シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

緋牡丹博徒

義理と人情こそ渡世の掟。背中の緋牡丹 咲かせます!

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1968年。山下耕作監督。藤純子(富司純子)、高倉健、若山富三郎、待田京介。

 

一時代を築いた藤純子主演による“緋牡丹博徒”シリーズ第1作。矢野組のひとり娘・竜子は、闇討ちされた父の仇を求め全国津々浦々の賭場を流れ歩き“緋牡丹のお竜”の異名をとっていた。やがて仇を探しあてた彼女は一匹狼のヤクザ、片桐の助けを借り…。(Amazonより)

 

 おはようございます。連続ブログ小説『モヘアさん』の最終回です。

~前回までのあらすじ~

夢と希望を騙し取られた私は、ディザイア・ウィッチを倒す術がスチナブルしかないと知り、おひょんどを捜すために彼の弟・どひょんおにコンタクトを取る。だがどひょんおは既に何者かに抹殺されていた。彼は死の間際に「塩やきそば」というダイイング・メッセージを残していたが、とくべつ推理に役立つとも思えないので、私はこの雑情報を一旦忘れることにした。幸い、雷に打たれてバカになっていたのですぐに忘れられたのだ。

 

さて、前回の続きです。

斜め被りの無駄話にうんざりした私は死んだフリをした。お陰でカットは順調に進んだが、普段わたしは眼鏡をかけているのでカット中の経過がまるで分からない。まあ、髪に細かく注文をつける方ではないので途中経過などどうでもよいのだが、とはいえ随所で「いちど眼鏡をかけてご覧になりますか?」と言ってカットを中断してくれる美容師の心遣いというのは実にうれしいものなのだが、斜め被りにはこれがなかった。自分が切りたいだけ切って、弄ぶだけ弄んで、一人で勝手にフィニッシュするタイプなのだ。あたしの純情を返してよ。一人で先に寝ないでよ。

とかくこういうメンズは女性とのディトの最中でも自分のペースで先々歩くもの。下ろしたてのパンプスで踵がすれて痛い痛い思いをしながらも必死でちょらちょら追従するレディーに「ごめん、速かった?」とか「足、大丈夫?」といった言葉のひとつも掛けられないようなら所詮そんな男は大した器ではないので見限ってしまいましょうレディーの皆さん。

そんなわけで、私はカットを通して斜め被りに都合よく抱かれてしまったのだが、「出来上がりました」と言われたので眼鏡を付けて鏡を見たところ…

あ、いいじゃん。

きぃ、憎い男。気遣いはできないけどやる時はやる男っていうか、あーだからモテるのかーと得心。パンプスが擦れて痛い思いをしている私を「黙ってついて来いよ」とばかりに無視してシュンシュン先に行ってしまうけど、ちゃんと付いて行ったら海に出た!みたいな。

「これをおまえに見せたくてよ…」

うひょー、なんて感激するんだ。だが営業トーク攻めの恨みは忘れない。これが女の情念です。女っていうか、私のね。

施術後に斜め被りが「グーですか?」と訊いてきたので「グーですね」と答えたが、内心では「頭はパーだがな」と思っていた。これにてチョキチョキのチョキはおしまい。

そんなわけで本日は『緋牡丹博徒』です。女見せるで!

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◆緋牡丹、その濫觴◆

御当家の親分さん、大姐さん、陰ながらお許し蒙ります。

向かいます上様とは今日向初の御意を得ます。

従いまして生国は肥後熊本にござんす。熊本は五木の生まれ、姓名の儀は矢野竜子。通り名を緋牡丹のお竜と発します。

御視見の通り、しがなき者にござんす。行く末、お見知りおかれまして、宜しくお引き立てのほどお願い致します(ペコリ)

 

藤純子が緋色をバックにカメラ目線で名乗るドリー・インのアバンタイトル。すべてはここから始まった。

撮影当時22歳だった藤純子の『緋牡丹博徒』シリーズは江波杏子主演の大映映画『女賭博師』シリーズに対抗して作られたプログラムピクチャーだが、シリーズの質は押し並べて高く、鶴田浩二・高倉健・若山富三郎らと共に東映任侠映画の人気を不動のものとした。

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全作観ているわけではないのだけれど。

 

藤が熊本弁で演じた「緋牡丹のお竜」は組長のパパンを辻斬りで失った純真可憐な箱入り娘。緋牡丹の刺青を背中に背負い、仇を探すべく女を捨てて旅に出る。若くして貫禄十分の藤、その気っ風のよさと凛々しい佇まいは瞬く間に観客を虜にし、渡世の義理を重んじる「お竜イズム」が女任侠映画に火をつけた。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花とはよく言ったもの。

また、シリーズを通して、鶴田浩二、高倉健、菅原文太、若山富三郎、丹波哲郎、藤山寛美、 金子信雄、松方弘樹、待田京介、里見浩太朗など錚々たるスターがローテーションでぐるぐる出演。このぐるぐるシステムがシリーズの人気を後押ししたのだ。

 

脚本は『トラック野郎』シリーズ『徳川セックス禁止令 色情大名』(72年)で知られる鈴木則文。「俺は照明をまんべんなく当てて影を作らないんだ。その方がバカに見えるだろ?」、「ピントは奥まで全部合わせるんだ。そうすると画面に奥行きがなくてバカに見えるだろ?」など数々の含蓄ある名言を残した職人監督だ。

藤純子の紹介はしなくていい気もするが、一応言っておくと寺島しのぶのリアルママンである。『緋牡丹博徒』シリーズに味を占めて『日本女侠伝』シリーズ『女渡世人』シリーズなどで女任侠映画の花形を飾り、1972年に引退するも1983年に気分が変わって女優業復帰、引退詐欺の落とし前をつけるべく芸名を富司純子に改めた。還暦を過ぎてなお女優業に精を出し、『フラガール』(06年)では多数のいかがわしい賞で助演女優賞を受賞、夏アニメの金字塔『サマーウォーズ』(09年)では家長のババアのボイスを担当するなど大車輪のご活躍。最近作は木村大作×岡田准一のチャンバラ映画『散り椿』(18年)です、どうぞよろしく(観てないけど)。

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血は争えない。

 

人間力と人間力のぶつかり合い

組長のパパンを殺されたお竜は一家を解散して犯人捜しの旅を続けており、岩国の賭場でいざこざに巻き込まれているところを旅の博徒・高倉健に救われる。賭場で知り合った待田京介の引合せにより松山で一家を構える若山富三郎の知己を得たお竜は、そこでかつての子分・山本麟一と再会した。

山本が面倒事を起こしたせいで若山一家が金子信雄が束ねる組と敵対していることを知ったお竜はふたつの勢力を仲裁することになり、それが縁で大阪に一家を構える女親分・清川虹子の知遇を得る。やがてお竜は清川一家と敵対している新興組織の大木実がパパン殺しの犯人だと知り、高倉・山本・待田を引き連れてカチコミを掛けるのだった。庭の白い牡丹が鮮血に染まってゆく。ルルルー♪

 

任侠映画なので勢力図がチトややこしいが、まぁ早い話が身ひとつで旅をするお竜がヤクザの仲間を集めて敵討ちするといったシンプルながらもアツい内容である。

切った張ったの大立ち回りよりも、各地の親分たちがお竜さんの人柄に惚れて一肌脱ぐといった義理人情がコッテリ描かれているので、みんな大好き『ショーシャンクの空に』(94年)のようなヒューマンドラマと根は同じ。

実際、愛され体質の主人公が知恵と人情でみんなの心をひとつにする…という意味において『緋牡丹博徒』はほぼ『ショーシャンク』なのです。

なぜ『ショーシャンクの空に』は好きなのに『緋牡丹博徒』を観ないんですか?という話になってくるよね、それは。どうしても。

 

お竜が若山一家と金子一家を仲裁するシーンにこそ緋牡丹エッセンスが結晶化されている。

ピストルを振り回して金子一家に上がり込んだお竜は、金子親分に手打ちを懇願するも「帰って若山に伝えろ。女を使っての小細工はこの金子には通らねえとな!」と一蹴されてしまう。ところが、金子にピストルを向けたお竜は、やけに艶やかな声で「金子の親分さん…、女の小細工で命ば落としたとあっちゃあ一家の面目は丸潰れですばい」と言ってほくそ笑んだ。金子の親分は「アワアワアワ…」と泡を食うばかり。

途端、ピストルを金子に渡したお竜は、片肌脱いで背中の緋牡丹をドギャーンと見せつけた!

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ドギャーン!!

 

どぎゃんしても出入りに持ち込むとなら、この緋牡丹に2~3発ぶち込んでからにしておくんなせえ!

 

もとを正せばお竜の子分・山本に端を発した今度の諍い。金子親分を撃っては仁義に反すると考えたお竜は、自らの死をもって山本の失態をリカバーしようと身を挺したのである。ヒューマンだなあ!

かかる決死の覚悟にはさすがの金子親分も「アワアワアワ…」と泡を食うばかり。

さあ、撃ちなせえ。どっちみち捨てる覚悟で来た命だけん!

そこへ金子一家と懇意にしている女親分・清川虹子が「待たんかい」と言ってのそりと現れ、手打ちと引き換えに緋牡丹を撃つ役目を引き受ける。お竜にピストルを向けた清川マダムは、ドギャーン、ドギャーン、ドギャギャーン、ドギャーンと引き金を引いたが、はたして5発の銃弾は庭に咲いた緋牡丹を宙に散らせただけであった。

約束通り、緋牡丹は撃ったで

粋な方法で場を収めてゆくうううううううう。

これにはさすがの金子親分も「アワアワアワ…」と泡を食うばかりだが、ややあって呵呵大笑、「緋牡丹の姉さん。ワシも強情じゃが、アンタもなかなか強情じゃ」とお竜の覚悟をいたく気に入り、若山一家とのオールナイト手打ちパーティーが開かれたのでありました。

ヒューマンだなああああああああああああああああああああああああああ。

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このヒューマンが皆にわかるか?

金子親分を殺せる立場にありながら筋を通すために命を差し出そうとしたお竜の仁義、頓知を働かせてその場を丸く収めた清川マダムの粋、女二人の仁義と粋に免じて気持ちよく和解を受け入れた金子親分の器。

すべてのキャラクターが各々のカリスマを発揮してスクリーンの端々に息づく多幸感、その根底にある人間力と人間力のぶつかり合い。

人の心を深耕する鈴木脚本は「義理と礼節」こそが渡世の掟であり、ヤクザであれカタギであれ「道理」こそが人の道だと説く。

他方、かかる義理人情の狭間で葛藤するのが高倉健である。お竜にとって仇の大木とは義兄弟の間柄ゆえにどちらにも味方できない複雑な立場にあり、ついにお竜に向かって「あんさんのパパンを殺したのはオレだ」と嘘をつき大木を庇ってしまう苦しき仁義。だが反省すると誓った大木が鬼畜の所業に出たことで、高倉は心を痛めながらも泣いて馬謖を斬るのであった。

人間描写に関しては同時代のイタリア映画も引けを取らないが、やはり人間感情の機微では当時の日本映画の方が一枚も二枚も上手。結局のところ、日本映画のすごさとは複雑な人間感情をバカでも分かるエンターテイメントに仕上げたという点に尽きる。

なんとなく人間を描いた風ではあるが実際問題ただ眠いだけのフランス映画や、わけのわからない王室モノのイギリス映画の単純さとは比ぶべくもないデッサン力にはただただ感服するばかりだ。

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何かとよく共演する藤純子&高倉健。

 

◆イズムこそ武器なり◆

悪いとは思うが、かなりどうでもいい話をさせて頂く。

そうだな、うん…。軟膏の話をします。

肩を斬られたお竜に高倉健が軟膏を塗って手当てするシーンがあるのだが、あるワンショットに強い違和感を覚えてしまったのである。

すげえ量の軟膏を指で掬い取るのだ。

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多すぎへんけ。 

 

この傷の感じに対してその量は多すぎると思うのだが。どうだろうか。皆さんと一緒に審議していきたいと思う。

私は貧乏性なので、この手のクリーム類はごく少量取って薄――く伸ばすタチなのだが、やはり高倉健ほどのスターともなれば人差し指で取れる量の上限一杯まで掬って惜しみなく軟膏を塗布するというのか?

ことによると高倉はお竜に惚れていて、そのため普段より多めに軟膏をサービスしてお竜に振り向いてもらおうとしたのか…?

真相は分からんが、いずれにせよ軟膏の使用量に糸目をつけないセレブの身振りにはいささか反感を覚えたことを正直に告白しておく。むかついてきた。

だいたい、薬品にしろ美容品にしろ沢山つければいいというものではないだろ。そんなバカみたいな量の軟膏を塗布しても、どうせ指で伸ばせないんだし、ただお竜の肩がベタベタになるだけである。女性の肩をベタベタにする奴があるか!

あまつさえ高倉は肩の出血を止めぬまま軟膏をいきなり塗布してるし、なんなら消毒も怠っている。

違うだろーッ! このハゲー!!

まず出血を止めて、消毒して、そのあと軟膏だろっ。止血も消毒もせぬ内からバカみたいに大量の軟膏を塗りたくっても逆効果ではないか。適量という言葉を知らんのか。ヘアーワックスを付けすぎたことで却って髪が重たくなった頭ベタベタの中学生じゃあるまいしよォ。少量取って薄く伸ばす! これがクリームマスターである私からの忠告だ。以後、気をつけて生きるように。

 

「高倉健の軟膏の使い方」についてぶち切れてしまったが、非クリームマスターである読者諸君は気にしなくていい。この問題についてはクリームマスターである私が責任をもって取り組んでいくから。

気を取り直して評を続けるなら、やはりヒロインの魅力に言及せぬ手はない。

お竜を演じた藤純子のたおやかな挙措と白の着流し。その線の細さが極道の扉をひらく女の危うさとなる。高倉健に「いくら男だと言い張っても、お前さんは女だよ」と言われたように、たとえば『極道の妻たち』(86年)での岩下志麻のような気迫は彼女にはない。むしろ幾分弱々しいぐらいなのだが、だからこそ窮地に至ってピストルを撃ったり、簪を投げたり、小太刀で斬りかかってはみても、最終的には背中の緋牡丹を剥き出しての「お竜イズム」が形勢逆転の鍵となる。イズム=主義主張。これこそがあまねく問題を解決せしむる光芒であり、これを称して「格」や「器」と呼ぶ。人としての格や器はどんな銃器にも勝る切り札なのだな。ははん。

 

そんな緋牡丹娘の心情を的確に表しているのが色彩演出だ。

緋色をバックに名乗るアバンタイトルがすべてを物語っているように『緋牡丹博徒』赤に染まる映画である。

パパンが辻斬りに遭う回想シーンでは道端に咲いた牡丹が血に染まり、傷心のお竜が亡きパパンに敵討ちを誓うシーンでは上から降り注ぐレッドライトが白の牡丹を真っ赤に染め上げ、彼女の恨みに火をつける。

高倉が大木の不義理に怒る場面でもやはり庭の牡丹は赤い。大木と刺し違えた高倉のいまわの際でも当然のように赤い牡丹が脇に据えられていた。

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愚直なまでに一貫する赤の「死と怒り」に純白の身を染めた女の極道入門が描かれているため、多くの死を乗り越えたお竜の襲名式に終わるラストシーンでは白と黒の鯨幕調による「アバンタイトルの反復」がごく穏当におこなわれる。開幕と同じくカメラ目線のドリー・インでわれわれを見据えたお竜=藤純子の眼差しには、さらなる試練と困難に対する揺るぎない覚悟が燃えていた。

 

わたくし矢野竜子、皆様方のお力添えにより、この度、矢野組二代目を襲名致しました。

なにぶん未熟者ゆえ、しばらく渡世修行の旅を続ける覚悟でございます。

どうぞよろしくお願い致します(ペコリ)

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