シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY

観客それぞれのホイットニーリテラシー…通称「ホテトシー」によって見方が180°変わる逆さ絵トリック! ~心なしかポスター写真も逆さ絵に見えてきたSP~


2022年。ケイシー・レモンズ監督。ナオミ・アッキー、スタンリー・トゥッチ、アシュトン・サンダース。

エンダああああああああ
いっ…
嫌あ!!!
…いやああああ!
いや!
いやあーっ!
エダッ…
いやあー!!


 あーしんど。
忌まわしき悪魔の祭典たる祇園祭も終わったんで、ようやっと安寧を取り戻しつつあるオレの日常in四条って感じ。
7月15日は宵々山。四条近辺が軒並みホコ天となり、屋台露店が立ち並ぶため、必然的にバカが湧きやすいっていうか、だから祇園祭の中でもバカの最大瞬間風速が記録さるる一日なんですよ。全国…、否、全世界からバカが集まるバカ集合記念日。
この日の夜19時。スーパーに行ってなんか見よ、と思った私、マンションから一歩外に出づればホコ天地獄。人肉の洪水に流され、あれよあれよという間にスーパーの反対方向へと押されてゆく。そして人肉渋滞。渋滞により、ただただ熱帯夜の人混みのなかに立ち尽くすうち、じわじわと汗にまみれていく我が身の汚さ! もう、我がでかいた汗なのか、すれ違う人から擦りつけられた汗なのか、それさえ判然としないまま風呂上がりみたいに全身ビショビショの刑に処され、挙句マスクをしてないのにメガネが曇る。人の熱気でね。
路上には、浴衣のはだけた女たちが座り込み、まずそうなフランクフルトとビールをやりながら「まぢ暑ちィーんだけど!」と叫ぶ。
帰れや。
帰ったら全部解決するやろ。家帰ってクーラー入れたら「まぢ暑ちィーんだけど!」って言わなくていィーんだけど! まぢ!!
渋滞した私の真横では、顔面ピアスだらけの金髪男と顔面ピアスだらけの金髪女が「人混みすごすぎ~」「人がゴミのようだ!」と浮かれてゐた。
おめえらだよ。
おまえらもまた「人混み」を形成している「ゴミ」の一員たる自覚を持ってくれな。頼むから。かくいうオレもその一員ですけどね。それは。
かように、至るところからバカたちの叫び声が聞こえるのです。
「よっしゃー!」
なにが「よっしゃー」やねん。
よっしゃーやあるか。今のオレは「よっしゃー」どころかエッシャーの騙し絵喰らったみたいな気分やねん。黙って歩け。
「まじ酔うの早いしびゃはhあ」
帰って寝て夢見て死ね。
ええやないか。キラキラや。ええ夢見て、そのまま起きてくんな。夢の中で生きていってくれ。頼む頼む。不思議の国のアリスみたいに。ほんまありがとうな。部屋、涼しくして、よおけ寝え。
「お父さん、あすこ! 一頭身のおじさんがいる!」
一頭身のおじさんはおらん。
前途有望なキッズよぉ。前途有望なのにワケわからんこと言うな。なんや一頭身のおじさんて。暑すぎて幻覚見とんのか。それとも『千と千尋の神隠し』(01年) みたいなこと? 「おいおい」ゆうてる緑の顔だけのおじさんってこと?
君たちはどう生きるか!!?
やかましいわ。

途中、暑さにたまらずコンビニエンスに入れば、レジ前で浴衣姿のソロガールがチョキチョキボーイ2人組にナンパされており、困り果てて泣きそうな顔をしていたので、その前からイライラが頂点に達していたこともあって「どけガキ」と脅してこれを追い払うと、ソロガールが私に向かって「あり、ありゃ…」と言ったのだけど、今思えば「ありがとうございます」と言ってくれていたのだろうが、イライラしすぎて私、「なんやこいつ。噛みまくっとるやないか」と思って怪訝な視線を送ったきり無視してしまった。もうなんか、“祇園祭にくる奴は全員バカ”と思い込みすぎてたのかもしらん。
その時のソロガール、睨んでごめんね♥
浴衣似合ってたよ~。かわいい。
柄とか思い出せねえけど。

そんなわけで、ようよう肉塊の渦から脱出できたのが50分後。通常であれば徒歩10分のスーパーに辿り着いたのが1時間後だったってオチ。
あーしんど…。笠置シヅ子の「買物ブギー」かよ。わてほんまによう言わんわ、ゆうて。だれか四条の真ん中にミサイルでも落としてくれればさっぱりするだろうな。まあオレも死んじゃうけど(それもいいかもな)。
きっと、東京の都市部に住んでる人たちにとってのハロウィンの苦しみを、おれは感じてるんだと思う。毎年ニウスでハロウィンの乱痴気騒ぎを見るたびに、その近隣住民にシンパシー覚えるもん。
「祇園祭で感じたむかつきエピソード」はまだまだあるが、これ以上書くとパワーNGワードに抵触しそうなので、この辺でよす。

そんなわけで本日は『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』です。気分変えて盛りあがってこ~。



◆黒人ぽくない? うるせえ。『服従しない 恐れない』だ◆

 ホイットニー・ヒューストンの没後10年にあたる去年、満を持して公開された彼女の伝記映画『ホイットニー・ヒューストン I WANNA DANCE WITH SOMEBODY』を取り上げさせてはくれまいでしょうか。
語らしてくださいよ!!
とはいえポップスやR&Bは俺のフィールドではないから頼りない耳学と記憶をもとに語らざるをえず、真性ホイットニストなんかは「素人がホイッと語っていい歌手ではないニー」と思うだろうが、まあなんだ…、黙れ。


言わずと知れた永遠の歌姫、“The Voice”ことホイットニー・ヒューストン。
デビュー年にリリースした「Saving All My Love for You」から7曲連続で全⽶シングル・チャート1位を獲得。これはビートルズの記録を抜く快挙であり、未だ破られていない。累計アルバムセールスは1億4000万枚以上。ケビン・コスナーと共演した『ボディガード』(92年) のサウンドトラックは全世界で4500万枚を売り上げ、没後も愛され続ける「I Will Always Love You(邦題:エンダー嫌)」のYouTube再生回数は13億回を超える。

バカげてる。

もう異次元すぎて逆にすごいと思わない。
なんなんだ、こりゃ一体。サントラアルバムで4500万枚? ふざけ倒せ。たしか『タイタニック』(97年) でも3000万枚とかだろ? はっきり言って『ボディガード』なんて大した映画じゃねーよ。ケビン・こなすーが「仕事をこなすー!」ゆうてホイットニー庇って撃たれるだけの映画だし、何よりこなすーの髪型がカッパみたいで最低なんだわ(当初主演候補だったスティーブ・マックイーンをリスペクトした髪型とはいえ)。


調子悪いカッパやないか。

それなのに4500万枚。イカれてんのか?
“史上最も売れたアルバム”の4位だぞ(1位はマイケル・ジャクソン『スリラー』、2位イーグルスのベスト盤、3位はAC/DCの『バック・イン・ブラック』…で、このサントラがピンク・フロイドの『狂気』と並んで4位タイ)。
どっちが狂気やねん。

まあ、騒いでも何にもならねえ。本作の話に戻ろう。
ホイットニーを演じたのは『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』(19年) で女優としての夜明けを迎えた新星ナオミ・アッキー。いい顔してる。そして脚本を手掛けたのは『ボヘミアン・ラプソディ』(18年)アンソニー・マクカーテン。男前だが、まあ女好きだろうな。そんな顔してる。

 映画は1983年のニュージャージーから始まる。聖歌隊のパワーボーカルとして地元では名うての歌自慢、現にプロ歌手の母シシー・ヒューストン(演:タマラ・チュニー)のバックコーラスとしてライブハウスで下積み生活を送っていたホイットニーの歌唱を偶然耳にしたのがクライヴ・デイヴィス(演スタンリー・トゥッチ)。この男はアリスタ・レコードの社長として、ジャニス・ジョプリン、パティ・スミス、アース・ウィンド&ファイア、ブルース・スプリングスティーン、サイモン&ガーファンクル、シカゴなどをプロデュースし、数々のヒット曲を世に送った名曲製造機である。
そんなクライヴPと出会ったことでホイットニー伝説は幕を開けるわけだが、それは同時に波乱の幕開けでもあった―…。
デビューから快調だったホイットニーは“アメリカの恋人”として一躍トップ歌手にのぼり詰めたが、のちに彼女の個人秘書となるロビン・クロフォード(女性)とはデビュー前から恋人関係にあったことで、パパラッチはホイットニーが同性愛者ではないかと猛追する。
一方世間からは、彼女の楽曲が白人音楽に根差したダンス・ポップに偏っていたことから「黒人の魂を売った」、「ブラックミュージックやれ」、「ホワイティ・ヒューストン」などとバッシングを受けた。これに対してホイットニーは、ラジオ番組で悪意あるDJに対して啖呵を切ることに成功している。

「音楽に人種も国境もない。私は私よ。
黒人ぽくない?
『服従しない 恐れない』よ

この後のキャリアは史実通りに描かれる。
サクッと見ていこうや。

スーパーボウルでの国歌独唱。

1991年…あまりに有名な第25回スーパーボウルでの国歌独唱。今なお語り継がれる伝説のベストアクトであり、「これを越えるアメリカ国歌はない」として後にシングルリリースもされた。
この時のホイットニーが簡素なジャージ姿だったのは、スポーツイベントに合わせてだとか、(湾岸戦争直後ゆえに)平和を願ってだとか言われているが、本作では「自分らしくあるため」という独自解釈の視座から描かれている(初期の彼女はカジュアルファッションを愛したという)。


1992年…映画『ボディガード』で主演。ケビンこなすーの期待に応えて共演をこなすー。こなすーが「あぶなーい!」ゆうてホイットニー庇って撃たれるだけの映画であったが、452億円もの超ヒット。主題歌「I Will Always Love You」およびサントラ・アルバムも世界的大ヒット。
同年、尻をむやみに振りながら「チョキチョキ」などと連呼する不思議なR&Bシンガーのボビー・ブラウンと結婚するも、この男の正体はならず者だった!


蝶ネクタイつけた調子悪いカッパやないの。

1994年…アパルトヘイトが撤廃された南アフリカで、ネルソン・マンデラから直々にラブコールを受けマンデラ☆コンサートに参加。「I Will Always Love You」を絶唱。
同年、アメリカン・ミュージック・アワードで「I Loves You, Porgy」、「And I Am Telling You I'm Not Going」、「I Have Nothing」のメドレーを披露…もとい“成功”させる。ボイス・コントロールの最高峰と称されるこのパフォーマンスは「Impossible Medley(不可能なメドレー)」として語り草になるほど、当初はホイットニー自身でさえ「ようせんわ。歌えるわけないやないの」とオファーを拒否していたほど、鬼ハイキー&鬼ロングトーンを要する地獄直行コースの難曲メドレーであったが、のるかそるかの本番では圧巻のパフォーマンスを見せて“The Voice”の異名をゆるぎないものとした。


2000年から低迷。かねてより薬物疑惑はあったが、いよいよ大麻所持で拘束、体重激減、ならず者ボビーによる浮気、DV、ワールドツアー中に卒倒、薬物依存の復帰プログラムを受けるべく施設に入所、ならず者ボビーとの泥沼離婚裁判、実父・パパットニーがホイットニーのクレジットカードをパクットニーして豪遊したせいで破産するなど、悲惨極まりないディケードを送る。
それでもニューアルバムを制作してビルボード1位を射止めるなど“歌姫の意地”こそ見せてはいたが、人間としてのホイットニー・ヒューストンは我々が思うほど強くはなかった。薬物依存、家庭不和、金銭問題…。身も心もボロボロだったのだ。

そしてその日が来てしまった。
2012年2月11日…グラミー賞の前夜祭に出席するためにビバリーヒルトン・ホテルに滞在していたが、浴槽に沈んでいたところを発見される。コカインが招いた心臓発作による溺死だった。享年48歳。



◆時系列どうなってんだ ~あなたのホテトシーが試される~◆

 知ってるホイットニーソングなんて4~5曲程度しかないシロットニー(素人)のオレでも楽しめたホンッサクー(本作)だが、どうやら世間のホイットニストの評価は芳しくないようで、主にヤツらは「起伏に乏しいストーリー」「本物のホイットニーはもっと美しかった」という2本の槍でこのグレイテストな映画に抵抗しているようだ。
でも、そうだろうかねえ?
オレが半可通だからホイホイと乗せられたホイホイ・ホイットニー・ムービーだったのかねえ。いや、んなこたぁねえだろ~~~~。
当時、MVが斬新だった「How Will I Know」「It's Not Right But It's Okay」なんかは、MV制作シーンがそっくり再現されててファン垂涎だろうなって感じだし、映画史的観点から見た場合でも、このシーンは単なるファンサービスの域を越えて“映画とMTVが接近していた80~90年代のポップカルチャー史”にアタッチした映像的価値をもつ。映画と音楽が不可分だった時代だ。その象徴が、当時サントラ映画の新時代を飾った『ボディガード』なのだから。
『ボヘミアン・ラプソディ』同様、この映画は“ホイットニー”にフォーカスしてるようでいて、その実ホイットニー越しに彼女が輝いた“時代”そのものにフォーカスしている。
カメラが切り取るのはホイットニーではなく、ホイットニーを通して懐古された90年代なのだ。

「How Will I Know」のMV撮影シーン。

アンソニー・マクカーテンの脚本には感心した。
「山場がなくて退屈。脚本がショボットニー」とか言ってる奴は、果たして2時間なにを見ていたのか。ヘンな幻? きのこ食ったんか。
ホイットニーの生涯の大まかな流れは先に紹介した通りだ。
栄光掴む→徐々に凋落→没す。
簡単な話だろ。実在した人間の半生を描いてるんだから、ドラマチックな展開など望むべくもない。死に際に一花咲かせる…なんてマンガみたいなクライマックスを持つ歌手なんて美空ひばりぐらいだろ。たいがい山場なんてねえよ。だから史実を脚色する。これが“脚本術”だ。
だが本作は、時系列を入れ替えることで山場を作った。
これは“映画術”だ。

栄光掴む→徐々に凋落→没す…だと右肩下がりにハナシが暗くなっていくだけなので、アンソニー・マクカーテンは「栄光掴みシーン」の一部をファーストシーンとラストシーンでサンドした。ここがミソだ。
今から引くぐらいややこしい解説をする。
この映画は、今まさにアメリカン・ミュージック・アワードの大舞台で「不可能なメドレー」に臨まんとする1994年から始まり、歌い始めの瞬間にパッと画面が切り変わって1983年の下積み期。そこから時系列通りにホイットニーの半生が語られてゆくので、人は「ああ、フラッシュバックしたのね」、「回想形式か」、「おっけおっけ」と理解するわけだが、ノンノンノン。物語上で1994年を迎えても、冒頭のアメリカン・ミュージック・アワードの場面を素通りしてストーリーは流れ、2000年代に突入、2010年代に突入、そして2012年2月11日。グラミー賞の前夜祭に、ホテルのバーテンから「失礼。ホイットニーさんですよね? 94年のメドレーを聴いて以来、ビッグファンなんです。明日歌うんですよね? 錚々たるミュージシャンが出ますが、一番輝くのはあなたですよ」と励まされたホイットニーは、まるで自信を取り戻したかのように満面の笑み。だが、再びホテルの自室では、化粧台に広げたコカインの包み紙。
そして“曲”を披露してエンドロール…。


「不可能なメドレー」を可能にしたアメリカン・ミュージック・アワードでの伝説的なパフォーマンス。

あぶなぁあああい!!
ホイットニストならすんなり理解できたンだろうが、オレみたいな泥バカ豚団子680円はコロッと騙されるトリックだよ、これ。
最後に披露された“曲”とは例のメドレー。つまり時系列としては94年なんだよね。その直前までは2012年のグラミー賞前夜祭の前日(バーテンとのやり取り)を描いてるもんだから、そのあとシームレスに移行する“曲の披露”が「その後の時系列(=グラミー賞前夜祭)」かと思いきや、グッと遡って在りし日の彼女のフラッシュバックになっていたという罠。
ややこしいだろ?
ややこしいのよ。

更にややこしいことに、先述した通り、このラストシーンで描かれた「94年のメドレー」はファーストシーンでも描かれてるわけよ。ファーストシーンとラストシーンでサンドしてるわけ。そうなるともうフラッシュバック(後説法)なのかフラッシュフォワード(先説法)なのかさえ判別できないのね。
オーケー。整理しよう。
早い話が、この映画は観客それぞれのホイットニーリテラシー…通称ホテトシーによって見方が180°変わる、逆さ絵みたいな構造になってるわけだ。ある種ね。
ホイットニーの生涯を詳しく知らない人、あるいはただ漫然とスクリーンを眺めてる泥バカ豚団子の目にはラストシーンで栄華を極めるサクセスストーリー風の感動映画に映る一方で、事情に通じたホイットニストの目には死に際のラストシーンであえて“栄華を極めた在りし日の姿”を幻視させる重く苦い伝記映画として映るのよ。


ほかにも時系列の搦め手は使われてるし、その一つひとつがドラマタイズに裨益しているという点においても極めて効果的な用法として現代映画への挑発行為たりえているのだが、間違っても「難解映画」や「小難しくて面倒臭い映画」ではないので安心されたい。
だって逆さ絵は難解じゃないだろ? 正しく見ても、逆から見ても、ちゃんと「絵」として成立してる。
そゆことだよ。


クライヴ役のスタンリー・トゥッチ。

◆緊急特別企画! 「エンダー嫌」しか知らないオマエらと一緒にホイットニーソング聴こ◆

 レビュー界隈は 「本物のホイットニーはもっと痩せてる」だとか「本人役をやるんだったらもっとシェイプしなきゃ。シェイプ!シェイップ!」としきりに騒ぐ妖怪ニテナーイで犇めいていた。…まったく。この世は再現厨の人外魔境か?
妖怪ニテナーイ…マンガの実写化映画や伝記映画などに湧いては「こんなの〇〇じゃない!」と外見の相似性をしきりに突っつく日本の妖怪。

アホらしくて涙が出る。あの“砂時計のサラサラが落ちるとこ”みたいなホイットニーの極細ウエストを再現することに一体なんの意味がある?
再現などしなくてよろしい。ナオミ・アッキーはホイットニー役をうまく“表現”していたと思う。
歌手としての強さと、人間としての弱さを鮮やかなフライパン捌きで両面焼きにしたよ!
わかるだろ。色が見える芝居だ。感情に色が見える芝居。
また、アッキーちゃんのチャームがしとどに溢れた作品でもあったよ。ばかにキュートだが妙にコケティッシュでもあり、まあ目が離せない。その意味で、本作が犯した唯一のミスがあるとすれば歌手のすごさより“女優のすごさ”を感じさせたことかもしれね~~~~~~なァッ!?

何かを両焼きにしたアッキーちゃん。

それじゃあ最後に『緊急特別企画! 「エンダー嫌」しか知らないオマエらと一緒にホイットニーソング聴こ』のコーナーでもやって楽しい心持ちになろっかな。なってもいいだろ?
いってみよっかー!!?

 

「How Will I Know」(85年)
邦題「恋は手さぐり」

映画では、クライヴPがボツにしようとしたところを、ホイットニーが「ちょい待ち! これ、キー上げてコーラスつけたら化けまっせ」ゆうて採用した…という誕生秘話が描かれている。
コテコテの80'sダンスビート。やったね! この曲が聴こえてきたら、人は作業の手を止め、かかと立ちで腰をくねくねとさせてしまうだろう。ドイツ表現主義みたいなセットの中で前衛的なダンサーが視聴者を翻弄するMVが鮮烈な印象を残しもする。
思えば十数年前、しこたま酒飲んでグラグラしてるときに初めてこの曲のMVをYouTubeで見た。恋は手さぐり、酒は手酌ってな。未だにそのときの衝撃は色褪せない。ホイットニーのファッションも特筆すべきキューティをほこる。


「How Will I Know」YouTube

 

「Greatest Love Of All」(86年)

ホイットニーが終生最も大事にした曲なんだって。
なんか、そういうのってあるよね。たぶん自分自身の原点や本質を表した曲なんだろうな。オレも「I Will Always Love You(邦題:エンダー嫌)」よりこっちのが好きだし。
MVもすばらしいじゃないですか。スタッフが忙しそうにしてるステージの真ん中で歌とて。スタッフの邪魔して。相変わらずファッションもばっちりね、あなた。


「Greatest Love Of All」

 

「I Wanna Dance With Somebody」(87年)
邦題「すてきな Somebody」

本作のタイトルにもなった名曲。
ホイットニーといえばバラード女王という印象だったけれども、ゴキゲン路線の代表曲はやっぱこれだよな。やけに楽しいし。やったぁ!
オレはMVよりこのライブパフォーマンスが一番好き。圧倒的歌唱力。カッコよすぎるだろ。いかに彼女が不世出のシンガーだったか、一流のエンターテイナーだったか。泥馬鹿のオレでもよくわかりました。ありがとう。むちゃむちゃカッコええがな。ちなみに本作のアッキーちゃんはマイクを持つ手をクッパクッパさせるホイットニーの癖も徹底模写している。
ふかづめセレクト聴きどころポインツは、2分30秒と3分30秒で聴ける「ヒィ~~ッタ~ッ!」。原曲よりこっちのヒィーターの方が跳ねてて好き。うれしい気持ちがした。多分おまえもしたんじゃないかな? やったじゃんかいさ~。

「I Wanna Dance With Somebody」