シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

女の賭場

狙え! ハッタリでクッタリ! クールビューティー大作戦。

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1966年。田中重雄監督。江波杏子、渡辺文雄、川津祐介。

 

名の知れた胴師だった父親が罠に陥り汚名を着せられたまま自殺、娘は復讐のため博打の世界に足を踏み入れる…。江波杏子のクールビューティーが炸裂!(KADOKAWAより)

 

ハイ、おはみ。

今年は祇園祭の宵山が中止になったので、去年見逃した岩下志麻ちゃんの『祇園祭』(68年)を京都文化博物館でしっぽり眺めておりました。今週末からは以前取り上げた『心中天網島』(69年)『はなれ瞽女おりん』(77年)が上映されるので、こちらも行ってみたいと思います。

実は去年「昭和キネマ特集」をしていた頃からちょくちょく通っていたのが、ここ、京都文化博物館。

ここでは戦後黄金期の日本映画が多数上映されているが、なかんずく特筆しておきたいのが毎年祇園祭の時期だけ上映される『祇園祭』。この映画は京都府が著作権を保有する作品で、岩下志麻と三船敏郎を筆頭に、志村喬、渥美清、高倉健、美空ひばりなど凄まじい豪華キャストにも関わらず、未だにソフト化されていない幻の映画。観るには祇園祭の時期を狙って京都文化博物館に来なければならない…という激烈に面倒臭い鑑賞条件ゆえに、もはや京都人以外からは完全に忘れ去られた不遇の作品であります。しかもそうまでして観る価値のある傑作というわけでもない。

ただでさえ京都文化博物館ってちょっと入りづらい外観をしてるから困る

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バキバキやん。

むだに厳かっちゅうか、鹿爪らしいっちゅうか。この雰囲気がちょっとなぁ…。ヴァン・ヘイレンのバンTで行ったら「帰れ」と言われるのではなかろうか。そういった不安が私を苛めるのであります。しゃっちょこばるっちゅうか。

あと、そうそう。いま開催中の「帰ってきた昭和キネマ特集」はいつ終わるのか…という話をすると、全10回前後を予定してるので、本日の分を含めると残り7回ほどで終わる予定です。よかったね~。

そんなわけで本日は『女の賭場』です。この恨み、晴らさでおくべきか!

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◆入ります! 女賭博師、参上!

藤純子の「緋牡丹博徒シリーズ」に先んじて製作された「女賭博師シリーズ」は、日本人離れしたモッダーンな美貌を讃える江波杏子を瞬く間にスターに押し上げた大映プログラムピクチャーである。シリーズは5年間で17作品続き、江波杏子はヘロヘロになった。

彼女が演じる主人公は女博徒師でありながらやくざの世界を忌み嫌い、堅気になって恋人との結婚生活を夢見ているが、やくざに絡まれてやむにやまれず賭場に戻ってくる…というのが毎度のパターン。ちなみに、フランス映画のような都会派コメディを夢見て女優になった江波自身も同シリーズでの女博徒師役を蛇蝎のごとく嫌っていたらしい。

そりゃあ17作も出続けたらヘロヘロになるわけだ。

当初は若尾あやぽんの主演で企画されていたが、あやぽんが自宅の風呂場ですっ転んで入院したために新人江波に白羽の矢が立ったという。私生活までお茶目なあやぽん!

 

また、当初はプログラムピクチャーとしては企画されてなかった当シリーズだけれども予想外のヒットを受けて2作目、3作目…としつこくシリーズ化されたため、4作目『三匹の女賭博師』(67年)までの江波の役名は全てバラバラ。ようやく5作目から「大滝銀子」という役名が定着し「昇り龍のお銀」の愛称で親しまれたので、4作目までの主人公に関しては「誰やねんおまえは」という話になってくる。

つまり、正確を期すならプログラムピクチャーとしてのシリーズ正史は5~17作目であって、1~4作目はべつの世界線にある単発の江波主演作として理解すべきだろう。めんどくせ。

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江波杏子

 

そして今回扱うのはシリーズ第1作『女の賭場』

関東の親分衆を集めた手本引きの花会。熟練の胴師が駆け出しやくざの渡辺文雄にイカサマを見破られ、けじめをつけるべく自殺した。江波杏子は死んだ胴師の娘であった。かつては名胴師として「入ります!」とかなんとか言っていた江波だったが、現在はやくざの世界とは縁を切って小料理屋の女将を務めている。『ウルトラセブン』で知られる南廣(以下セブン)とのロォマンスは結婚秒読みだ!

一方、渡辺組を構えたインテリやくざ・渡辺はナイトクラブを持つまでに出世を遂げ、自身が運営する博打場の胴師に江波をヘッドハンティング。彼女がそれを断ると巧妙な手口でセブンとの仲を裂き、道を踏み外した江波の愚弟・酒井修を渡辺組に勧誘する(ちなみに酒井修はアヘン不法所持で逮捕された俳優なので、以降は敬意をこめてアヘンと呼ぶ)。

おのれ、卑怯な渡辺!

渡辺「嫌がらせをやめてほしかったら胴師になってワシを儲けさせんけえ!」

おのれ!

怒りと悔しさで唇を噛んだ江波は、やくざ時代からの良き舎弟・川津祐介と力を合わせ、練りに練った渡辺打倒策、その名も「狙え! ハッタリでクッタリ! クールビューティー大作戦」を決行する。一体どういう作戦なのか!

f:id:hukadume7272:20200906044304j:plain渡辺に脅される江波。

 

『緋牡丹博徒』とは似て非なる性格

本作はやくざの賭場が舞台なので形式上は「やくざ映画」という括りだが、主に描かれているのはセブンとの恋愛関係、父の自殺により非行に走ったアヘンとの姉弟愛、いつ見ても客がいない小料理屋のガタガタ経営譚と、主人公・江波の私生活を追った都会派メロドラマである。手本引きに興じるギャンブルパートも最初と最後の15分だけだし。

なにより意外なのは現代劇という点だった。

60年代に栄えし東映・大映のやくざ映画における時代設定はざっくり昔とかふんわり明治といったアバウトさで、とりあえず現代を感じさせる被写体(洋服、自動車、ビルetc)は画面から弾いとけ…というファジーな世界観だったが、『女賭博師』シリーズはそんなやくざ映画の素地に逆らい、バキバキに現代である。つまり60年代当時の風俗をそのまま、このまま、あるがままに映しとった同時代映画なのじゃよ。

そんなわけで本作にはキャバレー、ネオンサイン、怪奇タコ踊りなど西洋文化のるつぼ。都会派映画に出たいという新人・江波の希望は図らずも叶えられたのである(ズコ~)。

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うねる、みせる、こまる! 怪奇タコ踊り。

 

『緋牡丹博徒』の藤純子に愛らしさと柔らかさがあったのに対し、決して愛想を振りまくでも媚態を演じるでもない江波には凛然たる妖気が宿る。父親を殺されたことでやくざの世界に自ら足を踏み入れた藤の豪気に比して、江波は最後まで裏社会のいざないに抵抗し、普通の女であり続けようとするのだ(よって本作は江波が胴師に復帰するまでの物語です)。

ハーフのような妖美で蒼白い顔立ちと、たぶんスルスルの手触りであろう白い着物はまさに幽霊。

全編メロドラマでありながら観る者の共感を突っ撥ねる刀身のような佇まいがいい。

f:id:hukadume7272:20200906045105j:plainラブラブの江波とセブン。

 

一方、かたき役の渡辺は、義理や任侠のような旧態依然としたやくざの伝統に逆らい、合理性に基づいた独自のネオ男道を追求する経済やくざ。都合の悪い人間は暴力でおさえつけるのではなく頭脳を使って自殺に追いやる…というのだ! おのれ~。

また、ナイトクラブの客や従業員たちをVIP席から見下して「こいつらカタギの連中は、やくざに金を払い、やくざから金を受け取ってやがる。俺はその内、やくざとカタギの壁をブチ破るんだぜ!」と独自の哲学を開陳。やくざもカタギも根っこは同じ俗物…という理論である。まさにやくざコンプレックスの反動。

 

だがな、最もイカすのは江波の舎弟を演じた川津祐介なんだ。

現役博徒として「姐さん、もういちど盆に座ってくだせえ」と江波に復帰を乞いながらも、堅気になりたいという彼女の気持ちに気づけば「姐さんの気持ちも考えねえで…あっしが馬鹿でした…」とすぐに反省。だが、やはり渡辺と盆で決着をつけようとした江波に特訓の相手を頼まれると、途端に顔をパァーッと明るくしての「そう来なくっちゃあ!」。よいキャラクターといえる。

ちなみに恋人のセブンはまんまと渡辺の離間計にハマって「僕はあなたとの愛を信じられなくなりました」とか言いやがったのでゴミ。ゴミ男。

弟のアヘンも渡辺にマインドコントロールされた挙句「あの人は極悪人なのよ!」と説得する江波を見捨てて「うるせえ。渡辺さんはこんな俺にもよくしてくれたんだー」とかなんとか言って走っていったのでドブ。ドブの餓鬼。

だから、まぁ…消去法的に川津しかまともな男キャラが残らないっていうか、相対的に川津がいい男に見えてくるんである。繰り上げ式に。

 

ちなみに本作で描かれる賭博は手本引きというもので、これはきわめて運要素の低いゲーム性から「究極のギャンブル」として根強い人気を誇っている。

胴師(親)が選んだ1から6までの札の目を張子たちが当てるという単純なルールだが、胴師は周囲の張り方を見ながら、そして張子たちは胴師の目線、挙措、外し方の癖などから互いの心のうちを読み合う…といったように観察眼と心理戦略が試される高度なゲームらしいのだ。

昔、我が家にあったような気がするけど、あれは株札だったかな。

f:id:hukadume7272:20200906043821j:plain活きのいい舎弟・川津と。

 

美人の微笑にご用心(それ大体ブラフやよ)

逡巡の果てに盆に座ることを決意した江波は、川津と共に「狙え! ハッタリでクッタリ! クールビューティー大作戦」の特訓に励む。以下はその特訓風景である。

江波「入ります!」

川津「四!」

江波「ブッブー。六でした!」

川津「勘が狂ってるどころか、ますます冴えてますぜ! あとは張子との駆け引きと勝負の勘を思い出せば絶対大丈夫です」

江波「信用するわ。盆に座ってるときの川津なら確かだもんね」

川津「いっや~(テレテレ)」

江波「もう一度やってみるわよ。入ります!」

川津「……………………」

江波「どうしたというの?」

川津「あっしがもう一度お嬢さんのお役に立てるなんて…(密かに泣く)

江波「おまえには本当に色々尽くしてもらったわね。お父さんも私も、なんにもしてあげられなかったけど…」

川津「あっしこそ、博打以外に能のない男ですから…。お嬢さんにまともな事をしてあげたいと思っても、気の利いたことはてんで思いつかねえんでさ…」

江波「川津…。気持ちだけで充分よ」

川津「でも、あっしはお嬢さんの幸せをぶっ壊すような奴は捨てちゃおきませんぜ。さぁ、もう一度練習しましょう!」

江波「川津…!」

川津ゥゥゥゥウウ!

『卍』(64年)では血飲みの川津として人妻の血をぺろぺろ舐め、『でんきくらげ』(70年)では頼まれの川津として悪女に騙されたイイトコ無しの川津が…かっくいい!

f:id:hukadume7272:20200906043554j:plainかっくいの川津。

 

後日、江波が胴師をつとめる花会の席に渡辺が張子として現れた。

多勢の親分衆の前で勝負が進む中、江波が誰かにサインを送っているような怪しい手つきにピクリ反応したる渡辺、イカサマだと予断するまで暫し泳がせてみたが、やはりどうも怪しい。

すると渡辺たちが1点張りしたタイミング…つまり当たれば大儲けという段になって、それまで無表情だった江波が口元にクールビューティーな微笑を湛え、チラリ渡辺の顔を覗き見やる。

刹那! その微笑にイカサマを確信した渡辺は「待った!」と叫び、親分衆の前で「この女、ずるっこしてます!!」と告発した。

ムッとした親分衆から「札を改めよ」と確認を求められた江波は、もしイカサマだった場合はそれ相応のけじめをつける(=自決する)と誓い、渡辺にも同様の誓いを立てさせる。

f:id:hukadume7272:20200906042828j:plain緊張の一瞬やで。

 

果たして、改められた札には何のイカサマもなかった!

江波がイカサマをしてないと知った渡辺は「サカサマ~」と意味のよくわからないことを言ってもんどり打った。

「渡辺さん…。お約束通り、私の父と同じように責任を取って頂きましょう」

クッタリとこうべを垂れた渡辺に「そうだそうだ、男なら責任をとれ!」、「やっぱりあいつは成り上がり者だ!」とピリ辛の野次が飛ぶ。

クールビューティーな微笑で見事に深読みを誘った江波のパーフェクツ・ヴィクトリーであった。これぞ「狙え! ハッタリでクッタリ! クールビューティー大作戦」の全貌である。

このことから我々が学びうるのは美人の微笑にご用心(それ大体ブラフやよ)という艶やかなる教訓だろう。

ふらふらと歩きだした渡辺、別室から響くけじめの銃声。彼女の頬を伝い落ちたのは汗か涙か! 女の賭場はこれにてお仕舞い。機会あらば第二弾でお会ひしませう!

 

…って感じ。

まあ、途中かなり眠かったし、映画としても終盤の視線劇以外に目を見張るところはないけれども、クゥ~、やっぱりラストシーンだね。渡辺が江波の父を出し抜いた方法と同じやり方で、今度は渡辺がその娘に出し抜かれる…という因果応報がファーストシーンとラストシーンできれいに反復されてるんだよな。

そして神々しいほどの陽射しが降り注ぐ中、花会を後にした江波をフルショットに据えた祝祭的なまでの霊験あらたかな終幕。このラストシーンの1点張りが実によく効いた。この頃の日本の通俗映画や歌謡曲の美学たる“広げた風呂敷は必ず畳む”が鮮やかにキマった妙技の一本。

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