シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

祇園囃子

チャーミー事件に翻弄されるゲイシャガール。芸妓ゆうんは泥被りのヅラ被りや!

f:id:hukadume7272:20190626043014j:plain

1953年。溝口健二監督。木暮実千代、若尾文子。

 

祇園ではちょっと名の知れた芸妓・美代春の許に、母を亡くしたばかりの少女・栄子が舞妓志願にやってきた。栄子の熱意に負けた美代春は彼女を引き受けることに。やがて1年間の舞妓修行を経て、初めて店に出た栄子。ほどなく大会社の御曹司・楠田に見初められる。一方、美代春も楠田の取引先である神崎から言い寄られるのだったが…。(Amazonより)

 

おはようございます。

昨日宣伝してから質問箱に質問が3つ溜まりました。み…3つも! 100倍したら300やで。ちょっとしたスパルタ軍やで。

まぁでも、正確には2つかな。「コミュ障を克服する方法を教えて下さい(笑)」というしらこい質問があったので、これはきっと自動質問なのでしょう。じゃあ100倍しても200かぁ…。スパルタ軍を編成できねえ。

一応この質問にお答えしますと、コミュ障を克服するなら…そうねぇ…やくざになればいいと思います。

やくざの世界は密なコミュニケーションで出来てますからね。感謝とか仁義とか。SNS漬けの若者なんかよりよっぽど人間が出来てますよ。

まぁ、やくざになったら同業者以外の人からはコミュニケーションを拒否されるでしょうけど。

 

そんなわけで、ミゾグチ作品3連発の最後を飾るのは『祇園囃子』。最後にこれを持ってくるとは。憎いねっ。

f:id:hukadume7272:20190626051723j:plain

 

◆舞妓修行◆

溝口健二のゲイシャ映画である。

京都には「鰻の寝床」といって間口が狭く奥行きの深い家屋が立ち並んでおり、好い加減に細路地を歩いていると、途端、風情漂う花街にポーンと出るのである。

そんな場所で撮られたのが『祇園囃子』。京都の艶やかな街並みと芸者の矜持をわずか84分のなかに閉じ込めた祇園花街の風情漂う美品でござります。

『祇園囃子』という題がまたいいな。難しい漢字だな。祇園の囃子であるから祇園祭・宵山あたりの時期、すなわち7月の映画だということが分かるな。私は一足先に宵山を楽しんじゃったわけだな!

もっとも、祇園祭のメーンイベントである山鉾巡行コースのど真ん中で暮らしている私にとって実際の祇園囃子は相当にやかましく毎年気が狂いそうになるので、ホンモノを体験するより映画で楽しむ方がよほど趣きがあるわけだ。

なんでもかんでも本物志向はいけませんよ。わかりましたね。

 

さて。罪なき読者に説教かましたところで『祇園囃子』の話に参るとしましょうか。

主演は松竹のベテラン・木暮実千代(35歳)と大映のニューフェイス・若尾文子(20歳)。『赤線地帯』(56年)では所帯やつれしたナイーブ娼婦&ちゃっかり者のツンデレ娼婦を演じた二人である。

映画会社の垣根を超えた新旧二人も溝口の手にかかれば息ぴったりの義姉妹になっちゃうね。

先言うとくけど…若尾文子がむちゃむちゃ可愛いで!

f:id:hukadume7272:20190704032243j:plain

涼んでる方が木暮実千代、叩いてる方が若尾文子です。

 

映画は至ってシンプルな三幕構成。

祇園界隈ではちったァ名の売れた芸妓・木暮の屋形に母を亡くしたばかりの若尾が舞妓志願に訪れ、1年間の仕込みを終えて舞妓になる。ここまでが第一幕。いわば修業シーンである。

いきなり話は逸れるが、舞妓になる前の若尾ちゃんは「仕込みさん」といって、たとえ1年間の修業を終えて舞妓になっても、そのあと「芸妓」になるためのさらなる修業期間が何年も続く(舞妓はあくまで芸妓になるための修行段階)。

つまり「仕込みさん」→「舞妓」→「芸妓」というふうに格が上がっていくわけだ。

先斗町など歩いておりますと修学旅行生らが「舞妓さんだ、かわいい!」なんつってキャッキャとはしゃいでおられます。しかし騙されてはいけないぜ。キミたちが舞妓と言ったのは仕込みさんかもしれないし芸妓かもしれないよ。

ゲイシャガールは紛らわしい。奴らは似たようなビジュアルで花街を練り歩いては俺たちを惑わせているんだ。どれが舞妓でどれが芸妓かを見極めるコツがあるから伝授してあげるな。

舞妓は地毛を結っていて、芸妓はヅラを被っている。

下の画像だと若尾ちゃん(右)は地毛なので舞妓。小暮姉さん(左)はカツラなので芸妓という風に判断すればいいわけだ。

わかりやすいね!

f:id:hukadume7272:20190704030937j:plain

 

わかるかあ!

今日日、ヅラと言えども作りは精巧。地毛と言われれば地毛にも見えてくる。かと言って、まさかゲイシャガールの髪を引っ掴んで地毛かヅラかを確認するわけにもいくまい。

だが諦めてはいけない。そういうときは後ろ姿を見ればいいのだ。

舞妓は帯がべろんとしている。芸妓はべろんとしていない。

要するに、腰からなんか垂れてたら舞妓、なにも垂れてなかったら芸妓と判断してよい…と、こうなるわけである。

なお、仕込みさんの見分け方は知らない。それぐらい自分で調べろっ。

 

舞妓の芸妓修業は朝8時から深夜1時まで続き、たとえお座敷に出ても給料なし。おまけに「置屋」と呼ばれる相部屋にすし詰めにされて「酸素欠乏、酸素欠乏」などと苦しみながら何年も厳しいレッスンに耐え続けるのだ。近年では外国人観光客をもてなすために英語を学ばされる舞妓も多いらしい。まさにK-POPアイドルのごとき酷使。もうTwiceの事務所やん。やってること。

そんなわけで若尾ちゃんもマナーやダンスを仕込まれる。ギターとドラムの稽古にも余念がありません。お座敷では客の要望に応じてライブをせねばならないのだ。

畢竟、すべては小暮姉さんの一言に集約されるであろう。

「うちらの世界は傍で見るほど綺麗なことばかりやないのんえ?」

 

※ずいぶん知った風なことを書いておりますが、当方お座敷遊びの経験などございません。

あんなものは金持ちの道楽。

f:id:hukadume7272:20190626044422j:plain

ギターとドラムを練習する若尾ちゃん。

 

◆チャーミー事件、およびその余波◆

第一幕の終わりでついに舞妓デビューを飾った若尾ちゃんは「チャーミー若尾」という芸名をもらう。それぐらいチャーミングな容姿なのである。

このシーンが素晴らしいのは「見世出し」がたっぷりと描かれているからだ。つまり舞妓としての初お披露目。チャーミー若尾と小暮姉さんが近所をほっつき歩きながら「おたのもうします」をしきりに連呼してPR活動をおこなうわけだ。

この「おたのもうします」という京都弁が実に愛嬌があってよい。すれ違う人々に会釈しながらおたの申す二人をパンで捉えるのは宮川一夫。素晴らしい仕事である。

f:id:hukadume7272:20190626045639j:plain

「おたのもうします」、「おめでとさん」。


第二幕。

木暮姉さんはチャーミー若尾のお座敷デビューにサポメンとして同伴するが、そこでチャーミー若尾は自動車会社専務・河津清三郎に見初められ、小暮姉さんも河津の取引先の課長・小柴幹治に惚れられる。

ふとっちょの河津はロリコンの気があり、チャーミー若尾のようなおぼこい顔立ちの舞妓を囲ってドサクサ紛れに抱きつくような糞豚野郎で、そんな糞豚との契約を渋っている小柴は大人の色気をまとう小暮姉さんにゾッコン。ちなみにアスパラガスみたいな顔をしている。

だが、チャーミー若尾が無理に唇を奪おうとした糞豚に大怪我を負わせてしまったことで大女将・浪花千栄子から大目玉を喰らってしまう。俗にいう「チャーミー事件」である。ここまでが第二幕です。

f:id:hukadume7272:20190626045313j:plain

糞豚にビールを注ぐチャーミー(画像上)。

一方のアスパラは小暮姉さんの身体を狙う(画像下)。

 

そして最終幕では芸者二人の凋落と男たちとの駆け引きが描かれる。

「チャーミー事件」によって面子を潰された女将・浪花は、お得意さんの糞豚に怪我を負わせたチャーミーの落とし前をアスパラの愛に応えようとしない小暮姉さんにつけさせた。

アスパラと糞豚は仕事の契約をするしないで揉めている間柄。そしてアスパラに小暮姉さんを紹介したのは糞豚。要するに小暮姉さんが「抱いとぉくれやす」としな垂れかかるだけでアスパラは気をよくして糞豚との契約を結び、両者ウィンウィン、女将も失地回復してメデタシメデタシというわけだ。

しかし、これでは小暮姉さんがあまりにも不憫ではないか。泥被りのヅラ被りではないか。

ここに溝口流の「女の悲しみ」が流れております。

ぷりぷり怒った浪花は二人から仕事を奪い、チャーミーの着物代としてあげた30万円を返せと要求する。もはや生きていくためには小暮姉さんがアスパラに抱かれるしかない…という袋小路にまで追い込むのだ。

浪花「色街のお客さんがどんな悪戯しはろうと、それを上手に取り扱うのが芸者の役目やないか。前後の事情を察したらそこを上手に務めるんが芸者え?」

まさに説教という名の脅し。

直截的な表現を用いずして「抱かれてこい」と言っているようなものである。こうした細かい台詞回しに京都人の厭らしさがよく出ている。浪花千栄子がまた上手い。とかくショットの美しさで語られがちな溝口だが、まず最初に「人間描写の名手」だったのでした。

 

浪花に圧力をかけられた小暮姉さんは、しかし芸者としての誇りを持っている。

花魁は性を売るけど芸者は芸を売るのが商売や。「ハイさよですか」言うて股を開くわけにはいきゃしまへん。そやけど女将が祇園中と口裏合わせて、あてらが仕事できひんようにしやはったさかいなぁ…。

「どないしまひょ…」と途方に暮れる小暮姉さんの憂鬱を簾越しのショットが美しく演出する。このシーン以外にも、人物が寂寥感や不安感を抱くショットでは必ず画面手前に簾が垂れかかっていた。そして小暮姉さんは布巾で顔を覆い、チャーミー若尾は着物の袖で顔を隠して大泣きするのだ。

この簾、袖、布巾といった「布」は顔を隠匿するための押韻として繰り返されるモチーフ。

押韻。つまり映像で韻を踏む

俗にいう「映像詩」という言葉は、取りも直さずこうした身振りによって創出された映画の粋を指す。

f:id:hukadume7272:20190626062437j:plain

簾越しのショット。

◆電話は「鳴るだけ」でいい◆

『祇園囃子』は全編これ身震いの連続である。

観れば観るほど感動するし、人は感動の度合いに応じて身震い→硬直→気絶→失禁→脱糞という反応を示さざるを得なくなる(私は失禁まで行きました)。

まずショットがいい。当たり前だがショットがいい。宮川なんだからショットがいい。

チャーミー若尾が祇園の路地をぱたぱたと走り抜けるロングショットが実に気持ちよいのは、その奥行きをディープフォーカスでパキッと捉えたから…というよりも、ちょこちょこと走るチャーミーの袖の振れ方がなんとも愛らしく、また前後のシーンの押韻にもなっているからだ。

もちろん狭い路地には無数の曲がり角があり、チャーミーはそこを蛇のように駆けて行くので、いわばここでは溝口必殺の長回しは封印され、細かくカットを割る必要に迫られる。さてどうするか。

宮川の登場である。一夫のターンである。

チャーミーが曲がり角を迎えると、次の路地の遥か彼方のここしかないという抜群のポジションを取って画面奥からちょこまかと走りくるチャーミーを捉え、彼女がカメラの前を横切ると同時にフォロー・パン、走り去っていくチャーミーの後姿を見送るのだ。そしてまた次の路地の遥か彼方にポジショニング。くり返し。

この「カットとパン」という僅かな所作だけで迷路のような「鰻の寝床」を理路整然と視覚化してみせた宮川の空間造形。

いよいよ脱糞である。

なお、小走りチャーミーもめたくそ可愛い。よう走りおる。

f:id:hukadume7272:20190626063828j:plain

路地ショットを集めました。この風情!

 

また、粋なのが電話の用法。

場面転換の際には必ず電話がリンリン鳴り響く…という使い方も十分に粋なのだが、それより粋なのが映画終盤。

いけずな女将に仕事を奪われた小暮姉さんの屋形に予約キャンセルの電話が立て続く(女将の陰謀)。だがラストシーンでは、言い争った小暮姉さんとチャーミー若尾が涙の和解を迎えた直後、今度は予約の電話が殺到するのである。そしてこのハッピーエンドを後押しするように、どこからともなく祇園囃子が鳴り響く…。

ピーヒョロロ。どんどんどん。クエッ、クエッ、クエッ。チョコボール。

なぜこの演出が素晴らしいのか?

当たり前の話だが「映画における電話」が意味をなすのは、もっぱら会話内容である。

何が話されたか?ということが大事なわけだ。電話越しの台詞によって物語を進めるためにこそ電話はスクリーンに現れる、と言ってもいい。

だが溝口作品にあっては電話が掛かってきたこと自体が意味をなす。

会話内容なんてどうでもいい。なんなら電話に出る必要すらない。われわれは電話の音を聞いただけで「あ、女将の裏工作のせいで仕事がぜんぶキャンセルになったのだな」とか「今度は予約の電話が掛かってきたのだな」と直感するのだから。

この映画に出てくる電話は、二人が落ち込んでいるときに掛かってきたら100%凶報、ハッピーなときに掛かってきたら100%吉報…という法則性のもとに鳴っており、いわば二人の悲喜、もしくは映画の陰と陽のムードを強調するための道具として使われているのだ。だから会話内容は問題ではない。ただ鳴るだけでそれぞれのシーンの気分を引き立て、二人の心的状況を観る者に直感せしめるのである。

台詞に頼らずとも物語は進められる。これが映像言語だとでも言うわけ?

言うわけ!

f:id:hukadume7272:20190626063957j:plain

予約をキャンセルされた小暮姉さん。大いにへこみます。

 

小難しい話は抜きにしても、いつ誰が観ても楽しめる作品になっているのと違うか?

京都出身だからといって京都をアピールするわけではないのだけれど、京言葉の愛らしさとゲイシャガールの美徳をぜひとも堪能して頂きたいと思います。

可愛さと美しさを体現した好対照な主演二人がきらきらと輝き散らしておりますが、やはり軍配が上がるのは小暮姉さん。

ギュッと絞ると色気が滴るような美人一番搾り!

小暮姉さんに婚約を破棄されてぷりぷり怒った得意客をやんわりとあしらうファーストシーンの台詞がたまらない。

「芸者のウソはウソにならへんの。お商売の駆け引きや。お客さんの気持ちに相槌打って、おもしろぉ遊ばせてあげてんのが判りゃしまへんのか?」

Oh、魔性なりき小暮姉さん。甘さと辛さのハーモニーで男を手玉に取ってゆくぅー。

それじゃあ最後に一曲聴いてくれ。この映画からインスピレーションを得て作った曲です。

 

「祇園囃子のテーマ」

 

裏で泣けども 座敷に上がれば夜の華

鰻の寝床をしゃなりしゃなりと袖振って

今宵も酔わせる 甘き夢

これが あてらの生きる道

 

その角曲がれば 桃源郷

東寺を見るなら 双眼鏡

お相手できぬは 暗黒卿

 

あたいが取りまひょ 主導権

みんなでやりまひょ 野球拳

ひとりで行きまひょ やよい軒

ひとみを閉じまひょ 平井堅

 

大金持って おいでやす

(ナメんとっておくれやす)

 

10万持っておいでやす

(ぜんぶ使っておくれやす)

 

邪心は捨てておいでやす

(触らんとっておくれやす)

 

延長はナシでおいでやす

(もう堪忍しておくれやす)

 

  お茶漬け出したら 

(帰っとくんなはれ!)

 

作詞作曲:ふかづめ

ボーカル:小暮姉さん

ギター&コーラス:チャーミー若尾

ベース:アスパラ

ラム:糞豚

テルミン:女将

 

THE祇園バンドのデビューシングル「祇園囃子のテーマ」はソニー・ミュージックエンタテインメントより好評発売中です。

今秋にはセカンドシングル「一夫のターン」がリリース決定!

f:id:hukadume7272:20190626064353j:plain

宵山の祇園を闊歩するラストシーン。さぁ、商売、商売!

 

(C)KADOKAWA