲したいんだよ!」
裕次郎「なにをいってるかよくわからない」
どうやら恭二は生命躍動論の提唱者であるらしい。だが生命躍動論が何なのか、それは私にもわからない。
仲のいい音楽兄弟。
さて、裕次郎の“粗削りだけど何か光るモノがあるドラム”は世間に大ウケし、飛ぶ鳥を落とす勢いで有名になった。
片や、シックスジョーカーズ(笑)を抜けた宿敵チャーリーは人気ドラマーの座をすっかり奪われ、汚名を雪がんとドラム合戦を申し込む。その前夜にケンカで右手を負傷した裕次郎だったが、「オレはやるぞ。叩くぞ。たとえ手首が吹っ飛んでもオレは叩くんだ!」と激しく息巻いた。
手首が吹っ飛んだら叩けるものも叩けんぞ。
そして始まった本番。テレビ局のカメラが回る中、客で賑わうナイトクラブで裕次郎とチャーリーが雌雄を決する。まるでカラクリ人形のごとき軽快さで「タム、タム!」と叩き散らすチャーリーに対して左手を庇いながらの消極的なプレイとなった裕次郎…!
タム、タム、タム♪ タムーン、タムーン♬
これはチャーリーのプレイを擬音化したものである。やけにガッツがあり、リズムも正確だ。対して裕次郎は―。
シンバルしゃんしゃん…。シンバルしゃんしゃん…。
これは裕次郎のプレイね。しかし、おっと、これではいけない。こんな元気のないシンバルではチャーリーのタムタム奏法を破ることはできないぞっ!?
だが次の瞬間、痛む左手でマイクを口に近づけた裕次郎。なんと片手で叩きながら歌を披露するという咄嗟のアイデアが火を噴いた!
おいらはドラマー
やくざなドラマー
おいらが怒れば嵐を呼ぶぜ~
喧嘩がわりにドラムを叩きゃ
恋の憂さも吹っ飛ぶぜ~
(シンバルしゃんしゃん…。シンバルしゃんしゃん…)
「この野郎、かかってこい!最初はジャブだ!
ほら右パンチ、おっと左アッパー!
畜生、やりやがったな。倍にして返すぜっ。
フックだ。ボディだ。ボディだ。チンだ。
ええい面倒だい。この辺でノックアウトだ!」
(シンしゃん…。シンしゃん…)
おいらはドラマー
うわきなドラマー
おいらが惚れたら嵐を呼ぶぜ~
女抱き寄せドラムを叩きゃ
金はいらねえ 御の字さ~
(しゃーん)
場内、大喝采。
なんでやねん。
動かぬ左手をごまかすために突如歌い出す裕次郎。
そんなドラムドラマと並行して描かれるのが苦く切ないロォマンス。
弟の恭二が密かに想いを寄せているのは芦川いづみだが、そのいづみは裕次郎に対して密かなる想いを寄せており、その裕次郎は雇い主にあたる三枝への想いを密かなるものとしていた。ところが、その三枝への想いをとてつもなく密かにしていたのがジャズ評論家の金子信雄であった!
打算の金子は、三枝との仲を取り持つことを条件にメディアに裕次郎を担がせると約束。チャーリーへの対抗心から取引きに乗った裕次郎が、のちにその約束を反故にして三枝とガッツリ結ばれたことで悲劇が起きちゃうンである。
金子が雇ったやくざから壮絶なリンチを受けた挙句、石で右手を粉砕されるのだ!
左手の次は右手…。
まったく。ドラマーとは思えないほどよく手を潰す男である。もっと大事にしてみてはどうだろう!
左手をケガしたあと、こんだ右手を潰される。
◆日活は青い◆
物語終盤は、壮絶なリンチを受けて大ケガを負ったのが功を奏してママンとの和解を果たす(怪我の功名)。そのあと、恭二が指揮する新曲「アニキのマーチ」がラジオから流れてきて万感胸に迫った裕次郎が「オレのドラマー生命は終わっちまったけどよ、恭二、おまえは立派な音楽家になるんだぜ…」みたいな顔をして映画は終わる。
あ、右手潰されてドラマー生命終わったん? こないだみたいに歌いながら片手で叩けばいいのに…なんてことを思ってしまうのだが、その辺はどうなのでしょう。
いやぁ~、ここ数年は松竹・大映に傾倒していたので、久しぶりにニッカツニッカツした日活映画を観た気がしたなー。
私の考える「ニッカツニッカツした日活映画」とは色味なんだよ。日活好みのイーストマンカラーは青味が強いので、そのまま撮ると緑や紫の主張も甚だしく、ほかの色を補色どころか捕食するほど凶悪で。この色のしつこさが日活映画の特徴だと思うわけ。
被写体へと向けられた豪快とも無神経ともいえるカメラの圧は、だからそれに相応しい裕次郎、小林旭、赤木圭一郎といった「日活ダイヤモンドライン」なるタフガイ俳優たちの汗で湿った褐色の肌に程よい色気を漂わすことはできても、たとえば女優陣のアイキャッチや、後景から射る緑の光線、あるいは髪のつや、着物の質感、セットから発される年季の具合…といった“フィルムの肌触り”にどこまでアプローチできているかといえば…何をか言わんやである。
ここまで青い必要はあるのか…と思うほど青いね。
髪型評論家としては前髪をゴソッと残した裕次郎のスポーツ刈りは評価しないわけにはいかない。時おり見える八重歯もたいへん可愛く、20代前半の裕次郎を楽しむには持ってこいの作品であると結論づけたいわ。
また、ヒロインを演じた北原三枝はもともと松竹の女優だったが日活に引き抜かれ、本作の3年後に石原裕次郎と結婚して石原プロの代表取締役会長になった夫人。結婚後は「石原まき子」名義となり芸能プロモーターとして辣腕を振るった。
準ヒロインの芦川いづみは、吉永小百合や浅丘ルリ子らと共に「日活パールライン」の一人に数えられたロリ系女優。『龍三と七人の子分たち』(15年)で近年再ブレークした愛のコリーダ俳優・藤竜也は夫。
正直に言って日活映画はどことなくプラスティックな感じがするから苦手だ。本稿に載せた画像群を注意深く振り返ってもらえれば気づくかもしれないが、なんというかコンクリートのように素っ気ない肌触りなんだよね。フィルムが。
しかしまあ、くにゃくにゃしててもしょうがないので、遠き日に訪れた石原裕次郎記念館の思い出を胸にこれからも裕次郎を見ていくことにしよう!
追記
私の思い出の地のひとつである石原裕次郎記念館だが、入場者の減少と施設の老朽化により2017年に閉館しとったわ。
思い出返せ。
石原裕次郎の甥・石原良純(天気の子)。