シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

エクスペンダブルズ ニューブラッド

エクスペンダボーする? エクスペンダボーしない。


2023年。スコット・ウォー監督。ジェイソン・ステイサム、ミーガン・フォックス、シルヴェスター・スタローン。

エクスペンダブルズがエクスペンダボーするかと思いきやエクスペンダボーしないといった中身。


おぇ~~、やるで~~~~。
春になるとおかしな奴が湧き始める。虫と同じなのだろう。
夜道を歩いていると、建物のドアに直立不動で頭をくっつけたまま左右に揺曳していたおっさんがおり、ふと目が合った途端、そのおっさんに「オイ!!」と怒鳴られた。私はその場に立ち止まり、しばらくおっさんを注視していたが、まさか立ち止まってまじまじ見られるとは思ってなかったのか、おっさんは相変わらずドアに頭をくっつけたまま、顔を背けていやんいやんしていた。金魚か、おまえは。

過日、道の右側を歩いていると、やはりおっさん(されど別のおっさん)、向こう側から歩いてきて、バーン!! 思いっきり肩と肩がぶつかった。
まあ、ぶつからないように避けるなり譲るなりしようと思えばできたのだが、私は「歩行者は右側通行」を遵守するウォーキングマナー・キングマナーなので、左側通行、つまり道を逆走する人間に対しては基本的に「おまえがどけ」のスタンスを貫いている(例外は、逆走者がキッズor外国人観光客orきれいな女性orタイプの美男子or普段は礼儀正しいし見た目も常識人だけどたまたま本当たまたま右側通行のマナーを知らなさそうな人だった場合のみ)
それ以外は知らん。私は正しい道を歩いてる。逆走してるのはあなた。どちらかが避けなければ肩がぶつかる。だが、こちらに避けてやる道理はない。なんで交通ルールを守ってる私が逆走してるバカとぶつからないようにわざわざバカを避けてあげなきゃいけないんですか?
そんなわけで、避ける気ゼロの私は、目の前から歩いてくる逆走者(大体DQN)に対して、心のなかで警告を発するわけです。
「おーい、気付いてるか~。このまま行くとぶつかるぞー。知らんぞ~。舌打ちすんなよ~」
一応、最終警告としてパチンパチンと2回、指パッチンもします。
それでも今度のおっさんは私の警告を無視した結果、互いの肩が思いきりぶつかった挙句「チッ!」と舌打ち、あまつさえ私の方を振り返って「なんやコラ!」とスゴんできました。さすがに少し腹が立ったので、その場に立ち止まってカッとおっさんを睥睨したる私、おっさんの方へ2~3歩あゆみ寄って「こっち来い。話そか」と手招きしたところ、おっさんは「アッ!」と小さく叫んで去っていきました。
我ながら危ない橋渡ったぁ。
お~、怖い怖い。テリブルテリブル。ドリブルドリブル。もしそのままトラブルトラブルに発展してストリートファイトにもつれ込んだら一発で負けてただろうな(頭のおかしい人種に対して好戦的になる性格、直さなあかんなと反省してます。いつか本当に警察沙汰になりそう)。
しかしまあ、京都市内に住んでいると交通マナーに関しては弥が上にも神経質になってしまう。なかんずく四条界隈は細っそい路地や裏道が碁盤の目状になっており、またその細い道をタクシーやトラックが頻繁に去来するため、歩行者や自転車には“交通マナー遵守力”が求められる。このスキルがないと、びっくりするくらい他者に迷惑を掛けてしまうわけであります。
ほんで現代人。

歩き方がヘタすぎる。

なんなら「えっ、『歩き方』なんてセオリーあったの? 道なんて好きに歩いてええんちゃいますのん!?」と思ってる奴らが大半かと思うぐらい、めっちゃくちゃな歩き方しよる。
それでなくとも現在の京都は外国人観光客でパンク寸前。特に中国人観光客がすごい。もうあれは天才。新しい人類の形。ババ混みしてる新京極通りで、急に立ち止まって撮影会、道のど真ん中で家族会議、くるくる回ってバカデカリュックで人しばく、など大暴れの巻を演じている。
他方、欧米の方々は非常に慎ましやかでリスペクトを感じます。だいすき。きっと飛行機のなかで「日本のマナーTOP30」みたいなサイトを読み込んできてくれたのだろうなぁと思うほど、日本人より日本人してる。

正味の話、最も日本の文化/歴史や情緒に通じてるのは、いまや日本人ではなく欧米人だと思いますよ。
YouTubeで日本の映画/アニメ/音楽に感銘を受けてる欧米人のリアクション動画とか、たまに酒飲みもってニコニコしながら見たりするんだけど、圧倒的に日本人よりも理解度が高いしな。
特に音楽。日本は歌謡曲の文化だから歌しか聴いてないけど(歌メロ原理主義)、海外勢がいち早く反応するポイントは、演奏はもとよりリズム、ビート、グルーヴ、アレンジ、そして感情や歌詞。全身で音を楽しんでる感じね(いまや演歌のよさを知ってるのも海外勢だけ)。よう音を楽しんどるわ。キャッキャゆうて。それこそが音楽。日本人が聴いてるのは音楽ではなく「歌」(未だに「曲」のことを平気で「歌」って言うしな)
映画も然りよ。どうせみんなが見てるのは「映画」じゃなくて「ストーリー」でしょ?
表現に対する感度が狭すぎる。ニブすぎる。排水溝詰まり倒しとる。
しょうもね。
そりゃ盗られるわ、映画も。いつか盗られるわ、ぜんぶ。アニメとマンガも絶対盗られる。韓国あたりに。食とファッションもすぐ盗られるぞ。欧米列強に。でも、ぜんぶ盗られたら観光客もいなくなる。
…まあ、それは嬉しいか。

いけねぇー!!!
暗い愚痴を吹っ飛ばそう!
そんなわけで本日は『エクスペンダブルズ ニューブラッド』です。
完全におれのフィールドっていうか、熱弁対象の映画なので…すまん先に謝っておく。
暴走するぞ。



◆エクスペンダボーするかエクスペンダボーしないか!?◆

 この世には2種類の映画が存在する。
“エクスペンダボーする映画”“エクスペンダボーしない映画”である。
そんなわけで筋肉祭り4作目『エクスペンダブルズ ニューブラッド』は、な、なな…ななな…な…なななな!…なな…、なな、なんと、エクスペンダボーしない映画だった!!
くっそぉぉぉぉ~~~~。なんでエクスペンダボーしないんだよぉおおおおお~~~~。するって約束じゃ~~ん。

ここで「エクスペンダボーする」という言葉の定義をおさらいしたい。
おさらいするよなぁ?
シルベスター・スタローン(以下スライ)監督/主演で公開された『エクスペンダブルズ』(10年) は“その辺のよくあるアクション映画”ではなく、その辺のよくあるアクション映画を作ってきた筋肉俳優たちによるオールスター筋肉感謝祭である。Twitterなどに棲息してる語彙の乏しい映画ファンが言うところの「お祭り映画」だが、より正確な表現を用いるなら火薬と筋肉のウエディングムービーと呼ぶべきだろう。
80~90年代にハリウッドで粗製乱造された筋肉バカ映画を懐かしんで涙ぐむスライドショーとしての『エクスペンダブルズ』は、いわば当事者であるスライ自身が筋肉映画史をまとめ上げ、古きよき脳筋ノスタルジアへと提出された“筋肉レポート”なのである。

映画の内容は、ほぼ無に等しい。
傭兵稼業の「エクスペンダブルズ(消耗品軍団)」を束ねるスライが、①仲間に招集をかけ、②メチャクチャな任務を筋肉一辺倒で遂行し、③バーで大笑いしながら打ち上げをする、というだけの“脳ストップ筋肉アクション”が儀式めいたルーチンにおこなわれるだけの、示唆もヘチマも含蓄もヘッタクレもないシリーズである。
1作目では若手のジェイソン・ステイサム(以下イサムくん)を可愛がるように、かつて『ロッキー4/炎の友情』(85年) でスライと殴り合った西洋の大男ドルフ・ラングレンと、『少林寺』(82年) で少林拳ブームを巻き起こした東洋の小男ジェット・リー(旧:リー・リンチェイ)が消耗品軍団のメンバーとして出演。
だが見所(泣き所?)は、スライと競うように80年代筋肉映画を築いてきたアーノルド・シュワルツェネッガー、および『ダイ・ハード』(88年) で筋肉神話に終止符を打ったブルース・ウィリスのサプライズ出演だ(洋画劇場で育った筆者にとってこの3者共演は随喜の涙を垂らして余りある“事件”だ!)。


『エクスペンダブルズ』(10年)

そして続編『エクスペンダブルズ2』(12年) では、前作で顔見せ程度に終わったシュワちゃんとB・ウィリスが本格参戦。また、敵役にジャン=クロード・ヴァン・ダム(ベルギーが生んだ飛び後ろ廻し蹴りスター、別名・機動戦士ヴァンダム。木曜洋画劇場では「スーパー・ヴァンダミング・アクション!」や「ヴァンダホー!!!」など数々の意味不明語が作られた)。
またスペシャルゲスト枠には『ドラゴンへの道』(72年) で生前のブルース・リーとも拳を交えたチャック・ノリス御大(劇中ではポップカルチャーのアイコンとしてもお馴染みのジョーク「チャック・ノリス・ファクト」も披露)。
スライ「キングコブラに噛まれたと噂で聞いたが?」
ノリス「その通りだ。5日間もがき苦しんだあと…コブラは死んだ」
※このジョークはファンによる二次創作だが、いみじくもスライ主演の『コブラ』(86年)と掛かっている。


『エクスペンダブルズ2』(12年)

続く3作目『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』(14年) は半分ドキュメンタリー映画でした。
消耗品軍団の新メンバーは、スペインが生んだ怪傑ゾロことアントニオ・バンデラス(95年の『暗殺者』ではスライのライバル役)と、吸血鬼退治を生業とするウェズリー・スナイプス(93年の『デモリションマン』ではスライを苦しめる犯罪者を演じたが、当の本人も巨額脱税で捕まり、出所したてホヤホヤで『エクスペ3』に出演)。
そして敵役はメル・ギブソン。『マッドマックス』(79年) 『リーサル・ウェポン』(87年) をシリーズに持つアクションスターだが、イエス・キリストの受難をリアリズムで(グロテスクに…と言うべきか)自ら描いた監督作『パッション』(04年) あたりから様子がおかしくなり、飲酒運転、ユダヤ人差別発言、自宅の丘にチャペル建設、嫁しばく、嫁の留守番電話に邪悪なメッセージを吹きこむ…など数々の異常行動で仕事がなくなりかけていた折に『エクスペ3』で悪役を好演し「やっぱりメルってギブだよね」と再評価を受ける。
つまるところ『エクスペンダブルズ』シリーズとは“消耗品軍団の活躍を描くアクション映画”というよりは“消耗品の元アクションスター”を救う慈善事業なのだ。
ちなみに『エクスペ3』のスペシャルゲスト枠はハリソン・フォード。
止まり木に、あの…!!?


『エクスペンダブルズ3 ワールドミッション』(14年)

事ここに極まっとるやんけ!!
ハン・ソロ=インディアナ・ジョーンズまで参戦する『エクスペンダブルズ』シリーズ。主要キャストが(イサムくん以外)全員ジジイによる「筋肉同窓会 ~80年代を懐かしもう~」なのである。
年寄りの冷や水がすごい。
筋肉量よりも、しゃれた演出と切れ味のいいアイデアと鮮やかなケレン味によるスタイリッシュ・アクションがウケる2010年代に、こんな寄せ集めのガラクタ高齢者たちによる前時代的な“真っ正面から殴って、撃って、爆破する”を地でいくシリーズは、当初想定されていたであろう“レトロスペクティブな郷愁材料”を超えて“現代アクションのアンチテーゼ”たりえてしまった。
筋肉なき時代への筋肉の軍需的供給!
『キングスマン』(14年) 『ジョン・ウィック』(14年) もいいけどさ~。そのあと亜流のように湧き出てくるスタイル・コンシャスな映画には飽き飽きしてんだよ、おれは。

「クラシックが一番だ」

『エクスペンダブルズ』シリーズを通してイサムくんが発する台詞。「クラシック」。
これが「エクスペンダブルズする」だ。

そしてシリーズ最新作『エクスペンダブルズ ニューブラッド』
テロリストが所有する核兵器を奪還して第3次世界大戦を阻止するという、相変わらず中学生が授業中にひらめいたような内容だが、まあプロットなどどうでもいい。筋肉映画にとってプロットなどマクドナルドの包み紙のようなもの。途中から邪魔になるだけ。肝心なのはセットメニュー。つまり配役だ。
スライとイサムくんは固定として、レギュラー陣はドルフ・ラングレンとランディ・クートゥアだけとなり、それまで皆勤賞だったテリー・クルーズは降板。
その穴を補填するように起用された主な新キャストは以下5名。
トニー・ジャー
イコ・ウワイス
50セント
ミーガン・フォックス
アンディ・ガルシア

マチズモが足りない。

各方面で活躍されてる5名には大変申し訳ないが…圧倒的伝説不足。
うーん、最大限に理解は示したいのだけれど。キャスティング・ディレクターからしてみれば「もういねえよ、他!」てなもんでしょ。たとえいたとしても出演説得/ギャラ交渉のステップをクリアしなきゃならんし(実際、ジャック・ニコルソンやクリント・イーストウッドの説得に失敗したらしい)。
そうしたモロモロの製作側の事情も推し量ったうえで、あえて忖度バリケードをドン無視して言いたいことだけ言うよ?

ショボいて。

ショボ過ぎるて。
トニー・ジャーとイコ・ウワイス。
この2人はもちろん嬉しいで。嬉しいに決まってるで。突如、東南アジアから「ノーCG、ノースタント、ノーワイヤー」のキャッチコピーで『マトリックス リローデッド』(03年) に真っ正面からムエタイ勝負を仕掛けた『マッハ!!!!!!!!』(03年)の衝撃たるや。おれは忘れない。きっと忘れない。『トム・ヤム・クン!』(05年) の摩天楼駆け登りロングテイクは長回し映画史に刻まれるべき伝説の4分。おれは忘れない。タイが生んだトニー・ジャー、ありがとうだよ!
そして“全編ほぼアクションシーンのみ”という、小学生が授業中に青空見ながら考えたみたいな構成=非構成を成立せしめた『ザ・レイド』(11年) のイコ・ウワイス、ありがとうだよ!
この2人を勿体ぶらずに1つの映画に出演させた気っ風のよさだけは買えるよ!!!

でもさぁ…。本業ヒップホップ・ミュージシャンの50セントは、スライの『大脱出』シリーズにも皆勤賞で出演してるからエクスペ参戦!…てのは理に適ってるから一応納得はするで?
ただ、ショボいて。
筋肉映画史、関係あらへんやん。50セントて。1ドルにも満てへんがな。
ほんでミーガン・フォックス。
イサムくんの元恋人のCIA局員という役回りで、スライの代わりに「エクスペ」を率いる新リーダーに抜擢されるんだけどさ…。
弱いて。
荷が重いて。
もうなんも関係あらへん。筋肉映画史と。『トランスフォーマー』(07年)で名が売れてからというもの問題発言セレブとして世間を騒がせ続けてるセックスシンボルやん。
おい、2008年度「世界で最もセクシーな女性」第1位!
弱いて。


ミーガン・フォックス。

分不相応やて。
『エクスペンダブルズ』って、これまでアクション映画に貢献してきた“スター”だけが出られる会員制の筋肉の祭典って聞いてるんですけど~。
そのカードを手にすべきはミーガンじゃなく、たとえばアンジェリーナ・ジョリー、たとえばユマ・サーマン、それでなくともミラ・ジョヴォヴィッチやケイト・ベッキンセイルあたりじゃないの?
ミーガン・フォックスて。オプティマス・プライムがガッチャンゴッチョンやってる傍で「うわっきゃあー」言うてる人ですやんか。
どこが筋肉…っ!
“機械の傍”やないか!!!
せめてゼロ年代、牽引せえよ。

そしてアンディ・ガルシア。
もちろん嬉しいよ大好きな役者だよ久しぶりにスクリーンで見れてテンション上がったよでもオマエじゃねええええええええ。
オマエではねぇ~~~~。
数多のアクション映画に出てても、べつにアクションのイメージねえのよ。『アンタッチャブル』(87年) では乳母車キャッチャーの印象しかねえし。ほんで『ブラック・レイン』(89年) に至っては松田優作に殺されとったやないか。「うわっきゃあー」ゆうて。『ゴッドファーザー PART III』(90年) ではベッドに寝転がってフサフサの胸毛を晒すばかりだし、『オーシャンズ11』(01年) ではぼっ立ちでぺらぺらぺらぺらセリフ喋ってただけやろがい~!
マイケル・キートンと共演した『絶体×絶命』(98年) も筋肉映画ってわけじゃないしなぁ(好きな映画だけど)。


アンディ・ガルシア。

結論として『エクスペンダブルズ ニューブラッド』はエクスペンダボーしない。
エクスペンダボーなんかしませんよ。するわけないでしょう。こんなメンツでエクスペンダボーなんて出来ますか? エクスペンダボーできるわけないよねえ?
オーライ。分かりやすく言ってやる。
いろんな映画が公開してるなか、わざわざ今『エクスペンダブルズ』を観に行ってるような連中は“映画の内容”に期待してるんじゃない。
老いさらばえた往年のスターが揃い踏みしてるスクリーン越しに、遥けき青春時代に置き忘れてきたノスタルジアを取り戻せるのではないかってことに期待してるんだ。
そんなことに期待して、過去の思い出にすがってる観客自身もまた、イマドキの若者たちからすれば「消耗品軍団」。
この哀愁。
この哀愁も全部コミコミで楽しむのが“クラシック”ってやつじゃないのか?

本作の監督スコット・ウォー「違ぁ~う!」

違うんだってさ!!?

くっっそォ~…。本作の監督スコット・ウォーいわく「違う」だってさ!
腹立つわ~。スコット・ウォー〇してぇ~。
まじめな話、クリント・イーストウッドとの交渉が頓挫した時点で今回の企画はプリプロの段階から負け戦だったと思いますよ。
“往年のアクションスターを機関銃のようにブッ放し続けるキャストパワーインフレ”というメタ的な楽しみ方によって存続していた“アクション映画史総ざらい映画(スライドショー)”としての側面…いや、側面どころか全面それオンリーだった『エクスペンダブルズ』。
1作目ではシュワちゃんとB・ウィリス。
2作目はヴァンダムとチャック・ノリス。
3作目にはメルギブと止まり木にあのハリソン・フォード。
4作目ともなると、こりゃもう当初打診していたJ・ニコルソンやイーストウッドぐらいの大重鎮を出してもらわにゃあ筋が通らん。なんならマット・デイモンやピアース・ブロスナンやトム・クルーズでもいい。
なんでもいい。
どうでもいいから大物を出せ。
ここはステーキハウスだ。デカけりゃデカい方がいいに決まってるだろ。とにかく大物を出せ。これは願望でも要求でもなければ、いわんや義務でも命令でもない。
職業倫理だろ。
どっちかって言やぁ義理や任侠の話だろ。
任侠が足りねえなぁ、『エクスペンダブルズ ニューブラッド』は。
『エクスペンダブルズ』から“エクスペンダブルズ性”が損なわれた結果、ただの『ニューブラッド』になってるわけよ。
改題せえ。
こりゃ単なる『ニューブラッド』だ。

笑ろてる場合か。
なにをそんなニコニコとお前たちはして…!

◆クラシックからモダンへ◆

 リビアの化学兵器工場を襲った国際テロリストのイコ・ウワイスから核爆弾の起動装置を奪取する任務の最中に飛行機が撃墜されてスライが死亡する…という衝撃的な第一幕に始まる本作。
「またまた~。どうせ生きてるんでしょう?」という見る者の希望的観測は、飛行機の中から焼き爛れた遺体と、スライが愛用していた「幸運の指輪」がその指にはめられていたことで無慈悲にも打ち砕かれる。スライの死に責任を感じたイサムくんは、任務中の命令違反を理由に「エクスペンダブルズ」から除名され、スライに代わって指揮をとる元恋人のミーガンとは別行動でイコたんが潜む巨大貨物船への潜入を試みる…。
てなわけで実質イサムくんの単独主演作です。80~90年代の筋肉映画の祭典云々…みたいなコードでしか本作を見てないおれにとっては…もうドルフ・ラングレンしか見るべき顔がないのです。
90年代とゼロ年代の線分の上でドルフ・ラングレンがグレングレンしとる。
ドルフ・ラングレン。

おい、どうしたどうした…と。
実際、企画段階ではさまざまな紆余曲折があり、スタローンがプロジェクトから一度離れたり、監督が代わったり、出演交渉にしくじったり。
すべてが噛み合わなくなった結果、“クラシック”を切り捨てることでしかシリーズを継続させる道がなくなり、まあ良くいえばクラシックからモダンへってとこに着地したんだろうな。
もう、完全に現代映画だもん。現在公開されてるイマドキのアクション映画(筋肉映画、ではなく)。
すなわち“エクスペンダボーしない”
アンサンブル・キャストから単独主演へ。そして新規メンバーが全員若手で、女性が指揮を執り、開かないハッチをこじ開けるのは筋肉ではなくアイデア(小便)。折に触れてイサムくんが発していた「クラシック」という言葉も今回ばかりは使われない。時代に即した、適度に大衆を満足させるポップコーンムービー。
当然おれとしちゃあ不満だ。
だが同時に納得もする。
このへんが潮時だろう。これは達観や諦念の類ではない。実は…という接続詞で口火を切りたいが、もとより映画としての『エクスペンダブルズ』シリーズは中の下であった。
映画としては30点。でも総合評価は80点。
嵩増しされた50点はどこから来たか? 何度も言ってる。ノスタルジーだ。
おれは沢田研二が好きだから、今のデブでよろよろのジュリーが深夜の音楽番組で腰の贅肉を振り回しながら「危険なふたり」を歌いまくるさまに涙する。涙したことが恥ずかしくなり、その自意識を払拭するようにテレビに向かって「危険なのはおまえの血糖値や」などと毒づきながら。
つまり、そういうことだなあ!
おれほどのヘヴィ観る者にもなれば、諦めながら映画を楽しむこともできるし、80点の気持ちで楽しみながら心のノートに30点をつけることもできれば、沢田研二を右目で「ジュリー」として、左目で「デブでよろよろの贅肉生命」として見ることもできる。ジョージ・オーウェルの小説『1984』(49年) は読んだか?
二重思考(ダブルシンク)だ。
二重思考なわけねえだろ!

そんなわけで、わりに好意的に観ましたョ。おれの中の80-90's筋肉映画ノスタルジーがそう思わせただけかもしらんが、“進んで寛容になりたいシリーズ”ではあるからな(裏を返せば人を寛容にさせるだけの神通力が当時の筋肉映画にはあったっちゅうこっちゃ)。

 

◆筋肉ガン=カタ◆

 本作がエクスペンダブルズしない分、華なき画面を造花で埋め尽くしたのはアクションコーディネートだろう。技斗の気持ちよさに関してはシリーズ屈指かもしれないし、そうじゃないかもしれない。それを請け負ったのは主演のイサムくんは言うに及ばず、やはりトニー・ジャーと敵側のイコ・ウワイスだろう。ハリウッド式アクションを脅かした、タイ最強のムエタイ野郎とインドネシア最強のシラット野郎が目にも止まらぬアチョー沙汰を繰り広げる。
もとよりこの2人に希望を託した作品でもあったのだろうな。企画段階での創作性の相違から“スライを前半部で退場させる”という苦渋の決断を迫られたうえ、前3作まで皆勤賞だったテリー・クルーズが「スライの代理人から性的暴行を受けた」などと騒いで降板したことでエクスペチームから“早撃ち担当”と“重火器担当”が離脱。この時点で(例えとして適当かどうかは知らんが)大島優子と高橋みなみが卒業したあとのAKB48みたいな感じになったわけ。
ほいで、銃火器担当が2人抜けたなら格闘技担当を2人ほり込んだれってんで、東南アジアパワーを借りてトニー・ジャーとイコたんを借り出し、技斗オリエンテッドなベクトルへと面舵いっぱい。他のメンバーもガン=カタに近いスタントを披露している(正確にはガン=カタほどの東洋武術性には欠くが、そこを爽快な筋肉アクションでカバーした筋肉ガン=カタ)。

個人的には、ミーガン嬢の右腕と思しきレヴィ・トランが端役ならではの光彩を放っていた。銃火器でも格闘技でもなく分銅鎖を扱うのよ。鎖使いってすごいよね。だって、これだけ色んな武器がある中で、わざわざ鎖なんて選ぶけ? こりゃあ相当こだわりが強いタイプだとおれは睨んだね、レヴィちゃんのこと。たぶん、いきなりステーキとかに行ったら「ミディアムウェルとウェルダンの中間」とか言い出すのとちがうか。
また、レヴィを起用したことでミーガン・フォックスの紅一点性が解消されたためにミーガン配役によるポリコレ感が多少なりと脱臭された…という点もつけ加えておく。


レヴィ・トラン。役名は「ラッシュ(鞭)」。

 映画は、巨大貨物船という舞台装置が宿命的に抱える“シネスコの呪い”に抗い、縦や上下の豊かな構図に対して過敏なまでに意識的だ。
敵に包囲されたイサムくんを窮地から救ったトニー・ジャーとの「おまえ、帰ったはずじゃ?」「あんたを見殺しにしたらスライに怒られる」という軽いやりとりを、構図=逆構図ではなく、あえて横並びで、それも互いの顔を目いっぱい画面端に寄せてカッティングする手つきに、いささか胡散臭さが拭えなかった監督スコット・ウォーが案外まともな監督だったと知る。
これは“シネスコへの反逆”を意味している。
…まあ、スコット・ウォーが本当にアホで、そんなことを考えず、ただ直感で撮った可能性もあるが(むしろその可能性の方が高いか)、その場合は“スコット・ウォーは勘がいい”ということになる。たとえ無意識でも、持て余したシネスコの空間を忌避したのは正しい選択だ。
…おっと、『エクスペンダブルズ』で映画論なんて語ってら。恥ずかし。
それをしない約束の上でこそ成立する映画だってのによォーッ!
無粋な真似をしました。
総評として、本作は『エクスペンダブルズ』シリーズとしては10点だけど、映画としては30点。
でも気持ちの上では70点。
ノスタルジーブーストで大幅加点。
このシステム、ずるっ。
ずるっこ!

追記
スライは本作がシリーズ最終作になることを示唆してるが、わりとガチ寄りのファンとしては「それでウィーンじゃない?」と思う。異論なし。おれの勘は「でも、なんやかんやで続くんでしょ?」と言ってるが、そろそろこの辺が潮時だろ。ええ加減にせなあかん。
「遂にイーストウッドが出演した5作目!」なら当然観たいけど、それと同じくらい「よく考えたらイーストウッドはイーストウッドだからこそ『エクスペンダブルズ』に出なくていいんじゃない?」とも思うわけ。なんでもかんでも叶う夢だけが嬉しいわけじゃないもの。
『大脱出』(13年) で学んだはずだろ?

『大脱出』…企画から30年の歳月を経てようやく実現したスタローンとシュワルツェネッガーによる初のW主演作品。大興奮しながら劇場に大疾走したおれは、鑑賞後、大激怒しながら帰路につき、怒りに任せてキーボードを叩き大酷評した。

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