シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

恋におぼれて

キミはまだ知らない。ロマンティック・コメディ…なのか?と思わず問わずにはいられない型ストーキング・不気味!不気味!コメディを…。

f:id:hukadume7272:20210413031647j:plain

1997年。グリフィン・ダン監督。メグ・ライアン、マシュー・ブロデリック。

信じ切っていた恋人に裏切られたカメラマンのマギー。彼女はある時、天文学者のサムと出会う。彼もまた恋人のリンダにふられ、彼女を追ってきていた。そんな2人は互いの恋人が現在同棲中という事実を知る。マギーたちは、彼らの仲を裂くため一致協力するが…。(Yahoo!映画より)


なぁ、みんな。おはようございますか。それとも、おはようござらないか?
ついに朝の挨拶を疑問形化する領域にまで研究のメスを入れてしまった究極の挨拶評論家、不肖ふかづめ、ことふかづめ、改めふかづめ、もといふかづめ、別名ふかづめ、notふかづめ、butふかづめ、つまりふかづめ・イズ・トゥルー、通称トゥルーがお送りする『シネマ イットゥー両断』略してシネトゥのお時間ですねぇー。
なぜこんなわけのわからない前置きを書いてるかというと、ほかにべつに書くことなんてないからです。ちくしょう。

あ、書くことはあった!
「どうせウソつけ」って思われるだろうけど、先日わたくし生まれて初めて、俗にいうUFOを見たかもわからない。ハイ思ったね、おまえ思ったね、即思ったね、「どうせウソつけコノヤロ」って、待ったなしで思ったね? まあ、べつに信じてほしくて書いてるわけじゃないから、どう思われてもいいんだけさ。
過日、スーパーマーケットの帰り道。あまりの蒸し暑さに「夏アホなんか? 盆地アホなんか? 梅雨明けてチョケとんか? 否。それはあまりにも否。京都なんかに住んでるオレがそもそもアホなんか?…と、そう考えることこそ妥当な思考であって。てかはよ家着きたい。ビールぬるなる…。やんぬるかな! ぬるくなるかな! へへ。おもろ」などと小言を吐きながら(私はよくこのような独り言…というか一人会話を小声でおこなう)京都・四条界隈をバカみたいな顔してぽっくらぽっくら歩いてたら、突として夕空にピカッと閃光!

「あっ」

f:id:hukadume7272:20210725065443j:plain
未知との遭遇を味わうふかづめの様子(イメージ)


まるで特撮映画で見るような、わかりやすく作り物然とした、わざとらしい光。
その光は、斜め下に直線を描きながら消えていった。
そのとき、私のすぐ横を、きわめてレヴェルの高い京美人が歩いており、思わず「姉さん。今の光、見ました? あれがUFOってやつなのかなぁ。どう思った?」と言いそうになったが、なんせ相手は京美人。「またまた。そんなこと言って、私のLINEをゲットしようという腹は透けて見えているわ。グリグリめがね。なんせ私は、きわめてレヴェルの高い京美人なのですから。去ね、グリグリ!」なんつって、ナンパの口実と思われたらイヤだなと思い、言葉を呑み込んだ。グリグリですみませんでした。
ちゅか、これだから京美人はきらいだ。すぐに物事を自分の美貌と直結させたがるんだ。でも京美人がいてこその京都でもあるからなー。京美人が京都を彩っているのか。京都が京美人を彩っているのか…。これについて考えることが今夏の課題となりそうだ。ビールがぬるなる。…ぬるくなるかな! うける。
それにしてもだ。先ほどの閃光体験を思い返すと、どうも胸がモヤモヤしてくる。

私「はぁ?」

咄嗟にむかついてしまいました。
それというのも、人生幾年、私には超常体験や心霊体験の類がなく、がために「己自身が知覚・認識・体験したこと以外は信じない」というモットゥー(信条)のもと、こうしたオカルトの類は否定してきたのだが、此度の体験によって今まで信じてきたマイ・モットゥーが崩れ去ってしまったのである!
「ほんまに出てくんなや、ぼけ」
これはUFOに対して放った言葉である。これまで私はUFOなど見たことがなかったからこそ、その存在を悠々と否定できたわけだが、実際にそれと思しきものを見てしまった以上は“一旦信じる”ほか道理なし。
おまえ、オレのモットゥーを粉々にするだけ粉々にして消えるとか…。

あの日見たUFOは、私のモットゥーを、奪っていきました。

これを「モットゥーのキャトルミューティレーション」と言わずして何と言うのかい?
また、情けないことに、あの日の京美人が今なお忘れがたく心に残ってもいる私。そう…。「恋のキャトルミューティレーション」が火をふいたのです。
さて。今日の前書きから皆さんが学べることは、UFOと京美人は結構キャトルしてきがちってことです。
キャトルされるのはだいたい牛、というのは大間違いだよ。モットゥーとか恋心とか、がんがんキャトルしよるからなぁー。あいつら。たぶん「今月のキャトル率」みたいな表をホワイトボードに貼っつけて社員同士で競っとるんちゃうけ。

そんなわけで本日は『恋におぼれて』です。何ひとつとして面白くありませんでした。

f:id:hukadume7272:20210413031724j:plain


◆義がねえ、って話ですよ。だから◆

 今日は説教回です。
『フェリスはある朝突然に』(86年) マシュー・ブロデリックと、当時人気絶頂だったメグ・ライアンが共演したロマンティック・コメディ…なのか?と思わず問わずにはいられない型ストーキング・不気味!不気味!コメディの金字塔だな、こりゃ。

そう。信じられないかもしれんが、この世にはロマンティック・コメディ…なのか?と思わず問わずにはいられない型ストーキング・不気味!不気味!コメディと呼ばれる映画が1本だけ存在する。
これだ。
将来を誓い合った運命の女性ケリー・プレストンに捨てられた天文学者のマシューは、ケリーが新たな恋人チェッキー・カリョと暮らし始めたアパートの向かいの廃ビルから二人の同棲生活を天体望遠鏡で窃視する毎日を送る真性ガチ変態ストーカーの極み。数日後、その廃ビルにメグが現れる。彼女もまた男に捨てられた悲しき女で、その元カレというのがチェッキーだった。
同じ境遇のふたりは同盟を結び、謀計を弄してケリーとチェッキーの破局を画策する。マシューはケリーとヨリを戻すために、メグは自分を捨てたチェッキーに復讐するために…!

義がねえ。

のっけから主人公サイドに義がねえ設定だな、これ。
いくら未練があるとはいえ、向かいのビルから望遠鏡で覗き見はよくないじゃん。プライバシーをバシバシに蹂躙しているじゃん。義がねえじゃん。
あまつさえ、メグとマシューはプロジェクターでアパートの様子をビルの壁に投射し、まるで映画を楽しむように他人の私生活を“鑑賞”するんである(ソファでポップコーンすら食べちゃう)。義がねえじゃん。シネマ楽しんでんじゃん。
こんな2人、誰が応援しようと思うよ?
ロマコメの主人公には何にも増して愛嬌が必要だというのに、もはや愛嬌を通り越した領域……またの名を「犯罪」という領域に飛びついてるじゃん。これって、つまり……義がねえじゃん!

 そんなプライベート蹂躙型ロマコメが本作。ロマンティック・コメディ…なのか?と思わず問わずにはいられない型ストーキング・不気味!不気味!コメディと名付けたくなるオレの気持ちも分かるだろ?
それはそうと、元カノ役のケリー・プレストンは端役の多い女優なので、本作では割と出ずっぱりで嬉しかったな。彼女はジョン・トラボルタの妻で、2020年に57歳の若さでお亡くなりになりました。

f:id:hukadume7272:20210413031941j:plain元恋人たちのプライベートを覗き見するメグ&マシュー。不義理じゃん。

◆遂にトサカに来た私がチェッキー擁護論を展開 ~いま脱がれし、ベールとエビの皮~◆

 公園のキッズたちに香水を混ぜた水鉄砲をチェッキーに浴びせて浮気の濡れ衣を着せるなど、マシューたちの破局作戦は当初こそ可愛らしいものだったが、どうも別れる気配のないチェッキーとケリーに業を煮やした二人の謀は次第にエスカレート。盗んだクレジットカードを無断使用したり、チェッキーの営む高級レストランにゴ〇〇リを放って営業停止に追い込むなど、ブラックジョークというより単に悪質な追い詰め方をしていくのです。
マシューに至っては道ですれ違いざまにチェッキーの顔をパンチして逃げるなど、もはや破局作戦もヘチマもねえじゃんとしか言いようのない暴挙に出てるからね。ただの私怨による暴行罪ですよ、それ。破局作戦とかじゃなくて…ただのパンチじゃん。

  おまけに24時間体制で盗聴盗撮。留守中アパートに不法侵入したメグとマシューは部屋を荒らした挙句に酔った勢いでセックスもする。結局失業したチェッキーは一文無しになり、ようやくケリーと破局したが、マシューが誤って高所から突き飛ばしてしまい全身骨折。それでも怒りが冷めやらないメグはアレルギーのイチゴを枕に忍ばせて蕁麻疹を起こさせる。
実に踏んだり蹴ったりのチェッキーであるが、映画は「チェッキーみたいな男は痛めつけられて当然」とでも言うかのように飄々と彼を罰していくが、私の目にはさほど悪い男には見えないのよね。
フランス人のチェッキーは単身渡米して実力だけで財を築いた真性ガチ勝ち組。多少傲慢な性格ではあるが、その移民根性には目を見張るものがある。マシューは「愛するケリーを寝取られた!」と恨みを吐いていたが、会話の文脈を読む限り、べつにチェッキーはケリーを寝取ったわけではなく、むしろ“順当に愛を勝ちとった”だけであろう。
チェッキーの勝ち。

チェッキー擁護論は続く。
チェッキーったら、皿洗い係としてレストランに潜り込んだマシューに「以前オレを殴ったのはお前だろ!?」と一発お見舞いしたあとに「これでチャラだ」と言いきってのけ、そこからは男同士の付き合い。まさか向かいのビルから毎日監視されているとも知らず、良き友人としてマシューと接するのである。おまけにケリーを真剣に愛してもいる(←ここポイント高い)。
チェッキー普通にいい奴じゃん。
なのに、何なんだこの映画。なんでこんなに義がねえんだ。なんら咎を受ける義理のないチェッキーが、理不尽にもプライベートを侵害され、幸福を奪われ、職を失い、人生を破壊される。家も財産も女も失い、あげく全身骨折だよ。
血も涙もないじゃん。

f:id:hukadume7272:20210413032626j:plain全身骨折のチェッキー(左)。悲惨な目に遭いすぎて映画後半はポロポロと泣き通し。

 不愉快なのはマシューである。
自分に男としての魅力がないからケリーに捨てられただけの事をチェッキーのせいにして、未練がましく廃ビルに監視施設なんか構えやがって。道徳的にも法律的にもギルティだよ。
そもそもオマエはケリーという女を理解していましたか? 都会でバリバリ働く夢を持っていたケリーを田舎に縛りつけて「僕たちが出会った町はここです。どこにも行かなくていいじゃん」なんて言ってる時点でオマエの愛は一方通行なんだよ。おいチビ。こうなってくると、もうチェッキー云々以前の話で、オマエは根本的にケリーのことを分かっていなかった。だからフラれただけ。ザッツオールなだけ。チェッキーなんて居ようが居まいが関係ねえわ。遅かれ早かれケリーは愛想を尽かしてNYに行っていたさ。
つまりオマエの負け。
まだ何か言いたげだな、マシュー。ほれ言ってみろ。

「それでも僕にはケリーしかいない」

自己憐憫も大概にしろ。甘えるな。チビ。だったら彼女のことをよく理解しろよ。彼女に見合うだけの男になる努力はしたか? してない? じゃあ甘えんな。エビ。剥くぞ。エビ。
俺のむかつきは止まらない。オマエはチェッキーからすべてを奪ったあと、なおも白々しく友達ヅラして「僕でよかったら相談に乗るよ」とか言っていたな。まったく、どの口が言うんだよ。盗人猛々しいとはこの事だわ。
なんだ、まだ何か言いたいのか?

「僕ばかり責めて、メグを責めないのはなんで」だと?

分かりきったこと聞くな。
メグは可愛いから責めないんだよ。
当たり前だろうが。おまえはエビか?

f:id:hukadume7272:20210413033020j:plainチェッキーを妬むエビ(リンダというのはケリーの役名です)。

◆こんな映画にヒッチコックの『裏窓』を引用するのも癪だが

 で、案の定ラストはメグとマシューが結ばれます。
ノーロジックで。
「気づいたら好きになってた…!」
「アタシもいつの間にかあなたに夢中になってた…!」とか言って。
酔うとんのか?

ロマコメとしては一切トキめかないし、ブラックジョークとしてもビタ一文笑えない。
ただやってることのおぞましさにドン引きしながら不快感に顔を歪ませていくだけのグニャグニャの100分間をこの映画はオレに提供した。終盤のオレなんて、顔歪みすぎてムンクの絵みたいになってたわ。自撮りしてオークションにでも出せばいい値がついただろうか。
まったく、けったくその悪いよーッ!

 一応まじめモードの批評もしておくと、映画としての構造はヒッチコックの『裏窓』(54年) です。向かいのアパートを窓から窃視する構図が一貫しちょるわけだが、本作はそこにもうひとつ、“向かいの様子をプロジェクターで投影する”というメタ構造が、こちら側のアパート=廃ビルを劇場化しており、まるで映画を楽しむように他人の生活を覗くメグたちを映画越しに覗くという二重フレーム構造が“観る”という行為をより意識化させている。なかなかおもしろい試みだ。
ほかにも望遠鏡や無線機を使った映画的活用はみとめられるので、作りとしてはそこまでマズい作品ではない。
ただ感情論として内容にムカつくだけ。

パンキッシュな出で立ちのメグは賛否両論らしいが、自称メグ・ライアンのファッション評論家としては大満足。相変わらず髪質がすばらしく、擦れっ枯らしなキャラクターもバチグー。おわる。

f:id:hukadume7272:20210413031834j:plainメグちん。