サユリストが老眼であることを全く考慮しない映像設計。
2019年。犬童一心監督。吉永小百合、天海祐希、ムロツヨシ。
人生のほとんどを家庭のために捧げてきた主婦・幸枝と、仕事だけに生きてきた大金持ちの女社長・マ子。余命宣告を受けた2人は病院で偶然に出会う。初めて人生に空しさを感じていた彼女たちがたまたま手にしたのは、入院中の少女が書いた「死ぬまでにやりたいことリスト」だった。幸枝とマ子は、残された時間をこのリストに書かれたすべてを実行するために費やす決断をし、自らの殻を破っていく。(映画.comより)
おいおいっすー。
パソコンのCD入れるとこが潰れたので新しい音楽が取り込めません。むかつくわー。俺のハードロック開拓史も夢半ばに終わってしまうというのかー。そっかー。
ていうか、マスクした上からイヤポーンを付けると、マスクを外した時にイヤポーンも外れてしまいます。むかつくわー。かと言って、先にイヤポーンを付けた上からマスクすると、こんだイヤポーンを外した時にマスクが外れてしまうのだし。なんかこう…上手いことなれや。あちらを立てればこちらが立たずや。両方付けながらも片方だけ外せるトリック教えろ!
そんなこと呟いて一人で憤っていると「ワイヤレスイヤポーンにしては?」と知人に言われて「はぅあ!」と思った。コペルニクス的転回やな!
「でも、それならマスクの方をワイヤレスにしたい」って言うと「それはレクター博士とかが付けられてるヤツですやん」と言われて「はああ!」と思った。コペルニクス的転回やな!
そんなわけで本日は『最高の人生の見つけ方』です。ほないこか。
◆他人の夢をアンタらが叶えてどうすんだ?◆
日本映画メジャーでコンスタントに主演作が作られ続ける70代の女優など吉永小百合ぐらいだろう。ドラマにも舞台にも出ず映画一本に絞った最後の銀幕スターだ。
そんな彼女と共演したのがなかなか銀幕に姿を現さず、あわよくばテレビドラマに充足しようとする天海祐希(私の母親の若いころにそっくりなのでどうも客観的に見れない)。
そんな映画世代とテレビ世代が垣根を超えてW主演を務めた本作は、皆さんよくご存じのジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマンが共演したロブ・ライナー監督作『最高の人生の見つけ方』(07年)の日本リメイクである。
ほっほーん、その手があるのねぇ。男女を逆転させて思いきり年齢差をつけ、シナリオも大胆にアレンジすることで比較論を封殺した戦略的リメイクといえる。
監督は『ジョゼと虎と魚たち』(03年)の犬童一心。当ブログでは過去に『眉山-びざん-』(07年)と『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』(14年)を扱っております(どっちも悪口言った)。
末期癌で余命宣告を受けた吉永小百合と天海祐希が病院で出会い、病で倒れた名も知らぬ少女の「死ぬまでにやりたいことリスト」を実行していく…といった中身である。
吉永は家族のために尽くしてきた気の弱い主婦で、定年退職してから家でテレビばかり見ている夫・前川清、部屋に引きこもってニート生活をエンジョイする息子・駒木根隆介、家族の面倒を母に押し付けるキャリアウーマンの長女・満島ひかりに頭を抱えていた。
一方の天海は宇宙開発事業で億万長者にのし上がった傲慢な社長だが、信用できるのは秘書のムロツヨシぐらいで、金目的で近寄ってきた若い夫・賀来賢人は秘かに彼女の会社を乗っ取ろうと企んでいる。
そんな二人が最期ぐらいワガママに生きようなんつって「死ぬまでにやりたいことリスト」を埋める旅に出るのだが、そこに書かれた夢リストは病気で死んだ少女の夢であって二人のやりたい事ではないんだよね。
え…?
ワガママに生きるというなら自分たちがやりたい事をすべきだろうに、なぜか二人はアカの他人である少女が叶えられなかった夢をこれ見よがしに実現して大喜びするという…見様によってはちょっと感じの悪いムーブに出るのだ。
たとえば、少女が残したリストには「日本一大きいパフェを食べる」という如何にも子供が抱きそうな可愛いらしい夢が書かれていたが、これを実行するために京都に行った2人は天海の財力であっさりその夢を叶え「うんめー」なんつってパフェつついて喜んでんの。少女の夢を横取りする身振り。
旅の過程で自分の殻を破った二人がワガママに生きることの喜びを知って自己実現を達成してゆく…という筋は分かるけど、そのためにわざわざ少女の夢に乗っかる必要あったんですか? という根本的な疑問と共に物語は動き出す。
ちなみにこれ、観れば人生が楽しく変わるチェンジングムービーらしいです。
あー、へえー…。
おこしやす京都。
◆全国のサユリスト達はこれを見て何を思うのだろうか◆
べつに上手くも何ともないのに、やはり吉永小百合の芝居には心を動かされる。薄幸女優としての影が外見の可愛らしさで中和されたことによる不思議なチャームとでも言えばいいのか!
それはそうと、私が発表する「尊敬する人物ランキング」の第1位は盲導犬や救助犬だが、その次に尊敬するのは主婦だ。
主婦…とりわけ専業主婦とは「無償の女神」といえる。外で働く旦那とは違い、休日はおろか趣味も贅沢も…時には自我すら返上して一切合切を家族に捧げる“究極の職業”だよ。また、社会的には専業主婦が「無職」に分類されることに対して本気で憤りを覚えてもいる。呑気にゴルフしてるバカな首相よりも忙しい主婦が「無職」だ? 笑わせんなよ。
本作の吉永は末期癌にも関わらず、一日中テレビの前から動かない夫に代わって炊事洗濯をこなし、くだらないゲームばかりしている引きこもりの息子の部屋の前に晩ご飯を置いて「スーパーの弁当でごめんね…」と謝り、自分が死んだら家族のことはお願いねと頼んだ娘からは「私は仕事で忙しいの。面倒を押し付けないでよ!」と責められる。
主婦ほど報われない職業はない。家族全員分の苦労をたった一人で背負っているのに誰からも評価されず、社会的には無職、パートに出れば雑用、子供が巣立てば「自由でいいですね」って…ぶっ殺すぞコラ!!
夫や娘は、吉永が末期癌と知った途端にコロッと態度を改めるが…20年遅いんだよボケカスがぁ。カレンダーに書かれてる全ての日が「母の日」だ。覚えとけバカタレがぁぁぁぁ。
娘の満島ひかりにキツいこと言われるママン。
対する天海祐希は家族の代わりに「会社」という子供を持った孤独な女である。
幼い頃は学校でいじめられ、母は病死し、父は借金を残して逃げた。爾来、仕事だけが生き甲斐のロンリーウーマンとして一代で財をなし、20歳も若い夫が浮気していると知っても気付かないフリをしていたが、吉永と出会ったことで憎んだ父と和解する機会を得、会社の金を投機していたクズ夫の刑事告訴に踏み切ったのである。
普段はタカビーな女だが、立場も性格も違う吉永を友人に持ったことで70年代フォークソングのごとき優しみに芽生えていくクールなキャラクターを天海祐希が全身全霊で演じ抜いている。
ドラマでは上司役の多い彼女が、遠慮してはならぬ役どころにも関わらず、大女優・吉永小百合の前では遠慮がちになりながらも大上段に構えるという「無理してる感」に秘境の「天海萌え」を見出して頂きたいと思いますね。これは是非。
『女王の教室』見てました。
本作の見所? そりゃ何といってもモーガン小百合と天海ニコルソンの掛け合いよ。
思った以上にアクティブな映画で、「74歳の少女」と「元宝塚スター」の凸凹コンビは癌設定など忘れたかのようにはしゃぎまくり、ドラマパートでも泣いたり怒ったりと忙しい。天海は抗癌剤で坊主頭になったという設定なので、劇中ではさまざまなウィッグを付け、衣装チェンジも激しい。天海祐希のひとり宝塚状態だ。
一方の吉永は、スカイダイビングに挑戦してアルカイックスマイルを湛えながら猛烈急降下したり、ももいろクローバーZのコンサートに乱入してメンバーと爆裂ダンスを披露するなど肉体の酷使がすごい。
はっきりいって本作は吉永小百合によるハードアクション映画です。
シュワちゃん、スタローン、ヴァンダム、セガール、吉永小百合。
この流れね。この流れを大事にしていこう。
筋肉俳優ばりに体を張る吉永小百合(74)。
映像的にはやけにテラテラと輝いたデジタル撮影で、エジプトのスフィンクスや京都の鴨川がビッカビカに光っていて「すごい」と思った。おそらくは海外シーンでの背景合成をゴマかすため、それに主演2人のシワを飛ばすために極限まで明度を上げているのだろうが、全国のサユリスト達にはちょっと目に負担のかかる映像かもしれない。
サユリストが老眼であることを全く考慮しない映像設計。
デジタライズされた画面の中でビカビカに後光を発していく吉永小百合…!
実際、ももクロのコンサート映像が割とがっつり入っているように、映画自体が若い客層を意識した作りになっていて、2人が超巨大パフェを注文するシーンでは天海が店内の若い客に「食べるの手伝ってくれるー!?」と言ったことでキャーキャー騒ぐ女子校生たちに囲まれたりもする。
サユリストを若者文化から切り離していく説話設計。
まぁでも、エジプトのシーンは年齢関係なく誰が見ても楽しめますよ。2人のはしゃぎっぷりが本当に可愛らしいの。
天海「記念写真撮りましょ!」
吉永「そうね!」
吉永「はい、チーズ♪」
パシャリ。
天海「よく撮れてるじゃん」
吉永「本当だわね!」
楽しそう~。
かと思えば、前川清を夫役に配するというアナクロチョイスは辛うじて団塊の世代の興味をスクリーンに繋ぎ止めた(吉永が監督に推薦したらしい)。
「ウェディングドレスが着たい」という夢を叶えるべく教会で花嫁衣裳に身を包んだ彼女の前に前川が現れ、これまでダメな夫で悪かったとグダグダ言い訳したあとに「もう一度ボクと結婚してくださいっ」とプロポーズして二度目の結婚式を挙げるシーンの不自然さがすごい。
いかに美しいとはいえ74歳の花嫁衣装というコントじみたビジュアルにおさまる吉永相手に、観ているこっちが赤面するレベルの大根演技とクサいセリフで画面を汚しきる前川御大。なまじその様子に号泣してみせる天海、満島、ムロらリアクターが妙に上手いだけに、一層シュールなアナクロ空間をここぞとばかりに形成してゆく前川清(71歳)。
若い観客にあっては、このシーンに困惑する以前に「そもそも誰この下手なオッサン…」てな具合だろう。マジ卍であろう。
若者を容赦なく切り捨てていく配役設計。
デジタライズされた画面の中でビカビカに後光を発していく前川清…!逆に古色蒼然。
本作屈指の迷シーン。
◆生きとったんかいワレ!◆
私は『シネマ一刀両断』を始める10年ほど前から映画批評を書き続けているが、吉永小百合の作品は一本も取り上げたことがない。
酷評しにくいんだよ。
今年1月には山田洋次の『男はつらいよ 柴又慕情』(72年)を観たが、結局これも取り上げなかった。山田洋次はいくらでも貶せるが「吉永小百合の出演作」と思うと途端に筆が鈍ってしまうためである。
映画好きが吉永小百合の出演作を厳しく断ずることは、例えるならキリスト教徒がマリア像を冒涜する行為に等しい。ダメなものは思いきってダメと断ずるのが映画批評だが、こと吉永小百合の映画に関しては、その「思いきり」にどれだけの勇気が要ることやら。たとえ断じたとしても、そのあと感じる道理のない罪悪感に苛まれることになる。グレタ・ガルボの映画を貶すようにな!
とはいえ、現時点ではけっこう頑張って悪口言ってると思うんだけどなー。あとちょっと頑張れるかなオレ…。うん頑張れるかも。
ここからの酷評はすべて監督の犬童一心に捧ぐものとするが、まずもってロードムービーにも関わらず旅情がない。つまり「移動」が描かれてないわけ。
東京からエジプトまでの距離をジャンプカットでポンと省略してしまうので、気がついたらエジプトにいる、次のカットでは京都にいる、ふと気づいたら長崎だ…という具合に、場所がぽんぽん飛ぶ。ドラゴンボールか? テンポが性急すぎるので空間理解も追いつかないし。
これはハリウッド版の欠点でもあるのだが、「ロード」を描かない「ムービー」などロードムービーに非ずなんじゃ!!
鴨川を歩く二人。天海祐希の大正ハイカラ感が超クール!
そして一番のズッコケポイントは、天海の死後、「死ぬ前にやりたいことリスト」をほとんど網羅した吉永が入院先の病院でてっきり死んだと思っていた少女と再会するクライマックスである。
なんと、あの少女は生きていたのだっ。
ズコーッ。
ズココーッ。
ズコココーのコーッ。
死んだ少女が生前叶えられなかった夢を実現するために旅に出たのに…少女生きてたん!!?
第一幕で少女が病で倒れたとき、吉永と天海は「こりゃもう死んだろ」と早合点して彼女の鞄からリストが書かれたノートを見つけ、その夢を叶えるべく旅に出たのだが、実はそのあと少女は医師の措置を受けて奇跡的に持ち直していたのだ!
奇跡的に持ち直していたん!?
じゃあこの旅なんだったん!?
病院で再会した少女がガンガン生きてたことに驚いた吉永は「死ぬ前にやりたいことリスト」が書かれたノートを返そうとしたが、笑顔でこんなことを言われます。
「そのノート捨てていいよ~。私、死なないから!」
捨てていいん!?
少女死なないん!?
じゃあこの旅なんだったん!!?
少女が死んでる前提の上にこそ成り立つハナシなのに、根底覆されてもうとるがな。少女の生存を知った吉永の「あ~、生きちゃってたのね~~…」という呆気にとられ顔が妙な哀愁を誘う、ムズ痒クライマックスでした。
ちなみに吉永の死後、天海が生前打ち上げようとしていたロケットに2人の遺灰を乗せて宇宙までぶち上げます。これがリストの最後に書かれていた「宇宙旅行をする」。2人が宇宙空間を遊泳するイメージと共に映画は終わるが、こちらとしては「遂に吉永小百合が宇宙に…」というシュールな感慨に耽ってしまうよね。
(C)2019「最高の人生の見つけ方」製作委員会