シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

幸福の黄色いハンカチ

満腹のしんどいカツドン。

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1977年。山田洋次監督。高倉健、倍賞千恵子、武田鉄矢、桃井かおり。

 

北海道の雄大な景色を台無しにするかのように武田鉄矢が所構わずウンコする映画。

 

うんうん。よくわかるよ。おはようと言いたいのだね。はい、おはよう。これでいいかね?
今日の前書きは特に書くことがないので「へろへろ前書きストック」から放出するとするぜ。

へろへろ前書きストック…日常の端々で「これ前書きに困ったときに使お」と思ってメモ帳にへろへろと書き溜めた雑文ストックのこと。その数は1550を超えるというが、反シネトゥ勢力の間では「超えない」とも囁かれている(真相究明が急がれる)。

というわけでストックから1発放出

 ハイ、みんな。当ブログのヘヴィ読む者って、わりあい成熟したレディース&ジェントル層が占めているのだよね。精神年齢も実年齢も高い。まあ、誰とは言わないけど、たまに精神年齢こそ低いけど実年齢だけは一丁前に高い人もいるけれど。コンマさんとか。
そこで私は考えた。当ブログに足りないのはギャル層の読者であると。
通称、ギャる者。
ギャルという生命体は“歩く文化の発信地”ですから、これからはシネトゥも、ギャる者を取り込んでいかねばなりません。ギャルトゥです。
渋谷、原宿、シネトゥ。
この並びだよ。だから。黄金比だよ。
 現にさぁ。いま浮世では「あげぽよ」だか「あきぽよ」なんていうバラエティタレントが活躍していると言うんだって。つまり僕の場合「ふかぽよ」になるわけね? 意外と通用するくね。
あとファースト・サマー・ウイカだっけ。彼女も影響力が大きいらしい。これに逆張りするなら「ラスト・ウィンター・ミカン」なのかな。それとも「ミドル・オータム・モミジ」とか…。
「センテンス・スプリング・オトメ」?
 センテンス・スプリング・オトメで思い出したけど、そういえばベッキーって今なにしとん。ガッキーならこないだ結婚したって聞いたけど。ベッキーは何しとん。ラッキー訪れとん? あと、相手のゲスの方。ちょっと南の方の呪術人形みたいな顔した人。ファンの人いたらごめんなさいね。むちゃむちゃ言って。でもシネトゥ…ギャルトゥってこういうブログだから、もとより。諦めてね。どうせ諦めるなら早いに越したこたーない。
そんなわけで、ミドル・オータム・モミジがお贈りする『ギャルズ一刀両断』。本日のラッキーアイテムは「染め損ねたゴブリンの白毛」です。がんばれ。

うーん。これはひどい。
まぁ…これはひどいっていうか、いつも大体ひどいんだけどね、前書きは。お酒飲んでるときにパッと思いついてチャッとメモしてる、学ゼロのファッキュー戯言だからなあ。つまり「へろへろ前書きストック」は、そのクオリティも「へろへろ」だったっていう!!!
そんなわけで本日は『幸福の黄色いハンカチ』です。かなり理屈っぽい文章でグサグサ酷評してるので山田洋次ファンはいい気がしないでしょうね。知ったこっちゃねーけど。

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カツ丼残したのに

 U-NEXTに『幸福の黄色いハンカチ』のデジタルリマスター版が転がっていたので「さあ、どうでしょうな」なんて思いながらペロッと鑑賞。
ちなみに本作は、私が山田洋次アレルギーを自覚し、当時ホームページや電子掲示板などで山田洋次作品をせんど批判(…どころか発狂バチギレ酷評)したあとの“喉元すぎれば怒り忘れる季節”に初鑑賞したので、他作品ほどには悪い印象を抱いていない。なので本稿でも取り乱すことはないかと思います。期待に沿えなくてすまんのぅ。

 私はこれまで、山田洋次に対する激憤のために数々の映画ファンと絶縁や喧嘩を繰り返してきました。
なんといっても、1950年代前後に生まれているご年輩の映画ファンが大体好きなのが山田洋次なので、その世代の方々と日本映画の話をするたびに非常にもどかしい思いをしてしまう。それまでは仲よくコッポラやイーストウッドの話をしていたのに「日本映画なら山田洋次だよ」と言われた途端に「ゲッ」と私、思わず顔が引き攣ってしまうのだ。
や。もちろん山田洋次ファンはこういう人、と十把一絡げにしているわけではないのだけど、少なくとも人生幾年の経験則から、私の五体は「山田洋次ファンには映画をストーリーで見ている人が圧倒的に多い」という皮膚感覚でコーティングされておりますし、現に7年前、山田洋次を高く評価していた某料理屋の店主(60代くらいの白髪ジェントルマン)とカウンター越しに語らった際、けっこう踏み込んだ映画談義ができたので“ショット”という単語を出してもいいかなと思い、「ふかちゃんって山田洋次は好き? 僕は大好きで、ほとんど観てるで」との言に対して「うーん…。でもショットが繋げない人じゃないですか?」と軽く反対意見をぶつけてみたところ、「ショット? おまえはなにをいっているの? 山田洋次はほっこり観りゃいいんだよ」と返されてしまい、「嗚呼、ダメだったぁー」と言語的断絶に逢着。かかる気まずい雰囲気を打破するように私、話の接ぎ穂として「でも山田洋次作品の人情はステキですよね。『遙かなる山の呼び声』(80年) とか。ヤッホーつって。ねえ? ヤッホーつって」などと、もはや映画とは何の関係もないテマティックな話でお茶を濁しにかかる。まあ、飲んでたのはビールだけど。
ほいだら店主、「あー…『遙かなる山の呼び声』ね。それまだ観てないんだわ」と言うので「観てへんのかい」と思わず突っ込んでしまって、妙な空気。アンタが「ほとんど観てるで」言うからほりこんだのに。俺のヤッホー返せ。

…と、まあ、そんな苦い経験も一度や二度では利かぬくらい、日夜各所にはおびただしい数の山田洋次ファンが跋扈しており、彼らと映画談義をするたびに私は「ダメだったぁ」と「ヤッホー」を繰り返してるンである。
遙かなる俺の嘆き声。

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笑顔がすてきな山田洋次さんではあります。

 さぁ、雑談もそこそこに『幸福の黄色いハンカチ』を見ていきましょう。
あまりに有名な作品なので、話の内容は細かく追う必要はないかな。
…追おうかな。
ザッとおさらいすると、北海道で赤いファミリアをぶんぶんさせて傷心旅行をしていた死にましぇん俳優の武田鉄矢が、SK-II女優の桃井かおりをナンパして2人旅。道中、不器用俳優の高倉健を乗せることになったが、この男は出所したばかりの前科者で、別れた妻である寅さん専門女優の倍賞千恵子に会いに行こうとしていた。
武田鉄矢はことあるごとに脱糞して、桃井かおりは3度号泣し、高倉健は人を殺害、そして倍賞千恵子が黄色いハンカチを竿に吊るす…といったハートウォーミング大作である。

 アメリカでは2008年に『イエロー・ハンカチーフ』(08年) としてリメイクされており、ブレーク前のエディ・レッドメインとクリステン・スチュワートがそれぞれ武田鉄矢と桃井かおりの役を演じている。どこがやねん。エディ・レッドメインのどこが武田鉄矢や。
ちなみに高倉健の役はウィリアム・ハート。
禿げとるやないか。

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『イエロー・ハンカチーフ』。禿げる始末。

 さて。本作にはさまざまな逸話があるけれど、中でも語り草になっているのは出所したばかりの健さんが食堂でビールを飲み干して大盛りラーメンを鬼すすりする冒頭シーンだよね。
やっとシャバに出られて随意にメシを食える喜びを表現すべく、高倉健は実際に2日間断食して撮影に臨んだという!!

どこが「健」なんだと。

むしろ不健康そのものじゃん、としか思えないメソッド・アプローチだが、ここでの食べっぷりが非常によいのですよね。両手でグラスを持って一息にビールを飲み干すのだけど、すべて鯨飲したあとに顔が一瞬ぷるると揺れちゃうの。
2日ぶりに胃にビールを叩き込んだわけですから、身体がおったまげて「急に何しょん!?」とばかりにぷるる、痙攣したのである!

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五臓六腑に染みてるやん。
「いま健さん、ぷるるってした?」と人が気にしていると、健さん、「二度とぷるるとすまい…」とばかりに全身に力を入れ、ぷるるを上から押さえつけていく!
約3秒後。ぷるるの押さえつけには成功したが、こんだ息を吐こうとして健さん、故意かまぐれか「フォーゥ」と言った。

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フォー言うた。
人は2日間断食したあとにビールを飲むと顔がぷるると揺れて「フォー」なる不思議の語を発する…ということがよく分かったあとで、間髪入れず健さん! 胃のきもちなど顧みることなく醤油ラーメンにありつく!

まず、1stチョップスティックス(最初の一箸目)にチャーシューを選んだ健さん! 箸で持ち上げたチャーシューをしばし観察したのち……健さん!
「いや…」と考え直し、一旦チャーシューを置いて麺にいった!!

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チャーシューのこと大事に思ってるやん。
あとの楽しみに取っておこうってプラン立ててるやん。
チャーシューとの逢瀬をあくまで戦略的に先送りした健さんの1stチョップスティックスがラーメン鉢に轟く!

麺を鬼すすり!!!
ズビズバ! ぞぞぞぞぞ!

日本映画史上類を見ないすすりっぷりを見せていく健さん!

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やってることダイソンやん。
もう健さんっていうか「ケンソン」やん。
吸引力の面で拮抗してるやん。
いよいよ本家ダイソンをケンソンが脅かし始めてるやん。

すると健ソン! 口内は麺だらけ!
なにしろ麺全体の20%ほどを一口でいったせいで「むせて吐き出す」か「噛み切るか」を一瞬考えます!

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麺類ならではの二者択一迫られてるやん。
格好つけながらスパゲティ食べてるけど思いのほか麺が長すぎて「どないしようかなぁ。噛み切りたいけどマナー的にちょっと汚いし。それに、なまじ噛み切ったことで短く残った麺を後からフォークですくって食べるのも意外と骨が折れるしなぁ」って考えてるときのサイゼリヤでの俺みたいになってるやん。

すると健ソン!
すすり切れないラーメンを断腸の思い…ならぬ断麺の思いで噛み切った!

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むせるぐらいなら噛み切った方がマシと判断してダイソンに降参してるやん。
自らの手でダイソン・ケンソン抗争に幕おろしてるやん。
まあ、麺は噛み切らずに食べるのがマナーとされているが、この場合は仕方ないよね。
ていうか、よく見ると、健さん!
ビールと醤油ラーメンでは飽き足らずカツ丼まで頼んでいた!

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まずムリやん。

いくら2日間断食してたとは言え、大盛りラーメン1人前とカツ丼1人前は大体ムリやん。もしこれが勝新太郎とかならペロリだろうなって思うけど、高倉健にはそういうイメージないやん。たぶん残すやん。たぶん残すくせに欲だけは張ってくるやん。
そしたら案の定、健さん!
カツ丼には一口も手をつけずに食堂を後にしてしまう!

せやから言うたやん。
炭水化物と炭水化物の多頭飼いを世話できるほど胃ィ広ないって言うたやん。食の多頭飼育崩壊おこしてるやん。

すると、急に所変わって郵便局!
元妻の倍賞千恵子に宛てて「今日、出所した」という旨を便箋にしたためる健さん!

カツ丼残したくせに手紙書いてるやん。

そのあと、海岸で武田鉄矢&桃井かおりと交流を持った健さん!
鉄矢から「写真、お願いしていいっすか?」と頼まれ、二人のチョケた姿を撮影していたが「一緒に撮りましょうよ!」と誘われるままに鉄矢と肩を組んで記念にパシャリ。

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カツ丼残したのに記念写真撮ってるやん。


あー。あかんわ俺これ…。変な見方したせいで雑念に囚われてしまった。
健さんが何をやっても「カツ丼残したのに」が頭から離れんようになってもうてる。
ちなみにこのあと、夜中に嫌がる桃井を押し倒した武田鉄矢を、健さんが「おまえ、それでも九州男児か!」ってカッコよく説教するんだけど、なおも雑念拭えぬ私、「いや、おまえカツ丼残したけどな?」って。
結局ラストシーンまでカツ丼の亡霊に追いかけられながらの『幸福の黄色いハンカチ』でありました。もう私の中では『満腹のしんどいカツドン』だけどね。

◆山田洋次を観ることの不可能性◆

 残念なことに人は山田洋次の作品を観ることができません!!!

 彼の作品は、もっぱらストーリー理解に宿る情緒に感動するための便宜的手段として“見る”ようには作られていても、映像それ自体を“観る”ようにはあまり作られていないからだ(一部例外もあり)。
早い話が、あの人はフィルムメーカーではなくストーリーテラー
映画を撮る者ではなく物語を紡ぐ者であり、かかる態度は小津安二郎を「何も起きなくて退屈」と言ってのけた伝説的語録にも顕著だけど、そういうタイプの映画作家は、往々にして「撮る」ことを「描く」と言いがちなのよね。つまりテマティックな映画制作をしている山田洋次にとっては、当然ながらプロットをこそ根幹とした物語優位の制作構想が重要になってくるわけです。
だけど、私が「映画」という言葉を使うとき、そこに意味や物語に関するテマティックな文脈はいっさい含んでいません。
なぜなら、意味論とか物語論というのは観客の頭の中だけで整理・理解され完結してしまうものであり、スクリーン上で起きている光と影の明滅現象(=映画)とはあくまで無関係の“観念”だからであります。
それでも、ストーリーに感動したりキャラクターに感情移入できることがよい映画の条件だと信じきっている人たちに対して、たとえば「その条件ってべつに映画じゃなくても満たしうるよね」と言ってみたところで「パードゥン?」と聞き返されるのが関の山なのよね~。おっほ!


…というような話を、これまで幾度となくしてきたものの!

必ずある段階で「おまえは何を言っているの」ってステキな返しを頂けるので!

そこで私は説明をやめてしまうのです!

もうなんか…改めて映画の底知れぬ異形性に武者震いを覚えるよね!!!

まったく難儀な話だ。涙が出る。

f:id:hukadume7272:20210726004939j:plainカニ食って喜んでる鉄矢と桃井。

 人は当たり前のように「映画を観た」などと言い捨てるが、その実「映画」への根本的な無知にも無自覚な状態で「観る」とはどういう事なのかも説明しえぬまま、ことによると「観る」と「見る」との間には今日も冷たい雨が降ることさえ知らず、ひとまずはスクリーンを「眺め」てさえいれば映画鑑賞はなしうるなどという、およそ映画鑑賞とは真逆の身振りによって、今日も今日とて元気に「映画」を誤り続けています。

ロベール・ブレッソンが「知性によって操作される映画は、それ以上遠くへ行くことができない」と説き、クリスチャン・メッツが「物語が映画を支配してしまうと、場である映画が背後にいってしまう」と説き、とどめにジャン=リュック・ゴダールが「人がまず最初に見るものは二番目に来るもの(テクスト)であり、映像ではない。映像は最初にやって来てはいるが、いつも代弁されてしまい、目に見えないものとなったり、融けた原子のようなものになってしまう」と説いても、結局のところ、多くの人たちにとっては映画なんざ滅多に“観れない”ものですから、皆さまにおかれましてはどうぞ気にすることなく、いつも通りにお過ごし下さいませ。

ただ、まあ、「人々は自分の目を、見ることではなく読むことに使っている。人々は今に見ることができなくなるだろう」と予言したゴダールはさすがね。
大当たりですやん。

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カニ食って喜ぶ鉄矢

◆過失のショットと赤いファミリア◆

 そんなわけで、ひとまず山田洋次作品の醍醐味とも呼べるテマティックな精神性(アー…例えば「人間の情」でありますとか、ウー…「人生」でありますとか、エー…「心の襞」でありますとか、オー…まぁそのようなものであります)をドン無視して、あくまで表層批評をしていくけれど、やっぱりこの映画は根本的に…「汚いなぁ」って。僕「汚いなぁ」って。

 ちょっと観てるのが辛くなってくるほどロケーションやカメラアングルが雑で、カットも繋がってるんだか繋がってないんだか分かんないような編集がなされている。カメラマンと編集技師は山田洋次専属の高羽哲夫石井巌。他作品ではここまで酷くないという印象だが、なぜに『幸福の黄色いハンカチ』だけがこれほど汚いのでしょう。それは多分ロードムービーであるからでしょう。
パンやクローズアップなどは到底見れたものではないのだけど、とりわけカメラの余計としか言いようのない動態意識ゆえに高羽のステディカムは辛抱のできない子供のようにはしゃぎ回り、あのわざとらしいピン送りで木々や草花をなめていく。

きわめつけはラストシーンの、健さんが帰ってきたことに気付いたときの倍賞千恵子のリアクション・ショット。
なまじ2人の邂逅が美しいロングショットによって果たされたわけでありますから、そのあとの倍賞を事もあろうにアップショットでなぞるなど絶対にしてはならないことです。
当時、山田洋次に批判的だった私の“怒り”は、初めて本作を観たときにこのアップショットで「あぁ、これやっちゃう人なんだ…」という“呆れ”に変わりました。何度観ても呆然とするほかない、映画史上類を見ぬ“過失のショット”。

f:id:hukadume7272:20210726003619j:plain2枚目の倍賞のアップ。日本映画史から抹消したい痛恨のミスショットであります。


あと、被写体が頻繁にシネマスコープから見切れてる。
『男はつらいよ』シリーズなんかは、シネスコこそ映画だと言わんばかりに戦略的な構図が(多少わざとらしくはあれ)取られていたけれども、本作はむしろシネスコによって構図が瓦解しており、その崩れっぷりたるや見ようによってはトリックアートに思えてくるほど前衛的。
ここまでくると、いっそ楽しめます。

 もう少しだけ愚痴っていい?

武田鉄矢の顔と桃井かおりの声が汚いよ!

武田鉄矢に関しては、不肖ふかづめが発表する「テレビやドラマで見るぶんにはいいけどスクリーンでは決して見たくない役者ランキング」で堂々の14位であり、特に若いころの下品な佇まいとオーバーな喜劇芝居には苦笑を浮かべるばかりだ。鯛みたいな顔しやがって。
鉄矢ァッ!

f:id:hukadume7272:20210726005238j:plainこれじゃ海援隊どころか「顔面鯛」。

そんな鉄矢が、騒ぎ、ちょけ倒し、そこかしこで腹を下してウンコを放つ。

しまいには雑貨屋でコンドームを買った夜に桃井へのレイプ未遂を演じるなど、ま~~スクリーンをけがす汚す。
鉄矢ァッ!!!
もっとも、ファーストシーンではアベックの車を煽っていた鉄矢が、ラストシーンでは桃井と結ばれたことで車中でキスをおこない、今度はよその車から煽られる側に回る…といった映画的帰結は小気味よいが、いかんせん映画の神から見放されてるとしか言いようのない鉄矢のキス顔。
その汚さに、結局最初から最後まで「鉄矢ァッ!」なる怒声を発し続けていた私でした。これがオレなりの『贈る言葉』だよ!

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鉄矢、金歯見えとるぞ。

さて。汚いといえば、風俗描写としてはそれなりに効果もあったピンク・レディーの「渚のシンドバッド」やイルカの「なごり雪」も、ほぼフルコーラスで流されては少々下品。
鉄矢の顔といい挿入曲といい「通俗的」なる語の範疇を明らかに超えてます。これを良しとする美的感覚を、ワシは疑うわ…。

 ただし、人懐こくスクリーンに映える赤いファミリアによって辛うじて画面は保たれている。
この祝福さるべき山田洋次の色彩感覚は、たとえばラストシーン付近まで“黄色のモチーフ”を画面から徹底排除するという意図をも喚起するわけであります。
もちろん、この身振りは「もし、まだオレを待っててくれてるなら鯉のぼりの竿に黄色いハンカチをぶら下げておいてくれ」と手紙に記した健さんが、かつて元妻と暮らした夕張の家に向かうラストシーンの感動的なサスペンスを装置化するための巧みな演出なのだけど、それより見事なのは3人を乗せたファミリアが夕張に近づくにつれ、広場で「銀座カンカン娘」を歌っていた女性の黄色のシャツや、健さんが手紙の内容を2人に教えた駐車場に咲いているタンポポ…といった映画的予感が“無数のハンカチがぶら下がりまくった竿”というハッピーエンドを確約したことに他ならないのです。
ちなみに、このラストシーンに「ベタすぎ。結末が読める」なんてことをレビューサイトに書いていた映画リテラシー0の馬鹿豚ポップコーンがいたけれど、“読める”んじゃなくて我々は“読まされてる”のよ。山田に。
映画的予感を「読めた!(自分で気付いた!)」って勘違いしてる輩ほどおめでたいものってないよな。まんまと“読まされた”だけなのに。おまえの手柄じゃなくて演出の手柄だよ。
映画演出なめんなよ。この海亀ボーイが。

 もっとも、いま褒めたことは発色のよいデジタルリマスター版だからこそ評価しえたポイントなのかもしらんが、少なくとも「赤いファミリア」と「黄色いハンカチ」はきわめて映画的に撮られたモチーフであり、この一点においてのみ、人は『幸福の黄色いハンカチ』をデジタルリマスター版で再鑑賞する意義を見出せると思います。

 山田洋次作品を取りあげると毎度こんな感じになるので、もうやりません。

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