シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ベイビーわるきゅーれ

何をさっきからくちゃくちゃくちゃくちゃああああ!!!


2021年。阪元裕吾監督。髙石あかり、伊澤彩織。

殺し屋の少女たちが日々を漫然だらりと過ごす映画。


 おれはネバネバした食べ物を好むわけ。もともとポキポキしてるので、ネバネバしたもので元気のバランスを取らないといけないのね。
特に夏。夏場はネバネバしたものを食べてスタミナつけないと乗りきれないわけ。ちゅこって過日、やよい軒で「アカモクねばとろ定食」を食べたわけなんだけどさ、これが思いのほかネバネバしてて、ちょっと迷惑っていうか、「そないネバネバせんでええ」ってぐらいネバネバしてたことを報告したいわけよ~。
アカモクねばとろ定食というのは、アカモク、納豆、オクラ、とろろ、マグロ、わかめ、お漬物さんが一皿に集結した夢のネバーコラボ。そこに卵を落とし、ワサビを絡めてズルズル頂くってメニウ。
 アカモク  「絶対ネバネバしよな」
 納 豆 「ネバーねばねば」
オクラ「粘り強くいこう」
とろろ「糸を引いていこう!」
マグロ「うちらも応援する」
わかめ「錦上花を添える~」
お漬物「粘っていこー」
 卵 「まろやか加える」
ワサビ「舌鼓打たす」

そのさまは、あたかも9人組アイドルユニット「食卓のネバーランド」。
よろしいやん。おれは心躍らせた。アカモク皿を箸でかき混ぜ、付属のスプゥーンでご飯の上に乗せようとしたわけ。
でも粘り気がすごすぎて、引いた糸がなかなか切れないわけ。
どんなわけ。
強力な糸。中島みゆきの「糸」をも凌ぐ強度の糸が、ご飯の入ったお椀とアカモク皿のあいだに掛かって、なんかレインボーブリッジみたいになってもうてよ。糸で出来た橋みたいな。「封鎖できませえん」ゆうて。なっさけない声で。
それでも食うたわ、おれ。ご飯と一緒に。
食うたら、うまかった!
うまかったけど、食うたら食うたで、こんだ口とお椀のあいだに糸が出来て、その糸がぜんぜん切れへんのよ。
わかるけ。状況を整理すると、おれの口とお椀のあいだに糸が出来て、お椀とアカモク皿とのあいだにも糸が出来てんねや。
もう、やってること、ほぼ蜘蛛みたいな。
その上、お味噌汁に口でもつけてみいや。おれの口からは、お椀に通じる糸と、お味噌汁にも通じる糸が引かれる形となり、なんかルート分岐みたいな様相を呈すわけ。
スパイダーマンかな? ってぐらい糸だらけの状況でおれ、ついに苛々が頂点に達して「しがらみが凄い!!!」ゆうて、口の周りで両手の指をくるくるくるくるさして、ようやっと全ての糸を断ち切ることに成功。きっと傍から見れば「あの男、あんな必死に指くるくるさして。魔法使いかな?」と思ったかもわからない。でも真相は逆やけどな。むしろおれは、アカモクに「糸の魔法」を使われた側。いわば魔法を振り解いた側なんだよねえ~。
ようやく逃げ切れた。蜘蛛の糸から。大人やのに必死で指くるくるさして。なさけない。
でも美味しい~ゆうて、またぞろアカモク食べたら、また糸引いて。「縦の糸はあなた、横の糸はわたす」どころの騒ぎじゃないよねえ、こうなってくると。縦も横もアカモクで。
斜めでさえも糸引いて!!

そんなわけで本日は『ベイビーわるきゅーれ』です。ネバネバ料理はおいしいけれど、ネバネバしすぎは鬱陶しい。それでも「食わねばー」ゆうて、なんやかんやでモリモリ食うて。
ネバーエンディングストーリー。



◆好きというきもちがそうさせたんだよねえ◆

 とびきりの愛嬌を湛えながらもどことなく小さな悪魔を思わせる顔つきの髙石あかりと、目を覆う前髪と「忘れらんねえよ」のTシャツによって陰気なサブカル女子としてのアイデンティティをささやかに主張する伊澤彩織が、抜群のコンビネーションプレーで稀代の“キャラクター映画”を確立せしめましたありがとう~。
映画としての瑕疵はたぶん9つくらいあるけど、私は2つしか見つけなかった。
“見つけられなかった”のではなく“見つけなかった”
好きというきもちがそうさせたんだよねえ!!
「あばたもえくぼ」とはよく言ったもので、好きという気持ちが3つ目以降の瑕疵をオレに見つけさせなかったわけなんだよな~。3つ目以降なんてもういいよ。そんなことより二人のコンビネーションをもっと見せろおッ!!!

現在27歳にしてジャパニーズ・アクション・ムービーの急先鋒となった阪元裕吾『ベイビーわるきゅーれ』は、同居中の殺し屋女子たちがヤクザを殺ってしまったことで命を狙われる…という、えらくありがちな中身の日常系ハードアクションである。
低予算のマイナー作品ながらも、なんかすげぇ流行ってんでしょ。流行ってるんだって。続編の『ベイビーわるきゅーれ 2ベイビー』(23年) もこないだ公開されたしね。
本作のチャーム・チャーム・ポイントは、二人の共同生活をオフビートに描いた日常風景と、本業の殺し屋稼業で見せるハードアクションとのギャップ。
つまり“萌え”と“燃え”の両輪エモーションに、観た者はことごとく打ちのめされたって噂!
そして3つめのチャームは、ユーモアに富んだ台詞回し。
とりわけ日常パートでの、彩織とあかりの丁々発止の掛け合いが本作最大の見所じゃないかってオレ推理してる。
だから要するにアレだよ。
ジャームッシュの気だるい空気感と、タランティーノの心地いい愚駄話に、石井裕也の言語感覚を乗せた…みたいな洗練された野暮ったさよ。
どっこい、アクションパートは『ザ・レイド』(11年) であり『ジョン・ウィック』(14年) であり…ってな! びゃはは。
オレは楽しいよ。酒飲みながら書いてっから。


髙石あかり(左)…舞台版『鬼滅の刃』の禰豆子役。
伊澤彩織 (右)…『キングダム』(19年)『るろうに剣心 最終章 The Final / The Beginning』(21年) でスタントダブルを務めたスタントマン。

まさに『映画秘宝』とか読んでるボンクラ映画好きにジャストフィットする作風だが、加えて本作の支持層にはマンガ・アニメ好きも相当数ふくまれてるんじゃねーかってオレ推理してる。プロット構成やキャラクター造形がきわめてマンガ的にデフォルメされてんだよ。
要するに“映画好きじゃない人にも届く映画”というか。
特にサブカル層ってこういうの好むんだよな。
主演二人が美少女じゃないってのも大きな要因だろ。伊澤彩織は美少女どころか美少年みたいだし、髙石あかりに関しては悪魔みたいな顔してるでしょう。悪魔っつっても悪い意味じゃないよ。フォークみたいな槍を携えてその辺をちょこまかしてる可愛らしい悪魔ですよ、それは。
そしてストーリーは極限まで削ぎ落とされてんの。日常パートとアクションパートがメインだからな。日常パートはとことん無意味な会話の堆積によって構成されており、アクションパートは…アクションっていうか格闘技なんだけど、そもそも技斗(殺陣を用いた格闘シーン)のパートって“説話的な遅延行為”に過ぎんからな。
詳しくは語らんけど。

だがまぁ、一応物語は流れていくし、主演二人にも設定がある。
生活能力が著しく低いあかりとコミュニケーション障害の彩織は、所属している暗殺組織から「殺し屋なら社会に溶け込まなきゃいけないよ。共同生活して仕事でもしなさいよ」と言われ、社会的自立を求められる。
でもアルバイト先では問題を起こし、公共料金の払い方もわからず、服といっしょに銃のマガジンを入れてしまい洗濯機を壊すエブリデイ。
そんな社会不適合者たる二人の渡世は蹉跌、暗礁、災難続き。

あかり「なんか疲れちゃったわ~。バイト、クビになるし。増税するし。日本はダメだわ」
 彩織  「そうそう。国が悪い、国が。ぜんぶ国のせい」
あかり「あ~、マシンガン撃ちてぇ」

どうしようもねえな、こいつら。

おでん食べながら「国が悪い」「マシンガン撃ちてぇ」
おでん食べながらそんなこと言うなよ。

◆噛んでどもって聞き取れねぇ◆

 ほぼ二人の魅力だけで持ってる映画。
そう言っちまってもいいだろうな。無名に近い髙石あかりと伊澤彩織を発掘して、ほかの誰でもなくこの二人を掛け合わせた先見の明、キャスティングの妙、調合のプロ!
キャスティングの神様というヤツがいたとして、きっとそいつは他のどの映画でもなく、この映画に微笑んだんだろうな。

「にこっ♪」

うるせえッ!!!!

個々のキャストパワーはきわめて低いが、この二人のアンサンブル…いや、グルーヴと呼ばせてもらおっかな。この二人のグルーヴは唯一無二の映像世界を形成し、この濁りきった日本映画界に無数の光芒を射し込むんだ。ウソだと思うだろ? オレはウソだけはつかないから安心しな。ウソだけはつかないことで今までどうにかやってこれてるオレです。
大体、まずもって伊澤彩織が致命的なまでに芝居ができない。表情の少なさと籠ったような小声。でもよ。芝居ができなきゃ“芝居がいらない役”を当て書きすればいいンじゃん、なんも問題ねえよ、ぶっ殺す、ってことでコミュ障という設定をつけた。コミュ障の役なら“表情の少なさと籠ったような小声”は逆に武器になるっていうか、「逆にうまい!」って客は感じるわけだろ? 逆に。
そしてもうひとつ。
「噛む」と「どもり」。
主演二人の台詞回しは反演劇的というか、超日常的だ。フツーに噛むし、フツーにどもるし、「えっtだから…」なんて台本にはない言葉遣いも随所に放り込む(※ただし、それすらも周到に用意された“台詞”なのだが)。
要するに海原やすよともこの漫才なんだよな。
アドリブ感というか、その時その場で思いついたことを脊髄反射で話してるような、自然すぎるダイアローグ。なんなら“小声すぎて聞き取れない独り言”も多いしな。
そういうのも含めて、キャストパワーの低さを強みに変えたカウンターの一撃なんだよ。
だって考えてごらん!!?
80年前にネオレアリスモがあったんだよ?

ネオレアリスモ
…ファシズム文化の暗部に焦点を当てた新現実主義的なイタリアの映画運動(1940~50年代)。ロベルト・ロッセリーニやヴィットリオ・デ・シーカらが旗手となり、一般人の起用や路上撮影などを特徴としながら戦災孤児や失業問題について鋭く切り込んだ。代表作に『無防備都市』(45年)『自転車泥棒』(48年) など。
つまり作り込んだ感のない素人主義、ってことがオレは言いたいわけ。


すやすや眠る二人!!!!

そして本作最大の売りであるアクションシーン。
髙石あかりも銃を使って頑張っちゃあいるが、やはりアクションパートを双翼まるごと担うのは本業スタントマンの伊澤彩織。もはやアクションの本流と化しつつある「ガン=カタ」を使います。
ガン=カタっつーと、今や『ジョン・ウィック』シリーズが有名だけど、元はクリスチャン・ベール主演の『リベリオン』(02年) よね。あとミラ・ジョヴォビッチの『ウルトラヴァイオレット』(06年) 。ガン=カタというのは銃を使った東洋武術だけど、そこにバレエの要素がないといけないのよ。舞いながら戦ってこそだろ。
ガン=カタ文化は日本にも輸入されていて、アニメだと『グレネーダー』『魔法少女まどか☆マギカ』、ゲームだと『デビル メイ クライ』『ベヨネッタ』あたりが有名でしょうか。
でも日本映画でガン=カタってなると、うーん…なかなか……ベ? ベイビー…?
『ベイビーわるきゅーれ』ええええ!

って話なんだよつまり伊澤彩織はスゴいしイイよねって結論づけることができるわけなんだよなああああああああああああああああ?
戦い終わったあと地面に座り込んだまま「ん!」ってあかりに両手を差し出して引っ張り起こしてもらおうとする仕草にちょっぴり萌えてしまってもいいんだろうか別にいいよな!!?
それで誰に迷惑かけるでもね~~~~~~し!

「ん!」

◆書くことないから「好きなセリフっていうか掛け合いランキング」を緊急発表する身振り◆

 さて。この章ではもう語るべきことはないので、好きなセリフっていうか掛け合いランキングでも発表しよかな。
やっぱやめとく?
いや、してもいいだろぉ~~。むしろするべきだと思うよオレは。
それでは「しようかどうか悩みながら発表する『ベイビーわるきゅーれ』好きなセリフっていうか掛け合いランキングTOP5」です。

第5位
本宮泰風「パパ活だって立派なシノギだろ。今の時代、多様性だ。ヤクザも女性にとって働きやすい環境を作らねえとな。『オーシャンズ8』(18年) とか観てねえのか?」

本宮泰風演じるヤクザの親分が放った一言。ヤクザなのに『オーシャンズ8』見て多様性の大事さを知ったん…?


第4位
 彩織  「無理なんだよぉ、一人じゃあ。私…なんも出来ないんだよぉ…。あかりとなら苦手なことでも頑張ってみれるかもしれないから…。お願い…。お願いします…」
あかり「あー、わかったわかったわかった! ゃあ電話するから」
 彩織  「あざァっす先輩!!!」
あかり「なんだこいつ」

メイド喫茶のアルバイト面接に応募したあかりに、彩織が「私も同じところで働きたい…」と言ったところ「あんた人見知りなのに大丈夫か?」と笑われたときのやりとり。
メンヘラみたいに「お願い…お願いします…」と懇願していたのが一転、オッケーを貰うや否や「あざァっす先輩!!!」と急にハイになる彩織。
なんやこいつ。

バイト初日で人見知りを炸裂させてメイド喫茶を選んだことを後悔する彩織(あかりはノリノリ)。

第3位
 あかり「バカでありがとうございまぁああす!!」

思わぬ強敵に圧倒されながらもどうにか辛勝をおさめたあかりが声高に張り上げたトドメ台詞。
今から殺す相手なのにわざわざ煽る。そのプロセスをあかりは大事にしてるというのか!
ただ殺すだけでなく、向こう100年は成仏できないほど煽り倒して殺す。相手はむかつきながら死んでいくことになりますよ、それは。だって。さぞ無念だろうな。

敵の尊厳を踏みにじることを是とするあかり。

第2位
 彩織  「あー疲れた…。強すぎだろこいつ…」

思わぬ強敵に圧倒されながらもどうにか辛勝をおさめた彩織が独り言のようにつぶやいた捨て台詞。
「強すぎだろこいつ…」ってすごいよね。
主人公って普通、思わぬ強敵に圧倒されながらもどうにか辛勝をおさめたとしても、主人公然としてなきゃいけないから、思わぬ強敵に圧倒されながらもどうにか辛勝をおさめた感情(恐怖/疲労/後悔)とか、あんま吐露しないよね。
だのに、いわんや彩織は戦闘中にさえ「こんなヤベー奴いるなら先言っとけよ…」とも呟く。
これはもう愚痴だよ。
ただのリアルな愚痴。
むしろさ、こういうのってビデオゲームとかしてるときに出る独り言だよな。やっとの思いでボス倒して「強すぎだろこいつ…」とか「ふざけんなよ、こんなヤベー奴いるなら先言っとけよ」とか。
つまり彩織はビデオゲームをしているのか!
“見られる”ことを意識していない。被写体としての自覚がない。むしろビデオゲームよろしく個人作業をしてる時みたいな“究極の独り言”を呟いてるところを見るにつけ、きっとここには“私”しかいないのだろう(現に彩織はNintendo Switch Liteでよく遊んでる)。

第1位
 彩織  「聞いてよぉ、店長がウザくてキショくてさぁ。野原ひろしの名言とか言ってくるんだよ。しかも言ってないやつ…。なんか『夢は逃げない。逃げるのはいつも自分だ』とか。真顔で言ってきた…」
あかり「そういう人ってさ~、怖い話とかしてるときに『本当に怖いのは幽霊じゃなくて人間だからね』とか言いそう」
 彩織  「言いそう~」
あかり「言いそう!?」
 彩織  「なんかさ、あとさ、そういう人はさぁ。『好きの反対は嫌いじゃなく無関心…』とか言ってきそう」
あかり「めっちゃいいじゃん! え待ってよ。えー…『午後の紅茶、午前中に飲んじゃいました』とか言いそう!?」
 彩織  「それ全然面白くないやつじゃん」
あかり「でゅへへw やっぱそう?」

何をさっきからくちゃくちゃくちゃくちゃああああ!!!

ウザいやつが言いがちな言葉を交互に挙げてく大会、オレも混ぜろよぉ!
このやり取りは非常にいいですよ。
あかりのあるあるネタに対して、彩織もあるあるネタで鋭く返すと、急に楽しくなったあかり、「めっちゃいいじゃん! え待ってよ。えー…」と頭フル回転で次のネタを放とうとするも「午後の紅茶、午前中に飲んじゃいました」などと、あるあるネタというよりはタダのボケ、それも今となっては割と簡単に発想できるボケで易きに流れてしまうという痛恨のプレミを犯す。
要するに、友達と調子に乗ってあるあるネタを列挙し続けるうちに“全然ないやつ”を挙げちゃって場の勢いを殺すヤツいるよねって、それ自体があるあるネタにもなってて。
でもそれが楽しいんだよねって!
友達とダベるくだらない話なんてこういうのでいいんだよねって!!

『ベイビーわるきゅーれ』
の二人は、われわれダベンジャーズの背中をポンと押してくれました。そして隣に寄り添ってもくれました。
映画然とした立派なセリフなんて一個もないけどさぁ、だからこそ二人は“生きてる”わけよ。
生きたキャラクターを久々に見たわ。
もうそれでいいだろおおおおおおお!!!

(C)2021「ベイビーわるきゅーれ」製作委員会