シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

プライベート・ウォー

戦争は現場で起きてるんじゃない。心の中で起きているんじゃ!

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2018年。マシュー・ハイネマン監督。ロザムンド・パイク、ジェイミー・ドーナン、スタンリー・トゥッチ。

 

アメリカ人ジャーナリスト、メリー・コルヴィンは、2001年のスリランカ内戦取材中に銃撃戦に巻き込まれて左目を失明してしまう。黒い眼帯を着用し、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみながらも、人々の関心を世界の紛争地域に向けたいという彼女の思いは強まっていく。2012年、シリアの過酷な状況下にいる市民の現状を全世界に伝えるため、砲弾の音が鳴り響く中での過酷なライブ中継がスタートする。(映画.comより)

 

あ~~ん、どうもおはようねぇ~。

いかがでしょうか、この粘り気たっぷりの挨拶。まとわりつくでしょ。まとわりついて気持ち悪いでしょ。

そういえば、こないだ酷評した『今日も嫌がらせ弁当』(19年)の通知ツイートに監督の塚本連平さんから「いいね」を頂きました。

いいの?

あなたが作った映画をぐちゃぐちゃに貶してしまったけど…これ「いいね」なの?

恐らくは評を読まずに「いいね」を押されたのでしょうが、押してもらった側としては「どういうことなん…」という疑問に生涯悩み続けることになる。

そこで私は、このような事態を防ぐためにも「いいねマーク」のバリエーションを増やすことで繊細な心の機微を伝達できるようになった方がSNSがさらに豊かになると思い、いくつか具体案を提出させて頂きたく候。

まずは「いいね」と対を成す「しばくぞ」マーク。現にYouTubeにもこれに相当するバッドマークがあるように、第三者のネガティブな意見を可視化することは極めて重要である。

次に「内心『いいね』なんて思ってないけど、とりあえず無償の好意をばら撒いておけば広く浅い人間関係が築けるのでテキトーに『いいね』押しとくね」マーク。

Facebookで押されてる「いいね」なんて全部これです。

はてなブログのスターも大体これ。

匿名性の低いSNS(他者と密にコミットするSNS)ほど媚びを売りまくる必要があるので、はてブやFacebookなどご近所付き合いに近いSNSほど「いいね」連打率も高くなっていくという寸法だ(まぁ、厳密にはブログはSNSじゃないけど)。

そもそも「いいね」なんて必要あるのだろうか。必要ないんじゃないだろうか。

そんなことをぐるぐる考えながら本日は『プライベート・ウォー』です。

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◆ロザムンド・パイクがパイクしたで◆

伝説の戦場ジャーナリスト、メリー・コルヴィンの半生を描いた『プライベート・ウォー』ロザムンド・パイクにとって第二の代表作となるだろう。

ロザムンド・パイクはなかなか不遇な女優である。多くのイギリス人俳優がそうであるように、パイクもまた演劇を愛し、大学在学中には大阪で公演をしたり、ロンドンで上演された三島由紀夫の戯曲『サド侯爵夫人』などで着実に力を付けながらも、のちに「スクリーンテストで下着姿になれ」と要求されたことを明かした映画デビュー作『007 ダイ・アナザー・デイ』(02年)ではもう一人のボンドガールを演じたハル・ベリーに人気&存在感の両面でペチャンコにされてブレークの機会を逃し、その後10年以上に渡って『DOOM』(05年)『サロゲート』(09年)『タイタンの逆襲』(12年)といった底抜け筋肉映画の脇役に甘んじた。

私生活では『プライドと偏見』(05年)で知り合った映画監督ジョー・ライトと婚約していたが、結婚式の直前でブッチされてもいる。ライト監督のプライドと偏見がそうさせたのだろうか。いずれにせよ全然rightじゃなかった。

 

そんな心身ともにパンク寸前のパイクを一躍有名にしたのが『ゴーン・ガール(14年)だ。この映画でゴーンしたガールを演じてガーンと売れてドーンと行ったが、なぜかそれ以降再びゴーンと勢いが落ち、ガーンとショックを受けながらも低予算映画に出続けている苦労人。つまりガーン・ガールでもあるわけだな。

そんな、現在進行形で過小評価の憂き目に遭っているロザムンド・パイクが遂にパイクした主演最新作が『プライベート・ウォー』である! ウォオオオオ!

パイクする…ロザムンド・パイクが自らの真骨頂である“パイク”を見せつけること。

パイク…ロザムンド・パイクが隠し持つ、秘密めいた何か。

f:id:hukadume7272:20200312060642j:plainやん、かわいい。『ゴーン・ガール』におけるゴーン・ガール、ロザムンド・パイクです。

 

彼女が演じたメリー・コルヴィンは、1986年からレバノン内戦、第1次湾岸戦争、チェチェン紛争、東ティモール紛争など、世界中の紛争地帯から真実を報じ続けてきた英国サンデー・タイムズ紙の特派員だ。

2001年、内戦中のスリランカでLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)との銃撃戦に巻き込まれ、政府軍の放ったRPGに吹き飛ばされて左目を失明。PTSDに苦しみながらも黒い眼帯をつけて紛争地に復帰した。

2011年にはリビアの最高指導者ムアマル・カダフィ大佐に突撃インタビューをカマし、本人を目に前にして政権批判をおこなう。権威ある英国プレス賞の海外記者賞を3度も受賞した伝説のジャーナリストだったが、2012年に内戦中のシリアで砲撃に巻き込まれ死亡した。享年56歳。

f:id:hukadume7272:20120223101554j:plainモデルになったメリー・コルヴィン(左)、彼女に扮するロザムンド・パイク(右)。

 

パイクは彼女の生き様や喋り方を徹底的にリサーチして役を作りあげ、撮影時39歳でありながら白髪交じりのヘアースタイルで45~56歳までのメリー・コルヴィンをスクリーンに甦らせた。

外見や喋り方を似せるだけならタダのモノマネ大会だが、パイクはメリー・コルヴィンの知られざるパーソナリティを想像力で補っている。コルヴィンは恋多きジャーナリストとしても知られるが、これがパイクのキャラクター造形に一役買った。砲撃が飛び交う紛争地でも恋を楽しみ、戦場では化粧をかかさず、「死んだときに安物履いてるとダサいでしょ?」との理由でブランド物のセクシーな下着を装備するのだ。超カックイイぜ!

その一方で、毎日のように悪夢と幻覚に苛まれながらも崩壊寸前の精神を奮い立たせて戦場に向かう。なぜそこまでしてジャーナリズムに固執するのか? 何が彼女を真実に駆り立てるのか? …といったあたりを重点的に描き込んだ本作は、だから「アラブの春」にまつわる戦争の物語ではなく、一人の戦場ジャーナリストの“精神の戦い”を描いた『プライベート・ウォー』なのだ。

f:id:hukadume7272:20200312054126j:plain実際のウォーとは別に「自分自身のウォー」にも身を投じていく。

 

◆私が代わりに見てるから、あなた達は見なくて済んでる◆

物語はパイクが隻眼になる2001年から始まる。

物書きの恋人をニューヨークに残してスリランカに発った彼女は、ジャーナリスト入国禁止令を無視してバンニ地域に突っ込み、政府軍とLTTEのド派手な民族紛争に巻き込まれて左目を失う。野戦病院で目を覚ました彼女がまず最初にしたことはボイスレコーダーに現在の状況を吹き込むこと。そのあと片目が見えないことを知って泣いた。普通は順序が逆だが、常に死と隣り合わせの彼女は自分の体の異常にも気付かないほど報道の使命に燃えていたのである。

彼女が世界中に伝えようとしていたのは、政治や戦争のことではなく普通の人々の物語だった。

2003年のイラクでは、バグダッドで出会ったフリーのカメラマン、ジェイミー・ドーナンを雇い、サダム・フセイン政権のクウェート侵攻によって処刑されたクウェート人(約1000人)の遺体を塹壕から掘り起こす。彼女が記録するのは掘り起こした遺体ではなく、それに涙する遺族たちの方だ。

だが彼女の心は悲憤のあまりPTSDを招き入れた。大量の酒と煙草、それに一夜限りのセックスに溺れ、当初は帰国するたびに戦場での出来事をジョーク交じりに語っていたが、やがて友人や恋人とも距離を置くようになるほど精神的に追い詰められていく。

そうまでして紛争地に赴く理由を「職業倫理」だとか「献身主義」といった言葉で片づけるレビューも散見されたが、甘い甘い。

劇中でもそれとなく描かれているが、彼女は中毒なのだ。この世の地獄に立ち会うことが中毒になっている。「戦場は慣れない。本当に怖い」と告白し、帰国後に自宅で泣き崩れ、もう二度と行くまいと心に誓っても、情勢が変化するたびに上司の反対を押し切って飛行機に乗ってしまう。

えらいもんで、スリランカでの開幕では片目を失ったことで仕事のことしか見えなくなるという皮肉なパラドックスが示唆されている。不幸にも片目を失ったことで以前よりも世界の残酷さが「見える」ようになった…という更なる不幸を背負ってしまうのだ。もっと見なければならない、それを報じなければならない…という使命感がアドレナリンを駆け巡らせ、好むと好まざるとに関わらず彼女を紛争地へと向かわせるのである。

職業倫理? これは職業の呪いだ。

f:id:hukadume7272:20200312053235j:plain彼女が危険を冒すのは単なる正義感からではない。

 

事程左様に『プライベート・ウォー』はジャーナリストの本質的生態に肉薄している。

もちろんここで言うジャーナリストとは、下らないゴシップ・スキャンダルばかり追いかけて国の大事を報道しない大手マスコミや、無責任にフェイクニュースを撒き散らす害獣記者のことではなく、伝えるべき事実を精査した上で自らがメディアたらんとする人間を指すわけだが、彼らの生態は「真実の触媒」という呪いを我が身にかけることだ。

「もうよせ。キミは戦場を見すぎた」と言って出発を止めようとする新聞社の上司トム・ホランダーに対して、パイクは舌鋒鋭くこう言い放つ。

「私が代わりに見てるから、あなた達は見なくて済んでる」

ドキッとするね。これが「触媒の呪い」である。

分かりやすく評論家に喩えてみようか。映画評論家や映画ブロガーだって呼び方を変えれば映画ジャーナリストであって、いわば自身がメディアとなって人が観ない映画を代わりに観て批評・解説する連中のことである。まぁ、その多くは批評とは名ばかりの便所の落書きを公表してるだけの自己満野郎だが(俺のこと? うるせえわ)、中には本当にすぐれた識者もいるんやで。

彼らは映画と世間を繋ぐ「触媒」の役割を担う代償として「個」を失う。

興味のない映画もすべて観なければならず、自分の意見は抑えて俯瞰した評価を下さねばならない。情報を集め、関連作品を観返し、文献を渉猟するなど、徹底したリサーチを通して独自の論考を組み立てる必要があるからだ。仕事だからと嫌々やってはならん。映画中毒に陥っている必要がある。眠気と疲労でボロボロでも劇場に向かい、血ヘド吐きながら記事を書く。

これが「触媒の呪い」=「私が代わりに見てるから、あなた達は見なくて済んでる」。ひいてはすべてのジャーナリストに通じる業なのだ。

だから彼女は紛争地に向かう。もはや行きたいとか行きたくないという意思決定を超えた問題だ。そういえば、シリアの武装勢力に拘束・殺害された後藤健二や安田純平に「危険と知りながらなぜ行くのか」という声が平和ボケしたお茶の間から上がっていたよね。アホかと。

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リビアでカダフィ大佐に突撃インタビューをカマす!

 

◆観る者はニューヨークの犬と化すで!◆

そして2012年。シリアでのクライマックスでは、ホムス地区に乗り込んだパイクが爆撃を受け続ける建物の中で、チャンネル4、BBC、CNNの同時ライブ中継をおこない、アサド政権軍が民間人に向かって砲弾を撃ちまくってるという驚愕の実態をリポートする。このシーンでパイクが口にしたセリフはメリー・コルヴィンが実際に遺した言葉なのだが、物語を通してようよう映画が辿り着いた解答でもあるのであえて紹介はせずにおきたい。そして中継を終えた彼女は建物から脱出したところを政府軍の砲撃を受けて命を落としたのである。

シリアでは多くのジャーナリストが犠牲になっており、とりわけコルヴィンは政権批判をしたためにターゲットにされてしまったのだ(2016年、遺族側の弁護士によって民事訴訟を起こされたシリア政府は2019年にメリー暗殺の罪を認め、彼女の遺族に約3億ドルの損害賠償を支払った)。

 

映画は、時と場所をテンポよく移しながらパイクの心の戦争を描きだす。

戦場から帰国してまた次の戦場に行く…といった場面転換の繰り返しが基本形となっており、イラク、アフガニスタン、リビア、シリア…と続く中近東まるだしの映像の合間にニューヨークでの休息パートが挟まれるので画的な変化が楽しい。舞台がニューヨークに移るたびに条件反射でホッとしてしまうのだ。パブロフの犬よろしくニューヨークの犬と化すわけだな、観る者は。

この、戦場と非戦場の環境的往還は『アメリカン・スナイパー』(14年)とそっくりだ。平和な日常に安らぎを得ていた主人公が、やがて日常の中ですら狂気に染まっていくさまも含めて。

f:id:hukadume7272:20200312053400j:plain英国プレス賞の海外記者賞にしっかり輝いたパイク。

 

そんなわけで、基本的にはロザムンド・パイクがパイクするさまを見所とした一人芝居の映画なのだが、血生臭さはそれほどでもないので小さなお子さんの鑑賞にもガッツリ耐えうる作品だ(カダフィ殺害に歓喜した人民が楽しそうに死体とツーショット写真を撮るシーンも!)

また、その端々で切り取られるイラクやアフガニスタンの風景がばかに美しい。本当はこうあってほしいという彼女の願望を視覚化したものだろう。

撮影はオリヴァー・ストーン、マーティン・スコセッシ、クエンティン・タランティーノからメチャクチャ重宝されてるロバート・リチャードソンなので、まあ映画好きならチェケラという感じだ。

メガホンを取ったのは『カルテル・ランド』(15年)で知られるドキュメンタリー監督のマシュー・ハイネマンだが、劇映画は今回が初挑戦ということなので、画作りや役者の動かし方はロバート御大にほとんど一任していたと思う。そのお陰でロバート・リチャードソン版『美しき冒険旅行』(71年)みたいなことになってた。

さらに興味深いのは、制作陣の中にシャーリーズ・セロンが紛れ込んでいることだ。『モンスター』(03年)以降は自身の出演作でも制作にガシガシ口を出す女優として知られているが、今回も裏でガシガシやってたみたいだな。 

リスペクトに足る隻眼のジャーナリストを燃えるような闘志で演じ抜いたロザムンド・パイクはやはりいい女優だと確信した。

各映画会社の上層部は彼女に相応しい役をもっと回せ。

もっとパイクさせろ。

こんな逸材をいつまで放っておく気だ?

f:id:hukadume7272:20200312054143j:plainロザムンド・パイクとロバート・リチャードソンを擁した時点で映像面ではほぼ勝ち確。

 

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