シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ワイルド・ローズ

歌えローズ愛のために!~歌手よ、生活者たれ~

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2018年。トム・ハーパー監督。ジェシー・バックリー、ジュリー・ウォルターズ、ソフィー・オコネドー。

 

地元のグラスゴーを出てカントリー歌手になりたいと願うローズ=リン・ハーランだったが、刑務所を出たばかりのシングルマザーにとってそれはかなわぬ夢だった。資産家スザンナの家で家政婦として働き始めたローズの歌を聞いたスザンナは、その才能に感嘆し彼女を応援しようと決める。やがてローズにチャンスが訪れる。(Yahoo!映画より)

 

おはよう、グッドシスター&バッドブラザー。

今年1発目の更新だな。9日もサボっちまった。達者にやってたか?

最近わたしは、毛布を体に巻き付けて春巻きみたいな恰好で眠ることに無上の喜びを覚えている。

「やり方を知りたい!」というコメントが殺到することを見越して図解を用意しました。

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ま、こういう事よね。

①でグリンとして、②で反対方向にグリって、③で完成である。

これが安眠と泰平をもたらす春巻き睡眠法。

生来わたしは寝つきが悪いのだが、この春巻き睡眠法なら一発でイン・ザ・ドリームよ。まるで全身を拘束された受刑者のごときポージングによって一切の身動きを封じられるため、体が「眠るしかない」と判断するのだろう。寝相の悪い人にもおすすめである。なにしろ毛布の両端を背中で踏んでいて手足が動かせない状態なので、寝相矯正にも役立つのである。

また、鉛筆のごとくスッと整った姿勢のまま眠りに落ちるので、睡眠中に部屋に忍び込んできた泥棒からも「アッ、ばかに綺麗な寝相…」と評価してもらえるというオマケ付き(物は盗られるだろうが)。ぜひ試して丁髷。

そんなわけで本日は『ワイルド・ローズ』です。今回は映画評というか独り言を土鍋で炊いたみたいな文章になっているかも(そしたらごめん)。

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◆カントリーガール、シャバに出る◆

スコットランドのグラスゴーを舞台に、出所して保護観察下に置かれたシングルマザーが歌手を目指す…という中身である。主演は新星ジェシー・バックリー

カントリー・ミュージックをこよなく愛するジェシーは、どうにか渡米して音楽の聖地ナッシュビルへ向かおうとするのだが、そこには育児、貧困、犯罪歴の三重苦が待ち構えていたのである!

いいじゃん、いいじゃん。

『歌え!ロレッタ愛のために』(80年)みたいな女性歌手のサクセスストーリーに、ロバート・アルトマンの『ナッシュビル』(75年)やイーストウッドの『センチメンタル・アドベンチャー』(82年)のような音楽ロードムービーの要素をぶち込んだような内容かと思いきや、とんだ見当違いでした。

『ワイルド・ローズ』は、音楽映画にありがちな、のちの歌手デビューを予感させる大舞台での成功体験がクライマックスを占めるでもなく、ましてやナッシュビルまでの音楽珍道記が描かれるでもなく、むしろ地元グラスゴーの風土の中でブリティッシュ・カントリーの私的名曲を生み出すまでの“小さな一歩”をこそドラマティックに描いた愛すべき小品だったのであるるァっ…オラァtッ!!

f:id:hukadume7272:20201128055154j:plain期待のニューカマー、ジェシー・バックリーさん。

 

開幕1分、スコットランドが舞台だと知って「あっ…え?」と小首を傾げた。おもしろいことに、これってイギリス映画なのよね。だけどカントリーの発祥地はアメリカ南部。アメリカの労働者階級による白人音楽である。

ゆえにジェシーは、カントリー文化のないスコットランドの現状を嘆いてるわけだ。たとえば友達に「ジョニー・キャッシュ、最高だわな?」と話しても「知らない。誰それ」と言われてショックを受けたり、人から「きみ、カントリー&ウエスタンが好きなんだって?」と言われるたびに「ウエスタンは余計。“カントリー”よ」といちいち訂正しなきゃいけない煩わしさに苦しんでる!

趣味は違えど、こういうのってあるよねー。私なんかは「ハードロックが好きです」と言うたびに「あー。ヘビメタとか?」と返ってくるので、ホントは違うけど説明するのが面倒臭いから首肯してるだけってことに気付いてよね!みたいなムードを出しながら「まあ…うん」って生返事してる。

妥協と諦念による寂しげな首の縦の動き。

 

ところが、一度ヘロインの密輸でふん捕まったシングルマザーのジェシーにとって、ナッシュビル行きは夢のまた夢。

保護観察下にあり、2人のキッズの面倒を見なければならず、経済状況も極めて悪い。金持ち主婦のソフィー・オコネドーに家政婦として雇われたことで保護観察は解除され、旅費もそれなりに稼いだが、キッズとの心の溝は埋められなかった。服役中にキッズの面倒を母親ジュリー・ウォルターズに見てもらっていたため、幼い2人はまったくジェシーに懐いてないばかりか、酒と男と音楽に溺れる彼女を軽蔑すらしていたのであった!

果たしてジェシーは歌手業とママン業の二足の草鞋を履きこなせるというのだろうか? 詳しくは語らないから、あとはそっちで勝手に確認されたい!

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◆生活が叫びとなり、叫びはやがて歌となる◆

破天荒な女性歌手が夢に向かって満身創痍で突き進むさまは、さしずめ『ローズ』(79年)のエピソード0といった風合い。現にジェシー・バックリーのソウルフルな歌声は『ローズ』のモデルになったジャニス・ジョプリンを彷彿させるに足る迫力に満ちており、役名も共にローズ。

ジェシーは演奏パートだけでなく挿入歌でも歌いまくっている。劇中ではプライマル・スクリームの「Country Girl」をはじめ様々なカントリーソングをカバーしているが、そんなジェシーがさまざまな出来事を経たあと、最後に地元の小さなライブハウスでオリジナル楽曲を披露するところで映画は終わります。

 

曲を書くためにはそれ相応のバックボーンがそいつの中にハッキリと必要だ。

薄っぺらなシンガーソングライターは薄っぺらい曲しか書けないし、人の曲をカバーする能しか持たないカラオケ歌手も大勢いる。そういう連中は「歌手」というより「歌い手」と呼ぶべきだろう。歌手は“歌う理由”を持っているが、歌い手にはそれがないので“歌ってみた”の領域で完全完結しているのだ。

尤も、歌い手の中にも技術を持った人は大勢いるが、私に言わせれば耳障りのいい無害な音楽の配達人でしかない。言ってみりゃデパートの店内BGMなので、そんなものをいくら聴かされても我々リスナーの精神や細胞はビクともしない。板の裏からクギで支えられた射的の景品ぐらいな。無駄だ。おまえは口からコルク玉をぽんぽん飛ばしているだけのちっぽけな歌い手に過ぎない。おととい来い。

ジェシーも始めのうちは“カントリー好きのタダの歌い手”でしかなかったが、徐々に歌手としての素養が磨かれていく。母親としての責任を果たせない我が身の懶惰。家族から向けられた冷たい視線。救いは音楽だけ。腕には「3コードの真実」と彫られたタトゥー。この言葉は「すぐれたカントリーとは?」と訊かれたときのハーラン・ハワードの名言だ。3コードの真実。

だが結局のところ、音楽の道を切り開くこと子供たちに無償の愛を捧げることは同じだった。なぜなら、日々の苦しみや喜びから生まれる“叫び”が歌になるからだ。俺は思うのだが、歌手は表現者である前に生活者たらねばならない。半径5メートルの出来事を歌えない奴にどうして夢や希望が歌えるというのだ?

『ワイルド・ローズ』が人の心を動かすのは、主演のジェシー・バックリーが見る見るうちに生活者の顔に変わっていくからだ。ラストシーンでは形勢を立て直したボクサーのように爛々と目を光らせている。『アリー/スター誕生』(18年)のレディー・ガガといい勝負をしているが、それでも『ローズ』のベット・ミドラーにはまだまだ及ばないかも。

だが『ワイルド・ローズ』『アリー/スター誕生』これから始まる物語である。人生の終局で魂を全焼させた『ローズ』のラストシーンと比べたのは明確に俺のミスだな。すまん。この話はここまでだ。よく辛抱して読んでくれたと思う。次章にいってくれ。ここにはもう何も残されちゃあいない…。

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◆根底にはロックンロールのバイブス◆

苦言を呈したい点も多々ある。

ナッシュビルに辿り着いたジェシーが「やっぱり私のルーツはスコットランドだ」と考え直して故郷にとんぼ返りする心情変化はやや伝わりづらいし、それ以前に憧れの地に来て何をするのかと思いきやライマン公会堂を観光して「ほっほーん」と感嘆するだけ…という身振りには腰砕け。その為だけのここまでの道のり!?

また、クラウドファンディングを使ってジェシーを支援しようとするソフィー(家政婦ジェシーの雇い主)の善人ぶりも相当に不自然で、図式的な“ジェシーの味方”という記号的キャラにおさまっている。あまつさえ犯罪歴を知ってジェシーを警戒するソフィーの夫との軋轢も解消されないままなので、総じてテリングが雑。ジェシーのドラマを語ることに一杯一杯で、その背後にあるものを描き損ねている。

あと「それ、そろそろ辞めてくれない?」と思うのは、子供たちを裏切ってしまったことの自己嫌悪から急に客前で歌えなくなる(そのあと子供と和解して歌声復活)…という毎度お馴染み&お騒がせの精神論。

なぜか音楽映画の主人公は精神と声帯が連動しているらしく、精神的に追い詰められると必ずステージで失敗し、そこから立ち直った途端にパフォーマンスも向上する…みたいな予定調和の独り相撲を演じてばかりなのだ!

作劇上の「失敗要因」と「解決方法」がそいつの気持ちに依拠しているという。知らんわ。結局おまえの匙加減やないか。

以前も同じことを言ったけど…「心の問題」を「心で解決する」のは映画演出ではないのでそろそろやめて頂きたいのですゥ。

 

この映画はカントリー・ミュージック…いわば白人音楽の魅力を満載しているし、事実アシュリー・マクブライドケイシー・マスグレイヴスがカメオ出演してチョロリと歌っているのでカントリーファンにはこたえられないだろうが、何よりも黒人音楽(ブルース、R&B、ゴスペル)との摘出子であるロックンロールのバイブスに火照っているあたりが最高だ!

ジェシー・バックリーは一発で好きになった。歌唱パートだけでなく無言のアップにもしっかりと耐えてみせる放散的な芝居のおもしろさ。こういう貌を待っていた。

私はロック至上主義の髑髏ボーイなので、観始めてしばらくは「だってカントリー知らないもん」と気後れしていたが、これはまったくの杞憂でありました。拳を天に突き上げたジェシーは、さながらロッキーのようでもあったわ。

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(C)Three Chords Production Ltd/The British Film Institute 2018