シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

真実

ドヌーヴ相手にゲボ吐かなかった是枝すごい。

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2019年。是枝裕和監督。カトリーヌ・ドヌーヴ、ジュリエット・ビノシュ、イーサン・ホーク。

 

フランスの国民的大女優ファビエンヌが自伝本「真実」を出版し、それを祝うためという理由で、アメリカに暮らす脚本家の娘リュミールが、夫でテレビ俳優のハンクや娘のシャルロットを連れて母のもとを訪れる。早速、母の自伝を読んだリュミールだったが、そこにはありもしないエピソードが書かれており、憤慨した彼女は母を問いただすが、ファビエンヌは意に介さない。しかし、その自伝をきっかけに、母と娘の間に隠されていた愛憎渦巻く真実が次第に明らかになっていく。(映画.comより)

 

みんなどうも!

お友達のGさんが私の過去のツイートをまとめて読み返したのか、その全てにいちいちイイネを付けてくるというストーカーまがいの行いをしました。迷惑なのでやめてください。

あと脈絡もなしに「刺身食べたくないの。」、「刺身食べてきました。」といった意味不明な文章を僕のツイートに書き込みました。怖いのでやめてください。

さらには先日アップした随筆に「刺身の食べ方教えて。」という文章を、やはり脈絡もなしに書き込みました。話の通じる相手ではないと判断したので、無視しています。

僕は、刺身の話なんてしたくありません。ただ映画ブログを更新してるだけなのに、どうしてGさんは刺身の文章をいっぱい書き込むのでしょうか。提訴します!!

そんなわけで本日は『真実』です。真実の刺身です。

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◆是枝、ファビエンヌを撮るの巻◆

予想外の組み合わせというものは時に人を奇妙な感覚にさせるものである。たとえばアーノルド・ファンクが原節子を撮ったり、三船敏郎とアラン・ドロンとチャールズ・ブロンソンが共演したり、北野武とキアヌ・リーブスが共演したりなど、何かの間違いとしか思えない組み合わせが実現したとき、あたかもここが“幸福な並行世界”であるかのような甘美な錯覚に陥ってしまう。きっとひとつ隣の世界では『レッド・サン』(71年)『JM』(95年)も存在せず、代わりに『おっとさん』とか『CM』といった限りなくよく似た映画が作られていたはずだ。

そしてこの度の『真実』。なるほど…。

ここは是枝裕和カトリーヌ・ドヌーヴを撮る世界線だったのか。

なかなか面白い世界線に僕は生まれたものです。

しかしまぁ、日本ではコレッチがカトリーヌ・ドヌーヴを撮ったことがすごいすごいと宣伝されているが、正しくはドヌーヴとジュリエット・ビノシュが共演し、そこにリュディビーヌ・サニエまでいるという仏女優三世代が夢の饗宴に集い、そこに場違いとしか言いようのないテキサス小僧イーサン・ホークまで紛れ込ませるという、まさにシュールと形容するほかない饗宴空間を実現させたことこそがすごいのだ。

 

最初からドヌーヴの当て書きで脚本が作られた本作は、ある大女優の自伝出版記念に集った家族の数日間を通して母と娘の関係性を見つめた静謐なホームドラマに仕上がっている。

ドヌーヴが演じるファビエンヌという名の大女優は高慢ちきなチキチキ女で、現在撮影中のSF映画の主演女優をヘタとかイモとか言って見下している。こりゃもう実際のドヌーヴほぼまんまである。だって「ファビエンヌ」ってカトリーヌ・ドヌーヴの本名だからね。

まあ、さすがに実際のドヌーヴはこの映画ほど驕傲な人物ではなかろうが、とは言えですやん。とはいえ日本のテレビに出たときや映画の取材を受けたときに「なんてバカな質問。私を誰だと思ってるの?」と不快感を露わにするような女王然とした態度から誰もが抱いているであろうパブリックイメージにぴたりと収まるキャラクターを演じてるわけ。まさに『サンセット大通り』(50年)のグロリア・スワンソンだ(来日時にドヌーヴに対して樹木希林が「太った」と言って怒らせた対談映像なんて場がピリつき過ぎててとても見てられなかった)

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カトリーヌ・ドヌーヴ。圧倒的貫禄であります。


一方、母の自伝出版を祝うべくドラマ俳優の夫と幼い娘を連れてニューヨークからやってきた娘ビノシュは、これまで一度も愛情を注いでくれなかった母が自伝の中ではさも良き母親だったような書き方をしていることに異を唱えたが「事実を書いて何になるの。私は女優なのよ」と一蹴されてしまう。

そんなビノシュはかつて女優志望だったが、母の存在があまりに大きすぎたために夢を諦めライターになり、TVドラマで食い繋ぐ日陰役者イーサン・ホークと結婚し娘をもうけたのだ。

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ジュリエット・ビノシュ&イーサン・ホーク夫妻。

 

物語は豪邸とスタジオを行き来するドヌーヴが周囲の人間を振り回すさまを定点観測しながら、ビノシュとの親子関係に秘められた“真実”をとろ火で炙り出していくで!

さまざまな角度からササッと素描されたシーンが最終的に大きな像を結ぶというコレッチお得意の手口で紡がれたホームドラマなのだが、全編フランスロケでしかもタイトルが『真実』なんていかにも鹿爪らしいイメージとは真逆の、非常に和やかでジョークに満ちた気安い作品だったわ。上映時間も108分とコンパクト。

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◆並の監督ならゲボ吐いて帰国する◆

映画はドヌーヴ邸の庭をとらえたクレーンショットから始まるが、コレッチにしては緑豊かな無国籍風の淡い色彩に少し違和感を覚える。紗のかかったような、あるいは曇ったガラス越しに見ているような淡くぼやけた色味に「コレってコレッチ?」と当惑すること請け合いである『万引き家族』とかは逆にすごく濃かったでしょう?)

このファーストショットを見て『夏時間の庭』(08年)という映画を真っ先に想起した私はさすがっていうか、あとで調べたところ本作の撮影監督はジュリエット・ビノシュも出演した『夏時間の庭』エリック・ゴーティエだったことが判明。

とにかくこいつは優しい青緑をこよなく愛する奴なんである。『モーターサイクル・ダイアリーズ』(03年)とかね。たぶん本人も優しい男なんじゃないかなってオレは思ってる。

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優しい男・エリック・ゴーティエが撮影を手掛けた『夏時間の庭』

 

本作でもこの“優しい青緑”が全編を覆っている。

この、薄膜を一枚隔てたようなスフマート調の映像にそれっぽい理由を見出すなら真実を被覆する膜ということになるのだろうが、実際のところはパリやドヌーヴにそのままカメラを向けることなどできないというコレッチの畏れや謙虚さの顕れなのだろう。日本人監督がパリに行ってドヌーヴを撮るわけだから、その事の重大さは想像に難くないわ。

なにしろ『パリジェンヌ』(61年)という世界最高峰のアイドル映画でデビューした絶世の美女が『シェルブールの雨傘』(63年)『反撥』(64年)『昼顔』(67年)などで瞬く間にスターダムにのし上がり、シャネルやイヴ・サンローランの広告塔としてファッションアイコンを担いながら、50代を迎えてなお『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(00年)『8人の女たち』(02年)で次代の映画作家たちの地位確立に貢献し、ついに生きる伝説と化したカトリーヌ・ドヌーヴなのだからああああああああ。

まさに『サンセット大通り』ならぬファビエンヌ大通りとはよく言ったもの、と自分でも思うし。

たいていの場合「もしあの人がいなかったら歴史は変わってた」みたいなタラレバなんて映画作家に当てはまることであって、いかな大スターとてイチ映画俳優なんぞに歴史を変えるだけの影響力などないが、ドヌーヴに関しては例外、もしこの人がいなかったらヨーロッパ映画の歴史は大きく変わっていたと誰もが確信してやまないレヴェルの話をいま私はしています。

ドヌーヴがいる世界線に生まれてよかったー。

そして、それ以上の重みを持つのがフランス映画。めんどくさいから細かい話はしないけど、真剣に映画と向き合っている人間なら“ドヌーヴ主演のフランス映画”なんて怖気づいて到底撮れないだろう。あの北野武でさえアメリカ映画は撮れないと判断したよく分からない合作映画『BROTHER』(01年)が居心地悪そうにフィルモグラフィの上をたゆたっていると言うのによォ――ッ!

並の監督なら「フランス映画…しかもドヌーヴ? いやいや背負いきられへんわぁぁぁぁ」とノイローゼになって現地でゲボ吐いて帰国するところを、よくぞコレッチはゲボも吐かずに撮りきりました。そこがすごい。

 

どうでもいいけど、カトリーヌ・ドヌーヴさんは『現代女優十選』においてイザベル・ユペールとセットで同率6位というワケのわからないランクインの仕方をした。

あとスペシャルフォト作ったから見て。

f:id:hukadume7272:20200618231756j:plain伝説の女優カトリーヌ・ドヌーヴ50年史(年代別に上・中・下段で統一されている。私のこだわりが窺えますね)。

 

エリック・ゴーティエの撮影には大いに助けられたと思う。

カメラというのは被写体を見たまま映し撮る装置ではないが、この人の撮影はそのことに厳しく、また自覚的で、いわば二重のレンズ越しから「こんなもん幻想だからな」と“映画の秘密”を暗に露悪することを好む。だから物語だけでなく映像にも多くの嘘が潜んでいる『真実』

それに物語終盤では『真実』という題それ自体が嘘かもしれないという可能性が頭をもたげ始める。

母と娘が熱い抱擁を交わすクライマックスが実に感動的だが、よく考えると母は演じる天才で、娘にはシナリオライティングの才あり。要は示し合わせの上に演じられたメロドラマという歯車がこの物語を突き動かしていて、その根底には映画とは人を騙すものという極めてフランス的な映画観が根付いている。

その意味では『スイミング・プール』(03年)の入れ子構造が感じられ、なんというか…つくづくコレッチは真面目だなぁと思ったのでした(現に『スイミング・プール』の主演リュディビーヌ・サニエまでしっかり出してるんですよ。どこまで真面目なんだ)

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◆ギャガーとしてのコレッチ◆

全編に吹くギャグの風が心地よく「コレッチってギャガーだったんだ!」というのが今回の気付きでした。

ドヌーヴがスタジオに向かう車中で「大女優にはダブルイニシャルが多い」という持論をまくしたて、ダニエル・ダリュー(DD)、シモーヌ・シニョレ(SS)、グレタ・ガルボ(GG)などを挙げていくシーン。そこで同乗者がブリジット・バルドー(BB)の名を挙げると「いや、ナイナイ(笑)と即否定するあたり。ちなみに私は「マリリン・モンロー(MM)の名前が挙がって否定されるんじゃないか」とドキドキしておりました(私はマリリニスト)

禁酒中のイーサンが食卓で言い争う妻と義母に気まずさを感じ、うっかりワインに口をつけた途端にドヌーヴの元旦那から「ああ、飲んじゃった…」と言われる場面も妙に可笑しかったな。樹木希林や西田敏行が得意とする呟き芸とも言うべき間の抜けたダイアローグがシリアスな笑いを生んでいるんだ。

 

…と、まあこんな感じで評はおしまい。ほかに語ることもないのでイーサン・トークでもしてお茶を濁すね。

キャストの中で私が印象的だったのはイーサン・ホークだった。

ドヌーヴとビノシュの一分の隙もない空気に物怖じするでもなく、大袈裟に敬意を表するでもなく、パリに連れてこられたただ一人のアメリカ人という場違いさに困惑した様子もなく、なんというか自宅でくつろいでる感がすごかった。あたかも「そう、ここはオレの家。オレは元々ここにいた。奴らが後からやってきたと言わんばかりの超然たる佇まいで水槽を泳ぐ魚のように画面をたゆたうイーサン・ホーク。それが不思議と不思議じゃないんだよねえ。

近頃この人は神出鬼没で、出そうにない映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』、あるいは出ても似合わない映画『マギーズ・プラン 幸せのあとしまつ』によく出ていて「イーサン・ホークってそういうのじゃないじゃん」という違和感を覚えていたのだが、今回『真実』を観て考えを改めました。

イーサン・ホークとはすべての映画、すべての世界線に遍在しうる抽象概念なんだな。きっと。

だからドヌーヴと共演しても何ら不思議ではないし…もはや『戦艦ポチョムキン』(25年)『モダン・タイムス』(36年)にもイーサン・ホークが出てたような気さえしてきた。

なにしろ遍在するからね、この男は。どうかすると今この瞬間、イーサン・ホークがきみの家の風呂場で勝手にシャワーを浴びてる可能性だってあるから一応確認しに行った方がいいと思うよ。遍在するっていうのはそういうことだから…。

 

~今日のまなび~

・ここは是枝裕和がカトリーヌ・ドヌーヴを撮る世界線。

・是枝裕和はギャガー。

・イーサン・ホークは概念。

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