シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ソニック・ザ・ムービー/ソニック VS ナックルズ

仲間が増えてえらい楽しいのおおおお! ~モフモフでかわいいのにお腹だけぽっこりしてるテイルス讃~

2022年。ジェフ・ファウラー監督。ジェームズ・マースデン、ティカ・サンプター、ジム・キャリー。
その他、ソニック、テイルス、ナックルズら珍奇生命の皆さん。

ソニックの前にテイルスとナックルズが現れんねや。

 

いやぁ、終わんねえな…。
Nintendo Switch Onlineで遊べる『ファイアーエムブレム 聖戦の系譜』(96年) が壮大すぎて終わんねえなぁ。
各国の陰謀渦巻くユグドラル大陸を舞台に、聖騎士シグルドとその旗下に集ったユニット(キャラ)たちが広大な戦場を駆け回る、とりわけファイアーエムブレム(以下FE)シリーズの中でもエムブレマーたちから最高傑作の呼び名が高いシリーズ4作目『聖戦の系譜』が終わんねえよ~~~~。
FEって戦争を題材にしたシミュレーションRPGなんだけどさぁ、なかでも『聖戦』は壮大かつ骨太で、しかも激重すぎて。
やっとこさブログを再開したばかりだってのに……終わらんなぁ。
というのも、この『聖戦の系譜』。物語が二部構成になってて、第一部の最後でシグルド軍が全滅するのよ。主人公なのに。
国のため、ひいては民のために戦ってきたシグルドが反逆者の汚名を着せられたうえ、愛する妻を敵に寝取られたまま、ともに旅してきた仲間もろとも、バーハラの地で汚い罠にはめられ虐殺されてしまう。
なんてこったよ。ゲーム史に残るバッドエンド。今なお語り継がれる衝撃の結末「バーハラの悲劇」だ。愛情こめて育ててきたユニットたちが…なんだってこんなことに…。
あんまりじゃあないですかあああああああああああああああ。


主人公及びその仲間たちがあっけなく全滅。

しかし物語は続く。
第二部では、亡きシグルド軍の子世代たちが登場。
親子二世代にわたる大河ドラマ~。
シグルドたちが果たせなかった平和な世を築くため、彼らの子供たちが集結す!
なんてアツい展開だと『聖戦の系譜』はオレにいうんだッ! 最高にアツいよな~。最高にアツい展開なのだが、壮大すぎて終わんねえや。

二部の主人公は亡きシグルドの遺志を継いだ息子セリス(右)。一部ではシグルドとともに戦った盟友レヴィン(左)もすっかりイイ男になって…泣いちゃう。

しかも、ここで大事になってくるのがカップリング。
本作には結婚システムというものがある。シグルドら「親世代」の男女ユニットを任意のカップリングで恋人同士にすることができ、恋人同士になった2人はやがて結婚し、子をもうけ、その「子世代」のユニットが第二部で仲間になるわけ。
楽しいよおおおおおおおお!


喧嘩しながらも次第に惹かれ合っていくベオウルフ(左)とラケシス(右)。

つまり、誰と誰をくっつけるかで生まれてくる子どもが変わるため、遊ぶ者はカップリングの無限選択肢地獄に囚われることとなる。
生まれくる子世代ユニットは、両親となった親世代ユニットが有していた武器やスキルが継承されるため、より強い子世代ユニットを作るためには周到な計画と下準備が必要となる。とりわけ遊び慣れたエムブレマーは、戦闘が苛烈になる第二部を見越してあらかじめぜんぶ逆算して最初からカップリング決めて…って。
終わらんのよ。
物語のボリュームが長大なだけでなく、マップ(戦場)も広大なら、育成計画や資金繰りも複雑。そしてFEの代名詞であるロストシステム。
死んだユニットは生き返らない。
一度でもHPが0になった仲間とは今生の別れ。それゆえ戦闘に時間がかかる。神経使う。一手に大長考する。
なんしか、考えることが多すぎて、なかなか先に進めない。でも、立ち止まって長考してる時間がいちばん楽しい。
それがファイアーエムブレム。
でも映画活動もがんばる。
くっそー。「ファイアーエムブレム楽しい」と「映画活動がんばる」が正面衝突してるわ~。
まぁ映画がんばっか~~~~。

次回!闇夜を飛空せし星の戦士・ガンバッカーの前に、失敗をおそれぬ実験精神の塊・ヤッテミッカが立ちはだかる! ヤッテミッカには血の繋がらぬ兄弟・ニッカポッカがいたが、ニッカポッカはちょうど先週の放送でガンバッカーが倒したばかりの敵だった!
いま! 逆恨みの牙をむくヤッテミッカの死の実験が始まろうとしていた!

そんなわけで本日は『ソニック・ザ・ムービー/ソニック VS ナックルズ』です。いつも読んでくれてありがとうね~。



◆新たな仲間と新たな宿敵 ~なんてゴキゲンな映画だとこの映画はオレに叫ばせるのか~◆

 なんてゴキゲンな映画だとこの映画はオレに叫ばせるのかっ!!

わたしはSEGA社が誇るソニックよりも任天堂社が誇るポケッツモンスツーに大脳を支配されてきた人間なので、ソニックには何の思い入れもないどころか、ゲームすら触ったことがないし、第一ソニックが何者なのかさえわかってない。とにかく“おっとろしいスピードで走ることができる青くてハリネズミみたいな韋駄天エイリアン”と理解してるし、それ以上深く理解する必要もないとさえ考えている。
ソニックは光速で疾走する、駆けっこの子。それだけ知ってればオーケーだ。
そんな門外漢の私をして「おもろー」と言わしめたのが前作『ソニック・ザ・ムービー』(20年)
当時の評を要約すると、ざっとこんな感じだ。

『ソニック・ザ・ムービー』は単にスピード感が楽しい爽快アクションなどではなく、むしろスピードがありすぎて逆にアクションとして成立しないという機能不全すらきたしたキャラクター設定ゆえに“常にブレーブをかけながらの活劇”という反主題=制約を自嘲気味に描いてみせたメタ・アクション・コメディだ。
現在のVFXではソニックの速さは表現できないし、実際「あまりに速すぎるソニックに作り手のアイデアが追いつかない」ってとこまでがワンセットになってる作品だが、映画にせよマンガにせよ、キャラクターの驚異性を表現するには「表現を放棄する」のが最も効果的なので、“ソニックの速さが表現できない”という映像技術の問題は瑕疵や欠点どころか、かえって現代映画の最新技術ですら及ばぬソニックの速さを傍証しうる一助として、もっぱら彼の速度表現に寄与しているのであるるでぱるる。


要するに、こういうことだ。
あまりに動きが速すぎるキャラクターを映画の主役にしたところで人間(観客)の動体視力では到底捉えきれないため「全力疾走できない状況を作る」なり「ハイスピードカメラで相対的に遅く見せる」といった制約を課さないかぎり映画として成立しえない映画…という映画原理をも脅かす映画問題!
ソニックが全力疾走するとカメラにも映らず、その残像すら視認不可なので、いわば被写体としての資質ゼロ
史上最も映画の主役に向かない被写体。それがソニックなのだが、『ソニック・ザ・ムービー』 では、そんなソニックをいかに見せるか(物理的な意味で)というテーマに真っ向から取り組んでいて。ただのビデオゲームの実写化かと思いきや、意外や意外、映画の原理にまでピョイと立ち返り、その在り方を問い直すことで観る者に映画を再考させる“思案と内省の作品”なのでありました。
ソニック、それは映画存在を脅かす者っ!

加えてキャラクターの愛嬌たるやタルタルソース!
謎の星から地球にやってきた孤児のソニックは、自慢の高速移動で1人9役の野球を成立せしめ「独りでも寂しくないぜ」なんて強がりつつも、近所に住むジェームズ・マースデンティカ・サンプター夫婦によく懐き、いつしか彼らの疑似息子に(←ここまでが前作のあらまし)。
そして今作、ソニック念願の夢だった「友達ほしー」が遂に叶えられるというんだ!
前作でドクター・ロボトニック扮するジム・キャリーをやっつけたソニックの前に、再びロボトニックが現れ「マスターエメラルド」なる不思議な宝石を奪おうとした。その傍らにはソニックに恨みをもつナックルズという戦闘民族。
徒党を組んだロボトニックとナックルズの前に為す術なしと思われた矢先…
プルプルプルプル!
モフモフのしっぽをプロペラ回転させながら闇夜を飛空せし珍奇生命あり!
鳥だ! 飛行機だ! …いや!
テイルスだ~。

尻尾を振り回すことで自律飛行を実現せしめたテイルスのようす。

とびっきり可愛いテイルスを味方につけたソニックは、念願だった「友達ほしー」を叶えていく!
あまつさえ! 激闘を繰り返すうち、宿敵ナックルズとも和解、連携、友情の芽吹きっ。
いま集結す! ソニック、テイルス、ナックルズの珍奇生命三人衆!
ついに超能力を手にしたロボトニックを順繰りにしばいていく~~!

 

◆珍奇生命ゆえの絆か? はたまた運命が導いたんか? 三者共闘! ~withカシミアより暖かい尻尾毛布~◆

 こうも素直に「楽し~」と思えた続編映画はいつぶりだろう。『パディントン2』(17年) 以来だろうか。『アナと雪の女王2』(19年) 以来だろうか。…いや、『トップガン マーヴェリック』(22年) だわ。
わりに最近だった。
前作の勢いはそのままに、既存キャラを膨らませながら、新キャラの魅力もアピールしつつ、活劇とメロドラマの双輪で疾駆する123分。
前作が99分…すなわち「100分の壁」を打ち破ったことに比して、今回の123分はいささか鈍重に思えもするが、体感時間としては…
123分。
誤差なし!
上映時間123分に対して体感時間も123分という、寸分違わぬ時計とオレ。まさに分相応(ぶんそうおう)ならぬ分相応(ぷんそうおう)だったわ。


人間のジェームズ・マースデン&ティカ・サンプター夫妻と疑似親子の関係を築いた珍奇生命ソニック。

2チームに分かれたメインキャラ4人の関係性も、それぞれのテーマが明確でいい。
奇しくも互いに「友達ほちぃー」と思っていたソニックとテイルスは旅を通じて良きバディとなる。テイルスはソニックを兄貴のように慕った。兄貴のように慕うあまり「ソニッキ」と呼んでみようともしたが、考えてやめた。
そんなテイルス。生まれつき尻尾が2本ある個性派生命なのだが、同族からは「おかしな話じゃん。普通1本なのに。説明つかないじゃん」と指をさされ、そのつど悲しいきもちを味わってきたという。
だがソニックだけが2本尻尾の個性を尊重した。実際、テイルスは尻尾をプロペラみたいに振って空を飛ぶことができる。これは尻尾が2本ないとできない芸当だし、だから尻尾(Tail)の複数形で「テイルス」なのである。
俺はテイルスをいじめた奴らを許さない。
「普通1本なのに」? 「説明つかないじゃん」?
貴様ら、しょせん1本しか尻尾を持たないカス族よりもテイルスの方がよっぽど可愛くて有能なんだがな。テイルスなめとったら毛皮にするどおおおおおお。
ソニックと出会ったことで、気弱なテイルスはどんどん明るい男の子になっていきます。
ソニック「おまえ、尻を振ってヘリコプターみたいに飛んでるのか? やけにクールだな」
テイルス「そう、尻コプタ~」

ダジャレまで作って!!!!

おいなんだよおおぉぉかわいいなテイルスおまえモフモフ尻尾なのに一丁前にダジャレまで作ってかわいいなおまえ!!
お腹だけそんなポッテリしてええええ!!!

テイルスのかわいさの約半分は広橋涼の声だが、その根っこには「かわいい」だけで消費されないキャラクターとしての強度がある(そしてお腹がぽっこりしている)。

一方のナックルズは「ソニックを倒して先祖の恨みを晴らすのだ」なんて夜空に誓ってる奴だったが、その動機につけ込んだロボトニックの腹を見抜けず、ロボトニックのことを「親切な相棒」と思い込んだまま彼のマスターエメラルド探しに利用されてしまう。
案の定、ロボトニックはエメラルドを見つけた途端にナックルズを切り捨て「ひょー」とか言いながら秘密のパワーを浴びて電子人間になってしまった。わけのわからん…。
唯一気を許していたロボトニックにあっさり裏切られたナックルズは、戦闘民族なのにちょっと泣いちゃう。戦闘民族なのに。
そこに手を差し伸べたのがソニックだ。かつてソニックもナックルズと同じ“ひとりぼっちの珍奇生命”だったからこそ、孤独のつらさは人一倍わかるってしくみ!

誇り高き戦闘民族ナックルズ。

ソニックとテイルスとナックルズは、種も性格も異なるが、”孤独”という共通点があった。そして全員が「友達ほっちぃー」と星に願いをかけていたのである。
だからこそクライマックスでは三者が協力してロボトニック打倒をめざす、チーム「ほちぃー」の活躍がめいっぱい描かれるのだ!
やってることはウェルメイドな活劇なんだけど、そこに至るまでのキャラクター描写が粒立ってるから、人は最高の感情コンディションでこのクライマックスを迎えるだろう。
縦横無尽の飄々たるアクション。軽口を飛ばし合いながらの共闘。テイルスはいつだってモフモフ。
ありがとう。

余談だが、ソニックとテイルスが酒場で雑魚寝するところが本作のベストシーンだろう。
すやすや眠ったテイルスに毛布をかけてやったソニックが背中合わせに横臥すると、眠っているのか起きていたのか…テイルスが2本の尻尾でソニックをくるむ。
カシミアより暖かい尻尾毛布やで!
愛。

◆日本語吹き替え安定◆

 この映画は日本語吹き替えで見ないとね。吹き替え翻訳がおもしろいし、こんなに私がかわいいかわいい言ってるテイルスの魅力だって広橋涼の声ありきなんだから。
あまつさえ高速移動を得意とするハリネズミの映画。よほどリスニングに自信でもない限り吹き替え一択でしょう。
まあ、外国映画全般に言えることだがな。
SNSにはよくいるが、現実世界にもよくいるんだよ、こういうこと言う奴が。
「やっぱり洋画は字幕で見てこそだよ。字幕版だと声の演技も楽しめるし、原語のニュアンスによってストーリーに深みや雰囲気が出る」

…しんどいな。

これを言われたら会話を放棄して「ああ、そうね」って雑に流しちゃうくらいしんどい。
そも、上記の言葉には正確に4つの誤謬がある。レスポンスしていきまーす。



>やっぱり洋画は―…
まず「洋画」って言うな。
一般的に、洋画とは「西洋で作られた映画」を指し、邦画とは「自国ジャポンで作られた映画」を指す。
え? じゃあ日本以外のアジアで作られた映画の立場は?
タイやインドネシアやカザフスタンで作られた映画の呼称は?
しょせん「洋画/邦画」なんて狭い対義語だけで作られた雑な地図を俯瞰してるオマエの映画観なんてカタが知れてるよ。
フランス映画やイタリア映画を「洋画」で一括りにすな。フランス映画は「フランス映画」だし、イタリア映画は「イタリア映画」だろ。どうしても括りたかったら「外国映画」で統一せえ。
あとアメリカ映画をなんでもかんでも「ハリウッド映画」言うな。言葉の意味をまず調べえ。


>やっぱり洋画は字幕で見てこそだよ。

えっとね…。
映画好きにとって最大の問題発言だぞ、これ。

字幕で見てこそ?

映画は画面を見てこそだろ。

外国映画を字幕版で鑑賞すると、どうしても瞳は字幕に向くことを優先してしまう。
その時点でもう“映画は見ていない”。
字幕を追ってる。文字を読んでるだけだ。たとえ僅かでも、字幕を読んでる間、人はスクリーン=映画から目を逸らしてしまっている。すなわち映画を見逃している。いかに僅かな時間といえど、塵も積もればもう読書。おまえが「映画体験」と勘違いしたまま過ごした2時間は、ただの「読書体験」だったのである。
とはいえ「字幕版だと声の演技がわかる」という利点も、なるほどその通りだ。要するに、しょせん外国語を解さぬ民族が外国映画を見ることは不可能なのである。日本映画を正しく理解できるのは日本人だけ。他国の映画も然り。結局のところ、われわれはバベルの塔を壊した神を恨むしかないのである。
ドンマイ、ドンマイ。



>字幕版だと声の演技も楽しめるし
言わんとしてることは分かるんだけど、まず「声の演技を楽しむ」ためには、わざわざ字幕版で見なくていいくらいその国の言語に精通してる必要があるよね。
で、その国の言語に精通してたら、そもそも字幕版で見る必要がないよね。
ゆえに字幕版を擁護する論理としては自壊してます。ありがとうな。


>原語のニュアンスによってストーリーに深みや雰囲気が出る
そりゃ気のせいだ。
よくわかんねえ言語でゴニョゴニョ話されたら、そりゃあ不思議で意味深だし雰囲気だって出るだろ。
エロイムエッサイム~…
エロイムエッサイム~…
エロイムエッサイム~…
エロイムエッサイム~…
どういう気持ちがしたぁ?
「不思議で…催眠術みたいな…。とりあえず…なんかエロいのかなって…そやって感じた~」って?
アホかおまえは。

ちなみに私自身は「字幕否定派」でもなければ「吹替え派」でもないよ。第一、そんな二元論で映画を見てない。
まあ、そうだな。強いて言うなら、ただ無考えに「字幕で見てこそ」と言ってる奴らを片っ端からしばいて回る派。

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