シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

妻は告白する

丸腰の愛。そして妻はザイルを切る。

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1961年。増村保造監督。若尾文子、川口浩、小沢栄太郎。

 

北穂高山麓を登るパーティのひとりである大学助教授・滝川が墜落死。そのザイルを切ったのは妻の彩子。同じくザイルに繋がれていた彼女の愛人・幸田の命を救うためであった。やがて殺意の有無を問う裁判が始まるが、その中で彩子は…。(Amazonより)

 

おはようございます、民たち。

梅雨が嫌いです。特に今年。梅雨がずれ込んだことにひどく腹を立てております。勝手にずれ込むなよ、ばか。

そういやぁ、昔は野球中継が延長してその後の番組の放送時間がずれ込むことに逐一キレていた少年でした。野球をはじめスポーツ全般が好きじゃない私は「なぜ他の番組が野球中継に合わせねばならないのか。世界は野球で回っとんのか!」と立腹、業腹、怒髪天。トサカに来るぜぇー。

ずれ込むぐらいならいっそ止めてほしい、と思うわけです。梅雨に対しては特に。

雨は降ってもいい。ノーマルの雨はね。雨がもたらす恵みを加味するにつけ、べつに雨自体に罪はないわけですから、普段降ってるような雨はギリゆるす。

だけど梅雨はやめて。

梅雨として降る雨はゆるせない。

降るにしても、もうちょっと謙虚にっていうか、ウソでもいいから「梅雨だから降ってるわけじゃないですよ。ボクは普段降ってるようなノーマルの雨ですよ」という顔をして申し訳なさそうに降れ。

慎み深さは大事よ。

そんなわけで本日取り上げる映画は『妻は告白する』です。

野球好きの人、若干ディスってすみませんでした。野球好きって大概コワいので謝っておきたいと思います。バットで叩かれる前に。

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◆背徳のザイル切り◆

私は告白する。映画好きだというのに、つい最近まで若尾文子のことを考えたことがなかった。小津や市川の映画でたびたび目にしてはいたが、やはりこの人を使いこなせるのは増村保造だけらしい。

ふっくらとした輪郭と控えめな目鼻立ち。三番手ぐらいにあって画面の奥にひっそり佇んでいる分には実によく映える女優である。『赤線地帯』(56年)『浮草』(59年)も皆そうだった。本来は村瀬幸子や淡島千景あたりの後ろでちょこんと畳に座しているのが丁度よいのではないか。

ところが増村保造だけが20作品に渡って若尾を使い続けた。主演作も多い。いったい何故これほどまでに若尾に固執したのか。増村は告白していない。

しかし若尾は告白する。本作DVDのオーディオコメンタリーの中で「増村とは長年組んで参りましたが、プライベートではまったく接点はございませんでした」と告白しているのだ。名監督と名女優が結んだ神秘のコネクションである。

かと思えば一瞬で肉体関係を持ったホン・サンスとキム・ミニというおかしな二人組が韓国にはいるが、かく卑近な男女関係とは比ぶべくもない。

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若尾文子(あやこ)。1933年生まれ、がっつり存命中。のちの評にもたびたび登場する女優なので、ご存知でない方はぜひ覚えて帰って頂ければ幸いに存じます。


そんな増村がメガホンをブン回して撮ったのが『妻は告白する』である。若尾とっておきの代表作だ。

どういった中身かと言うと、妻が告白する、そういった中身である。

映画は、北穂高の岩壁から落ちかかった三人の男女が一本のザイルに吊られたまま「死ぬゥー」とか「落ちるゥー」と叫んでいやんいやんするシーンに始まる。えらい騒ぎである。

岸壁にぶら下がっているのは若尾とその夫・小沢栄太郎で、二人のザイルを支えているのが仕事仲間の川口浩である。そう、あの『川口浩探検隊』の川口浩であるから、きっとこのような絶体絶命のピンチには慣れっこなのでしょう。

だが若尾は、自分と夫を繋ぐザイルをぶった切って夫を転落死させてしまった。若尾とっておきの「背徳のザイル切り」が火を噴いてしまったというわけ。

さっそく裁判が始まり、若尾がザイルを切った動機を争点として検察側と弁護側が激しい口喧嘩を繰り広げる。

検察官は、かねてより若尾が離婚に応じないクズの夫に殺意を抱いており、なおかつ川口とは情を通じた愛人関係にあると言い張る。一方の弁護士はザイルを切らねば三人とも落ちると判断してやむをえず夫を見殺しにした「緊急避難」であると言い張った。強情な二人である。お互いに意見を譲り合えばいいのに。

いずれにせよ若尾が夫を殺したことには変わりないのだが、果たして彼女は何を思って夫を地獄の底に叩き落としたのか…?

そんな作品となっております。

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検察官に尋問される若尾。


◆許されるべき不倫◆

法廷シーケンス、日常シーン、フラッシュバック。この三つをローテーションしながら描き上げるのは「事件の真相」ではなく「妻の心」。

すなわち本作は事件究明に軸を置いた法廷劇ではなく、近代文学のごとき女の内奥を抉ったひとつの愛憎劇なのである。


父親ぐらい年の離れた醜男・小沢から強引に結婚を迫られた若尾は、それでも夫を愛そうと努めるが、当の小沢は趣味の登山に夢中で妻を放ったらかし。子ができると堕ろせと言うし、離婚を切り出せば「ヤだねったらヤだね」と言う。ふてこい。小間使いのように便利な若尾を一生手元に置いて縛りつけようとする全日本クズ選手権・初代チャンピオンのような男なのである。メチャ許せんよなあ?

そんな小沢、登山という危険な趣味を持つことから妻や同僚にかねがね心配されているが、そのたびにむちゃむちゃイタい名言を吐く。

 

「オレはなかなか死なないよ? お医者先生もそう言ってた」

 

「オレは本当に頑丈だよ? 健康診断したけど、どこも異常なしだった」

 

「オレはびっくりするぐらい健康体だよ? まるで死ぬ気がしないね」

 

こいつ頭脳がマヌケか?

みんなが懸念しているのは「登山による事故死」なのだから健康をアピールするのはお門違い、いくらオマエが健康優良児だろうが登山中に遭難したり岸壁から落ちたりしたらオダブツでしょうが。それを言うとるんやないか!

それでなくとも、我々観客は回想シーンのなかで生命力を誇示する小沢の末路をすでに知っている。

妻にザイル切られて死ぬんだよ、てめえは!

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全日本クズ選手権・初代チャンピオンとしての小沢(ブス)。

 

この息が詰まるような回想シーケンスで唯一われわれが安らげるオアシスは、こんなクズの夫に歩み寄ってどうにか愛そうと努力する健気な若尾ちゃん。見上げたアティチュードです。昭和の妻の美徳です。

いかなクズとはいえ、外ではしっかり稼いでくる小沢に感謝の心を忘れない若尾は、夫を憎みながらも、それはそれ、これはこれと割り切って「今の生活があるのはこの人のお陰」と常に一定のリスペクトを捧げている。だからこそ意見が対立したときに折れるのはいつも妻。涙を呑むのは決まって女。

そんな妻の気立て、度量、慎み深さすら知らず、言うに事欠いて「裕福に暮らせるのはオレのお陰だろうがぁ!」などと付け上がって小間使い同然の束縛生活を強いる小沢。

ぶち殺すぞ、こらぁ!

まぁ、死んでるか。岸壁から落ちて立派に死んでるか。


そんな地獄の夫婦生活のなかで、若尾にとって唯一の安らぎが川口浩探検隊。夫の取引先の男である。すでに良家の令嬢と婚約している探検隊は若尾の境遇を知って相談役を買って出るが、何度も交流を重ねるうちに彼女は少しずつ探検隊のことを愛するように…。

まぁ、この心変わりは止む無し。ゆるす。オレはこの不倫を許していく。

しかし問題は、判決が出る数日前に若尾と探検隊が結ばれてしまったことだ。探検隊は婚約者をあっさり捨てて若尾の身体に溺れ、若尾は「愛してくれないと自殺してやるんだからァーッ!」をメンヘラを発動させ、ちょっぴり面倒臭い愛のカタチを築いていきます。

この映画後半で「妻」だった若尾は「女」に豹変する。事ここに至っては判決などどうでもいいのだ。たとえ有罪でも懲役2年。「それまで待つよ」と探検隊は約束したが、結果的に若尾は無罪放免。

ちなみに裁判シーケンスでは黒い着物に身を包んでいた若尾も、探検隊に肩を抱かれながら裁判所を出たころには白い着物で「潔白」を示している。しかも他のショットより明度高め。ようやく幸せが訪れそうな予感に漲っているね。

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無罪をもぎとった若尾。川口と。


そんなわけで、こちらが「なんだ、ハッピーエンディングじゃん」などとバカヅラを浮かべていると、どうやらここからが物語の正念場らしい。

一言の相談もなしに小沢の生命保険を使って新居を構えた若尾の奇行にドン引きした探検隊は愛の探検を一時中断して距離を置こうとするが、追いすがる若尾は「こんなに愛しているのになんでなんでなんでなんで」と半狂乱になってくるくると躍り出す。

「女の恐ろしさ」なんて言うと手垢のついた表現になるが、この妻には強さゆえの恐ろしさではなく弱い女だからこその恐ろしさがある。べつに探検隊を繋ぎ止めておくために脅迫や陰謀めいた策を弄するわけではなく、ただ執拗に追いすがって愛を訴えるという愚直な行動を繰り返すだけなのだが、なまじ情念だけで立ち向かってくるような丸腰の愛が却って不気味なんである。ゾッとするんである。

その後の展開は観てのオタノシミとさせて頂くが、ついに探検隊の会社にまで押し掛けたずぶ濡れの若尾が本作屈指のキラーショットに収まっているので共有しておく。

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これは怖い。若尾文子のキラーショット。


◆全員クズだった◆

再び私は告白する。若尾文子のポテンシャルを甘く見ていたことを。

ひとりの女の愛嬌から執念までのグラデーションを余すところなく表現した若尾七変化に前後不覚。気づいたころには私自身も若尾文子という女優を探検しておりました。

そんな彼女からさまざまな表情を引き出した増村保造の「若尾使い」も一級。俳優が自力で表現できるものには限度がある。問題は、監督なりカメラマンがいかにそのポテンシャルを引き出すか…ということだが、こと若尾に関して増村はその引出し方や使い方を十全に心得ている、ということが本作を観れば一目瞭然ではないだろうか。


上手いのは若尾の使い方だけではない。彼女と関係を持った小沢と探検隊も合わせて「三位一体のアンサンブル」を奏でた、その演奏力も然りである!

たとえば、この物語には「利己的な身振り」が順繰りに伝播していくという大きな流れがある。

自己中心的な小沢の毒に感染した若尾は探検隊に対して狂気的なまでの愛の押しつけを演じ、「人を殺した人間に人を愛せるとは思えない!」と正論ぶっこいて愛を突っぱねた探検隊もまた若尾との情事に溺れるあまり婚約者を捨てた非情な男。

畢竟、クズの夫が死んで二人が結ばれました…という美談ではなく三人全員クズだったということが白日の下に晒されていくのである。したがって二人の修羅場と最悪の結末の舞台となるのは同僚たちの冷たい視線にさらされた探検隊の社内。

現にこの映画は、ほとんど全編にわたって「野次馬どもの好奇の目」が鋭く交差する。夫殺しの若尾とその愛人たる探検隊は行く先々で一般ピーポーから蔑視・迫害を受けるのだ。

また、初めこそこの二人を不憫に思いもした観客は、しかし二人の醜さが露呈するにしたがって「なんだこいつら。けったくその悪い!」と見る目を変え、ついにラストシーンに至って野次馬と同化してしまうのである。三人がクズなら野次馬もクズ。そして野次馬と同じ目で二人を見てしまった我々観客もクズの側に引きずり込まれてしまうのだ。

観る側のモラルをも脅かす『妻は告白する』。なかなか末恐ろしい作品でございましたな。

次回以降は溝口健二を取り上げます。日本映画地獄はつづく。

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(C)KADOKAWA