シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

歩きスマホしてる奴、どついたるぞ。

ありがとう、ありがとう。無期限活動休止中のふかづめです。
いつかレビューストックが尽きたり活動休止したときに出すつもりでいた「時間稼ぎの小癪な記事」を出すときがとうとう来たというのか!
そんなわけで書き下ろし随筆。2年前に生まれて初めてスマホを持った男の実録スマホ購入記でもお送りするわ。記事自体は2021年6月に書いたものです。
特大ボリュームなので2回に分けてゆっくり読むのが吉。
もっと言えば、読まないのが吉。


【序章 臥竜、雌伏の時を過ごす】

 かれこれウン十年近く馬齢を重ねてきた私であるが、なんとこのたび、人生で初めてスマホを買ったのであるん。るるん。
まあ、私が入手したのは0円スマホであるから「買った」というより「もらった」という感覚なのだけど。
これまで、スマホに対してよいイメージを持ってこなかった。まあ、正確にはスマホ依存の現代人に対してよいイメージを持っていないのだ。私はスマホ依存症のなめた奴らが大嫌いなので、いわばスマホは風評被害を受けたといえますね。私から。
だってさ、電車に乗れば猫も杓子もうなだれてスマホを触っているでしょう。死んだ目をして。こないだなんて、車両の乗客全員がスマホの画面に目を落として、アプリやゲームなどで随意に遊戯。天を仰いで粛々と黙想していたのは私だけだった!
ちなみに、その時の黙想メニューは「この辺に煙草シバける場所あらへんかな」ということと「オレはいつまで髪のコシを保てるだろうか」ということである(カテゴリ的には科学・ITに分類される)。

 また、町に出づれば、自転車を漕ぎながらスマホの画面を見てるヤツ、信号待ちしながらLINEで作文してるヤツ、「どっちー」と言いながら地図アプリ開いてくるくるしてるヤツらの魑魅魍魎。
とりあえず全員アホにみえる。
私の目に、そういう連中は「いい歳してアホの子みたいにオモチャ触って喜んでる大人」という映り方がして、他人事ながら情けなくて涙が出そうになるのだ。ごめんな。
数年前なんて、道を歩いてたらスマホに夢中の前方不注意野郎がぶつかって来て「すみません。気づかなくて…」と謝られたので、京都人ならではの厭らしい笑顔で「こちらこそすみません。あなたがスマホに夢中ということに気づかなくて」と皮肉まじりに謝り返したこともある。


 他方、現代人がスマホに依存すればするほど、私のようなガラケーユーザーは局所的に得をしたり、また精神的優位に立つことができるのも、トゥルーといえばトゥルー。
なんといっても反骨精神が獲得できますよね。獲得できますよ。
「皆はスマホに乗り換えてるけど、このオレはそう簡単には流されないよ! オレは時の流れに逆らう鮭ぇ!」というサムライのごとき孤高の美学へと自己陶酔することが可能なわけだ。
実際、初対面の人にガラケーユーザーであることを告白すると、「なん…! この高度情報化社会にあって未だにガラケーとは、おそろしい男だ。底知れない何かを隠し持っている。きっと馬鹿か天才のどちらかだろう。なんだこの鮭野郎。間合いがとれない」と思わしめ、傾奇者として畏敬の念を抱かすことができるってしくみ。
また、ポケモンGOが流行ったときは「キミはやらないの。ポケモン好きでしょう?」と周囲から言われるたびに「いや、そもそもスマホGOすら出来てないからな」と返したギャグが比較的安定して受けたことが記憶に新しい。ガラケーユーザーならではの色褪せない定番ギャグが生まれました。

 而して、スマホに対しては少しく複雑な思いを胸にしているのである。スマホ依存の連中は大変にむかつくけれども、ヤツらがいるからこそ、サムライ、しからずんば傾奇者になれている俺がいるわけで、いわば、逆・あばたもえくぼ的な愛憎のバドミントン。「あばたとしてのスマホ」と「えくぼとしてのスマホ」が同居しているンである。
…序章にして早くも当記事は混迷を極めている。


【第一章 英雄、発つ】

 今年、長らく愛用していた携帯電話がオシャカになった。「あーうー」という携帯会社で買ったガラケーである。
さて。私の愛機は10年選手どころか13年ぐらい使っていた鬼のロートルだ。そんなロートル携帯が、このたびオシャカになった。ひとまずは「酷使に次ぐ酷使をよくぞ耐えました。おまえは」と労いたい。永年勤続表彰を10回しても足りないぐらいのファイトをみせましたね。

 オシャカの兆候は数年前からあった。
まずはバッテリーである。13年も耐え続けたバッテリーパックはぼっこりと膨れあがり、がために格納することができず、交換してもらおうにも生産終了。
仕方ないのでガムテープでぐるぐる巻きにして使用を継続していた。無理やりバッテリーを押し込んでガムテープで固定するという剛腕沙汰である。すると何が起きるか? ガラケー下部、すなわちタッチエリア全域をガムテープが覆う形になるのでボタンが一切見えないという神隠し現象が起きる。
だもんで俺、元来ケータイの扱いには不慣れだったために、輪をかけて誤操作の鬼と化した。どこに何のボタンがあるのか、さっぱり見えない。透明のガムテープにすればよかった。
悔しさを込めて、俺はこの愛機を「神隠しケータイ」と命名することにしたんだ。


 我が神隠しケータイの劣化現象はとどまる所を知らない。ここ1~2年はボタンが反応しないという憂き目に遭っていたのだ。ポンコツ化にさらなる磨きがかかる。
うまく反応する場合もあるし、そのときは「やった!」と思わず喜んでしまうが、そもそも反応しない場合があること自体が問題なので、人から「連絡してね」と言われるたびに「連絡できるかどうかは運次第です」と答えるしかなかった。反応しない日はまったく反応しないので、電話をかけるときは毎回「一か八か」という思いでボタンを押すしかないのだ。
怪訝な顔をする相手に、上記の旨を説明したら「連絡できるかどうかが運で決まるケータイってなに。なんでそんなにも丁半仕様なの」とか「おまえは愚かな通信兵か」と叱り飛ばされてしまった。さもありなんだ。
反省の意を込めて「丁半ケータイ」に改名。


 私の丁半ケータイはバッテリーも消耗しきっており、充電満タン状態から5分通話するだけで電池切れを起こす。いよいよポンコツを極めた感すらある。風格出てきた。
ゆえに外出時は、ここ一番という時しか電話が使えず、室内にいるときも常に充電をしていなくてはならない。充電をしていないと30分くらいでバッテリー残量が0になるからである(使ってなくても)。
もはや充電コードが点滴チューブにすら見えた。
友人からは「とっくに選手生命終わってるやん、そのケータイ」と評されてしまったが、これには異を唱えたい。よく言えば、私の愛機はスプリンター(短距離走者)なのだ。よく言えばね。
むしろ5分しか通話ができないからこそ、言葉を吟味する、要件を簡潔に伝える、相手が話してる途中で切る…といったテクニックが習得できたのだ。私は、このような過酷な連絡環境を通して「言葉を伝える作法」と「相手の話を遮る不作法」を身につけたのです。不便を逆手に、私は成長してきました。5分のかがやきをナメる者は、5分のかがやきにナメられてしまいますよ?
その後、愛機の尊厳のためにも「秒殺ケータイ」に改名。なお、秒殺されるのはケータイの方である。


 なんと切ない秒殺ケータイであろうか。
だが、もはやここまでポンコツだと、切なさだけでなく「愛しさ」と「心強さ」すら感じ始めてきた。篠原涼子が歌っていたのはこのことだったのか…と今更ながら気づきをえる。
携帯電話としての機能を根こそぎ失い、ただ5分で停止する機械としての謎めかしさだけを唯一の持ち味としながら、「覚醒」という名の電源オンと「失神」という名のバッテリー切れを繰り返すだけの、ふしぎなふしぎなこの世の機械…。
そう。人はそれをポンコツと呼ぶ。
過日。いつものように秒殺ケータイを起動しようと思ったら「ブルッ…!」と一瞬震えて、そのあと動かなくなった。は? バッテリー残量はあるのにウンともスンとも言わない。
逝ってもうとる。
最期はじつに呆気ないものだった。よく「灯滅せんとして光を増す」などと言って、火は消えかかる瞬間こそ勢いを盛り返す、なんて話が法滅尽経には書いてあるけれども、我が秒殺ケータイの場合は「ブルッ…!」がそうだったのだ。私にはあいつの声が聴こえる。
「このぼくが最期に遺せるもの。それは…ブルッ!」
多分そう言ってんだな!!?



【第二章 霧中の狂乱】

 愛機がオシャカと化したので、すぐに「あーうーショップ」に行った。
あーうーの店員に事情を説明する私。その口ぶりは、立て板に水。
「私の秒殺ケータイがオシャカになったので、これを機にスマホに買い替える算段で入店をしました。どうぞ、よくしてやって下さい」
すると、店員から「現在、オシャカになったケータイはお持ちですか」と秒殺ケータイの提示を求められたので「はい。ポンコツを極めきっています」といって差し出したところ、店員はギョッと目を剥いた。無理からぬことである。
あーうーショップの白くて綺麗なテーブルの上に、ガムテープでぐるぐる巻きになったバッテリーぼこぼこの汚ったねェ物体が転がっているのだ。
これは、もはや携帯電話ですらない。
ガラクタだ。
そう呼んだ方が早い。

店員さんは困惑しつつもガラクタを手に取り、ためしに電源を付けようとしたが、当然なにも起きるはずがない。なぜならポンコツは既にオシャカと化し、オシャカからガラクタとして完全変態しているからだ。
見かねた私は「ウンともスンとも言いませんよ。根本的に破壊し尽くされているのです」と補足説明をした。
そのあと、バッテリーを取り出そうと試みた店員さんの努力は、ぐるぐる巻きになったガムテープを前にして虚しくも水泡に帰す。見かねた私は「絶対に取れないですね。二度と外れない仕掛けになってますから。やった本人でさえ、少し後悔しているんだもの」と補足説明&心情吐露をした。
「こいつさっきから何言ってんだ」みたいな顔をした店員さんは、気分を変えてスマホの説明をしてくれたが、私は昔っからケータイショップ店員さんの説明がひどく難しくて何を喋ってるかぜんぜん理解できないという低脳の習性を持つ。
プラン設定や料金体系がやたらと煩雑なうえ、もともと携帯電話というものに対して一切の興味/頓着/こだわりがないために「ちゃんと聞いて、ちゃんと知ろう」という学習意欲がビタ一滴たりとも湧かないのである。
いわんやスマホに乗り換えたとて、おそらくスマホもほとんど使わないだろうし。私の場合、携帯電話の用途といえば電話とメールだけ。それ以外の、あれやこれやの雑多なアプリは一切不要。極論、シニア用の「らくらくホン」みたいな簡易型モデルでも十分なのである。
だもんで、「説明は結構なので、こちらから質問することに答えて頂けますか」とお願いして、いくつかのポイントだけを手早く掴むことに成功した。こうなったら話は早い。あとはサッと契約して本体を受け取るだけだ。

ふかづめ「一番安い機種を私にください。プランも一番ヘボいものでいいです。保険/補償、その他オプション類は全外しで」

店員さん「しかしお客様、補償サービスがあると…」

ふかづめ「全外しで」

店員さん「万が一故障した際に…」

ふかづめ「故障しないことを仮定して使うので必要ありません。万が一故障した場合は素直に後悔しながら悲しみます。その場合は私の負けです」

店員さん「負け…?」

ふかづめ「いわば、これは賭けです」

店員さん「賭け」

ふかづめ「将棋は指されますか? つまり初手『壊れない読み』の『全外し』なんです。壊れた場合のことは想定していません」

店員さん「しかしお客様。そこを想定して『いつか壊れる読み』で『保険加入』をされた方がよろしいかと思いますが」

ふかづめ「つべこべ言うな」

店員さん「ああ…(まずい客が来た)」

ふかづめ「たとえばね、あらかじめスマホに時限装置のようなものが内蔵されていて、買った日から18ヶ月後に発火して木っ端微塵になるように設計されているのなら、私だって保険に加入しますよ。
でもそんな確定演出はないわけでしょう? すぐ壊れるかもしれないし、ずっと壊れないかもしれない。だから不安な人は保険料を払えばいいし、最初から壊れない方に張ってる奴は払わなくていい。保険ってそういうもんでしょう」

店員さん「でも多くの人は『時限装置入ってる読み』で『保険加入』をされるんですよ。保険ってそういうもんです」

ふかづめ「えっ。時限装置入ってるんですか?」

店員さん「入ってるわけないでしょう。でも、入ってると信じてるくらいが丁度いいほど、先々なにが起こるか分からないって話です。だからこその保険です」

ふかづめ「でも、その『先々』を憂慮していない人には不要ですよね。保険って、いわば金を払って安心を買ってるわけですよ。でも私は『安心』を必要とするほど、スマホが壊れることに対して『不安』を抱いてないんです、そもそも。なぜなら私自身がスマホをあまり必要としない類の人間だからです。人との連絡はパソコン一台でだいたい完結しますし、さまざまなアプリを駆使して毎日をエンジョイするほど楽天的な人生を送ってるわけでもなければ、せっかく映画に来たのにロビーでずっと誰かと電話で仕事の話をするほど多事多端な敏腕経営者でもないので。
極論、べつに要らないんです。スマホなんて」

店員さん「なんで来たんですか、ここに」

ふかづめ「電話という緊急時の連絡手段を得るためです。どれだけ私が『スマホなんて要らない。持たない』と言っても、そのために誰かが私と連絡が取れなくなってしまっては他人様の迷惑になってしまいます。いわば初手『迷惑かけ読み』の『スマホ購入』なわけです」

店員さん「その可能性を考慮するなら『いつか壊れる読み』も考慮すればいいのに」

ふかづめ「あなたもなかなかしぶといけど、保険全外しは譲りませんよ。もしこれでスマホが壊れたら『あー。あのとき店員さんが言ってたことが正しかった。保険に入っとけばよかった。そうです、私がバカでした』と後悔しながら酒を飲んで泣きます。その覚悟まで済んでます。そこまで覚悟した上で『要らない』と言ってるんです。
なにも私は『どうせ壊れないだろう。自分のスマホに限ってそんなトラブルが起きるはずがない』とタカを括って保険を拒否しているわけではないのです。むしろ『いつか壊れるだろうな。結局、機械製品なんてブラックボックスだし』くらいには割り切ってますし、なんならスマホが壊れる未来まで読んでます。たとえば、初手『落として画面バキバキ読み』とかね。そこまで読んだ上で、初手『壊れない読み』という低乱数に賭けてるわけですよ」

店員さん「低乱数」

ふかづめ「人生なんて乱数です。だから、保険の話題にはこれ以上触れないでください。そんなことより、ください。早く。安い機種。ちょうだい」

店員さん「0円スマホというのがあります」

ふかづめ「それください。あっ、でも臭うなぁ! どうせアレでしょ。何らかの代償ありきの『実質0円』というやつじゃないですか?」

店員さん「代償なしの一括0円です」

ふかづめ「もし嘘をついてたら攻撃しますよ。『時限装置入ってる読み』が辞世の句になるけど、それでも自信をもって僕にすすめられる?」

店員さん「すすめられる」

ふかづめ「じゃ、すすむ!」

そんなわけで、ついに私はスマホGOに成功したのである。
その後、店員さんが開催してくれたド素人用のプチ講座を受け、スマホの基本的な使い方を学問した私。持ち前の驚異的な理解力もあって、早くも「音量ボタンの操作」が練達の域に達した。

ふかづめ「音量を上げる時はこっちを押す。下げる時はこっちを押す。合っていますね?」

店員さん「その通りです」

ふかづめ「ふむ。音量は15段階か。つまり通常は8くらいに留めておき、メガデスのようなスラッシュメタルを楽しみたいときは音量を5つほど上げ、逆にシェリル・クロウのようなカントリー/フォークをBGMにしてコーヒーでも飲むみたいなときは音量を8に戻すと。合っていますね?」

店員さん「それは好みによります」

ふかづめ「そんな一般論は聞きたくない」

見事、店員さんから学習能力の高さを認めてもらった私は、音量ボタンの申し子として大手を振りながら生きていく勇気を獲得しました。

店員さん「次は画面を触ってみましょう。これがホーム画面です。指先でスッとしてみて下さい」

ふかづめ「スッ…」

店員さん「ほら!」

ふかづめ「あっ!!!」

大盛り上がりである。
私ほどスマホの扱いに不慣れな客も珍しいのか、あるいは私が売れっ子タレントみたいに新鮮なリアクションばかり提供するためか、徐々に店員さんの方もレクチャアしながら愉しくなってきたようで、嬉々として私にスマホの秘技を教えてくれた。

店員さん「ここを指でスッとするだけで電話が取れてしまうんです」

ふかづめ「ほんまか。えらい時代やなぁ…」

店員さん「分からないことは人工知能に話しかけると答えてくれますよ」

ふかづめ「えらい時代やな!」

キャッキャ言いつつ、惜しまれながらもド素人用プチ講座は終了。
帰り際に店員さんは、テーブルの片隅で慎ましく転がっていたポンコツの愛機をちらりと見やり、「こんなになるまで使って頂き、ありがとうございます」と私に礼を述べた。店員さんの貌は、心なしか、ちょっと泣きそうになっていた。「あーうー冥利に尽きた」みたいな晴れがましい顔をしていたのである。
よかったな、ポンコツ。あーうー社員に崇められとんぞ。

13年間ありがとう、ポンコツ。すてきな情報通信ライフをおまえと過ごせたこと自体が、すてきな情報でした。おまえを通じてさまざまな人と交流をすることができました。Eメールで感謝の言葉を伝えたとき。Cメールでまた会おうと誓ったとき。電話でごめんなさいをしたとき。帰りが遅くなることを伝えたとき。愛犬の死を知らされたとき。人と約束を取り付けたとき。人との約束を反故にしたとき。仮病を使ったとき。「仮病じゃありません」といって仮病を使ったとき。「今回は本当に仮病じゃありません」といって仮病を使ったとき…。
画像も動画も、たくさん撮ったな。すべてがいい思い出だよ。私はおまえを忘れない。ポンコツ…。
涙を堪えて店を出ようとしたとき、先ほどの店員さんがひょこひょこと駆け寄ってきて「お客様。このガラケーはいかが致しましょう?」といってポンコツの処遇について訊ねてきた。
「あ、ほかしといて下さい」



【第三章 未来への飛翔】

 ポンコツガラケーと涙の訣別をした翌日、私の枕元では新品のスマホがすやすやと寝息を立てていた。
一日が始まる。私は新たなパートナーに挨拶をした。
「すぐ壊れんなよ?」
頼むで、ほんまに。こちとら保険/補償を全外ししてるので、できるだけ長く持って。おねがい。先代の10年超えを常に意識しといてくれんと。
さて。私がスマホデビュー宣言をした際、私と最も近しい友人2名は青天の霹靂みたいな顔をしました。

友人A「今どき小学生でも持ってるモノを、今さら手に入れて得意になってる男を初めて見ました。友人として情けない」

友人B「せっかくここまで来たんだし、ラスト・ガラパゴスを目指せばよかったのに」

ずいぶんと殺生なことを言ってくれるじゃないか。
でも正味、ラスト・ガラパゴスは俺も目指したかった。「日本でガラケーを使っているのは、とうとうキミだけになりました!」とか言って総理大臣から表彰状をもらえたかもしれないもの。

 その後、知人に「スイスイに慣れない」と相談したら「スイスイ?」となにをいってるかぜんぜんわからなくてつらいみたいな顔をされたので「みんな、こないして指先をスイスイ動かして随意に作文してるやん。必死こいて指スイスイさして。字ぃ作って」と説明。どうやらフリック入力と呼ぶらしい。知人からは「大ジジイやん」と罵倒されてしまった。誰が大ジジイや。
大体なあ、フリック入力だかクリック留学だか知らんが、なんでもかんでも名前つけたらええってもんちゃうぞ。こんなもんは「指先スイスイ」でええんじゃ。大体わかるやろがい。
それにしても、あーうーショップでプチ講座を受けたとは言え、やはり初めてのスマホは慣れず、日常の端々で色とりどりのパニックを起こしました。ミスって電話をかけてしまったり、それ取った人に「すみません、間違えました」と陳謝したり、その後すぐまたミスって電話をかけそうになったり。はにかんだり。

 それから2週間ほど経ち、休日。
ようやくスマホの扱いにも少し慣れてきたので、意味もなく町を練り歩きながらスマホを見せびらかすことにした。誰にって? 府民に。
いっぺん京都府民どもに俺の0円スマホ見せつけたらなあかん。
さっそく四条通りに繰り出してみた。用もないのにスマホを取り出し、時間を見るフリをしたり、アプリを落とすフリをしてみたりと、大小さまざまな駆け引きを駆使して府民を翻弄する私。
自分は普段、スマホを尻ポッケに入れているのだけど、ここで早くも独自開発したスマホ見せびらかしテクが花開く。うしろを歩く人から私のスマホが見えるように、ポッケから少しハミ出るような形で浅く入れるのだ!
この計算し尽くされた身振りによって、私のうしろを歩く府民は「アーッ、あいつ! 新しいスマホを尻ポッケに入れて、あんなにも優雅にぷりぷりとさせている! そんなにも尻をぷりぷりとさせて、お前はどこへ…?」と、私に羨望の眼差しを向けるという寸法である。この作戦を大胆に展開しながら私、「これが0円スマホじゃあ!という面持ちで四条通りを練り歩いた。
ははん。どうやら効果覿面のよう。私の後ろを歩く府民たちは「アーッ!」という顔を、皆していた。もっとも私は、後頭部に目がついてるわけではないので目視はできなかったが。きっとそんな顔を、皆していたはずだ。

 だが最近、スマホを尻ポッケに入れるのは危険だと知りました。
なにやら、座ったときに自らの臀部で湾曲するように圧力が掛かり、また本体サイドはポケットに固定されて圧力を逃がすことができず、結果的にテコの原理でスマホ本体が真っ二つと化す、それでなくともディスプレイが粉砕さるる…という邪悪のカラクリが潜んでいる、というのだ!
なかんずく、私の臀部なんかは肉付きが薄く、非常に引き締まっておりますので、スマホ粉砕機としては驚嘆すべき素質を持つであろうことは尻を見るより明らか。
と言ってしかし、なるべくカバンを持ちたくない私にとって、移動時におけるスマホの収納方法は蓋し難題であった。前のポッケに入れるには少々大きすぎて、かといって尻ポッケには邪悪のカラクリが目を光らせている。西部劇のガンホルダーよろしく、腰に付けるスマホホルダーなる珍奇商品も存在するというが、見ため的にあほ丸出しだ。
考えあぐねた私は、常にスマホをいじるフリをしながら手に持ち続ける…というコペルニクス的転回へと至ったが、それだと常時前方不注意で、やくざ者にぶつかったり、マッスルカーに轢かれたり、また現代ではありえないとは思うが、剣山仕込みの落とし穴に嵌るなどして、すぐ死ぬると危惧。
ならばと、『タクシードライバー』(76年) のロバート・デ・ニーロみたいに足にガムテープでスマホをくっ付ける、という作戦も思いついたが、よく考えるとスマホを使用するたびにその場にしゃがみ込んでガムテープを取り、使用後は再びガムテープと足の間にスマホを貼りつけて立ち上がって歩き出す…というモーションが隙だらけだし、傍から見てもムダ野郎のバカ野郎なのでこの案は棄却。
こうなったら最後の希望…。頼みの綱は「OK Google」である。頼んだぞ、人工知能。

ふかづめ「今日も可愛いな」

Google 「照れてしまいます♡」

なにも解決しなかった。
誰か、スマホの合理的な携帯方法を教えてくれ。

 

~今日の一枚~
街中で電話してるフリをする私(スマホを見せびらかす身振り)。

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ミスって座布団を描いてしまった。