シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

オールド

シャマの奇妙な冒険 ストーンオールド。


2021年。M・ナイト・シャマラン監督。ガエル・ガルシア・ベルナル、ヴィッキー・クリープス、ルーファス・シーウェル。

どえらい速度で時が加速するビーチに閉じ込められた人々がガンガン老いさらばえていく中身。

 

 やるでー、集まりー。
過日、こそこそ隠れておにぎりを食べてたら、急にガリッ、歯が欠けた。
「歯が欠けた」ことよりも「おにぎりにすら負けるオレの歯」という事実がひどくショックでした。だって、おにぎりに負けてたら、もう全部に負けるじゃん、今後。お魚食べてるときに歯が欠けるかもしれないし、お野菜にだって負けるかもしれないんだよ? やれやれだ。
ところが、欠けたのは「歯」ではなく「詰め物」だった! 不幸中の幸いっていうか、決してオレの歯がおにぎりに負けたわけではないことが明らかになったので、オレは安堵しました。沽券に関わった~。
なんだ、詰め物が欠けただけか。おっけおっけ。歯医者に行った方がいいんだろうけど、億劫だしな。ほっとこ。


そしたら後日、自部屋で『快傑えみちゃんねる』見て大笑いしながらお魚を食べてたら、急にガリッ、こないだ欠けた詰め物がまた欠けた。
こんだお魚に負けて!!!
結果的に詰め物がぜんぶ外れた形となり、昔削った歯が露出したんです。桃太郎みたいな話でしょ?
で、その削った歯というのが、妙に細長くて、なんというかトーテムポールみたいな形状しててさ。
「小っちゃいトーテムポールみたい」
声に出して呟いたよね。
今まで詰め物してたから気づかなかったけど、まさかトーテムポールみたいになってたなんてね。自分の歯なのに、今の今までこんなにもトーテムじみてたなんて予想だにしなかったわ。
さっそく友達に電話して報告しました。
「さっきな、詰め物が取れてもうて、昔に治療した歯が露出してんけどな。それがもう見事なトーテムポールでやぁ。どう思う?」
「へえ。そら早く歯医者行った方がええよ。トーテム隠してもらわにゃ」
「うるさい。一般論いうな」
電話を切りました。

後日。行きつけの歯医者で見てもらうことにしよっと! ゆうて、ビャ~~~自転車こぎもって歯医者に行ったら、お医者先生、まるでオレが来ることを知ってたかのように「ついにトーテムが露出しましたね? そろそろだと思ってましたよ」と云ふ。まあ、予約の電話したのはオレだから来ることは知ってただろうけど。
それにしても、詰め物が取れたことまで予知するとは。さすがお医者先生。すごすぎて、思わず「ポール!」で返事した。してないけど。
あ。でも、いま思えばアレだわ。予約の電話したときに「詰め物が取れてトーテムが露出したんです」つって受付の人に伝えてたわ。
ほんで、歯型とって、仮の被せをしてもらい「次回、新しい詰め物を被せておしまい。お楽しみに」と言われて治療終了。オレ、「ありがと~」ゆうて。
ビャア~~~自転車こぎもって家帰って、夜、『快傑えみちゃんねる』見て大笑いしながらチキン南蛮食うてたら、ガリッ、仮の被せが取れた。
またトーテムポール。

そんなわけで本日は『オールド』です。1年以上前に書いた記事を今さら発表していくスタイル。



◆「時が経つのは早いものね」なんて言うが、このビーチでは物理的に速ぇ◆

 しばらく放ったらかしていたが、晴れてこのたび6年ぶりのシャマラン最新作を観ることができました。
…あ、『スプリット』(16年) 『ミスター・ガラス』(19年) 無かったものとして自己暗示かけてまーす。
シャマランといえば、ワレ死んどったんかい映画『シックス・センス』(99年) で大量のオチキチを生み出し21世紀以降の映画観客のバカ化に一役買った男である。

オチキチ…オチ気違いの略。もっぱらラストシーンで留飲を下げることのみに映画の価値を見出す人種。「オチがない」「オチが弱い」を口癖とし、やたらと物語の結末に拘泥する潜在的落語家志望者たち。アッと驚く結末じゃないとすぐポップコーンを投げつける。

その後は、爆笑骨折ヒーロー譚『アンブレイカブル』(00年) 、怪奇照り焼きチキン譚『サイン』(02年) 、ババ滑り半ベソ幻想譚『レディ・イン・ザ・ウォーター』(06年) などふしぎな映画を鋭意発表。観る者の困惑と半笑いを誘った。時には手厳しい評価を下した映画批評家に対して自作の中でネチネチと反論を試みたり、また時にワーナーの重役に新作の興行不振を責められてファミレスで泣くなど、幾度となく情けない姿を晒してきた過去もあり、いつしかネタ扱いされるキワモノ監督に成り下がってしまったが、そんなシャマランが「やっと円熟という言葉を知り始めた…?」と思わしむる作品を撮りあげた。

『オールド』!

南国のリゾート地を訪れた家族がホテルマネージャーに勧められるまま案内されたプライベートビーチはなぜか時間の流れがグリグリに早かった…という豪速老化ミステリである。
6歳だった息子はちょっと目を離した隙に大人の仲間入り。11歳だった姉もどえらい巨乳に。時の流れが速すぎて、怪我すら一瞬で完治。おまけに島から逃げ出そうとしたら頭痛に襲われてぶっ倒れてしまう!
TUBEでも歌いきれない一夏の不条理。
まさに『CUBE』(97年)
ビーチで出会った3組の家族の老後とは!?

鉄拳のパラパラ漫画並みの早さで一生が過ぎ去っていくリアル光陰矢の如しシネマの急先鋒!


このビーチでは時が加速する。

◆シャマランは撮らない◆

 シャマラニストにはネタバレになるが……いや、そもそもシャマラニストなら既に鑑賞済みだろうから言うけれど、本作は『ハプニング』(04年) 系統の不条理劇かと思いきや『ヴィレッジ』(04年) 系だった…といった面構えの作品。

『ハプニング』…突然みんながバタバタ自殺していく映画。最後まで原因不明。
『ヴィレッジ』…怪物が出るから森には入るなと言われたみんなの映画。最後に種明かしアリ。

要は、不条理劇の皮を被っちゃあいるが徐々に因果関係が見えてきて最後はちゃんと辻褄が合う…という当世ナイズされたオチキチの意に沿うプロットで。
とかく現代人が求めてるのって作品の完成度よりも“テメェの納得度”だからな(その点ではハッキリ“現代映画”です)。
ただし因果関係の結び方はよほど剛腕。なんでこのビーチだけ時間の流れが早いの? 3家族を監視してる人がいるけど誰あいつ? 何かの陰謀なーん?
一応の“答え”はあるが半分言い訳みたいな代物よ。

なんにせよ、奇しくも『ヴィレッジ』と同じ108分にぴったり収まる本作は“108分かけて何見せられてんだ俺たちは系映画”の新たなるマスターピース(最高傑作)…とは対極に位置する、いわばグリーンピースとして屹立した剛腕解決型の不条理映画である。
だが、これがないとシャマラン映画は締まらない。
コレ・ナイト・シマラン。
取ってつけたようなトリックでも、そこから逆算してヒントを散りばめれば「伏線、伏線!」とオチキチどもは喜ぶ。なぜなら奴らは甘美なミステリに酔っているのではなく、伏線に気づいたり謎を解いたりする自分自身に酔っているからだ。この豚しゃぶ探偵が!
映画好きならマスターピースばかりを観ようとすな。グリーンピースも食え。

父親のガエル・ガルシア・ベルナル。このビーチではわずか半日で20年分ぐらい老いてしまう。

さて。ここでは少ない紙幅を使って“映画”の話をする。
シャマランは憎たらしいが上手い。
現在10~40代の若い映画好きは、大きく分けて①『シックス・センス』で素直に感心してからというものシャマランを高く評価している層と、②その後のズッコケ映画の連発でシャマランをナメ始めた層に二分されるが、ごく稀に①と②を融合したような怪奇キメラ人間が存在する。
それがオレだ。
③シャマランの馬鹿げた世界観に呆れながらも映画の腕だけはしっかり評価してる層であるっ!
ま、不肖ふかづめ。こんなザマだが、それなりに真剣に映画を観てるからな。それくらいはするさ。

シャマラン最大の評価ポインツは映画を110分以内で撮れることだ。
スピルバーグ然り、イーストウッド然り、現代アメリカ映画の多くは“大家なればこそ許される傲慢さ”として「2時間超えの病理」に蝕まれている。特に2時間30分の壁ね。本当にひどい。
そんな中、シャマランは100分台の映画を撮り続けられる稀有な才能を持っていた。それは取りも直さず映画作家としての謙虚さ―焦燥感や危機意識から来る「これ以上撮ってはならぬ」という忘れ去られた映画的本能=知性なのである。
撮るから映画作家なのではない。むしろ映画作家たらしめているのは“撮らぬ”という身振りだ。


また本作、単純に技術点だけを見れば過去最高の域ではないでしょうか。シャマランってこんな上手かったっけ?
パン主体でオフスペースを拾っていくサスペンスにも関わらず35ミリフィルムを使用する采配からして技アリだし、このパンが“見渡す”という主題と、フレーム上の不可視領域との絶妙なせめぎ合いを形成していて、まさに上記の“これ以上は撮らない=見せない知性”として一級のサスペンスたりえている。だだっ広い砂浜を舞台に、よくもまあやってのけたもんよ。
横に間延びしがちな舞台設定(ビーチ)にも関わらず、崖登りや水中シーンなど縦の構図も豊か。大胆な顔ナメのショットも“老化”の物語とあらばおちおち画面奥に気も配れない。まんまと瞳を攪乱されちゃったわぁあぁああ。
いい意味で小手先が利いた技のデパートだな。ひとまず搦め手だけで攻め切った姿勢はもっと評価されてもいいんじゃない? まさにテクニックの試食会なんだから。これって結構贅沢なことよ。

◆『シャマの奇妙な冒険 ストーンオールド』でした◆

 本作は『美しき冒険旅行』(71年)『ピクニックatハンギング・ロック』(75年) などに影響を受けたらしいし、実際モロに割とそうなんだが、おれが「むしろコレじゃね」と思ったのはブニュエルの『皆殺しの天使』(62年) だな。以前当ブログでも扱ったが、夜会に集ったブルジョワ達がなぜか屋敷から出られなくなり飢餓に苦しむ…という不条理劇である。出ようと思えば物理的には出られるわけだが、物理とかそういう話ではなく、ただ出られない…という物語だ。
まさに悪夢。でも夢って大体そうよねえ。必死で走ってるのになぜか前に進めない夢とか。そこに因果関係はなく、“ただ進めない”だけなのよ。夢だから。
その感覚を疑似体験できる作品といえるな?
無論ヒッチコックの影響も色濃く照射されている。恥ずかしげもなく『裏窓』(54年) のショットを模倣したりもしているけれど、全体的なトーンでいえば『救命艇』(44年)『鳥』(63年) を彷彿した。わけわからん状況に身を置いた人間が少しずつ狂っていくさまが生々しく描写されているからね。

『裏窓』をやっちゃうシャマラン。


あとジョジョだな、これ。
知らない人は…こっから先ごめんね。
終始ジョジョなのよ。
不可解な現象を目の当たりにしたキャラクターが焦りや混乱から更にパニックに陥って“理解”を求めてもがき苦しむさまがジョジョ丸出し。
もうなんか「なにィィィィ!? 息子が急速に成長しているッ! まさかスタンド攻撃を受けているのか…!? 警戒しろッ! このビーチで『何か』が起きている…!」というセリフが聞こえてきそうだったわ。
実際、聞こえもしたし。

©集英社『ジョジョの奇妙な冒険』荒木飛呂彦


極めつけにバトンシーンまでジョジョなんだよ(極めつけるな)。
心強い医者だったルーファス・シーウェルが精神疾患を発症し、見境なく仲間をナイフで切りつけ始める中盤。主演の父親ガエル・ガルシア・ベルナルが老いによる老眼で苦戦していると、妻のヴィッキー・クリープスが砂浜で拾ったナイフで応戦。だがルーファスに攻撃を当てても、どのみちスゲェ早さで時が進んでるので傷は瞬時に癒えてしまう。
ルーファス「無駄無駄無駄無駄ァッ!」
まあ、ルーファスの切りつけ攻撃も無駄なんだけど。

だがヴィッキー! 使っていたのは錆びたナイフだったッ!
ゴゴゴゴゴ…
ヴィッキー「十分よ。これで充分…。私はあえて殺傷力のない『錆びたナイフ』を使ったのよ…。この『雑菌だらけの錆びたナイフ』をね…」

ジョジョやん。

ガルシア「そうかッ! 錆びたナイフで攻撃すれば傷口に微量の菌が入り『毒』を誘発する! 公園でケガした子どもに『消毒して絆創膏でも貼ってなさい』と言えば済むような軽い傷でも、時が加速しているこのビーチでは致命傷! 傷口の菌は超スピードで増殖して毒となるゥゥッ!」

ジョジョやん。

ルーファス「なにィィィィッ!?」

ヴィッキー「そう、瞬く間に毒は全身を駆け巡る…。これが私のスタンド…『エンター・ザ・サンドマン』…!」

ジョジョヤン。

ルーファス「ヤッダーバァアァァァアア」

叙々苑。

なあ、シャマランよ…。
はるか格上の敵に頓智で勝ち出したら、それはもうジョジョやて。
力比べでは勝てないからと、『時が加速してる状況』を利用して『錆びたナイフ』で『毒を誘発』するだなんて、荒木飛呂彦がひねり出すアイデアやねん。
そもそも時を加速するスタンド能力が既にあるからな。ジョジョに。プッチ神父の「メイド・イン・ヘブン」だよ。
したがって、全ジョジョラーは『オールド』のあらすじを知った瞬間「プッチ神父だなー」と思ったよ。
「ずっと前から知ってるなー」って。
もっといえば敵を老化させるスタンドも存在するし。ほいで蓋を開けてみたら、はるか格上の敵に頓智で勝つんでしょ?

ジョジョやねん。

それをジョジョやぁ言うてんねん。
さいぜんから。


ちゅこって、いよいよシャマランがジョジョを撮り出した謎多き本作。
まあ、先後関係をハッキリさせるならジョジョが映画なんだけどね、そもそも(ジョジョは漫画理論ではなく映画理論で構成された稀有なマンガ)。

おそらくシャマランという字の連なりに付きまとう半笑い感は今後も拭えんだろうし、本人自ら出演してカメラぶん回したり作家役を演じてしまうような“ある種のイタさ”も治らんだろうが、「実は上手かった映画作家」として死後再評価される可能性だけはギュンギュンに秘めてるよね~。それこそヒッチコックみたいに。

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