シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

プライベイトスクール

べつに本作を観ようが観まいが消費税率は変わらないし紛争もなくならないのです(そしてオレたちは死んでいく)。

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1983年。ノエル・ブラック監督。フィービー・ケイツ、ベッツィ・ラッセル、マシュー・モディーン。

 

近所の男子校に通う少年をめぐり、女子高生ケイツが学園クィーンと恋のさや当てに興ずる一方で、少年たちは女子寮潜入を試みて…。フィービー・ケイツがイケイケ女子高生に扮する学園コメディ。(Yahoo!映画より)

 

おはよう、前世茶葉たち。

スーパーでも本屋でも何でもいいけどさ、店を出ようとするときにすれ違いざまに入ってこようとする客と自動ドアの前でフェイント合戦によくなります。

常識的に考えれば「出る人が先」なので、まず先に私がドアから出て、そのあと客が入店すべきなのだが…イノシシみたいに突っ込んでくるからな。あいつら。

え、ばかなの? なぜ出ようとする私に向かって正面突破かけてくるの? そんなことをしても私とバーンってなるだけじゃん。それとも私がサッと身をかわして道を譲るとでも? 譲ってたまるかよ。「出る人が先」というジャスティスに庇護されてんだから譲るわけないでしょうが。

それとも何なの、ハナから正面突破で私を打ち砕くつもりなの? 入店ついでに私のことを打ち砕こうと? 本当にイノシシやん。やっぱりばかなの?

 

だもんで私は、このようなイノシシ民とドア付近でバーンってなりそうなときは天性の目つきの悪さでぎらりと睥睨、「どくのはお前だよ、チョコレートボーイ」と殺気を立てるようにしています。

私の殺気は効果抜群らしい。学生時分にゴリゴリのヤンキーから「俺たちのようなワルはな、お前みたいな人間を最も恐れているんだ。ガリガリだから喧嘩は弱そうだが、やけに背が高くて目つきの悪い人間というのは、なかなかどうして不気味のものさね…」と評価して頂いたのだ(男子トイレで用を足してるときに)

爾来、私は自分の目つきの悪さをバカを一掃するためのウェポンとして十二分に活用。往来の真ん中で騒いでるサラリーマン集団に「どくんだよ、パパイヤボーイ」といった目つきで睥睨、人通りの多い四条通で立ち止まって話し込んでる観光客の集団も通行の邪魔なので「ホテルへ帰るんだよ、爆買いボーイたち」といった目つきで睥睨。

そんなことばかり繰り返していたからか、ある日、顔に傷のあるスーツの男たちから「きみ、親分にガンを飛ばしたね」と話しかけられて薄暗い路地に連れて行かれました。あとは推して知るべし。

そんなわけで本日は『プライベイトスクール』。わけあって第二章でやめちゃってます!!

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◆比類なき質の低さ◆

助平な高校生3人組が夜な夜な女子寮に忍び込んでは痛い目を見て退散する。この低級コントを延々やってるだけのエロ映画である。さすが1983年、この大らかさ。

ヒロインは『初体験/リッジモント・ハイ』(82年)『グレムリン』(84年)で一世風靡した80'sアイドル女優フィービー・ケイツ。古本屋でたまに見かける80年代の『スクリーン』では大体表紙を飾ってた人よねKONMAさんとか好きそう)

お相手役は『バーディ』(84年)『メンフィス・ベル』(90年)で一時的な人気を獲得していたマシュー・モディーン。厳しいことを言うなら間違えて売れてしまった人です。

マシューとの恋に悩むフィービーは真実の愛を手にすることが出来るのか? 出来ないのか? 出来ないと思わせて出来るのか?  そんな内容である。

当時人気絶頂だったフィービー・ケイツのサービスシーンも楽しめちゃう、ちょっぴりエッチな学園コメディ『プライベイトスクール』

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フィービー・ケイツ。

 

ゴミです。

 

物語らしきものはなく、毎晩のように女子高の寮に潜入するボーイたちがポラロイドカメラでガールたちの裸を撮ったり女装してシャワールームに忍び込むといったウルトラどうでもいい助平エピソードをへたくそに繋げてるだけ。ガールたちが体育に汗する助平シーンではリック・スプリングフィールドの「American Girls」やビル・レイの「Private School」といった最低な曲がフルでたっぷり流される。同時期に流行った『フラッシュダンス』(83年)『フットルース』(84年)と同じサントラ映画だが、その中でもズバ抜けて質が低い。

 

この手の学園コメディでは女に興味津々のボーイたちが同じ目的のもとに連帯を築いたり計画を立てたりすると面白くなるね。そしてガールたちは恋バナをしたり同じ男を取り合うことで同性同士の絆を深めていくんだ。で、最後に主人公とヒロインが結ばれる。この3つさえ守っていればどれだけ内容がヒドくても話としては成立するね。

さて、この映画はどうだろうね。

一個も守ってないね。

どうなっちゃってんだろね!

ボーイたちは終始発情したブタガキみたいに女の尻を追いかけるばかりで、それにまつわるエピソードもなければギャグもなく、キャラ分けすらロクになされない。よって各キャラクターのキャラクター(性格)が不明。

一方のガールたち、なぜか異性はおろか同性とすら…つまり誰ともあまり言葉を交わさないので「他者との交流」自体が希薄で、ただマネキンみたいに突っ立ってるだけの状態。よって各キャラクターのキャラクターが不明(というか作劇として成立してない)。

そしてフィービーとマシューに至っては最初からカップルとして登場する。途中でちょっと喧嘩もするが、こいつらは基本ハッピーだ。

じゃあハナシ終わっちゃってんじゃねえか!

もちろん2人の個性や人柄もビタイチ描かれないのでキャラクター性は依然不明。マシューに至っては何の脈絡もなく「キミのそういうところが好きなんだ」とフィービーに言う。

どういうところだよ!

マシューはフィービーのどういうところが好きだったのかな。指示語を使われても意味内容を示してないから分からないね。国語の罠だね。これ難解映画なの?

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日本でも爆発的人気を誇っていたフィービー・ケイツ&間違えて売れてしまったマシュー・モディーン。

 

◆こうして俺たちは死んでいきます◆

タカビーなベッツィ・ラッセルは暇さえあれば乳を放り出したり、堅物の女校長が教え子の父親とカーセックスをしたりと、列記するのもアホらしいような愚劣馬鹿味噌のエピソードが無反省に押し迫ってくる地獄の91分。青春映画としてはあまりにドラマ的ヒダに乏しく、ポルノ映画としては健康的に過ぎるという、帯に短し襷で寄せ乳なハンパ作。

この映画の楽しみ方がわからなすぎて説明書が欲しいと思った。

めざすべき物語の着地点も各人物のキャラクター性も見えてこないので、観る者はただ生温かい無重力の死に時間の中を漂いながら「早く終わればいいのに」と呪詛のごとく呟き明日の晩御飯のことを考えるだろう。

『パラダイス』(82年)『初体験/リッジモント・ハイ』に比べてフィービーのサービスシーンが少ないこともファンを大いに幻滅させたらしい。もっぱらベッツィ・ラッセルがおっぱい要員の一翼を担っているのだ。『エマニエル夫人』(74年)で有名なシルヴィア・クリステル扮する女教師もプールに突き落とされてスケスケの裸体を晒しもするが、だからどうしたっていうんだ。

べつに乳を叩き売りするベッツィとヌードがきつい年齢に差しかかったクリスティを見たところで何がどうなるわけでもない。嬉しくも楽しくもないし、睡魔が大人しく去ってくれるわけでもなければアフガニスタンの紛争が終息するわけでもないのだ。

これは映画全体にも言える。

べつに本作を観ようが観まいが消費税率は変わらないのだし、安倍晋三が「誠実」という言葉を理解することもない。気になる人に話しかける勇気が持てない友達が一歩を踏み出すキッカケにもならなければ、借金で首が回らない博打うちに「まあいいか」と気持ちよくビールを飲ませて安眠をもたらすこともない。いわんや地球侵略を目論んでいる宇宙人を思いとどまらせるだけの感動や、地球温暖化を食い止めるような効果も期待できない。

オレの言ってること少しはわかるだろ?

 

『プライベートスクール』を観るまえのオレと観たあとのオレとでは何も変わっちゃいない…ってことだ。

 

どれだけ最低な映画でも観た以上は何かしら「得るもの」があるし、知覚しきれないほど微細ながらも「変化」や「影響」を受けるものだが、本作のそれは全き絶無であった。観ても観なくても、何ひとつ、1ミクロンたりとも変わらない。強いて言うなら上映時間の分だけ歳を取ったぐらいだ。

勝手なことを言うようで申し訳ないが、たぶんこの世には『プライベートスクール』を観たことで元気をもらったかとか、いい時間を過ごせたとか、学校が楽しくなったとか、あの頃に戻りたいとか、迷いが吹っ切れたとか、悲しみを乗り越えられたとか、ファッションに影響を受けたとか、何かの参考になったとか、知識が増えたとか、話のネタになったとか、生活が向上したとか、床上手になったとか、女房と仲直りできたとか、癌が治ったとか、精神が拡張したとか、愛に目覚めたとか、頭からツノが生えたとか、人生の何たるかを知ったとか言うヤツなんてただの一人もいないと思います。ただの一人もだ。

本作を見た観客は、上映時間の分だけ、等しく、あるいは虚しく、歳を取っただけ。

こうしてオレたちは死んでいくのだろうか。

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おっぱい要員として事務的に消費されゆくベッツィ・ラッセル。