シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

ザ・ウォッチャーズ

え、普通につまんないよ?


2024年。イシャナ・ナイト・シャマラン監督。ダコタ・ファニング、ジョージナ・キャンベル、オルウェン・フエレ、アリスター・ブラマー、オリバー・フィネガン。

ダコタんが森に迷って「あー」ってなる。


よっしゃ、やろか。
「セイユーセイミー」に決着をつけたい。
映画『ホワイトナイツ/白夜』(85年) のために書きおろされ全世界で大ヒットした、言わずと知れたライオネル・リッチーの代表曲。
でもなんか小癪なんよ。
そこはかとなく小癪。
俺は昔から「セイユーセイミー」を小癪に思っている。なんて小癪なバラードなんだろ!
日常生活の端々で、切ない雰囲気から急に明るく転調する曲を耳にしたり、あるいはそこから派生して、物静かだった人が急に大きな声で話し出したり、さっきまで泣いてた人が急に笑顔になったりするたび、決まって「セイユーセイミーかおまえ」と突っ込んでしまう。それくらい俺の中では、ひとつのイコンとなっているんだなー。
曲自体も腹立つ。
まずサビが「セイ・ユー、セイ・ミー」て。
4音て。
セコっ。音数少な。
ずる。ラクしようとしてるやん。
こないだスーパー行ったら、この曲のオルゴールVerが流れてて「意味なっ」て思たわ。
「タンタン♪  タンタン♪」やで?
なんやこれ。いちばんオルゴールにしたらあかん曲やろ。意味ねえ。むしろオルゴールにすることで構成譜の空虚さが露呈してるやん。暴かれてるやん、曲の弱点。「しょうもな。4音だけやん」の感が、しとどに、おまえ…!
しかもDメロで転調して、急にちょけ出すのよ。ここも腹立つ。それまではしっとりしたスローバラードだったのに、Dメロに入るや否や「嘘ぴょ~ん」とばかりに明るいR&B調に様変わり。
いちびってるやん。
ちょけてるやん。
かと思えば、すぐまた神妙な面持ちでバラード路線に戻して「セイユーセイミー…」ゆうて。
セイユーセイミーやあらへんがな。
嘘つけよ。
急に転調してよぉ、おまえ。水を得た魚のように「嘘ぴょ~ん」ゆうていちびり倒してたのに、ちょけパートが終わるや否やまるで何もなかったみたいな顔して「セイユーセイミー」に帰って来なよ。嘘つけよ。
思てへんやろ。セイユーセイミーて。
なんじゃこいつ。

あとサビ終わりの「ナチュラリー」問題な。なんか腹立つんよ。
以下がサビの歌詞。

Say you, say me, 
say it for always
That's the way it should be

ええやん。「セイユーセイミー」ゆうて。
「セイフォオーウェ~ズ」ゆうて。そのあと、ちょっと早口で「ダチュザウェイチュビ~」ゆうて。
まあ、「ダチュザウェイチュビ~」もちょっと腹立つけどな。なんやねん、ダチュザウェイチュビ~て。
言うな。そんなこと。

Say you, say me, 
say it together 

ええやんか。もっぺん「セイユーセイミー」ゆうて。言うとくけどこの曲、このワード一辺倒やで? 「セイユーセイミー」の命綱一本でかろうじて成り立ってる曲やで? って聞く者に宣言し、開き直るかのように。
ほいで「セユトゥゲダー」ゆうて。ここまではいいのよ。音数少ないけど。
問題は最後の一言。

naturally

「ナチュラリ~」やあれへんがな。
なにがナチュラリ~やねん。
この前になんぞ歌詞があって、最後に「ナチュラリ~」なら分かんのよ。
なんで単品やねん。
せんどカニ鍋して、野菜も食うて、〆のおじやとしてのナチュラリ~なら分かるけど、なんでおじやだけ食うてんねん。なんで初手雑炊やねん。逆行しとんのか、時間。『メメント』(00年) か、おまえ。
なにがナチュラリ~やねん。
バラードのサビ終わりの大事な一文やぞ。単語一個で済ますな。「ナチュラリ~」やあれへん。ラクしようとすな。ナチュラリ~なことあるか。かえって不自然やろ。「嘘ぴょ~ん」と同じ匂いがすんのよ。「ナチュラリ~」ゆうて。
なにがナチュラリ~やねん。

ほんで、レコードジャケットのリッチーよぉ。



なんでこっち見てんの。
むちゃくちゃこっち見てるやん。
シンプル過ぎひん? ジャケ写の構図が。80年代丸出しすぎやろ。もうちょい衒えよ、奇を。捻れ捻れ。まっすぐカメラ目線の一本勝負すぎやろ。「男らしさ」かおまえ。正々堂々すぎやろ。愚直がすごいな。
肩幅もすごいな、ほんで。
菊池桃子かおまえ。どないなっとんねん。バブル過ぎやろ。どこがナチュラリ~やねん。白さも相俟って、もうガンダムやん。

下は別バージョン。



なおも崩さず、か。
一度決めたスタイルは最後まで貫く、かおまえ。
ほんで、なんですぐこっち見んの。カメラ向けられたらすぐピュッと視線合わして。ジーッと見つめ返して。猫かおまえ。
ほんで肩幅すごいな。
いよいよ盛り上がっとるぞ肩。モリモリやないの。戸愚呂弟か。

さらに別バージョン。



これ合うてんのか写真のチョイスこれ。
もう「セイユー」でも「セイミー」でもないやん。関係あれへん。
しかも、だんだん寄ってってない? 顔に。
だんだん顔おっきなってる。
もう肩幅もようわからんし。むしろ狭く見えるし。
ほんで目ぇ吊り上がってて猫みたいやしな。
ジッとこっちを見つめ返してさ。
ほな猫やん。

なんかもう、いろいろ腹立つなぁ「セイユーセイミー」。しらこいというのか、ふてこいというのか。
別に嫌っちゃいないけどね。嫌いとかではないけど、なんとなくライオネル・リッチーをしばきたくなる。なんて憎たらしい曲だと「セイユーセイミー」は俺に言うんだ。

ライオネル・リッチー「Say You, Say Me」(YouTube)

 

閑話休題。話がライオネルすぎた。
そんなわけで本日は『ザ・ウォッチャーズ』です。夏の昼下がりにでも読んでよね。



◆なんでこの一族ってこうもルール決めるのが好き過ぎるんだろ◆

 M・ナイト・シャマランの娘イシャナ・ナイト・シャマランの初監督作ってんで、一応シャマラニストの僕だから観てみようってんで、一応観た。
先に結論めいたことを言います。
普通につまんないよ?
…え? べつに普通につまんないけど。
当たり前でしょう。想定の範囲内どころか、その“範囲”とやらをダーツのボードに置き換えた場合、普通にブルですけど?ってぐらい想定の範囲のど真ん中すぎた。あまつさえM・ナイト・シャマランの娘が、それもざんないことを言うと親の七光りで作ったんだから、そりゃ普通につまんないでしょう。おもしろいわけないでしょうよ、逆に。逆にっていうかストレートに。織り込み済みだよ、そんなこたあ。
「つまんない」が織り込まれてることを分かったうえで観るのがシャマラン一族を楽しむ作法でしょうがああああああああ。

おれはしっかり楽しみました。なんつったって6年前にうちのブログにも遊びに来てくれたダコタ・ファニング、通称ダコたんが主演なの。
心躍るニウスだよねえ!?
近年は妹のエル・ファニング、通称エルたんばかり脚光を浴び、ダコたんの方は『オーシャンズ8』(18年) 『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19年) 『イコライザー THE FINAL』(23年) など、メジャー作品でこそあれ端役ばかりの、正味もう引きはないけど元天才子役だからこれぐらいの役でいいか、みたいな御座形(おざなり)な扱いに怒たんだったおれに『ザ・ダコターズ』、あ間違えた『ザ・ウォッチャーズ』主演! という報はとても嬉しい報なのですよ。
なんだかんだ、7歳で子役デビューした『アイ・アム・サム』(01年) から30歳になった現在まで、そのほとんどの出演作を見てきたからね。いかな小品であっても。『少女が大人に変わる夏』(13年) とか『500ページの夢の束』(17年) とか 。ずっとダコたんの成長を見守ってきました。
「全日本ダコタニストで殺し合いグランプリ」とかあったら多分おれが生き残るだろうなぁ~~。


左が姉・ダコたん、右が妹・エルたん。

さて、『ザ・ウォッチャーズ』。
舞台は西アイルランド。地図にない森に迷い込んだオウム使いのダコたんはペットショップ店員。そんな彼女が道に迷って硝子張りの小屋に辿り着けば、そこには3人の男女。「夜になると奴らが来る!」「奴らは俺たちを監視しているんだ!」「私達からは見えない。奴らはずっと見ている!」と騒ぎ立てる3人を、ダコたんは「シャブ食べたかな?」と訝っていたが、夜、小屋の外では明らかに異変が起きており、何かの音と気配。
「あん! 怖いっ」
ありえない状況に畏怖するダコたんに、最年長の老婆は3つのルールを言い含める。

1、日が暮れたら小屋を出てはいけない。
2、“監視者”に背を向けてはいけない。
3、常に光の中にいろ。



だるぅ~~~~!!!

またルール系かえ~。もうええて~。
シャマランの…、あ、ここでいうシャマランというのは本作を監督したイシャナ・ナイト・シャマランのことではなく、その父M・ナイト・シャマランのことで、もう面倒臭えから以降パパランと表記するが、パパランの『ヴィレッジ』(04年) 『ヴィジット』(15年) とまったくもって同じじゃねーかよおおおおおお。
何からの法則性にしたがって物語が進行する、って点では前作『ノック 終末の訪問者』(23年) にも符号するし、なんでこの一族ってこうもルールを決めるのが好き過ぎるんだろうか。
にしては、そのルールの遵守性がさほど重要じゃなかったり、ルール自体の定義/基準が曖昧模糊のモコちゃんだったりして、馬鹿正直につき合って損したわって作品ばかりなのよね。

パリ五輪か、おまえ。
パリ五輪の柔道かおまえ。

で、そんなパパランの血を引いてるイシャナンですから、どうせ上記の「3つのルール」も大して重要じゃないんでしょ。なんならルール作った本人がそのルール破るんでしょ、って思ってたら案の定の介、3つ全部ガバガバでしたわ。
…と、ここまでは想定内。ブル!
歴戦のシャマラニストのおれからすれば、悪いけど、もうハナから信頼してないわけよ。劇中で老婆が「生き残るには3つのルールを守ることだよ~?」と言った端から「嘘つけえ!」って突っ込んでたからね。どうせそんなルール守らなくたって生き残れるだろ、ダコたんは。ダコたんだから。



◆ソリッドでもリキッドでもないハイチュエーションスリラー◆

 ソリッドシチュエーションスリラーのようでソリッドシチュエーションスリラーでない…というベースの設定、そのベースの弦がゆるゆるに弛緩していれば設定自体が不協和音になるのは理の当然。
「日が暮れたら小屋を出てはいけない」というルールは平気で破られ、ソリッドなのかリキッドなのかよくわからないハイチュウぐらいの硬さのシチュエーションスリラーが恣意的に展開されるし、「“監視者”に背を向けてはいけない」というルールも別にそんなことはなく普通に背を向けて“奴ら”から走って逃げてたし、「常に光の中にいろ(さすれば襲われない)」というルールに関しては作劇だけでなく演出的にもまったく機能しておらず、べつに光の中にいても普通に襲われるし、光=灯りを点ける/消すといったサスペンスすらロクに描けないという点では、9歳のころのダコたん×ロバート・デ・ニーロでお送りした『ハイド・アンド・シーク 暗闇のかくれんぼ』(05年) にも劣る稚拙ぶり。
返す返す申し訳ないが、大方わかってたけどね。
自分で決めたルールを自分で破る、あるいは破るとまでは言わないまでも、ルールの適応範囲や効力判定が恣意的に過ぎ、その時々でシナリオライターにとって都合のいいものへと拡大解釈、我田引水、牽強付会する、軸ぶれぶれにして体幹ぐにゃぐにゃのダブルスタンダード・ドラマツルギー、通称ダブルツルギー。
ダブルツルギーって格好ええな。ダブル剣。柄の両端に剣があるのか。
それを「諸刃の剣」って言うんだよ。
シャマランスリラーは諸刃の剣である。
状況設定はおもしろくても、そこかしこに綻びがあって、その解決法を編み出す知恵が作り手側に足りないっていう。いわば大風呂敷を広げる天才であると同時にそれを畳む愚才という。
そう、シャマランは物語を紡がない。
剣(つるぎ)るのだ。
もちろんシャマラニストにとっては、それさえ織り込み済み。だからおれはシチュエーションの作り方(第1幕)をこそ楽しむし、なんなら上手く畳めなかった風呂敷にさえ趣を感じるよね。「ブッサイクな話!」つって。『ハプニング』(08年) とかも嫌いじゃないし。



それで言うたら、物の見事にパパランの血を引いてましたわ、イシャナン。
わけわかんないもん。
ある理由からダコたん達は毎夜、一面が硝子張りになった小屋で“奴ら”に生活風景を観察させる。それを続けている限り、この小屋の中は安全だと老婆は言うのだ。だが、ひょんなことから“奴ら”が攻撃してきて、安全と思われた硝子の防壁が粉微塵と化してしまう。
「えっ?」
いま「えっ?」と言ったのはおれである。
イシャナン監督はインタビューの中で「安全な場所でありながら、そこから脱出しなければならないという感覚。そこには拘束感と安心感の両方の感覚がある」と語ったが、それを言うなら“奴ら”の攻撃で硝子の防壁が崩されてはいけないと思います。
ぜんぜん安全ちゃうやん。
ちゃうやん、ちゃうやん。本作のシチュエーションが唯一おもしろくなり得るとすれば、“小屋の中は確実に安全だけど、夜に外出たら確実に死ぬ”というピーキーな設定の絶対遵守しかあらへんやん。
言ってることわかる?
壁一面硝子張りの小屋だなんて、いかにもサスペンスには持ってこいの建築だからこそ、だからこそ!「でも室内にいれば絶対大丈夫。絶対安全。この硝子は割れそうで割れないんだよねー」というのが極上のサスペンスになるのに。暴れ狂った“奴ら”の攻撃で普通にヒビ入っちゃだめじゃん。普通に割れちゃだめじゃん。
普通に割れちゃったら、イシャナンが言うところの「安全な場所でありながら、そこから脱出しなければならない」という二律背反したアレがアレになっちゃうじゃん。あじゃぱーになっちゃうじゃん。
もうええわ。
どうせ言ってもムダだろ。
イシャナンって昔からそういう奴だから。

本作をお作りあそばされたイシャナ・ナイト・シャマラン。

 あと、“奴ら”の正体に関しては、やっぱり普通につまんないんですよ。
これも織り込み済み。シャマラン映画でたびたびモチーフになる、宗教とか伝説とか、そっち系ね。『レディ・イン・ザ・ウォーター』(06年) 系というか。
何がつまんないって、前半はソリッドシチュエーションスリラーっていうか、まあハイチュウみたいに中途半端な硬さだから、そうね、ハイチュエーションスリラーとでも言うべき物語類型に傾斜してたくせに、後半は打って変わって“奴ら”の正体を突き止めようのコーナーへと展開すること。
種明かしのターン、通称「実はこうでしターン」っていうか、それはそれは分かりやすく絵解きされますよ。
つまんねえ!!
いっそ正体不明のまま終わってくれた方がよっぽどおもろかったわ。もしくは、あない直截的に言わんでも、匂わす程度の、気づく人は気づくみたいな示唆というのか伏線というのか、そこで終わらせてくれた方が解釈にも奥行きが生まれるしね。
あのさぁ、正体って必ずしも明かさなくていいし、伏線って必ずしも回収しなくていいからね。
なんかもう、手取り足取り説明説明…キッズムービーかよってぐらい懇切丁寧に正体教えてくれたわ。『ザ・ウォッチャーズ』。
「つまんねえ」
って・なっちゃーず。

◆ARENANIが火を噴く◆

さあ、ようやく“映画”の話です。
映画としてはどうだったか!?
普通につまんないよ?
…え。べつに普通につまんないけど。
当たり前でしょう。想定の範囲内どころか、その“範囲”とやらをダーツのボードに置き換えた場合、普通にブルですけど?ってぐらい想定の範囲のど真ん中すぎた。あまつさえM・ナイト・シャマランの娘が、それも親の七光りで作ったんだから、そりゃ普通につまんないでしょう。おもしろいわけないでしょう、逆に。織り込み済みだよ。
「つまんない」が織り込まれてることを分かったうえで観るのがシャマラン一族を楽しむ作法でしょうがああああああああ。

まず入りがダメですね。
何かに追われてます然とした男が時おり後ろを振り返りながら森のなかをヒイヒイ逃げまどい、這う這うの体で木に登りながらも結局“奴ら”に捕食されて「ぎゃー」って叫ぶアバンタイトルね。
独り言という名の説明台詞がすげえ。
森を全力疾走しながらずっと喋るんよ。

「助けを呼んでくる!」
「あと22分…。ヤバいかも」
「急がなければ! 陽が傾いた」
「光を追わねば!」

うるせえよ。
喋りすぎやろ。ひとりで。走りながら。
なんで全力疾走しながら独りごちんねん。
鬼滅の刃か。だとしたら何ノ型やねんそれは。とって付けたように物語設定や状況説明をべらべら口にしやがって。
日本か、おまえ。
日本の映像コンテンツ特有の不自然さをも厭わない独白文化
か、おまえ。電話をとった刑事が「なに!? どこどこで殺人事件だって!?」か、おまえ。電話の向こうで言われたことを一語一句違えず繰り返すっていうね。

ショットもダメですねえ。ド三流というか、鈍臭い。
あえて穿った見方をすれば、死にたくない一心で“木に登る”という行為が、後にダコたんが、生き残るために“奴らの住処と思しき穴にロープを垂らして下りてみる”という上下運動の対比になってると言えばなってるし、さらにそのあと、小屋の絨毯の裏に地下シェルターがあることを発見した一同がそこで生き残る手掛かりを得たことで、冒頭の“木に登る”という行為が尚のこと死に近づく悪手であることを傍証していることが、クライマックスで足が宙に浮くような姿勢で“奴”に首根っこを掴まれたダコたん(天に捧げられポアされるイメージ)と、その対比であるかのように天高く飛び去っていく“奴”が表象した「我々は高き者、人間は低き者。低き者が高きに至れば死ぬ。この理論。わかる?」という、まあ憎たらしいが映画としてはなかなか上手い表現が結実したのがラストシーンで、なんやかんやあって森から脱出した後日、ようやく平和が訪れ、アパルトマンの4階ほどの部屋で安寧を享受していたダコたんを地上の“奴”がほくそ笑みながら見上げる…という100人中100人が「薄気味悪りィ~」つってバッドエンドと感じたであろう結末が、いやいや、どっこい実はハッピーエンドっていうか、物語論としてはバッドエンドだが映画論としてはハッピーエンドである理由こそが、ダコたんに希望をもたらしたオウム、そう、“奴”と同じく翼を持ち、自由に空を飛ぶことのできるオウム、高きを目指せるオウム、そんなオウムを馴致することのできるダコたんの職業がペットショップ店員であることにほかならないわけだが、いやいやいや、こんなに深く読まないと楽しめない映画ってどんな映画ぁ~~~~って感じかな。

まあ…だから、深いとこでは上手いけど、浅いとこでは下手な映画。
そして世間一般は浅いとこしか見ないから下手と断じられる。ここもパパランの血を引いてるね。
シャマラン映画ってそういう節あるよ。素人の目には凡作に映り、玄人の目には駄作に映るが、素人をも玄人をも超越した昏人(グレート)の目にはちゃんと珍作に映る。
要するに、呆れるほど極端に不味いところと、思わず唸るほど極端に美味いところが渾然一体となった冷凍パスタのような。このパスタ、むっちゃ美味いけど、真ん中だけ解凍されてへんからカチカチやなぁ、ゆうて。

最後に、この疑問だけ呈しておきたいんだけど、映画冒頭のある夜、ダコたんがケバい化粧してエロい衣装着てバーで男を釣るシーン…。
ARENANI。
あれなに~~~~。
なんの意味があった~~~~ん。
あれなくてよくなーい。
あれなに~。
「これが本当の私。たまにするの」
どゆ意味~~~~。
あれなにー。
なにー。

意味わかんねーからダコたんが可愛かった頃の『アイ・アム・サム』(01年) のポスター見てなごも♪
そうしよ♪



いいね!
ウィーね!!
懐かしいよねえ。
いまは綺麗な大人の女性だけど、このころは頑是なくて可愛かったな~。
歯ぁ、いっぱいあって。

拡大して、もっかい見よっ♪

 

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