シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

陸軍中野学校

まったく正気のサタデーナイト。恐ろしきスパイ養成学校の実態!

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1966年。増村保造監督。市川雷蔵、小川真由美、加東大介。

 

世界情勢が緊迫の度を増す昭和13年、士官学校を卒業し陸軍へ少尉入隊が決まった三好次郎は、自分と同じ幹部候補生らとある場所に集められる。そこは中野学校という、日本で初めての諜報員養成所であった…。(Amazonより)

 

 おはようございます。

基本的に映画や小説は一回性のメディアだけど、音楽というのはイモータルっていうか、繰り返し何度も聴くものだよね。

音楽に関していつも不思議に思うことは一回聴いただけでは理解できないということ。

聴けば聴くほど音の輪郭が掴めてくるし、リズムやメロディも沁み込んでくる。だから聴き返すほどに理解が深まる…というのは分かるんですよ。これはよく分かる。

だけど(これは僕だけかもしれないけど)、初めて聴いたときに何の感動も覚えないというのが不思議だなーって思うんです。

たとえば、3日前にインペリテリという大好きなバンドのレコードを買ってずっと聴いてるんだけど、まるで退屈なんですね。これはインペリテリさんの楽曲が退屈なわけではなく、覚えてない(馴染んでない)曲を聴き続けてるから退屈なんです。

私の場合、はじめて聴く曲を捉えたり覚えたり…つまり身体に馴染ませるまでには10回ぐらい聴き返さないといけなくて。その10回が退屈なんですよ。11回目からは楽しめる。なぜなら既に馴染んでるから。

何が言いたいかというと「音楽を楽しむ」という感覚は記憶に依拠しているということです。

映画、ドラマ、小説、マンガのような一回性のメディアは初めて見たときが一番楽しくて、何度も繰り返すうちに少しずつ飽きてくるけど、音楽の場合はこれと逆で、初めて聴いたときが一番つまらなくて、何度も聴き返すうちに少しずつおもしろさが分かってくる。

とある音楽評論サイトでは「初めて手にしたアルバムは2週間聴き込むまでレビューしない」という鉄の掟を掲げていて、我が意を得たりと思いました。

2週間、つまり最低でも14回は聴き返さないと身体に馴染まないから批評もできない、という意味です。だから、大体10~14回ぐらい聴き返さないとわからないんだよな、音楽って。

2~3回聴いただけでほっぽり出したCDはありませんか? って話だよ。すぐブックオフに売るなよ!

そういう話を、今日はしようと思いました。朝です。

そんなわけで本日は『陸軍中野学校』。今回はがっつり読んで頂くような文章に仕上げております!

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◆実在したスパイ養成学校◆

陸軍中野学校は1938年に設立された実在のスパイ養成機関である。

第二次大戦の直前、欧米列強との情報戦で機先を制されることを危惧した旧日本軍の参謀本部が「秘密工作員の育成」を目的に開校。学校とは言っても、べつにチャイムが鳴るわけでも給食が出るわけでもなく、ただ何の設備もないボロボロのバラックを学校と言い張っているだけのことであり、表向きは存在しない学校…すなわち軍内部でも知る人間が限られた極秘機関である。ここで訓練を積んだスパイたちは激動の昭和史を暗躍したとかしないとか。諸説ある。

そんなわけで長らく謎に包まれていたのだが、のちに卒業生(ガチのスパイ)が内情を証言したことで中野学校の秘密が明るみに出、数多くのノンフィクションが出版された。そのノンフィクションをもとに制作されたのが本作『陸軍中野学校』である。また、映画化・アニメ化もされた『ジョーガー・ゲーム』のモデルでもあるらしい。そういえば亀梨和也が恰好をつけていたな。


監督は増村保造。毎度おなじみの増村であるが、「閉じた世界で描かれる異常な人間模様」という点では他作品と軌を一にするものの、なにか決定的に増村らしくない作品でもあった。

なんといっても男だらけの映画という点である。本作は中野学校を舞台とした学園映画…、否、男子校映画なので、ただ一人のヒロインを除いて主要キャストは全員男性。増村は女性映画の名手なのでこのような作品はきわめて稀有であるが、数少ない例外があるとすれば『兵隊やくざ』(65年)だろうか。新兵の勝新太郎が満州で大暴れするといった大変おもしろい映画である。

だが、本作が『兵隊やくざ』からも遊離しているのは娯楽性の薄さ。

『陸軍中野学校』はドキュメンタリータッチで撮られており、淡々とスパイ育成のカリキュラムが映し出されていく。『007』のような派手なアクションもメロドラマもない。ただオンボロ校舎で黙々とスパイ技術を身につける男たちを描いてるだけ!

果たしてそんな映画がおもしろいのであろうか?

イエス、おもしろいのである。

(私を信じるべきなのである)

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主演は市川雷蔵。歌舞伎役者から映画俳優に転身した国民的スターである。

大映に同期入社した勝新太郎とは終生の盟友で、この大映二強を指して「カツライス」と称され、その柔と剛たる対照的な容姿からたびたび比較されたという。勝の代表作が『座頭市』シリーズなら、雷蔵は円月殺法でお馴染みの『眠狂四郎』をシリーズに持つ。

この俳優のおもしろさは、歌舞伎や時代劇で化粧をすれば絶世の美男子だが、スッピンがデフォルトの現代劇ではきわめて素朴な顔をしている…という二面性である。当然『陸軍中野学校』も現代劇なので何物でもない顔で芝居をしているわけだが、その匿名性=アンチヒロイズムとこの作品の相性が抜群にいいのだ。

そんな市川雷蔵は当時あまりの人気から「雷(らい)さま」と人民に呼び親しまれていた。これは完全に「ヨン様」とか「ビョン様」といった韓流スターの愛称の先駆けであろう。あえて言う。

市川雷蔵は韓流スター。(※日本人です)

そんな雷さまは37歳の若さでこの世を去り、伝説の俳優となりました(雷蔵ロスによる興収激減で経営危機に陥った大映は2年後に倒産。雷さまの影響力えぐい)。

ちなみに当ブログでは過去に『斬る』(62年)を扱ったものの全然にんきが出なかった。ふざけやがって。

もっと雷蔵トークをしたいけど皆の気持ちを考えてそろそろ切り上げることにする。

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もはや韓流スターとしての雷さま。

 

◆人間から怪物になった理想主義集団◆

映画は、陸軍士官学校を主席で卒業した雷蔵が、婚約者・小川真由美と老いた母親を実家に残して第57連隊に入隊するシーンに始まる。観る者は「なんだかよく分かんねえけど雷さま頑張れ」という気持ちにさせられるファーストシーンである。

雷蔵含むエリートたちは参謀本部の中佐・加東大介に案内されるまま中野学校に赴き、藪から棒に「スパイになってくれ!」と懇願される。

急にそんなこと言われてもねぇ…。絶対イヤでしょ。

もし敵国に捕まった場合、スパイは軍人ではないので捕虜にすらなれない。つまり日本政府が返還交渉に応じることはなく、そのまま見捨てられて拷問・殺害される運命にあるのだ。おまけに手柄を立てても勲章はなし、出世もできない、誰からも「えらいな」と褒めてもらえない。秘密戦士は決して日の目を見ることはない…。

さらに過酷なのは戸籍も家族も恋人も捨て、完全に別人として生きなければならないことだ。

むちゃくちゃやんけ。

だが加東中佐は「日本のためではなく世界平和のために立ち上がってくれ!」と叫ぶ。ここが本作のポイントかもしれない。

陸軍中野学校に集められたのは東大、早稲田、慶応を出たエリートばかりで、彼らは愛国精神よりも合理主義を重んじる超インテリ。近々起きる第二次大戦の結果すら予見するほどのかしこばかりである。したがって加東は天皇制や武士道を引き合いにだして欧米列強への目先の勝利を掲げたりはせず、もっと大きな理想のためにこそスパイが必要だと説く。世界平和を実現する英雄になりうるのはお前たちエリートだけだ、と。

当初は尻込みしていたエリートたちもすっかり加東の情熱にほだされ、出世も結婚も諦めてスパイとして生きる道を選んだ。雷蔵もまた「2年で帰る」と約束した婚約者を見捨て、すっかり名前を変えて陸軍中野学校に入学したのであった…。

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皆に囲まれているナマズみたいなオヤジが加東大介。市川雷蔵は左から二番目。

 

さて。

晴れて中野学校に入学したピカピカの1年生たちは謀略技術を磨くためのさまざまな授業を受けていくが、このシーケンスがなかなかどうして楽しいのである。

暗号解読! 射撃訓練!

拷問テク! 爆薬製造法!

外国語講座!金庫の開け方!

変装の極意!女の悦ばせ方!

女の悦ばせ方。

そう。スパイたるもの敵国の女から情報を聞き出すためには色仕掛けの才覚も必要なのである。

そんなわけで、セックスマスターみたいなおっさんが特別講師として招かれ、マネキンを使って性技を伝授した。エッチな話をいっぱいした。真剣にメモを取る雷蔵たち。

セックスマスター「女性の性感帯は全身に広く分布しておるが、大きく分ければ3つ。耳元! 首筋! あと―…」

ここでスパッとカットが入って別のシーンに飛んでしまいます(ざんねん)。

 

こうして聞くと、けっこう楽しそうな映画でしょ?

また、撮影監督が『黒い十人の女』(61年)『妻は告白する』(61年)小林節雄なので、もっとオドロオドロしいモノクロかと思いきや驚くほど淡いトーンで、画面だけ見る分にはじつに爽やかな青春学園ムービーなのである。生徒同士の交流や加東中佐との結束も描かれていくので、なんというか…『金八先生』を見るときのような精神状態でお楽しみ頂けます。

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課外授業の一環として遊廓で女を抱く雷蔵。


ところが、生徒の南堂正樹が厳しい訓練に耐えかねて自殺したことで、再び雷蔵たちの心に迷いが生じ出す。改めてスパイの厳しさを思い知るのだ。

すると加東中佐が「俺が南堂を殺したようなものだ…」と反省して「今ならまだ引き返せる。辞めたい者は辞めてくれていいぞ」と言ったあとに再び自らの理想を熱弁し、またしてもその情熱にほだされた雷蔵たちは南堂の死によって却って結束を高めたのである。

はい。だんだん怖くなってきましたよ、この映画…。

世界平和という理想を掲げた生徒たちは、加東の人心掌握術によって思想を乗っ取られ、自我を刷新され、やがてトランス状態に陥っていく。

そしてついに最悪の事態になった。色に溺れた生徒・三夏紳が女に金を貢ごうとして雷蔵たちの軍刀を売りさばき、憲兵にとっ捕まったのだ。このまま軍法会議にかけられると中野学校の信用が落ちて廃校に追いやられると危惧した仲間たちは、学校のため、ひいては理想のために自殺しろと詰め寄る。

「学校を救う方法はひとつしかない。腹を斬れ!」

「我々の顔に泥を塗ってでも生きていたいのか! 腹を斬れ!」

「俺たちのために! 見事に死んでくれ! 腹を斬れ!」

ちょお、めっちゃ怖いわ…。何これ何これ。なんとおぞましい空間であろうか。こんな空間があっていいのだろうか。

ハラキリコールに賑わう一同も恐ろしいが、なにより私がゾッとしたのは張本人の三夏である。腰を抜かしてグダグダと泣きごとを言っていた三夏は、気がおかしくなるようなハラキリコールを受け続けるうちに妙な勇気が湧いてきて「よし! 皆がそれだけ言うなら…見事に死んでやる!」と自殺要請を快諾。仲間が支えてくれた刀に飛び掛かって見事に死んだ。

まったく正気のサタデーナイトである…。理想の名のもとに次々と人が死んでいき、その死すら「大義のため」と見做されてしまうのだから。もはやカルト宗教だ。

また、このような内部粛清は決して絵空事ではない。われわれの生きる現実世界でもあっちゃこっちゃで起きているではないか。スターリンの大粛清、ナチ政権による長いナイフの夜事件、新選組、連合赤軍、オウム真理教…。

ゆえに本作の主役は市川雷蔵ではなく学校そのものなのである。映画が進むごとに狂気を帯びていく陸軍中野学校は恐ろしき世界の縮図。そして生徒たちは、やがて人間から怪物と化してしまう。

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自殺を強要される三夏。

 

◆悲劇の二重スパイ◆

映画はその自閉的世界を重厚的に描き出しながら、少しずつショットを硬質化させ、人間模様を矮小化させていく。サナギから蝶への羽化を逆再生するように、どんどん狭く小さく閉じていくのである。

秘密戦士の冷淡さを表現して余りある市川雷蔵、その能面ぶりも素晴らしいのだが、さらに巧いのはこの国民的スターを電信柱のように後景化してみせた増村。

雷蔵は主人公兼語り部でありながら、映画中盤では説話的な役割とか被写の対象からは外され、まるで「ウォーリーをさがせ!」のように画面の隅でジッと息を殺しているのである。存在感絶無。ファーストシーンを除けば雷蔵が画面の中央に立つショットさえひとつとして見当たらないし、セリフだってほとんどないのだ。ノッペラボウのような無記名性を湛えた空気のような男として撮られている。


そんな雷蔵がようやく「貌」を取り戻し、「学校」から主役の座を奪い返すのが終盤30分。

雷蔵と連絡が取れずに憔悴している婚約者・小川真由美は、手掛かりを求めて参謀本部・暗号班でタイピストとして働きながら雷蔵を捜し続け、一方の雷蔵たちは卒業試験として英国領事館からコードブックを盗み出す命を受けるが、苦心惨憺の果てにようやく入手した直後にコードブックの内容が変更されてしまう。軍の中に内通者がいる…。

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婚約者役の小川真由美。文学座の樹木希林とは同期。

 

もっとも観る者は、真由美が以前に勤めていた職場の上司ピーター・ウィリアムスが英国側のスパイであることから彼女が英国諜報機関の手先になってしまったことを知っているわけだが、それでも雷蔵と真由美が参謀本部内で何度もニアミスを重ねるシーンはサスペンスフルだ。

その緊張の糸が極限まで張り詰めたとき、ついに雷蔵はコンサート会場でピーターと真由美が手紙の受渡しをする現場を目撃してしまい、そこに間髪入れずベートーベンの「運命」が流れる。

ダダダダーン!

雷ちゃんショックの巻である。

このモンタージュに見られるキレッキレの構図=逆構図。「エッジが利く」と言うのだろうか。婚約者の正体を知った雷蔵の顔をみだりにクローズアップせず、むしろ突き放したような距離から無感動におさめる小林節雄の手つき。これが大変に素晴らしいわけであります。シンプルに構図として格好いいや!

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婚約者が英国側のスパイだったと知る「運命」のシーン。

 

さて、裏切り者は粛清せねばならない。たとえそれが婚約者であっても。

真相を知った加東中佐はなんだかんだでハートフルなおやじなので、雷蔵の心中を慮り「彼女を逃がしてやる気はないか?」とスペシャルなやさしみを見せるも、雷蔵は首を横に振る。

「私は彼女を愛しています。しかし彼女を逃がせばピーターを捕えることができず、中野学校は馬鹿者揃いと言われるでしょう」

愛校心がすごすぎて天井打っとる。

そして自らの手で真由美を屠る決意を固めるのであった…。

映画中盤では恐ろしくもあった雷蔵たちの氷のような冷酷さ。しかし理想のためには婚約者キラーにもなってしまうクライマックスにおいては もはや一周して清々しいというか…、テコでも動かない信念の固さに脱帽すらしてしまうのである。ここまで度し難いとアッパレだよ、逆に。


理想という名のシステムに沿って動く諜報マシーン。

彼らを育てあげたのが唯一人間らしいキャラクターの加東中佐…というあたりが強烈な皮肉になっている。

加東は決してスパイになることを強要せず、諜報訓練においても罰則や暴力は用いない。むしろ当時の陸軍にあっては相当に自由主義的な校風のもとでスパイの育成に尽力した男である。南堂が自殺したときも自らを責め、三夏が死んだときも「おまえたち…殺したな!?」といって雷蔵たちにドン引きすらしていた。

だからこそ雷蔵たちはこの男の器に惹かれ、いかなる犠牲をも厭わずに理想を追求する殺人集団と化したのだ。

もっとも、人を狂わせるだけのカリスマが加東大介というただただブサイクな俳優にあったのか…という疑問は拭い去れないのだが。大豆みたいな顔してるし(『七人の侍』では志村喬とともに仲間集めに奔走したサムライです)。

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『用心棒』(61年)の加東大介。安定ブサイク一等賞。

 

本作はシリーズ化されたが、市川雷蔵の死により5作品で打ち切りになった。

余談だが、雷蔵は1969年に死んでしまったので60年代中頃に生まれた私の両親なんかは雷蔵をほとんど知らないらしい。市川雷蔵を知らない映画ファンはこれからも増えていくだろうから、私が広めていかねばなりません。

映画の未来のために!

この決意! この使命感!

…あれ。なんだろうこの気持ち。頭がボーッとして何も考えられない。もしかして僕…陸軍市川学校に入学しちゃってるわけ?

理想という名のシステムに沿って動く広報マシーンと化しつつあるわけえ??

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婚約者・真由美に毒入りワインを飲ませる雷蔵。

(C)KADOKAWA