リンクレイター史上メイビー最もつまんねえ。
2023年。リチャード・リンクレイター監督。グレン・パウエル、アドリア・アルホナ、 オースティン・アメリオ。
平凡な大学教授が警察に協力して偽の殺し屋を演じた実話。
ぼちぼちやろか。
過日。大馬鹿野郎みたいな顔して四条河原町をねりねり歩いてたら外国人観光客のアベックから道を尋ねられたので、ボディランゲージを駆使しつつ「なんや、道か。任しとき。しょうもない。そこのビルディンを曲がった先のどん突きを右にギューン!行って真っすぐドーン!や。グルグルグルグル…ドーン!や」と京都人らしく品のある感じで説明。
ふたりはアンダースタンしたらしく「アー、オッケオッケ!」と彼ピッピ、「グルグルグルグル…ドーン!」と俺の真似して彼女プリン。バキバキの日本語で喋ったわりにはスッと説明が伝わったので「おー、よっしゃよっしゃ」と満足ほくほく笑顔にこにこの俺ポッポ。
別れぎわ、彼ピッピが俺に向かって「エンジョイ!」と言ってくれた。
その瞬間、嬉しくなって「ありがとー」と返してしまったが、少し考えて「…ん?」と思ったのよ。
こっちの台詞やろ。
別れぎわの「エンジョイ!」は、どっちか言うたらこっちの台詞やろ。
なんでよそからきた観光客が地元民に「エンジョイ!」言うねん。逆やろ。地元民が観光客に「京都、楽しんでったりーな~」という思いを込めながら手ぇ振りもって「エンジョイ!」ゆうのが筋やろ。
俺が言うてなんぼの「エンジョイ!」や。俺の皿からエンジョイ取るな。勝手に食うな、俺のエンジョイ。なんで欧米からわざわざ京都にお越し下さってる君たちが近所ねりねりしてる俺に「エンジョイ!」言うねん。逆や。おまえらがエンジョイせえよ。おまえらこそがエンジョイせえ。よ~け笑ろて、写真撮って、うまいもん食うて、風情感じて、楽しい思い出、作って帰れや。
せやのに俺に向かって「エンジョイ!」ゆうて。音楽は鳴り続けるんか。なにが「エンジョイ!」やねん。届けたいんか、胸の鼓動。ココロオドルんか。アンコール湧かすんか。ダンス、ダンス、ダンス(レディゴー)やあれへんがな。
ほんでなんやねん、nobodyknowsっていうグループ名。
わけのわからん。いまや誰もが知ってるやろ。ファーストテイクでちょっとミスったでお馴染みの。どこがnobodyknows(誰も知らない)やねん。knowしかないやろ。広く人口に膾炙してるやろ。「人口に膾炙す」にせえ。nobodyknowsというグループ名やめて「人口に膾炙す」に改めえ。
そんなことを思いながら、ねりねりを続行した俺。青信号なのにキュッと来た車に、おっさんが「なんじゃい!」と毒づいたので、エンジョイみたいだなと思った。
そんなわけで本日は『ヒットマン』です。
◆何色にも染まる男、大胆にも七変化◆
『ビフォア』三部作(95-13年) のリチャード・リンクレイターが『トップガン マーヴェリック』(22年) のグレン・パウエルを主演に迎えた最新作。
リンクレイターといえば、ついこないだ『バーナデット ママは行方不明』(19年) を扱ったばかりだよね。新味がなくてごめんね。精彩を欠いてごめん。またリンクレイターだよ。かわいくてごめん。
だからといって「ふかづめってリンクレイターのことを気に入ってるのかな」と思われるのは不本意だよ。別に気に入ってるわけではないよ。たまたまだよ。あいつがいっぱい映画を撮るのがいけないんだよ。
大学で教鞭を執る傍ら「ニセの殺し屋」として警察に協力し、邪悪な依頼人70名以上の逮捕に貢献したゲイリー・ジョンソンという実在の男の活躍を描いた本作。
以下、主なストゥーリー。
ゲイリーはあまりに没個性な男だった。一度見たら翌日には忘れてしまいそうな、どこにでもいる顔。身振りや話し方も退屈だった。ぼちぼちやってる中庸のアメリカ人って感じで、ライフスタイルも冴えなかった。離婚歴があり、現在は猫2匹とマンション暮らし。広くもなければ狭くもなく、洒落てもなければ野暮でもない、実につまらないマンションに住んでいた。火事で爆発してもそう大きなニュースにはならないだろう。
大学では心理学と哲学を教えていた。生徒たちはまだ若いから「そういうもんか」という顔でゲイリーの講義に耳を傾けていたが、そこでゲイリーが説いたのは「およそ人生においては自ら難事に突き進み、自分の殻を破ることが大事」などという、すでに誰かが100万回言ってきたような、何か言ってるようで何も言ってない、2000年代J-POPシーンのごとき手垢まみれの意味空洞にして無味乾燥の綺麗事ワードだった。
つまり元来が薄っぺらな男なのである。
薄っぺら、というのは悪口になるから言葉を改めよう。
まあ、要は普通なのだ。
社会、ひいては世界に対して何かを与えることもなければ奪うこともなく、何かを生み出すこともしないかわりに壊すこともしない。特にこれといった疑問も不満も持たず、ただ法と規範のなかで過不足なく生きている。
それだけの生命体。
そんな折、囮捜査で殺し屋役をやるはずだったダーティーコップが職務停止処分を受けたため、代役としてゲイリーに白羽の矢が立ち、専門分野の心理学と哲学を駆使して数々の悪人を検挙(それなのに謙虚だった)。
ゲイリー役のグレン・パウエル。
そんなある日、支配的な夫との結婚生活に疲れきった麗しの人妻アドリア・アルホナから夫暗殺を依頼されたゲイリーは彼女に岡惚れ。
ゲイリー「ぽっ」
そうそう。ぽっ、つってな。
だが、もしここで「おっけおっけ。ほな夫、殺してきたるわ。任しとき」ゆうて、「さっすが殺し屋。話が早くて助かるー。じゃあこれ、ギャラの半分ね。先払ろとくね。無事に殺し終えたら残り半分、また払いまっさかい、よろしゅう頼んます」、「おおきに、おおきに。ほな、ちょおチャチャッと殺ってくるわ。終わったらまた連絡するよってに。ほいだらね~」、「はーい。あんじょうやってや~」なんつって話をまとめてしまうとその瞬間、殺しの契約成立っつーことで、一巻のあじゃぱー。ゲイリーが隠し持った盗聴器越しに会話内容を聞いていた仲間、つまり大勢の警官たちが「言質ゲッツ」とか「身柄ゲッツ」とか言いながら大勢でダバダバ踏み込んできてアドリアを逮捕、と、こうなるわけだ。
だがゲイリーはアドリアに惚れてしまった。だから前払金を突き返して「暗殺とか言ってはだめ。すぐ夫と別れて、この金で新しい人生を手に入れろ。リアルを手に入れるんだ」とか全盛期のKAT-TUNみたいなことを言って故意にアドリアを見逃してしまった。
そこから始まるんだな。愛と嘘でぐちゃぐちゃのコンゲームが。
『ヒットマン』であります。
邦題、もうちょっと考えよう。
殺し屋に扮しての囮捜査。
◆米倉涼子はえらい◆
まあ、一見おもしろそうな内容ではあるし、一見おもしろそうだからこそおれも観てしまったわけだが、ええ、おもしろくありませんね。
まるっきり、だめ。
とびっきりの、糞。
リンクレイターの作品をすべて観たのかと問われれば何本か抜けてる作品があるから勘で言うけど、たぶんこれリンクレイター史上一番つまらない作品だよね。これね。メイビーね。
メイビー最もつまんねえ。
先に褒めとこ。
数少ない美点としては、美男美女がキスしたりセックスしたりするシーンがてんこ盛りなので、未だ失恋の傷癒えぬ人や、人肌寂しい夜の人や、らぶらぶのアベックの人が「あー美男美女がキスしたりセックスしたりする映画見てーなー」って気分のときにはいい感じに雰囲気を演出してくれる作品かもわかりません。
あと思春期とかね。思春期の人が「あー美男美女がキスしたりセックスしたりする映画見てーなー」ちゅうときに。そういうときに見たらいいのとちがいますか。
あとシンプルにスケベね。シンプルスケベが「あー」って時に見たらよろしやん。
以上。
現に本作はグレン・パウエル七変化を楽しむ作品だからね。そもそも「依頼人の好みに応じた殺し屋になりきることで相手の心を開かせ信頼させる」をモットーに偽の暗殺者を演じる主人公…というのがシナリオの骨子なので、必然的にグレン・パウエルがさまざまなタイプの男を演じる“1人ファッションショー”としての性格が強いわけ。
そしてヒロインのアドリア・アルホナ。まあ別嬪である。映画向きの貌でもある。別嬪でも映画に向かない貌が多い中、ちゃんと映画向き。
「やい、ふかづめ。映画向きの貌ってなんなんだ。あんのか、そんなの。抽象論をほざくな! テキトーこいてっと尻蹴っ飛ばすぞ」とおれを脅しつけてくる読者もいるかもしらんが、ある。
映画向きの貌というのは、確かにある。
説明しても意味ねえから詳しくは説明しねえが、あんのよ、いろいろ。スクリーンでこそ輝く貌、ちゅうのが。三点照明に映える貌。アップショットに耐える貌。ロングショットに強い貌。構図=逆構図を支える貌。
当然、逆もあるけどね。テレビサイズの貌というのが。
米倉涼子は徹底してるよね。
TVドラマに全振りして。あの人、ほとんど映画には出ないでしょ(ドラマの劇場版は除く)。本人が賢いのか事務所が賢いのか知らんけど、うまいよね、ブランディング。テレビサイズの貌でテレビサイズの芝居をしてこそ輝く米倉涼子!
アドリア・アルホナに話を戻すけどさ、おれはちょっと嫌いだな、こういう女性。
アドリア・アルホナさん。
◆なんてきな臭いんだろ◆
はい、ここからは袋叩きです。
元来「袋叩き」という言葉は大勢が一人を取り囲んで嬲ることを言うけれど、おれは一人で『ヒットマン』を袋叩きにするものです。なぜって、おれには10人分ぐらいのパワーがあるんだからあ!
まずもって、度し難いほどに退屈。
なぜ退屈か。リンクレイターの特徴である“会話劇”がことごとく上滑りしたためである。
映画をカテゴライズすることは本懐に反するが、一応本作はクライム・コメディ。犯罪を喜劇めかして描いてこそのクライム・コメディ。軽妙洒脱のクライム・コメディ。コーエン兄弟の得意分野。タランティーノもそうかもね♪
大事なのは“速度”である。
物語を転がして、状況を転がして、場面を転がす大玉転がし。ところがどっこい、すっとこどっこい。これはリンクレイターの最も苦手とするところであります。この男は、じっくりコトコト派。「お母さん、ご飯まだぁ?」、「もう少しかかるから先に風呂いってき!」って言う、じっくりコトコト煮込んでるシチュー派のママ派。
速度を知らぬまま撮られゆくクライム・コメディほど付き合いきれぬものはない。
全編これ間延び。
次にダイアローグ。ダイアローグちゅうのは“対話”のことである。対話の場面、および会話の内容、それらを支えるお芝居と演出。
ダイアローグもつまらない。
だらだらと取り留めのないテキストが並べられた台本を、ただ覚えて、口から発してるだけの死に時間におれは鎮魂歌を捧げるものです。チーンコーンカーンコーン。
捧げてみたよ。
ウディ・アレンをはじめ、それこそタランティーノやジム・ジャームッシュ、ウェス・アンダーソンにポール・トーマス・アンダーソンらの会話劇がいかに緻密に組み立てられたダベり芸であったかを実感するばかりだわ。
痛恨の大失態よ、こんなの。
痛恨歌でも捧げよかな。
警察の仲間たち。
ほんで3つめ。
速度を欠いたつまんねーダイアローグの見せ方がそもそも酷い。
具体的にはカットが酷い。あなた本当にベテランですかってぐらい、信じられないほど単調な切り返しが延々続くの。ただただ構図=逆構図の反復横跳び。
「え? もう…テキトーにやってる?」ってぐらい。
もうナメてる領域ですよ。客をナメてる領域。映画をナメてる領域。鑑賞中、何度も何度も「あれっ。おれ間違えた? これ…本当にリチャード・リンクレイターの作? そんなはずなくない?」つってキョロキョロしたものな。身を乗り出したり、椅子に深くもたれたり。を繰り返して。周囲見渡して。キョロキョロしても意味ねえのに。キョロキョロして。「誰の作?」つって。ひとりで。「誰のアレ?」つって。
ダレノアレ作美?
それぐらい、本当に信じられないぐらい、リンクレイターがこんなことするはずない、の「こんなこと」が全編に横溢した、駄作とか失敗作なんて表現はてんで的外れの、大事故。
たぶんなにか、おもっきり事故ってるよね。
こういう時はスタッフを調べれば早い。ド新人の唐変木を使ってりゃあ、100そいつ、100そいつが原因、と思って調べてみたものの、撮影監督のシェーン・F・ケリーも、編集技師のサンドラ・エイデアーも共に古株のリンクレイター組。
100ちがう。
もうわからん。
でも絶対になにかあったんだよね。これはミスでも能力不足でもなく、明らかにやっつけ仕事だもの。ハナから“捨てる”つもりで取り掛かったプロジェクト。リンクレイターのやる気はゼロ。ファイトもパッションもだるだるに弛緩してる。
でも、そうなった原因が知りてえんだよなー、おれサイドとしては。
そういえば本作。主演のグレン・パウエルが共同脚本/製作に一丁噛みしているとの触れ込みでしたな。
…おまえか?
あと製作総指揮に10人以上が名を連ねているんだけど…。
むむ!?
きな臭ぇええええええ!
ま、この先を語ったところで邪推、勘ぐり、決めつけの域を出ない『勘探偵ふかたん』がお送りされるだけなので、よしとこか。「真実はいつも主観!」とか言い出すから、あいつ。すぐ言うから。
まあ、そんなこって『ヒットマン』。精神のどこかがボロボロになるぐらいつまらなかったです。
おもしろい映画を、観たいよね。
おれたちってね。
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