前前前世越しのSMキャッチ、再び!!
2019年。ゲイル・マンキューソ監督。ジョシュ・ギャッド、キャスリン・プレスコット、デニス・クエイド。
前作で50年で3度生まれ変わり、最愛の飼い主イーサンとの再会を果たした犬のベイリーがたどる、さらなる生まれ変わりの旅路を描く。イーサンと再会したベイリーは、イーサンと彼の妻ハンナらとともに農場で幸せな日々を送っていた。しかし、ある時、イーサンの孫娘CJが、母親のグロリアに連れられて農場を出て行ってしまう。悲しむイーサンとハンナの姿を見たベイリーは、次の生まれ変わりでCJを見つけ出し、どんな犠牲を払っても彼女を守ることを誓う。(映画.comより)
はいはい、おはよう。
『ぐるぐるポンちゃん』という少女漫画を知ってる?
犬から人間に変身できるゴールデン・レトリバーのポンちゃんが近所の男子高校生に猛アタックする…という内容で、これは私の「思い出の漫画ランキング」において驚きの39位にランクインした名作漫画や(ちなみにこのランキングは全40位までや)。
©講談社コミックス 池沢理美
絵柄が可愛らしゅうて、ハートフルなストーリーに満ち満ちてんにゃで。まぁ、読んでたのが20年以上前やさかい、内容なんて全部忘れてもうてんねんけどな。ガハハ。大阪的ガハハ。
そんな『ぐるぐるポンちゃん』を久しぶりに読み返したいなーと思ったキッカケが今回取り上げる映画『わてのワンダフル・ジャーニー』や! 関西人なめとったらど突いたんぞ!
あと次回からNetflixオリジナル映画を何個かビャーッと扱ってくで。たまにはフリっとかなアカンからなぁ。
◆ビーグル好き必見の作◆
以前、友人から「僕のワンダフルライフ続編やるやん!」ときたLINEに対して「ヒットにあやかっただけの産業廃棄物じゃあ!」と返したら返事がこなくなりました。その時の私は続編映画ばかり作られる映画業界に嫌気が差し、ささくれ立っていたのだ(まぁ今もだけどね)。
それにしても友人には悪いことをしたと思う。楽しく映画の話を振っただけなのに、まさかアクセルべた踏みでぶち切れられるとは思ってもみなかっただろうな。
そうそう、『僕のワンダフル・ライフ』(17年)ね。
この映画はブログ始めたての頃に取り上げて、「前前前世」の替え歌を作ったり「SMキャッチ」という超概念を生み出すなど随分好き勝手なことを書いたのだよなぁ。2年前の記事にも関わらず、こないだなんて通りすがりのりいこさんという方から嬉しいコメントも頂きました。
「昨日この映画を観た。こんなに泣いたことはなかった。今日この記事を読んだ。こんなに笑ったことはなかった。どうもありがとう」
小粋なコメント書きやはるわ。とっても嬉しいな。返事してないけど。
そんな『僕のワンダフル・ライフ』の公開から2年経ち、早くも続編『僕のワンダフル・ジャーニー』が作られたのです!
前作では、犬のベイリーが何度も生まれ変わりながら飼主の家を目指す50年間の旅が描かれたが、本作ではこの時系列から物語の続きが描かれていく。
学生時代に悲しい別れをした初恋の相手マーグ・ヘルゲンバーガーと40年ぶりに結ばれた飼主デニス・クエイドは、マーグとその娘ベティ・ギルピン、それに孫娘のCJと一緒に暮らしていた。母マーグと同じく若くして夫と死別したベティは、その悲しみから擦れっ枯らしのヤンママと化し、マーグとデニスにCJを取られるのではという誇大妄想に陥り、発狂しながらCJを連れて家を飛び出してしまう。
家族関係が無駄にややこしいので分かりやすく図解してあげます。
シンプルにまとめてみました。
一方、ベイリーは最後に転生した犬種のまま歳を取り、デニスの腕の中で静かに息を引き取った。「生まれ変わったらCJを守ってやってくれ」というデニスの声を聴きながら…。そして死んだベイリーは元気もりもりのビーグル犬に転生します。
来た、ビーグル犬!
私は映画評の流れをぶった切って唐突にビーグルトークをするほどビーグルが好きである。
「中型犬ならビーグルが一番かわいいと思っているのだ。ビーグルは最高だよな。やんちゃ好きのシャバ僧だし。「小さいけれども、やる時はやるんだぞ」という気概に満ちている。要するにガッツがあるということだ。ガッツのある犬は最高だ。」
ビーグル版ベイリーは10歳に成長したCJと巡り合い、彼女はヤンママのベティに内緒でベイリーを飼うことにした。ここでCJ役が名無しの赤ちゃんからアビー・ライダー・フォートソンにバトンタッチ!
来た、アビー嬢!
私は人気子役マッケナ・グレイスちゃんへの思いをぶった切って唐突にアビー・ライダーに乗り換えるほどのアビー好きである。
「異議ナシの可愛さ」
『アントマン&ワスプ』評にて。
アビーちゃんとベイリー。
それなのにCJは急成長して、同役がアビー・ライダーからキャスリン・プレスコットにすぐ替わる! アビィィィィィィ!
その後、物語はCJ役のキャスリンを中心に展開していくよ。大学生になったキャスリンを毎日傍で守り続けていたベイリーが彼女をたらし込んだクソ男の愚行によって命を落とし、再び転生してキャスリンを捜す…という流れだ。その中で、なぜかキャスリンの青春譚が描き出されていく。最低の母親ベティとの確執、幼馴染みヘンリー・ロウとの恋スレスレの友情、シンガーソングライターになるのが夢だけど人前に出ると緊張するという割にどうでもいい葛藤。その後、ベイリーは何度も転生を繰り返しながら年老いたマーグとデニスが暮らす故郷に孫娘のキャスリンを導くのだ。
ちなみにキャスリンの幼馴染みを演じた中国系カナダ人のヘンロー・ロウは「SUPER JUNIOR-M」という韓国の男性アイドルグループの構成員で、なぜか「餅」というニックネームを持っていることから以降は餅と表記する。本人にすら拒否権はない。
成長したCJ(演キャスリン)、幼馴染みの餅、ビーグル版ベイリー。
◆YAKIMOKIこそが本作の肝!◆
デニスの言いつけ通りに何度も犬種を変えながらキャスリンを守ろうとするベイリーだが、当然キャスリンの方はベイリーを認識していない。最初に飼ったビーグルと大学卒業後に飼ったヨークシャー・テリア、それに街で出会ったアフリカン・ボーアボールが、すべて自分を守るために祖父が遣わせた一匹の犬だとは夢にも思っていないのだ。
少しグッとくるのは、毒親ベティの家を訪ねたものの門前払いを喰らってしまったデニスが、窓越しに何かを訴えようと吠え続けるビーグル犬を見て「分かってる、頼んだぞ相棒」とウインクするシーンだ。前作ラストでも示唆されていたが、このシーンでデニスだけがベイリーの転生能力を知っているということがハッキリ明示されるのよね。
とかく動物の視点に立った映画には「主人公=動物が何かを訴えても人間に気付いてもらえない」という歯痒さ、もどかしさ、つまりヤキモキ感、いわゆるYAKIMOKIがつきまとう。食用ブタが人間社会のなかで地獄巡りする『ベイブ』(95年)なんてYAKIMOKI映画の金字塔だし。
だが、デニスだけは輪廻システムの秘密をベイリーと共有しているので、劇中人物というよりは観客に近いポジションから我々のYAKIMOKIを氷解してくれるのだ。
つまりYAKIMOKIさせとしてのベイリーにYAKIMOKIさせられとしての我々が歯痒さを覚えているとYAKIMOKIブレイカーとしてのデニス・クエイドが現れてベイリーの気持ちを上手く察することで観る者をYAKIMOKIから救ってくれるのである。わかった?
YAKIMOKIさせとしてのベイリーとYAKIMOKIブレイカーとしてのデニス。
しかしまぁ、その中で描かれるキャスリン絡みのエピソード群は軒並みMUKAMUKAします。
まず母親のベティ。このシングルマザーは幼い娘を家に残して夜遊びばかりしている掛け値なしの男好き。ブランドコレクター、キッチンドリンカー、胸元ザッカーバーグとしての異名を持つ、どうしようもない母親だ。犬嫌いなので娘が内緒で育成していたベイリーを初めて見たときは「ぎゃあ」と言った(そのあとベイリーに低評価を下し「バカ犬」と蔑みもした)。
胸元ザッカーバーグ…胸元がザッカァーと開いた服を好む人種。
挙句の果てには亡き夫が娘に残した財産をここぞとばかりに使い込んで酒池肉林に興じたクイーン・オブ・パーティピープルである。高校生になったキャスリンがクソ男に引っかかり、しつこくつきまとわれた末に交通事故に遭った時もビタイチ心配しなかった。こんな酷い母親なのに、後にキャスリンに謝罪していとも容易く許してもらうことに成功している。くだらねえわ。
また、NYでシンガーソングライターを目指すキャスリンが恋人と別れて家なき子と化すシーケンスも疑問のオンパレードだ。
帰る場所を失ったキャスリンは幼馴染みである餅の高級マンションに転がり込むが、餅はその家で恋人(通称餅女)と同棲していたのだ。
同棲してる家に転がり込むかね?
キャスリン、それはいくらなんでも厚かましいよ。遠慮しようよ。餅は餅で、いくら幼馴染みとはいえ恋人がいながら若い女を家に住まわすかね? 餅女にとってはハイパー迷惑だよ。
しかも嫉妬深くて頭カラッポのギャルとして描かれてるからね、餅女は。印象操作がすごいよ。「キャスリンこそが餅と結ばれるべき真のヒロインなんです」ってことを強調するために餅女を噛ませ犬として扱う露骨なまでの印象操作がすごいよっ。大迷惑を蒙ったうえに噛ませ犬にされた餅女の魂に幸あれと祈らずにいれないよ。
ていうか、かつて悪い男に引っかかったキャスリンといい、馬鹿ギャルと同棲してる餅といい…見る目なさすぎて全然応援できない。
私は「人の器は自分がつきあう人間のレベルによって決まる」と思っているので、チャラこいた男に引っかかってる時点でキャスリンは大した女ではないし、チャラこいたギャルと同棲してる餅もしょせんその程度の男ということだ。俗物同士で仲良くやってろ!
で、こういう奴らに限って、失恋するたびに「男運がない」とか「ヘンな女ばかり寄ってくる」とか漏らして自己憐憫に浸るんでしょ? 意思決定してるのはオマエだよ! 運のせいにすんな。
なぜかキャスリンと餅を猛バッシングしていくスタイル。
で、そのあとすぐ餅が癌になります。
餅が癌になるん!?
かつて癌探知犬として短期間の訓練を受けていたベイリーが餅の癌を早期発見。餅女は「お世話とか耐えられない」とか言って家を出ていき、彼女に代わってキャスリンが餅を献身的にサポートする。「一緒にがんばりましょう」と言われた餅は「モチ!」と言った。焼いて食ったろか。
その片手間に歌手をめざして曲作りをしていたキャスリンは人前に出ると歌えないという「そもそも歌手に向いてないんじゃ…」と思うような根本的なウィークポイントを抱えていたが、餅から「やればできる!」と西川きよしのごとき無根拠な精神論で励まされ、ついにウィークポイントを克服する。
精神論で。
人前で歌えない彼女が「歌えたこと」にロジックがないのよねぇ。もう本人の匙加減なんだよ。
そもそも「不可視の要因」が障害であってはいけないと思うのね、ドラマツルギーとして。今までキャスリンが人前で歌えなかったのは緊張ゆえか、それとも物怖じしてしまうのか…、いずれにせよ彼女の心の問題なのは確かだが、ちょっと励まされたぐらいでアッサリ乗り越えられたなら「え? じゃあ最初から大した問題じゃなかったって事だよね?」ということになってしまう。
「心の問題」を「心で解決する」のは非映画的です。
ちなみにキャスリンの歌、まあまあ下手でした。
その後、餅の癌は一瞬で完治して(一瞬で完治!!!)、世話してくれたキャスリンへのお礼に秘密のドライブと称してデニス夫妻が暮らす故郷へと彼女を連れて行く(餅な計らい)。
デニスは年老いてポキポキになっていたが、キャスリンが連れてきたヨークシャー・テリアを見て「よぅ、ベイリーだな」と気付いた。
ここで遂にデニスがベイリーの秘密を皆に明かします!
「実はこの犬は転生システムに組み込まれていて、もとを正せばベイリーなんじゃ!」
妻のマーグは「また始まったわ、ボケ老人のうわ言が」と思った。キャスリンは「耄碌じいさんにしては面白い繰り言ね」と思った。餅は「そもそも僕はベイリーを知らない」と思った。
みんなから気の狂ったボケ老人と思われたデニスは、「じゃあ証明してやる。昔、ワシとベイリーはSMキャッチという遊びをよくやっていてな…」と言って再びSMキャッチをおこなうのだ!
一応説明しておこう。SMキャッチというのは、デニスが天高くラグビーボールを放り投げた直後に「アッ、女王様!」と叫んで四つん這いになり、助走をつけたベイリーが「このブタ野郎!」とばかりにデニスの背中を踏み台にしてジャンプ、落ちてきたボールを空中でキャッチするという高度なSM芸だ。デニスがカタパルトの役目を担ってベイリーを発射するのである。
SMキャッチといえば前作屈指の号泣ポイントだったが…その感動が再び甦るぞ!!
もっとも、老体化したデニスはカタパルトというよりほとんど即身仏だったし、ベイリーも小柄なヨークシャー・テリアなので空中でボールをくわえ損なったが、それでもキャスリンにベイリー転生論を信じさせるには十分なパフォーマンスだった。よくやった。よくやったよ、お前たち!
その後、SMキャッチに感化されたキャスリンは「私もガッツを出さなきゃあ!」とかよくわからないことを言って餅に愛を告白し、デニスは年甲斐もなくSMキャッチをしたことで身体を痛めて死んだ。
完
デニス「アッ、女王様!」
ベイリー 「このブタ野郎!」
◆ベイリーすぐ逃げる◆
監督は『ギルバート・グレイプ』(93年)や『ショコラ』(00年)で知られるラッセ・ハルストレムからテレビ業界人のゲイル・マンキューソへと引き継がれた。スウェーデンの超有名監督から無名のテレビマンに託された本作は、しかし「フォーマット」がある程度しっかりしていた事と前作のトーンを踏襲したパッケージゆえに良くも悪くも代わり映えしない内容となっている。
ヤな聞こえ方がしたら申し訳ないが、輪廻転生する犬という着想点は商業映画におけるメインキャラクターの死=即物的なメロドラマ――言わば何作でも続けられる永久機関コンテンツとしての動物映画を成立せしめる経済的なお手軽設定であって、まったく「いいモノ見つけたなー」と感心してしまいます。
ちなみに私は、手を変え品を変え、でも結局は同じことを繰り返してるだけ…という商業映画の退屈なサイクルに付き合う事はとうに止めているので、例えば『ターミネーター』なんかも3作目で失望して4作目以降は蔑視の対象でしかないのだが、『僕のワンダフル・ジャーニー』が少しばかり面白いのはベイリーが何度転生しても時は進み続けるというあたり。
つまりベイリー以外の人間キャラは有限の命を生きるのだ。
CJ役は役者を変えながらすくすく成長し、飼主のデニスはどんどん老いさらばえていく。理論的に言えばシリーズは今後何本でも作れるが、そのたびにベイリーは何度も飼主を変えながらデニスの家系図を下へ下へと辿っていくことになる。
したがって、ラストシーンでキャスリンと餅のあいだに新たな命が生まれた本作に続編があるとすれば、今度はその子の成長をベイリーが見守るという話になるだろう。そして何度も生まれ変わって、いずれはキャスリン婆ちゃんの死を看取るのだ。
…これって最終的にどうなるんだろね?
ベイリーは「前世の記憶を引き継いで転生する」という設定なので、ヘンな話、死ねば死ぬほど知識と経験が上積みされてくわけよ。最終的には犬すら超えた超生物となる可能性もあるので、その最終作をこそ見届けたい。
…なんてバカな夢想に浸ってしまうのが本作の面白さ、ひいては永久機関としてのワンダフル・コンテンツの真骨頂なんだワン!
犬すら超えた超生物。
また、生まれ変わったベイリーの飼主役として毎回さまざまな人種の役者が出てくるが、これには昨今の人種問題に配慮するあまり却って不自然さが際立つディズニー的忖度を感じる一方で、転生システムによって祝福された然るべき多様性の範疇にうまく収まってもいる。生まれ変わった先はランダムに決まるので、ベイリーの犬種・性別はもとより、飼主側の人種・年齢・性別・職業もランダムに決まる、というわけだ。
ただやはり気になるのは、ベイリーが転生できるのはアメリカの、それも都市部で生まれた犬に限る…という謎設定。とりわけ本作ではキャスリンの家の近所でばかり生まれ変わってた。
まぁ、アメリカ映画だから仕方ないとはいえ、そこは「大人の事情」でお茶を濁すのではなく、何かひとつ…こじつけでもいいから物語内でのロジックが欲しかったな。
あと、ここも突っ込むべきではないのかもしれんが、転生先の飼主かわいそう問題な。
ベイリーはハナから「デニスのもとに帰る」とか「キャスリンを守りに行く」という目的意識をもって生まれ変わった宿命の犬なので、生誕一発目の飼主とはほとんど絆を育むことなく割とすぐ逃げるのが毎度のパターンなのね。自分を飼ってくれた人間を悪びれもせず裏切っていく鉄板ムーブに苦笑い。世界一すぐ逃げる犬なんだよ、ベイリーって奴は。
たとえば本作ではアフリカン・ボーアボールに生まれ変わって黒人男性に飼われたベイリーが偶然近くを通りがかったキャスリンの後を追いかけるシーンに顕著である(車で追ってきた飼主にしっかり回収された)。
これって飼主目線から見ると結構さみしい映画なんだよ。だって、せっかく飼った自分の犬が「申し訳ありませんけど、ボクには前前前世から心に決めた飼主がいるので、あなたに飼われてこんな地に骨をうずめる気なんてさらさら無いです。ばいなら」なんつってサーッて逃げ出すんだぜ。サーッて。
そんなわけで、このシリーズは「生まれ変わって飼主と再会する」というストーリーから、一見「巡り合い」をテーマにしているように見えるけど、実は人と犬の巡り合いを真っ向から否定した内容なんだよね。
まぁ、犬さえ可愛いけりゃ何でもいいんだけど。
今回の「ベストかわいい賞」はビーグル版ベイリーとアビーちゃんに譲られます。
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