タランティーノ症候群? 違うね、ニダ・タイムだ。
2023年。ニダ・マンズール監督。プリヤ・カンサラ、リトゥ・アリヤ、アクシャイ・カンナ。
大好きなお姉ちゃんがチャラ男にこまされて婚約してむかつくのでその婚約を妹がぶち壊そうとする中身。カンフーとかもする中身。ほかにもいろいろ中身ある。
テレビで暑苦しい女が
ミートソースを食った
くちびるに色がこびりついて
ゲラゲラと笑っていた
赤いソースがだめな生き物みたいに
女の体中に必死にからみついた~
うわああ! まだや思て調子こいてたら始まってたことにも気づかんとスガシカオの「ミートソース」歌とてた~!
う、うわああああああ!
「うわあ~」やあらへんねん。更新が滞ってすみませんね、本当にね。
評のストックはあるんだけど前置きが書けずに悩んじゃって「ええの思い浮かんだら書こ」と思ううちに何も思い浮かばずヘーキで3週間ぐらい経ってまうねん。
昔の自分なら、それこそ『シネ刀』を始めるより遥か昔のmixi時代やザビビ時代なら、思ったこと感じたこと考えたこと考えあぐねたことを灼熱パッション猛烈ファイト疾風怒濤タイピングで書き殴っていたが、今はもうそれができない、なぜならたぶん自己顕示欲、今風にいうなら承認欲求ちゅんかな、それがなくなってもうたからや。
特に言いたいことも伝えたいこともない。カロリー。
なんで今「カロリー」と言ったのか。それさえもうわからない。
だからか、俺は大衆音楽に関しては歌詞の深さとかメタフアとかを重視してんにゃけど、ここ数年は“無意味な歌詞”を楽しむ余裕が出てきた。
たとえばウルフルズ。
ちょ、聞いてくださいや。実はウルフルズってソウル、ファンク、ロックンロールに根差した本物志向の非常にすぐれたバンドサウンドを有しながらも、関西弁まるだし歌詞、パロディ精神、コミックソング、おふざけMVといった道化の身振りによって自らの正統性を自ら茶化すことで音楽音痴の日本人にわかりやすく洋楽を“翻訳”したバンドなんど。
ちゅこって、本日紹介するのは「ロッキン50肩ブギウギックリ腰」というどうしようもない曲です。
50代、おっさん、おばはんになって、肩も腰もグギグギでグニグニだけど、それでも全然止まらへん、負けるかアホンダラ、といった楽曲で、むちゃむちゃ格好いいファンクナンバー、されど歌詞はほぼダジャレ。洋楽空耳と老年あるあるを掛け合わせた、それはそれで高度なことをしてるのかもわからんが、なんせ意味空洞。意味空洞だからこそビートの格好よさが際立つ、ちゅう逆説。
…にしても、これはすごいよ。
ウルフルズ「ロッキン50肩ブギウギックリ腰」(YouTubeより無断転載。かかってこいGoogle)
ちょっちょっちょー待て
イテテのテ
ロッキン50肩ブギウギックリ腰
ソウル腰痛 シェイク肉離れ
スウィンギンヘルニア
アイガッタ金縛り
ファンキー貧血 シャッフル痛風
クラップヨー片頭痛 シェイクヨー片頭痛
それでも全然とまらへん
ロッキン50肩ブギウギックリ腰
グギグギ(ブギウギ)
グニグニ(ブギウギ)
ミッドナイト痙攣
ホールドオン寝不足 アイム仮眠
バックビート寝違い
止められるもんなら止めてみい
ロッキン50肩ブギウギックリ腰
あははのは
いひひのひ
ファンキー歯周病 シェイキンど忘れ
メイクミー老眼 地味~な片頭痛!
メシ食えん 歯肉炎
ゲットミー冷え性 ユーガッタ頻尿
タッチミー立ち眩み コールミーこむら返り
止められるもんなら止めてみい
ロッキン50肩ブギウギックリ腰
笑いがとまらん。
格好いいのに面白い。面白いのに格好いい。歌詞意味ないのに歌詞に目がいく。歌詞に目がいくのに歌詞意味ない。時間の無駄なのに聴いてよかった。聴いてよかったのに時間の無駄。
言いたいことも伝えたいこともない。
カロリー。
そんなわけで本日は『ポライト・ソサエティ』です。
◆大好きなお姉ちゃんをたぶらかす男に死を!いま始まる妹の婚約破談工作◆
ちょいと昔、ヒッチコックの『疑惑の影』(43年) という映画がありまして、平凡な中流家庭に育つ10代のテレサ・ライトは、初めて会った心スイートな叔父のジョゼフ・コットンが殺人事件の容疑者であることを知り、爾来、叔父に疑惑を募らせていく…といった中身のサスペンスでありますのや。
この映画は『ゆりかごを揺らす手』(92年) や『激流』(94年) など90年代に流行った隣人モノや、あとそうね、ン~フーン? 『ジョジョの奇妙な冒険』第6部の吉良吉影まわりの話だったりと、“あいつの正体を知ってるのはオレだけ系”の作劇に多大な影響を与えたロールモデル的傑作なのでありますんや。
それとほぼ同じことをしながらもカンフーとボリウッドとマカロニ・ウエスタンとシスターフッドとガールズエンパワーメントとあと今はパッと出てこないけど色んな何かを混ぜ合わせた彩り豊かなちらし寿司こと『ポライト・ソサエティ』っていいよね、って話を今からするな?
パキスタン系イギリス人のムスリム家庭に生まれた女子高生プリヤ・カンサラには夢があった。それはカンフーを体得してユーニス・ハサートのようなスタントウーマンになること。部屋に貼ったユーニスのポスター。ユーニスは『007/ゴールデンアイ』(95年) のファムケ・ヤンセンや『Mr.&Mrs.スミス』(05年) でアンジェリーナ・ジョリーのスタントを務めたスタントウーマンだ。
だが、そんなプリヤを縛りつけるもの、それはポライト・ソサエティ(お上品ぶった上流社会)。
彼女が通う女子校は堅物教師と堅物生徒ばかりで、皆一様に将来を見据えている。将来ばかりを見据えている。家に帰ればパパンは優しいがママンは将来を見据えている。姉のリトゥ・アリヤが美大を中退したばかりなのでママンの焦燥感はピークに達しているのだ。
プリヤ(左)の特訓にも付き合ってやる優しき姉リトゥ(右)。
ママンはママンで、パキスタン系のコミュニティ(ママ友の社交界)からハミゴにされないよう、長女が美大を中退したうえ、あまつさえ次女がカンフーに明け暮れているなんて知れた日にゃあ「将来を見据えていないー!」と糾弾、排斥、村八分されるのは明々白々のハクビシンなので、これをひた隠すのに必死なのである。ましてや、ここは首都ロンドゥン。こんなわけのわからない欧州で孤立しては明日から生きていかれない。
そんな折、ママ友社交界を取り仕切るマダムから夜会の招待を受けた一家は緊張しながらこれに参加。したところ、マダムの息子アクシャイ・カンナがリトゥをいたく気に入り、わずか数日にして婚約に漕ぎつけた。
両家が喜ぶなか、妹のプリヤだけが憤懣やるかたなく、アクシャイは口のうまいスケコマシ、お姉ちゃんはそれに騙されてるだけ、絶対に鼻を明かしてやるぞ! と息巻き、毒突き、もっぺん息巻く。
姉リトゥ(左)の心を射止めたアクシャイ(右)。
だが、そんなプリヤを快く思わないのはマダムだけではない。最愛の姉妹であり最高の親友である姉リトゥからは「私の結婚に妬いてるわけ? 邪魔しないで!」と嫌われ、あろうことかママンからも「結婚は女の幸せなのに、それを台無しにしようとする、よくない子! 」と内外から謗られ疎まれの集中砲火。気づけば反乱分子。
プリヤは決意した。校内で数少ない友人セラフィーナ・ベー、エラ・ブルッコレリの協力を仰ぎ、姉の結婚式をぶっ潰そうと…。
プリヤ「えー、このたび私の姉の婚約破談工作に参加してくれた二人のブレイブハートに厚く御礼申し上げます」
ベー 「別にいいよ」
エラ 「気にしてない」
プリヤ「この工作活動には三段階のプランがあって、第一に外交。これは私が両親を説得/懐柔して婚約に反対させるという計画です」
ベー 「じゃあ、おまえ次第じゃん」
エラ 「内々でやりなよ」
プリヤ「ま、そうなんだよね。これは私の単独作戦なので内々でやります。だけど、もしそれが失敗した場合は第二のプラン、婚約者であるアクシャイの弱みを暴きます。具体的にはアクシャイのパソコンを盗んで、秘めたる悪しきプライベートを明るみに出し、氏の社会的信用を失墜せしむるわけ」
エラ 「失墜せしめられなかったら?」
プリヤ「その時はSNSとか駆使してアクシャイを誹謗中傷。文春みたいにある事ない事でっち上げます」
ベー 「それはよくない」
プリヤ「それはよくないので、そうなったらそうなったで、まあカンフーとかでどうにかします」
エラ 「カンフー、便利やね」
いま始まる、JK三人組の婚約破談工作!
果たしてプリヤは姉リトゥを救い出すことができるのか? そしてアクシャイは本当に悪者なのか!? まあ序論で『疑惑の影』を引き合いに出して「それとほぼ同じことをしている」と言ったから悪者なんだけど。
『ポライト・ソサエティ』であります。
友人のエラ(左)とベー(右)。
◆妥協の指紋が俺にはわかるよ♪◆
見合い結婚という、今もイスラム社会を呪縛し続ける家父長制の因習を蹴り破り、敷かれたレールから逸脱してでも夢に飛び掛かっていく姉妹の連帯を、ミュージシャンに憧れていた過去の夢を監督になったあと『絶叫パンクス レディパーツ!』という女性バンドを描いたドラマで叶えたパキスタン出身のイギリスの女性監督ニダ・マンズールが長編映画デビュー作のテーマに選んだのは必然にして不可避の宿命だと言えすぎでしょう。
凡百のフェミニズム映画やエピゴーネンと戯れることに充足する存在意義nothing作品を向こう岸に睥睨するニダ・マンズールは、青春時代から摂取してきたであろうさまざまな映画/音楽をデクパージュしながらも彼女のノリ、彼女だけの世界だけを創造した。『ポライト・ソサエティ』はニダ・マンズールにしか作れないし、ニダ・マンズールだからこそ作りえた、そんなフィルム的豊穣の只中へと観る者をいざなう。
ニダ・タイムだ。
だってそうだろう。「二姉妹物語」と章題された冒頭、遅刻遅刻~と言いながらロンドンの街を韋駄天走りしながら向かった先は空手教室で、そこに黄色の書体で「Polite Society」の巨大タイトルバック。このタイポグラフィといい、章仕立ての構成といい、後ろで流れるボンベイ・ロワイヤルの「You Me Bullets Love」といい、まずは手裏剣一発、タランティーノで先制点を取りにきたというのがよくわかる。どれくらいよくわかるのかと言うと、このボンベイ・ロワイヤルの曲が「タランティーノ・ミーツ・ボリウッド」と呼ばれているぐらいよくわかる。
ボンベイ・ロワイヤルの「You Me Bullets Love」
正味、タランティーノ症候群をファッション的に利用した映画は腐るほどあるし、個人的には本当に腐ってほしいと切に願うことしきりであるが、本作が気持ちいいのは飛び蹴りとかのシーンでちゃんと“ワイヤーを使った緩慢なアクション”をやっているところ。
ビューン!じゃなくて、スロ~~ンってぐらい緩慢ね。
この緩慢ワイヤーは『キル・ビル』(03年) でもやってましたけど、『ポライト・ソサエティ』はその真似っこなどでは断じてなく、そも『キル・ビル』が70年代あたりのカンフー映画をあえて大真面目にやる、が通底した映画史へのラブレターなので「だったら私も映画史にラブレター出す!」なんである。
いわば真似は真似でも技法ではなく“姿勢”を真似ているわけで、それはもはや「真似る」というより「学ぶ」とか「倣う」に近い高潔な魂の燃焼活動なのである。
なんて高邁な精神だとニダ・マンズールはおれに言うのか!
そうしたところに非常な気持ちよさを感じたんですよ。
でも昭和歌謡曲を挿入歌に使うというのは『キル・ビル』の真似っこだろうな。あっちでは梶芽衣子の「修羅の花」を流していたが『ポライト・ソサエティ』では浅川マキの「ちっちゃな時から」が突如流れる。まあ、可愛げのある真似っこだからいいぢゃないか! 何気にタランティーノもニダ・マンズールも音楽オタクという共通点があるようだし。
技術面に関しては、これほんまにデビュー作け?と疑惑を募らせたくなるほどの手練手管。フィルムに振り回されてヒイヒイ言ってるデビュー作ほど見てられないモノはないが、逆にニダ・マンズールはフィルムを振り回しながら大笑いしてた。
ちょっと引いた。
うまい、とはまた違うんだよな。うまい/下手でいったら、まあ普通。デビュー作ということを斟酌すればうまい方かもしらんが、撮り逃したショットもちょこちょこ見受けられたしね。
ただ、頭の中にあるイメージを最小の誤差で形にする能力が異様に長けている。
なんて偉そうに言ってる罪深きおれだけど、無論、ニダ・マンズールの頭の中にある映像のイメージなど他者であるおれには知る由もない。人の頭の中を覗けるエスパーじゃないからな。
そうじゃない。逆だ。ショットを観れば“この映像が作り手の頭の中で思い描いていたかどうか、そしてその具現化に足るかどうか”なんてことは、なめんなっつーの、大体わかるよ馬鹿野郎。
“そうじゃない”ショットとは、いかに美しかろうが整っていようが、どこかぎこちなく、不機嫌で、妥協の指紋が痕跡化している。その痕跡がどこにも見当たらないから徹頭徹尾『ポライト・ソサエティ』は気持ちいいのだ。
ニダ・マンズールの豊かな想像力、その脳内とおれの脳を直接繋いで100%ダウンロードしたかのような。
◆趙雲か、アンミカか? それが問題だ◆
章は挟んだが、もう少し喋らせろ。
本作はやたら切れ味がいい。と言ってしかしショットではない。むしろショットに関してはひとつひとつの絵コンテまで容易に想像できるほど緻密に作り込まれていて、ともすれば作為的かつ人工的なまでにリッチ。
切れ味がいいのは編集の方なのだ。たぶん『マッドマックス 怒りのデス・ロード』(15年) と同じぐらいのBPMでジャキジャキ切断されゆくフィルムおよび、やり過ぎなぐらいのジャンプ・カットとカッティング・イン・アクション。ましてや長編デビュー作。「もったいない」とか「ここはじっくり見せたい」とか「苦労して撮ったから使わな損」みたいな吝嗇マインドはないわけぇ?
本作を観れば『フォールガイ』(24年) の鈍重さがよくわかるだろう。ショットもストーリーもブラストビートで疾駆するぞ。さながら阿斗を救出して曹操軍の包囲網から爆速で劉備のもとへ逃げ帰った趙雲のごとき走りっぷり。ほんまにほんまに。映画観ながら「趙雲かな?」って思ったもん。「長坂の戦いかな?」って。
それでいて物語とか主題とかコンテクストはスッと理解できる。早口なのにちゃんと聞き取れて話の内容も入ってくるし要所々々で名言めいたことも言うたはる、みたいな。「アンミカかな?」って思ったもん。
物語もよかったですね。主人公はプリヤだけど、元絵描きという共通点もあって、おれはリトゥの視点から見つめていたかもしんない、この物語を。
表現をやめて色恋に走るも、最終的にはその誘惑から醒める。誘惑から醒めた姉に「もう一度絵を描いたらいいじゃん!」と励ます妹。だが「うーん、どうかな…」と姉は言葉を濁す。
ここまでが、ちゃんとワンセット。
そう単純じゃないんだ、プリヤよ。そして単純じゃないものを単純化する(=ハリウッドナイズする)ことなく、全的ハッピーエンドを拒否してみせたニダ・マンズールの魂ってやっぱり高邁ということが言えていくと思います。
そんなわけで『ポライト・ソサエティ』。途方もないエネルギーたぎる、愛と怒りの104分をとりあえず喰らいましょう。見ィ。
しょう見ィ。しょう見ィ。
胸の奥のすべてを開いて。
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