シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

半世界

全ゴロリスト必見の作。炭に爆ぜたおっさん達の祭典。

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2019年。阪本順治監督。稲垣吾郎、長谷川博己、渋川清彦、池脇千鶴。

 

山中の炭焼き窯で備長炭の職人として生計を立てている紘の前に元自衛官の瑛介が現れた。突然故郷に帰ってきた瑛介から紘は「こんなこと、ひとりでやってきたのか」と驚かれるが、紘自身は深い考えもなく単に父親の仕事を継ぎ、ただやり過ごしてきたに過ぎなかった。同級生の光彦には妻・初乃に任せきりの息子への無関心を指摘され、仕事のみならず、反抗期である息子の明にすら無関心だった自分に気づかされる。やがて、瑛介が抱える過去を知った紘は、仕事、そして家族と真剣に向き合う決意をする。(映画.comより)

 

おはよう、輝けるみんな。

先達てドラッグストアに目薬を買いに行ったのだが、いつも使ってるスマイルコンタクトが売ってなかったのでスマイルになれなかった。

すぐ帰るのも癪だし、しばらく店内を冷やかしてやろうと思ってチョロチョロしていたらマスクの美人店員さんが近寄ってきたので僕のことが好きなのかなと思ったが「いらっしゃい。よく来たわね。マスクが欲しいの?」と訊くので「いいえ、目薬です」と答えたら「オーライ。目薬だったら私に任せて。フォローミー」つって歩き出し、ついさっきスマイルコンタクトが置いてないことを確認したばかりの目薬コーナーへと私を連れて行く。どないもこないもならんのに。

「あっ、あっ。申し訳ないけど、いつも使ってる目薬が置いてなかったので、もう帰るところなんです」と説明したが「まあまあ、ほかの目薬も見ていったらいいじゃない。それともそんなに時間を気にしているの? 時間は未来に向かって流れてるって言うけど、一説では未来から流れてきてるとする向きもあるらしいわ。その辺どう思う?」と訊いてきたので「わからない」と答えてる間に目薬コーナーに到着。

1200円もする高級目薬を勧められたが「いらない」と突っぱね、するとこんだ500円の中級目薬も勧められたので「この店では何も買わない」とはっきり伝えると、美人店員、「ほっほーん。そうか、そうか。意地になるというのだな。だったらとびきりのお得情報を教えねばならないかー」とばかりにポッケからスペシャルクーポンを取り出し「今アプリを登録すると全品20%引きー!」と叫んだので「いまケータイを持っていない」と告白。私の携帯電話(ガラパゴス)は半壊していて自部屋に置きっ放しにしてるので本当に持ってなかったのだ。すると美人、「まったまた~。またまたまたまた猿股!」みたいな顔をしたので、私は自分のポッケというポッケをパンパン叩いて「ね」と全てのポッケが空であることを証明。ついに美人は「うそん。このご時世にスマホも持ってないなんて。とんだ蟹味噌ボーイに声を掛けてしまったわ!」みたいな青ざめた顔になり「時間はどっちに向かって流れているのー」って言いながらレジに向かって逃げていきました。

どっちに流れていようが知ったこっちゃないけど、時間を損したことだけは確かだった。

そんなわけで本日は『半世界』です。よろしくねー。

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◆二等辺三角形の友情◆

稲垣吾郎がミステリアスとされるのは、かつてのSMAPにおける中間管理職的な立場ゆえに一歩引いたところからメンバーを静観していたからでも、ましてや「ヒロくん」なる変なおじさんと半同居しているからでもなく、まるで何かを取り繕わんとするかのような物腰柔らかな言動が僅かばかりの「危うさ」を孕んでいるからである。

SMAPや新しい地図を目にするたび、きまって私の視線はメンバーの後ろで口元に微笑を浮かべながら密やかに佇む稲垣吾郎に注がれていた。だが吾郎ウォッチャーの私をもってしても、この癖毛の王子様が何かを隠そうとしていることは明白なのに何を隠しているかが分からない。

インタビューやスピーチの場でもそれらしい事柄を弁舌滑らかに語ってはいるが、やはり「よそ行きの言葉」が彼自身の意思を透明化してしまい、またしてもわれわれは稲垣吾郎というミステリーの解を掴みあぐねてはクリクリと宙に空転する。

そう、クリクリしていたのは吾郎ちゃんの髪ではなくわれわれ自身だったのです!

また、「稲垣吾郎は簡易版の太宰治」といった寝ぼけた持論、および「癖毛シーンの革命家」というヘアスタイル論考、さらには『十三人の刺客』(10年)における卓抜した稲垣演技論をグダグダと綴ってもよいがハナシが一個も進まないのでまたの機会に譲る。

 

そんなわけで、特別心躍らせることもなく観た『半世界』に、まさか武者震いとも胸騒ぎともつかぬ身体の震えを覚えるとは予想だにしておりませんでした。

くそ田舎を舞台に幼馴染み三人組の再会を静かに祝い、人生の折り返し地点を迎えた彼らの迷いや苦しみを素朴に描き上げた本作は『座頭市 THE LAST』(10年)『人類資金』(13年)で香取慎吾を使い倒した阪本順治の最新作だ。阪本順治ねぇ。正直言って「おっ、そうか」とはならない字の連なりだが“男の色気”を撮る手腕にかけては日本の映画監督の中で50位には入るであろう人物である。

 

本作の稲垣吾郎は地方の山奥でひとり黙々と炭を作り続ける炭焼職人。チェーンソーで木を切り倒し、悪魔が使うみたいな槍を1300度の窯に突っ込み、そこから掻きだした炭に不思議な砂をぶっかけて急冷。そうして完成させた備長炭は人すら撲殺できる固さとすばらしい着火性を誇り、これをトラックに積んでホテルや料亭にトコトコと売り込みをかけんとするのだ。吾郎が。

この男は中学生の息子・杉田雷麟がいじめを受けていることにも気づかない鈍感親父で、妻の池脇千鶴や幼馴染みの渋川清彦に対してもたまに棘のある言い方をしてしまう。みだりに「人格破綻」といって騒ぎ立てるほどの事ではないが、他人の気持ちにやや無頓着で、知らず知らずのうちに周囲の人を傷つけてしまうような男なのである(まさにオレ)。稲垣自身の吐き捨てるような言葉遣いが役に合っていて、すばらしい人物造形におさまっております。

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世界にひとつだけの炭歌:稲垣吾郎

 

そんな折、元自衛官の長谷川博己が妻と離婚してこの地に帰ってきた。

コンバットストレスから向精神薬を服用するようになった博己は日がな一日家に引きこもっていたが、吾郎の製炭を手伝いながら少しずつ笑顔を取り戻し、同級生に虐められている雷麟に自衛隊格闘術を伝授した。

また、普段は無口で大人しいが、たまに自衛官スイッチが入って大声を発したり敬礼したりと驚きの奇行に出ては周囲を戸惑わせる。こんな調子で二人と旧交を温めメンタルも快調だったが、清彦が営む自動車販売店に押し入ったチンピラを半殺しの目に遭わせたことで再び闇堕ちしてしまうのだった。

PTSDを抱え、躁鬱のようなバイオリズムを去来する長谷川博己の狂気と静寂が滅法すばらしいのであります。

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渋川清彦は二人の潤滑油を担うお調子者で、泥酔するたびに自分たちの友情を二等辺三角形に喩える。

「なんで二等辺三角形?」

おまえらに気遣って俺が小さく出たわけよ

いつも道化を演じているが本当は誰よりも心の機微に通じた人情派で、彼がいなければ三人の友情はとうに潰えていたといっても過言ではない。

父の石橋蓮司もドロドロの酔っ払いで、みかんを差し入れしてくれた知人に向かって「ここはみかんの産地だぞ。みかんの産地にみかん持ってくる奴があるか!」と息巻き、かと思えば次の瞬間には床に倒れて睡眠に入るようなバカであった。

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稲垣吾郎は思い通りにならない

『半世界』は長閑な田舎の風景をバックに、楽しそうに騒ぐ三人と無時間化されたユートピアが描き出された最強ほっこり映画の金字塔です。

たとえば『人生の動かし方』(17年)『ゴールデン・リバー』(18年)『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』(19年)など、仲のいい者同士がわちゃわちゃしているさまを眺めてるだけで幸せ系映画は多いが、吾郎・博己・清彦が織り成す演技アンサンブルはこれらの多幸感を大きく上回る。「おっさん達の祭典」だ。

この豊かな「環境」はもっぱら長谷川博己と渋川清彦の巧みな芝居によるものだが、やはりその根幹には隠蔽をやめた稲垣吾郎がいる。演技という名目のもとに隠蔽の必要から逃れた稲垣吾郎はほとんど素に近い笑顔を湛え、それにつられるようにして二人も演技を辞めてゆき、誰もが演技をしなくなったその瞬間にこそ「おっさん達の祭典」は開かれるのだっ。

また、ついに国民的アイドルの口から発せられた「セックス」という言葉の響きにさしたる違和感を覚えないのは、取りも直さず稲垣吾郎がアイドルである前にアイドルに染まらぬ透明者だからに他ならないわけです。長谷川博己、渋川清彦、池脇千鶴といった一流の芸達者を揃えながら、その誰もが稲垣吾郎の透明性の前では喜んで共犯を黙契してしまう。

たとえ口にヒゲを貯えようとも、似合わぬニット帽を被ろうとも、あるいはバックミラーに映り込んだゴツゴツとした頬骨が「吾郎ちゃんの顔ってもっとツルツルしてなかった?」という違和を誘い込もうとも、決して稲垣吾郎は自分が演じた高村紘という役には染まらないし、阪本順治の思い通りにもならない。わかるか。

稲垣吾郎は思い通りにならない。

今日はそれだけ覚えて帰ってくれな。

 

物語は博己のPTSD問題と雷麟のいじめ問題を軸に「友情と家族愛」が並行的に描かれるが、べつに湿っぽい内容でもなければマジメ腐った話でもなく、むしろ随所にユーモアが散りばめられた小粋な作品となっております。

とりわけ白眉なのは独特の言語感覚だ。

「ああそう」と連鎖されゆく小津的リズムは言わずもがな、クサい台詞を言ったあとの「…てな感じでいいか?」、別れの場面での「映画みてえだな」など、映画が映画であることに照れて咄嗟に言い訳してみせるメタ言語の微笑ましさ。

私のお気に入りは、泥酔するあまりむにゃむにゃとモノを話す石橋蓮司に、吾郎が真顔で「眠たいんですか?」と発した一言。これは可笑しかった。あと池脇千鶴が名言製造機なのだが、文脈を伴わないと効果半減なので紹介はせずにおく。

そしてこの映画の主題的本質に肉薄するのが闇堕ちした博己の一言。

キミたちは『世間』しか知らないんだ。『世界』を知らない

これを言われた吾郎の「難しいこと言うなよ」という返しがまた可笑しいのだが、物語後半では家を出て港で漁業を始めた博己に向かって「こっちだって『世界』なんだよ。色々あんだよ!」と叫ぶ。

多くは語られないが、どうやら博己は自衛官時代に世界の恐ろしさを目の当たりにし、部下を失ったことで自責の念に苛まれPTSDを抱えたようだ。だが、息子との確執に頭を悩ませ、売れない備長炭を必死で売りこむ吾郎の生活もまた世界。ただ、周囲の気持ちに気づけないので、ここはひとつ間を取って『半世界』といたしましょう。

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この章の最後に付け加えるべきは、のちに雷麟が不良グループへの復讐を遂げてボクサーを目指すようになる…という嬉しいご報告です。

ところがこの復讐シーン、てっきり博己から教わった自衛隊格闘術を駆使して不良に仕返しするのかと思いきや吾郎の作った備長炭でしばき回す

オトンの作った炭で人叩くな。

自衛隊格闘術よりオトンの備長炭(ひん曲がってた)を使って不良を打ちのめす雷麟の非ボクサー的身振りに笑う。雷麟少年はこの喧嘩に勝利したことで自信をつけてボクサーを目指すようになるわけだが、いや、動機たりえねえだろ。ボクサーを志したキッカケが「凶器を使った喧嘩」て。

ボクシングって備長炭でシバき合う競技だっけ?

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せっかく作った炭を武器にされてしまう男。

 

◆住む世界を異にしながらも◆

またこの映画、隠れて煙草を吸っていた池脇千鶴とのどうってことのない夫婦愛が泣かせるのです。

千鶴は吾郎と揉めた翌朝、白米の上に桜でんぶで「バカ」と書いた弁当を持たせ、昼時に蓋を開けてそれに気づいた吾郎は忌々しそうに「バカ」の文字を箸で消していく。別のシーンでは千鶴を怒らせると秋刀魚を水平に投げてくるという物騒なエピソードも語られる。

そして最悪の出来事が起きる日の朝、いつも通り仕事に出かける吾郎に弁当を持たせた千鶴は「今夜は秋刀魚でいい?」と訊ね、吾郎の顔を引き攣らせた。

その後の炭窯のシーンはすばらしく、カメラは時おり爆ぜる炭の破片の美しさを繊細に捉えていく。天に向けて燃えさかっていた炎は、しかし吾郎が発作で倒れた途端に落下してゆく火の粉のイメージへと反転する…。ちょうど昼食時に弁当の蓋を開け、今度は「おバカ」と書かれた桜でんぶに苦笑を浮かべたときだった(このシーンの吾郎は誰の目にもベスト吾郎なので全ゴロリスト必見である)。

この後の展開はあえて書かずにおくが、兎にも角にも吾郎が仕事に出かける途中で千鶴のケータイに残した留守電のメッセージにはグッときたなぁ。

今日は秋刀魚じゃなくて鯖がいいかな。…あ、煙草吸ってるの、バレてます

良いいいいいいいいいいいいいいいいいい!

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何気によしもとクリエイティブ・エージェンシー所属の池脇千鶴(右)。

 

この映画終盤で人を感動させずにおかないのは夫婦愛だけではない。吾郎と博己の関係性だ。

漁業の人となった博己は「海の上にいると落ち着くんだよ」と言う。山での生活ではそれなりに回復の兆しを見せていたものの、やはり闇堕ちしてしまった博己がようやく辿り着いた安住の地。それが海だった。死んだ戦友のためにウイスキーを撒いた海。この何気ない一言が仄めかすのは、博己は水に、吾郎は火に生きる男ということだろう。

二人は三十年来の親友だし、その友情は並大抵の固さではないが、好むと好まざるとに関わらず住む世界を異にした二人だったのだ。だからラストシーンで降る「雨」は死者を弔ってきた博己の気持ちそのものなのである。

 

阪本順治はやはり二流で、見せなくていいものをわざわざ見せたり意味もなくカメラを振ったりするが、“見せるべきもの”を一通りおさめたという一点において、本作はとてつもなく感動的な作品に仕上がっております。

稲垣吾郎、長谷川博己、渋川清彦、池脇千鶴。この列記がわれわれの想像を遥かに超えるマジックを起こした『半世界』は間違いなく完全な世界を築いていた。

問題は、こんなにいい映画が東京国際映画祭とヨコハマ映画祭という無視に値する映画賞で辛うじて話題にのぼった程度で、興行的にも大苦戦、レンタル店ではほとんど貸出しされた形跡なしといった惨憺たる「世間」の現状である。かくいう私も今頃になって観た分際、劇場で観ておけばよかったなと後悔することしきりなのだが…。世界を見よう。

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