シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

陪審員

結局ウィンしたのはデミの方で、ボールドウィンがウィンしない映画。

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1996年。ブライアン・ギブソン監督。デミ・ムーアアレック・ボールドウィンジョセフ・ゴードン=レヴィットアン・ヘッシュ

 

マフィアのドンとその孫が殺され、ファミリーのボス、ボファーノが逮捕された。この事件の陪審員に選ばれた女性彫刻家アニーのもとに、マークと名乗る男がやって来る。作品を買いたいと申し出、その紳士的な態度に心を開く彼女だったが、自宅に招待したとき彼の態度は一変する。“無罪と言わなければ息子の命はない”、彼はボファーノに雇われた殺し屋だったのだ…。息子の命を守るため嘘の証言をすることになった女性の孤独な戦いを描いた作品。(Yahoo!映画より)


ゆくりなく始まった『デミ映画特集』だが、現時点では全作こき下ろしている。これではデミ批判特集だ。

かと言ってダメな映画を無理やり褒めるみたいなおすぎのような真似をするぐらいなら腹かっ捌いて死んだ方がマシなので、私は陪審員のDVDをデッキに突っ込みながら「頼むからまともな映画であってくれ…」と願った。

これ以上オレに言わせるなイズムだよ!

結果、他の3作品に比べればそれほど悪い出来ではなかったのでひとまず安堵したが、とは言え凡作の域は出ない。

というか、そもそも論としてデミ・ムーアの映画に傑作なんて存在するのだろうか?

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ブルース・ウィリス「仲間が増えた」


◆デミ依存がすげえ◆

殺人容疑で起訴されたマフィアのボスを救うために、部下のアレック・ボールドウィンジェームズ・ガンドルフィーニ陪審員を引き受けたデミに接触して「無罪を主張しないと息子を死なせます」と脅迫する。

 

この時点で結構ふざけた映画である。デミを脅すマフィアたちがバカすぎるのだ。

アメリカの陪審制度は全員一致で評決に達することが原則。したがってデミ一人に圧力をかけて無罪を主張させたところで、それでボスが無罪になるとは限らない。ましてやデミともう1人を除く残りの陪審員10人は「ギルティ! ギルティ!」つって有罪をがんがん主張しているので、デミを脅したところでどうこうなる問題ではないのだ。

どうせ脅すなら12人の陪審員全員を脅さんかい(あまりに非現実的だけど)

 

映画中盤になって「そうか! デミ一人に無罪を主張させてもあんま意味ねえんだ!なんつってようやく陪審のシステムを理解したボールドウィン、デミへの「無罪に投じろ」という要求を「無罪にしろ」に変える。

「デミちゃん! 陪審員をうまく説得して全員一致で無罪の流れを作ってくれ。君ならできる!」

デミ依存がすげえ。

デミへの凭れ掛かりがすげえ。

自分のボスが有罪になるか無罪になるかの瀬戸際を一般市民のデミに丸投げするという。

デミ「話が違うじゃない! 無罪を主張するだけでいいって言ったのに!」

ウィン「キミ一人が無罪を主張するだけではあんま意味ないってことに気付いたんだ。無罪にしてくれないと息子を死なせます」

だが、こんな無茶振りを受けてもデミは挫けない。母は強し。弁舌さわやかに陪審員を説き伏せて全員一致の無罪評決へと導くのだ!

全能か、おまえは。もう弁護士になれ。

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「ボスは無罪です!」


◆ロンリー、ロンリー、ロンリーウルフ♪◆

これだけならシンプルな筋だが、厄介なのはボールドウィンデミにゾッコンのサイコ野郎という設定である。

ボールドウィンとガンドルフィーニの下っ端コンビは四六時中デミを見張っている。もちろんガンドルフィーニの方はデミが脅迫されていることを誰かに他言しないように見張っているわけだが、ボールドウィン愛ゆえに見張っている。

公私混同も甚だしい。

ボールドウィンはデミの自宅に盗聴器を仕掛けてデミ親子の日常会話を盗み聞きするが、これも愛ゆえに。

極めつけはボールドウィンの隠れ家の壁一面に貼られたデミの写真だが、これももちろん愛ゆえに。

ボールドウィン「愛ユエニー」

ただのストーカーです。お薬出しときますねー。

 

そんなわけで、無罪を勝ち取ったボスに「あの陪審員の女は危険だから消しておけ」とデミの抹殺を命じられたボールドウィンは、秒で「無理ぽ」と逆らったことで自分の属する組織からも命を狙われてしまう。愛ゆえに。

…と、ここまで読んだ読者諸兄の中には「もしかしてこのあとデミとボールドウィンが結ばれて愛の逃避行的な展開に!?」と早合点する人もいるかもしれないが、残念でした、それは同じボールドウィンの映画でもゲッタウェイ(94年)です。

デミは終始ボールドウィンのことをめちゃめちゃ嫌っている

だってサイコなんだもの。しまいにはマフィアのボスとグルになってボールドウィンを陥れようとするからね。

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デミちゃんが好きで好きでしょうがないボールドウィン

 

だからこれ、見様によってはちょっと切ない映画なんですよ。

ボールドウィンはデミに対する愛ゆえに組織を裏切って命を狙われたけど、そのデミからも嫌われて命を狙われるという。愛も仁義もない四面楚歌だよ。

ボールドウィン「こんなにキミを愛してるのに!」

デミ「地獄で恋してな!」

最後はデミにパキューン、パキュキューンと撃ち殺されます。

結局ウィンしたのはデミの方で、ボールドウィンのウィンは夢に散ったというわけさ。周囲をみんな敵に回して愛にも破れる…という一匹狼のボールドウィンの魂に幸あれ。

沢田研二「ロンリーウルフ」が聴こえてきそうだね。はい、一緒に聴きましょうね。

 

愚かな女は 時にはかわいい

愚かな男は ただ愚かだね

これで愛なら 抱くんじゃなかった

まるで淋しさに Kissしたみたいだ

ロンリー ロンリー ロンリーウルフ♪

 

夢みる女は いつでも綺麗だ

夢みる男は なぜ汚れてる

これで夢なら 見るんじゃなかった

まるで幸せと 引きかえたみたいだ

ロンリー ロンリー ロンリーウルフ♪ 


◆メンバー紹介◆

はっきり言ってこの映画はキャストを楽しむ作品なので、メンバー紹介していきましょうね。

 

まずは何といってもウィンできなかったボールドを演じた…

アレック・ボールドウィン

キム・ベイシンガーと結婚していた時期ですね。離婚してぶっくぶくに太る前なので超ハンサム。髪型も相俟ってトム・クルーズに似ている。

無感情な青い瞳をデミへと向けるその色気に、観る者は思わず呟いてしまうだろう。

「愛ユエニー」とね。

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あれほど格好よかったボールドウィンも、今となっては老眼距離でスマホいじってる最中に赤ちゃんに鼻をギューンつねられて「あいいい」とわめくようなダメンズに…。

 

そしてデミの息子を演じているのが、子役時代の…

ジョゼフ・ゴードン=レヴィット

(500)日のサマー(09年)で人気に火がついてからというもの、インセプション(10年)LOOPER/ルーパー(12年)などで獅子奮迅の活躍を見せる人気俳優になったが、この頃は少女と見紛うほどかわいい。

11歳のころに『ベートーベン』(92年)でデビューしているので、意外とキャリアが長い。

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ハリウッドに「草食男子」というポジションを作ったジョゼフ・ゴードン=レヴィット。

 

また、ボールドウィンの相棒のマフィアを演じるのが…

ジェームズ・ガンドルフィーニ

普通に映画好きをやっていれば彼を見ない年はないと言っても過言ではないほど、あらゆる映画で錦上花を添える名脇役だ。

ていうかガンドルフィーニて。

1分間に700発の弾を発射しそうなパワーネームのわりには名前負けしてる感がすさまじいな。

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ニヤけ顔のハゲオヤジ、それがガンドルフィーニ。顔と名前の反比例ぶり。

 

そして、あえて最後に持ってきました…!

デミの親友を演じたアン・ヘッシュ

「そういえばそんな女優もいたなー」ぐらいに思う人がほとんどだろうが、私は忘れない。アン・ヘッシュを忘れない。ちなみに我が家はよその家族よりもアン・ヘッシュを高く評価しています。たぶんウチの家族は日本で5番目か6番目ぐらいにはアン・ヘッシュを評価している家族だと思う。

『ボルケーノ』(97年)『6デイズ/7ナイツ』(98年)リメイク版『サイコ』(98年)など、主に90年代後期からゼロ年代初頭にかけてそこそこの活躍を見せていて、ちょうどこの時代に洋画劇場を観ていた人にとっては懐かしの女優だ。

バイセクシャルを公言して女優のエレン・デジェネレスと結婚したことが話題になった。

彫刻のような中性的な顔立ちと冷気すら発する雰囲気から、私の中ではティルダ・スウィントンの劣化版として高く評価しています!

「劣化版」というのは言葉が悪いですね。言い直しましょう。

ティルダ・スウィントンから芸術性を差っ引いたらアン・ヘッシュになる。

ちなみに本作ではボールドウィンにぶっ殺される役だが、ベッドシーンはしっかり確保されているので安心されたい。

アン・ヘッシュを忘れないこと。それはハリウッド映画好きに課せられた義務でもある。

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この画像はロングヘアーだけど、基本的にはショートヘアーの女優です。


◆デミ総評◆

以上をもって『デミ映画特集』はグダグダな形で終わることになる。

改めてデミ・ムーアと向き合った一週間だったが、この機会を通じて学んだことは「やっぱりそんな大した女優じゃねえな」という実に意義深いものだった。

栄えあるゴールデングローブ賞は一度だけノミネート。反して、不名誉なゴールデンラズベリー賞は8回もノミネートor受賞しているのだ。

高飛車な性格。撮影現場ではしょっちゅう監督やスタッフをクビにする。3000万円以上かけて美容整形する。所かまわず乳を放り出す…など数々のセレブ的蛮行を働いてきたことでも有名。しかも、どう考えても頭の悪そうなアシュトン・カッチャーと15歳差の結婚、そして離婚。

今となってはブルース・ウィリスの元嫁」という通称でどうにかこうにか罷り通っているセレブババアである。

 

とは言えですよ。

空前の大ヒットを記録したゴースト/ニューヨークの幻(90年)の頃はたしかに魅力的だった。

それに、青春映画やラブストーリーだけでなく硬派な映画にも積極的に出演したり、人気絶頂期にも関わらずヌードになったり坊主にするなど演技派に転向するための方法論を打ち出したのも彼女(これに感化されたのはメグ・ライアンナタリー・ポートマンアン・ハサウェイなど多数)

デミが提唱した演技派転向メソッドが裏目に出るケースも多々あったが、「たとえ全盛期だろうが何だろうが守りに入らない姿勢」は評価されるべきだ。

結果論としては駄作~凡作に出演作の大部分を覆い尽くされたデミだが、決して手数を減らすことなくパンチを打ち続けた攻めまくり女優でもあるのだ。

今やゴミ同然のB級アクションに出まくってはセコセコと小遣い稼ぎをしている元夫のブルース・ウィリスよりも、よっぽどチャレンジ精神という名の玉砕精神に溢れているではないか。

ビバ・ムーア!

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きのうの夜は…

最終的に主演の男女はどうしてもくっつかなあかんのけ?

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1986年。エドワード・ズウィック監督。ロブ・ロウデミ・ムーアジェームズ・ベルーシ

 

恋に落ちたダニーとデビーはお互い束縛しないという約束で同棲生活を始める。しかし暮らし始めてみると、些細なことでぶつかりあい、徐々に亀裂が入っていく。ついに行きつけのバーでのパーティでケンカをして同棲を解消。しかしお互いが忘れられない二人は…。(Amazonより)

 

デミといえば選手権で見事3位になったデミ・ムーア。ちなみに1位はデミグラスソースで、2位はデミヒューマン

デミグラスソースやデミヒューマンはみんな大好きだよね。それなのになぜデミ・ムーアを観ないんですか? ってことですよ。

もしもデミ・ムーアが司会の『快傑デミちゃんねる』という番組が関西テレビで始まったら、僕は見るよ。初回だけね。だから皆さんもデミ映画を観てください。痛み分けです。

そんなわけで『デミ映画特集』の第三弾は『きのうの夜は…』で決まり!

 

本文に入る前に私の感情を開示しておきます。

ややギレです。

 

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◆定番のファッキン・ロマンス・コース◆

女遊びを生き甲斐とするロブ・ロウと、職場の上司と付き合っているデミ・ムーアが一夜限りの関係を持つがセックスがあまりにすてき過ぎたために同棲、ところが徐々に喧嘩が増えて破局。「私たち、子供すぎたのね…」などと観客からすれば映画が始まって10分でわかったことに今さら気づいてお互い反省、ヨリを戻したいロブ・ロウがロブロブ言いながら付きまとうが、やり直す気はないデミはデミデミ言いながらこれに抗う。

しばらくは別の異性と新たな恋を始めようとする二人だったが、なんだかんだで未練があって互いを忘れられず、偶然再会した二人は、ロブロブ、デミデミと会話したあと結局ヨリを戻す。終わり。

 

人を食ったふざけた映画だ。

これまでに我々が5657回ぐらい観てきた「交際→喧嘩→復縁」という定番のファッキン・ロマンス・コースが何の鮮味も学習もなく繰り返される。

男と女ってやつは、なぜ飽きもせずに同じことを繰り返すのだろう。ほかに夢中になれるものや打ち込めることがないのだろうか。

こういう映画を観るたびに「人類はいつまで経っても進歩しないな」などと嘆息してしまうのだが、まぁどうでもよろしい。私には何の関係もないことだ。

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若手俳優集団「ブラット・パック」の構成員だったマット・ディロントム・クルーズらとまとめて売り出されていたロブ・ロウ(左)。一文字違えば「三郎」だったのに、惜しいことをしました。


デンゼル・ワシントンを使う監督に悪い奴はいない◆

だが、この映画を観た人民の間ではわりに受けているらしいじゃないか。

ラストサムライ(03年)ブラッド・ダイヤモンド(06年)など人畜無害な映画を撮り続けてきたハリウッドきっての人畜無害の監督エドワード・ズウィックの長編処女作でもある本作は、セント・エルモス・ファイアー(86年)で共演したばかりのロブ・ロウデミ・ムーアの再共演作である。

当時、アホみたいにブームを巻き起こしていたブラット・パックヤングアダルトスターの大群)のツートップが共演していて、おまけにそんな二人のベッドシーンまで用意されているというのだから、いかに本作が話題をさらったかは推して知るべし。

きっと女子高生3人組とか大学生のカップルが観に行って「デミデミ」、「ロブロブ」などとわけのわからない感嘆詞を漏らしてスクリーンの二人に胸をトキめかせていたのだろう。

こんな映画を観てないで、とっととウチ帰れ!

ブラット・パックの総本山的作品にして、悪名高きシュマッカー先生の底なしバケツ映画!

 

まぁ、だが実際、ロブ・ロウはちょっと洒落にならないぐらいハンサムだし、泣くのを堪えるあまり鼻の穴がヒクつく…というバカみたいな芝居すら可愛く見えてくるから反則だ。端的にこれはひきょい。

そして、どこも整形していない頃のデミ・ムーアはとてもナチュラルで、私がデミを苦手と感じる最たる理由であるたるんだ頬だって、この頃は果敢にも重力に逆らっていた。バブル丸出しの掻き上げヘアもザッツ80年代という感じで、たいへんよろしい。

映画の主舞台はアパートの一室とか下品なバーといったせせこましい場所ばかりだが、少ないながらもシカゴの街並みや風俗はよく撮れている。

 

だいたいにおいて、私はエドワード・ズウィックが嫌いではない。近作のジャック・リーチャー NEVER GO BACK(16年)だって応援したしトム・クルーズに10年ぶりに芝居をしてるしね)

たしかに手掛けた映画はほぼすべてヌルいが、ジョエル・シュマッカーのような俗物ではないと思います。デンゼル・ワシントンを3回も起用していることがそれを傍証している!『グローリー』戦火の勇気『マーシャル・ロー』

 

 

そんなわけだから、甘えきったロマンス映画に逐一キレてまわる私のような恋愛警察でもなければ、ひょっとすると普通に楽しめる善良な映画なのかもしれない(善良な映画にいかほどの価値があるのかは知らん)が、とりあえず今現在、私は半ギレになっています。

ここから先は「ただの疾走する感情論」です。

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仲がよかったころ。接客最低のダイナーで昼食を楽しむ二人。


ただの疾走する感情論

要するにクソみたいなロマンスを供給されても困るということだ。

助平男と二股女が合意の上でファックおよび同棲するのは当人たちの自由だし、「祝福しろ」と脅しつけられたら引きつった顔で祝福だってするだろう。

徐々に心がすれ違って喧嘩が耐えなくなる同棲生活にも、べつにイラつきはしまい。そもそも恋愛とは「相手の中に自分の理想を投影する」という自己完結したものであり、「I Love You」とは回り回って「I Love Me」なのだ。

だから同棲生活によって徐々に相手の本性を知って理想が投影できなくった二人が喧嘩別れに至るというのは、むしろ当然の帰結である。人間味があって結構なことじゃないか。

 

だが問題は、別れて2週間経ったロブ・ロウ「やっぱり忘れられないだロウ」などとふざけたことを言ってデミにつきまとう終盤である。

終わった花火にもう一度ライターで火を点けようとするがごとき往生際の悪さ。その卑しさ!

始めこそ「私たちは終わったのよ。もうあなたを愛してないの…」と言ってけんもほろろに復縁を断るデミだったが、ロブに押されまくるあまり「うーん…。だったら善処します」と謎の保留モードになった挙句、数日後に再会したときには打って変わって「やり直すのもアリだよね。逆にね!」って、どんな方程式を使ったらその解に辿り着くんだよ。

「恋は理屈じゃない」と言うけど、理屈じゃないものを理屈で見せるのが映画ですからね。

 

私が不快感を抱いたのは、この二人にではなく、こういう映画を量産するハリウッド・システムに対してである。

最終的に主演の男女はどうしてもくっつかなあかんのけ?

なぜ別れがいけないことなのだろう。別れた二人が別の相手と出会って幸せな道を歩むことだって充分すばらしいことではないか。

ましてや本作は自由恋愛を標榜した作品。二人は同棲する前に「互いを束縛したり執着し合うのはやめましょうね」と約束を交わすのだ。

にも関わらずそこで描かれているのは「何が何でも別れた相手に執着しろ」というもので、ロブがデミ以外の人と結ばれるのはハッピーエンドじゃないとする価値観だ。

これって、この二人が何よりも嫌っていた束縛にほかならないよね?

ロブはデミの束縛を嫌って別れを切り出した。あくまで物語上はね。でも本当はそうじゃない。

この二人を束縛しているのは映画の側だよ。

まるで「ロブとデミ、お前たちは何が何でも結ばれなきゃいけない。喧嘩しようが別れようが、別の異性と結ばれるのは許さない。それはハッピーエンドではないからだ。お前たち二人が結ばれることで初めてハッピーエンドは成立するのだ!」と言っているかのよう。

 

もうハリウッド脳まるだしのハッピーエンド主義にはうんざりだ。

そもそも「結ばれたからハッピーエンド」とするのはこの上なく短絡的な結論だから!

むしろ結ばれてからがスタートだよっ。

特にこの映画なんて、助平男と二股女が体の相性のよさで同棲を始めたようなもので、ロブに至っては別れていた間も手当たり次第にほかの女性と一夜限りの関係を持つような男だから、デミと復縁したところでまた別れるのも時間の問題でしょう。

長い目で見ればバッドエンドだよ、これ!

だったらいっそ綺麗さっぱり関係を清算してそれぞれの道を歩むことこそが真のハッピーエンドなのでは?

 

そんなわけでこの映画には、職場の上司がロブに放った名言を贈りたいと思います。

「おまえは14カラットのクソタレだ!」

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ロブが野球してたらデミが来て「やり直すのもアリだよね。逆にね!」。試合を放棄したロブは、デミに寄り添いながら緑道を歩いて行く…。

緑道の木が全部倒れて二人がその下敷きになったら最高の映画なのに!

 

素顔のままで

 デミが1250万ドルもらう代わりに裸で踊った。それだけの映画。

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1996年。アンドリュー・バーグマン。デミ・ムーアバート・レイノルズロバート・パトリック

 

FBIの秘書課で働いていたエリンは、今では人気ストリッパー。お金を貯めて弁護士を雇い、夫から娘を取り戻すためなのだが、彼女はこの仕事がけっこう気に入っている。そんなある日、彼女に触ろうとした男を、別の男が殴るという事件が起きた。その殴った男がお忍びでストリップ・クラブに来ていた下院議員だったために、やがて事件は思わぬ展開に…。(Yahoo!映画より)

 

いっさいのニーズを無視した『デミ映画特集』第二弾である。

ていうか、ここんとこ70~90年代の映画ばかり観てんです。べつに昔というほど昔の映画でもないけど、でもたぶん映画ブロガーがやたらに取り上げるべき年代の映画ではない…ということぐらいはさすがの私も百も承知だよ。周りのブロガーたちはもっとフレッシュな話題作を取り上げて時評感を醸しているのに、私が醸しているのは今更感。

当ブログで取り上げる映画って、なんというか…おっさん臭いんだろうな、きっとな。

特に最近な。『マッドボンバー』(72年)とか『恋しくて』(87年)とか、そんなんばっかじゃん。何なのこのラインナップ。『黒い牡牛』(56年)て。

これじゃあ女子高生に読んでもらえない。まぁ女子高生は嫌いだからいいけど。

何が言いたいかというと、向こう1ヶ月ぐらいはこの年代の映画ばかり取り上げるので悪しからず…ということでございます。

「最近、こんな懐メロみたいな映画ばっかりじゃない?」という不平不満に対するエクスキューズ。

 まぁ、そういうことで『素顔のままで』です。

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この話、何がどうなったら解決なの?

娘の親権を巡って薬物中毒の元夫と裁判で争っているデミ・ムーアは、ストリップ・クラブ「ぬれぬれガールズこれはひどいの人気ストリッパー。

そんな彼女にゾッコンの下院議員バート・レイノルズは、店でデミに触ったファンをぶん殴ってしまう。事件を見ていたデミのファン2号は、B・レイノルズと懇意にしている親権裁判の担当判事に圧力をかけることでデミの裁判に協力しようとしたが、B・レイノルズによって消されてしまった…。

 

うーん…、なんだかよく分かんねえ話だな。

「デミの親権裁判」と「下院議員のスキャンダル」が同時平行で描かれて、その間にどんどん死人が出るという。いつまで経ってもデミが事件に巻き込まれないどころか、B・レイノルズとも一向に面識を持たないので、並行する2つの点が交わらないのだ(『マイ・ブラザー』と同じ現象)。

そもそもこの映画、物語の「当事者」がいない上にシナリオの方向性も見えてこないので「この話、何がどうなったら解決なの?」と。

ピントがボケまくってるというか、着地点が想定できないし、多分されてもいないんですよね。

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ストリッパー役の脱ぎ・ムーア。


◆アホ揃いのナンセンス・コメディ◆

完全にふざけきった映画だ。

邪悪な下院議員B・レイノルズは、デミに夢中になるあまり選挙活動を放棄。「彼女の肌に触れた物を持ってこい! 持ってくるまで選挙活動はせんからな!」と秘書に命令してコインランドリーでデミの下着を盗ませる。

下着をゲットして大いに満足したB・レイノルズは、選挙パーティの控え室で全身にワセリンを塗りたくってデミのパンツを嗅ぐ!

 

秘書「何してるんですか、出番ですよ!」

下院議員「これぞ天使の香り。フォ――、力が漲る!」

秘書「もうウンザリだ。僕はアンタのようなヘンタイの世話をするためにこの業界に入ったんじゃない。辞めさせてもらいます!」

下院議員「修行が足らんなぁ」

 

えっと…、何これ。

何を見せられているの、僕は。

てっきり悪役と思っていたB・レイノルズはただの完全無欠のヘンタイだった…ということ?

 

一方、「ぬれぬれガールズ」では蛇使いのストリッパーが新メンバーに加わるが、蛇が死んだというので用心棒がストリッパーに黙って代わりの蛇を用意したところ、何の訓練も受けていない蛇は舞台の上で彼女の首を締め上げる。

蛇使い「あんた誰よ!」

首を絞められて失神寸前の蛇使い。「えらいこっちゃ」と言って舞台袖から出てきた仲間のストリッパーたちが必死で彼女の首から蛇をはがしてボコボコにする。

何だろう、このどうでもいいサイドストーリーは…。

 

ようやくデミと接触したB・レイノルズは「1時間1000ドルで私のために踊ってほしい」と言ってデミをクルーザーに招く。そこへ薬物中毒の元夫が現れて鉈を振り回し、殺し合いの大騒動に。

ちょっと待って…、最初から意味わかんねえのに余計に意味わかんなくなってきた。

クライマックスの舞台は砂糖工場である。部下たちがB・レイノルズを裏切ってデミもろとも始末しようと拳銃を向ける。だが、完全にラリっている元夫が、自動販売機のコーヒーと勘違いして「砂糖抜きで!」とわめきながら工場のスイッチを押したため、大量の砂糖がB・レイノルズの部下たちの頭上から降り注ぎ、彼らは砂糖の下に埋まってしまった。

元夫は「砂糖抜きと言っただろう」と言って気を失った。

そこへ警察が駆けつけてB・レイノルズとその部下が逮捕。ハッピーエンドってことでエンドロールが流れて画面が暗くなる。

暗闇に取り残される私。

そんな私がいた。

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脱ぎ・ムーアと下院議員のバート・レイノルズ

 

まったくわけのわからない、人を食った映画だ。ふざけやがって。

きっと読者諸兄も、この文章を読みながら「なにをいってるかぜんぜんわからない」とお思いのはずだ。私の説明が下手なのもあるけど、本当にこういうわけのわからない映画なんですよ!

「何これ今どういう状況?」っていうのが最初から最後まで115分続くの。

要するにこれ、ストリッパーが政界の闇に巻き込まれるポリティカル・サスペンスかと思いきや、完全にナンセンス・コメディなんだよね。

出てくるキャラが見事なまでにアホばっかり。だがあくまで外ヅラはサスペンス風で「シリアスな映画です」と装っている。

なんというか、ツイン・ピークスに近いものがあるわ。


◆どうしてこんな仕事を引き受けたの?◆

こんなクレイジームービーだが、蓋を開けると大当たりした。デミ・ムーアのストリップが大きな話題を呼んだのだ。

雑誌『ラブフィルム』がおこなった「最悪だけど観たい映画」では堂々の1位。また、本作でデミが手にした出演料は当時の歴代女優最高額の1250万ドルだ。

だが、その価値に見合うほど有難いヌードなのかといえばノー。断じてノー。豊胸丸出しの硬式ボールみたいなバストを晒し、艶やかと呼ぶにはあまりに健康的すぎる四肢を振り回しているだけなので、まるで故障したEVA初号機が暴れてるようにしか見えない。

ちなみにデミは、さまざまな雑誌で隙あらばヌードを披露する自信家の露出狂としても知られている。有難味ゼロ!

そんなデミのストリップシーンは都合3回あるが、3回すべてが説話的必然性を欠く。もはや「デミにストリップをさせる」というコンセプトありきの映画で、わけのわからないシナリオはストリップシーンを繋ぐための余興でしかないのだ(だからわけがわからない!)

沢田研二『ス・ト・リ・ッ・パ・ー』が聴こえてきそうだね。

 

ヒールを脱ぎ捨て ルージュを脱ぎ捨て

すべてを脱ぎ捨てたら おいで

裸にならなきゃ 始まらない

ショーの始まりさ

朝でも夜でも真昼でも 恋はストリッパー

裸のふれあい

春でも秋でも真冬でも 愛はストリッパー

見せるが勝ちだぜ

 

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 見せるが勝ちだぜ。

 

そしてヘンタイ下院議員を演じたバート・レイノルズの落ちぶれっぷりたるや…。

『脱出』(72年)ロンゲスト・ヤード(74年)の頃は男気ムンムンのセックスシンボルだったのに、全身ワセリンまみれで盗んだパンツを嗅ぐような仕事を引き受けるとは…。

60歳だぞ?

だが翌年のブギーナイツ(97年)では頭のイカれたポルノ映画監督を演じて大絶賛された。

ちなみにこの人も雑誌でヌードを披露した自信家の露出狂である。

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「盗んだパンツを匂い出す」というサビでお馴染みのバート豊のヒット曲。そう、皆さんもカラオケでよく歌う「60の夜」です。

 

「どうしてこんな仕事を引き受けたの?」と思う役者があと一人いる。

薬物中毒の元夫を演じたロバート・パトリックだ。

今となってはポンコツ映画に欠かせない脇役として馴染み深い俳優だが、やはり私にとってロバート・パトリックといえばターミネーター2(91年)液体金属男 T-1000であるから、知能指数5のヤク中みたいな情けない姿を見るのは超ショックなんだよ!

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 ジョン・コナーを追っかけ回してた頃は格好良かったのに…。

 

そんなわけで、出た俳優が誰も得をしないどころか、むしろ信頼と名声ダダ下がり映画が『素顔のままで』である。失笑必死の底抜けストリップ・コメディ!

ただ、スペンサー・デイヴィス・グループ「Gimme Some Lovin'」が使われていたので、そこだけは気分が上がったが、劇中歌に救われる映画ほどみじめなものはない。

 

死ぬほど多くのミュージシャンにカバーされ、死ぬほど多くの映画にも使われたロックンロール・アンセム「Gimme Some Lovin'」

私がいまドハマりしているサンダーのカバーバージョンでどうぞ。エブリ~デイ!

 

愛を殺さないで

もうやめませんか、ウソ回想。

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1991年。アラン・ルドルフ監督。デミ・ムーア、グレン・ヘドリー、ブルース・ウィリス

 

シンシアとジョイスは幼なじみの親友同士。ジョイスと暴力的な夫ジェームズの間にはいさかいが絶えなかった。ある夜、シンシアとジョイスはカーニバルに出かけるが、そこでジェームズが殺されるという事件が。一体何が起こったのか? 刑事ウッズがシンシアを事情聴取するが…。(映画.com より)

 

本日から『デミ映画特集』が4日間に渡って行われます。

どうしてこんなことが行われるのかと言うと、よく考えたら私はデミ・ムーアの映画を数える程度しか観ていないことに気付いてしまったからです。

それに私だけでなく、社会全体が「デミ・ムーアとは何だったのか?」という問題についてそろそろ真剣に考えてもいい時期に差し掛かっていると思うんです。

冗談半分に聞こえるでしょうが、もう半分はマジです。

 

鳴り物入りでメジャーデビューを果たした『セント・エルモス・ファイアー』(85年)以降、87年にブルース・ウィリスと結婚、ゴースト/ニューヨークの幻(90年)のメガヒットによって不動の地位を確立したデミは、ヌードをばんばん披露しながらセレブ女優の名を欲しいままにするが、出た映画は軒並み凡作~駄作。

にも関わらず、欧米はもちろん日本でも知名度抜群で、ハリウッドのトップ女優として扱われていることが昔から不思議だった。

そんなわけで、長年私を苦しめたデミ・ムーアとは何だったのか?」という疑問に決着につけるべく、時に苦痛に耐え、時に睡魔と戦いながらデミ映画を4本観たので、4日連続で『デミ映画特集』をしてやろうと思ったのです。地獄に道連れ。

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◆忘れ去られた時効的駄作◆

当時夫婦だったデミ・ムーアブルース・ウィリスの共演作、ということ以外に取り立ててトピックがない映画といえば?

そう、『愛を殺さないで』である。

まぁ、厳密にはドンデン返し映画の名作として知られるユージュアル・サスペクツ(95年)のパクり元でもあるのだが、ユージュアル・サスペクツ自体が映画にハマって2年目ですみたいな人しか騙せない相当どうでもいい映画なので、いずれにせよ大したトピックではない。

完全に忘れ去られた駄作である。

だって、たとえば学校や会社の昼休みに「『愛を殺さないで』って観たことあるぅ?」「観た観た。あの頃のデミ・ムーアって超かわいかったよね~!」なんつってこの映画の話題を5分以上キープする人民が果たして現代にいるだろうか?

圧倒的にノーだよ。

もしそんな奴がいるとしたらデミ・ヒューマンだよ、そいつはもう。

せいぜい公開当時に本作を観たおっさん・おばはん世代が、何かの折りに「そういえばこんな映画もあったよね」という話をして約13秒で流すのが関の山だ。

 

で、これから、そんな忘れ去られた時効映画に対して今さらブチ切れていくというわけです。デス・ムーア。

私の前では時効なんて通用しません。時を超えて処刑!

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◆回想シーンがメインの映画◆

先述の通り、当時夫婦だったデミ・ムーアブルース・ウィリスの共演作だが、レビュー界隈では「あまりにシナリオが酷かったので、デミの伝手を頼ってブルースを出演させたのでは?」という説が囁かれている。

何の根拠もないが、けっこう有力な説だと思う。映画好きの勘というやつは存外当たるのである。

 

劇中のブルースは、デミ・ムーアではなくその親友のグレン・ヘドリーの夫を演じているが、これがまたどうしようもないヤク中の暴力亭主で、女房の親友であるデミに「おっぱい見せろよ~」と小学校中学年みたいなことを言って喜んでいる弩チンピラだ。

また、妻グレンの稼いだ金をむしり取って酒とヤクに使ったり、グレンが二人目の子供を妊娠したと知れば「中絶しろ! ガキ2人も手に負えないぜ! 始末に負えないぜ!」と怒鳴る。

始末に負えない?

どちらかと言えばおまえの方では?

事程左様にキング・オブ・クズ。

そんなブルースに堪忍袋の緒が切れたグレンは夫を殺害。親友のデミに証拠隠滅を手伝わせて夫殺しの片棒を担がせ完全犯罪を目論むが、所詮は行き当たりばったりの犯行なのでアッちゅう間に逮捕されてしまう…。

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私生活では当時妻だったデミに「おっぱい見せろよ~」とナンセンスなセリフを発するブルース・ウィリスどうせ毎晩見とるがな。

 

…というのが、警察署で取調べを受けるデミの主張である。

この映画は、デミが取調室で刑事のハーヴェイ・カイテルから尋問を受けるシーンに始まり、以降もずっと取調室が舞台だ。

デミは「グレンが夫を殺して、自分はその片棒を担がされた」と主張する。

したがってグレンの夫殺しにまつわる過去は「デミの回想シーン」という形でフラッシュバックされていくのだ。まぁ、完全にユージュアル・サスペクツだわな。

だが、この映画を失敗作たらしめた原因はまさにそこで、上映時間の大部分を占める「フラッシュバック」の使い方にある。

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私生活ではジョン・マルコヴィッチと結婚していたグレン・ヘドリー(左)、前髪を根こそぎ持ち上げるデミ・ムーア(右)。

 

※ここからは結末のネタを割らないと先に進めないので、ネタバレします。

万が一「近々『愛を殺さないで』を観るよー。楽しみを殺さないで」という方がいらっしゃったら、ここから先は読まないで下さい。今すぐページを閉ジール・ウィリス。

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刑事役にハーヴェイ・カイテルカイテル、字書いてる」というクソくだらねえギャグをいつかご本人にプレゼントしたい。


◆ウソ回想という禁じ手◆

まぁ、冒頭でユージュアル・サスペクツのパクり元と書いた時点でネタバレになっているのだが、ブルースを殺した犯人はグレンではなくデミです。

だがここでおかしな点が2つ。

1つは、グレンとデミは同じように取調べを受けているのに、どうしてデミは「グレンが実行犯で、自分は殺人幇助をしただけ」などと無理筋の嘘をついたのか。グレンが本当のことを喋ったら、そのウソ成立しないよね?

だったら、あらかじめ2人の間で「グレンが殺った」ということで口裏を合わせる…みたいなシーンを入れないと。

 

そして2つめ。これは物語の論理的整合性なんて遥かに上回る映画的大罪なのだが…。
嘘の回想を入れるなということである。

われわれが100分近く見せられたデミの回想シーンでは「グレンが夫を殺した」ということになっているが、ラストシーンに至ってそれが嘘だったことが明かされる。つまり回想シーンに「嘘」が含まれてるってわけ!

これは映画文法の禁じ手です。刑罰で言ったら島流しレベルの御法度。

いや、島流しした果てにその島の浜辺にバーベキューを用意して期待させるだけ期待させて肉に食らいつく瞬間に中距離弾道ミサイルで島ごと吹き飛ばしたいレベルの重罪である。

 

私がこんなことを言うと、以前から『シネマ一刀両断』を快く思わない回想シーン専門家が「いや、回想シーンというのはそれを回想している人物の主観的記憶に基づいてるから嘘や思い違いも有効である」と反論してくるかもしれないが、映画理論に立脚して抗弁するなら「嘘や思い違いの主張ならセリフで表せば済む話だ」となる。わざわざフラッシュバックを用いて映像化するような紛らわしい手続きは必要ない。

ウソ回想が許されるのは羅生門メソッドを採用した映像作品に限る。

黒澤明羅生門(50年)は、ある殺人事件をめぐって複数の証言者が偽証するという証言食い違い系ミステリーだ。このような物語形式を羅生門メソッドと呼ぶ。そして羅生門メソッドにおいては「嘘をつくこと」が前提化されているので、事実無根の回想シーンを提示しても理屈的にはセーフとなる。

 

だが本作はどうか。

羅生門では複数の証言者が互いに矛盾する主張をまくし立てることで推理の立体感を高めていたし、それぞれの証言が矛盾していること自体が誰かの偽証を裏付けている論拠にもなっていた。要するに物語の作りとしては一応ロジカルなのだ。

しかし本作において、われわれ観客は画面に映るただ一人の証人として、デミの「嘘か本当かわからない主張」をひとまず信じるしかないという窮屈な一時的解釈へと追いやられる。

だってデミが「本当なのよ、刑事さん。信じてよ!」といって一方的に主張してるからね。こちらとしては「まぁ、嘘ついてるんだろな」とは薄々勘づきながらも、その嘘を傍証する材料を提示しない…っていうズルいことをしてるから、そうなるともうデミの主張をひとまず信じるしかないわけですよ。信じないと話が先に進まないのでね。

われわれの気持ちを代弁するように、刑事のハーヴェイ・カイテルはデミの証言に「嘘をついてるだろ!」と難詰する。

そして実際、ラストシーンで「嘘でした。テヘペロ」って…。

テヘペロで済むか!

舌引っこ抜いたろかボケ。

 

とどのつまり、原則として回想シーンは「真実であること」が担保されるべきなのに、それを破るばかりか、そのタブーをあたかもミスリードのように使って「騙されたでしょう?」と勝手に得意になっているのがこの映画。おまけにデミの証言が嘘かもしれないという可能性すら示唆しない。

疑う余地さえ与えない謎解きに「騙す」も何もないよ!

だってこれ、原理的には「絶対に解けない問題文」と同じですよ。

「1+1=?」という問題に対して、われわれは余裕綽々で「2」と答える。

だが間違い。ブー!って言われる。

「正解は4000でした。なぜなら『1+1=?』という問題自体が実は嘘で、本当は『8000÷2=?』という問題だからです♪」

理不尽ここに極まる。

 問題自体が嘘でした…って、だったらもう何でもアリじゃん!

こういうのを何ていうか知ってますか?

後出しジャンケンって言うんだよ!

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しかも悔しいことに、本作は製作費の倍以上の稼ぎを出して、関係者が誰ひとり不幸になってないんだよね。誰か一人ぐらい頭蓋割れろよ。

観た人だけが不幸になる底抜けサスペンス。観客だけが割を食うなんて、こんな不平等な世界があっていいんですか?

だが、今となってはすっかり忘れ去られており、観た人の間でも軒並み酷評されている…。

ざまァねえな!

 

マイ・ブラザー

 二大イカレ俳優の兄弟愛に萌えよ。

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2009年。ジム・シェリダン監督。トビー・マグワイアジェイク・ギレンホールナタリー・ポートマン

 

アフガニスタンで兵役に当たっている夫・サムの帰りを待つグレースの元に、サムの訃報が届く。絶望の淵にいるグレースと二人の娘を慰めてくれたのは、サムの弟、トミーだった。そんなある日、まさかの帰還をしたサムだったが、まるで別人のように変貌していて…。(Yahoo!映画より)

 

おっすー、みんな。エアコンの効いた部屋で反復横跳びしてる?

以前、やなぎやさんから「観ないと頭がへこむまでシバきます」とリクエストされたのでマイ・ブラザーというさくひんを観ました!

これでへこまないはずだ、俺の頭。

尤もマイ・ブラザーとは言ってもウォンビンシン・ハギュンが兄弟兄弟してる方のマイ・ブラザー(03年)ではなくトビー・マグワイアジェイク・ギレンホールが兄弟兄弟してる方のマイ・ブラザーなので、韓流ババアの皆さまにはご容赦願いたい。

履き違えんな!

ちなみにリメイク元であるスサンネ・ビアある愛の風景(04年)は未見です。ごめんなさいね。

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◆間接的なビア映画◆

話は簡単。

ナタリー・ポートマンと二人の娘を家に残してアフガニスタンに出征したトビーの部隊がアフガン上空で撃墜される。トビーの訃報が届いて悲しみに暮れるナタポーは、刑務所から出所したばかりのトビーの愚弟ジェイクと交流を重ねることで夫を失った悲しみを埋めていたが、実は死んだはずのトビーはテロリストの捕虜としてがっつり生きていた。

ようやくアフガンの悪夢から解放されてアメリカに帰国したトビーは、しかし戦場でのトラウマによって別人のように変わり果てていた。どうなるブラザー、どうなる夫婦!?

…といった中身である。けっこうヘヴィな中身と言えるよなぁ。

 

以前に評したスサンネ・ビア『悲しみが乾くまで』(07年)と似ているなー、と思いながら前情報ナシで鼻水垂らしながら観ていたのだけど、観終わった後にこれがある愛の風景のリメイクであることを知って、その監督がスサンネ・ビアだったんだよね。

「道理でね」つって。

鼻かみながら「道理でね」つって。

夫を亡くした妻。そこへ現れた一人の男と疑似家族を形成していく…って悲しみが乾くまでとまったく同じだもの。

つまりこの映画にはスサンネ・ビアの血が流れているというわけだ。

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トビーの弟とトビーの妻が悲しみが乾くまで互いを癒し合う。


◆カットバックが退屈◆

さて、ディア・ハンター(78年)アメリカン・スナイパー(14年)の系譜に連なるPTSDを扱った映画だが、それが分かるのはトビー生存が確認された中盤から。中盤に差し掛かってから、ようやく物語の骨格が見えてくるのだ。

それまでは「ナタポー×ジェイクのほっこり疑似家族っぷり」「トビーの拷問捕虜生活」が繰り返しカットバックされるが、これは悪手ではないかなぁ。悪手だと思うなぁ。カットバックしたところでふたつの物語は結節せず平行線を辿るだけで、説話的な推進力にはならないからだ(むしろ退屈感を助長している)。

それに、わりと早い段階で観客だけにトビー生存が知らされるので、生存報告の電話を受けたナタポーが困惑と喜びに打ち震えるシーンがまったく活きない。また、それを察した監督は、本来ならばナタポーとジェイクが抱き合ってトビー生存を喜ぶシーンをバッサリ省略してしまっている(シナリオの構造上やむを得ないことではあるが)。

※さらに大人の事情を酌むなら、トビーの見せ場を確保するために無理やりにでも拷問捕虜生活をカットバックしなければならなかったのでしょう。

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このふたつの物語が同時並行で描かれる。

 

事程左様にカットバックという選択によってずいぶん損をしている映画なのだけど、それを補って余りある美点はいくつか存在します。

ただし、ここからはほとんど妄想の域です。

 

◆どっちもイカれてるから交換可能

この映画の魅力は、トビー・マグワイアジェイク・ギレンホールという二大イカレ俳優の共演に尽きる。

ジェイク・ギレンホール『ゾディアック』(07年)以降、ナイトクローラー(14年)『ノクターナル・アニマルズ』(16年)など、次第に狂気に取り憑かれていく男ばかり演じる正真正銘イカレ俳優だが、トビー・マグワイアの方もスパイダーマン3(07年)に顕著なように、実はイカレ・ポテンシャルを秘めた男である。

そんなトビーが捕虜生活でおかしくなった軍人を、ジェイクが銀行強盗をして捕まった憎みきれないろくでなしを演じているのだが、おもしろいのは2人の役が交換可能であるということだ。

この映画、トビーとジェイクの役柄をそっくりそのまま入れ替えても綺麗に成立するんですよ(むしろ入れ替えた方がしっくりくるぐらい)

なので、帰国後のトビーが目をギョロギョロさせて神経質になってるシーンでは「もしジェイクだったらどう演じるだろう?」とか、反対にジェイクがナタポーの娘たちと遊んでるシーンで「もしトビーだったらどうするだろう?」と想像する楽しさがある。

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二大イカレ俳優、トビ―(左)とジェイク(右)。どちらも顔面サイコ。


◆ナタリー・ポテンシャル◆

自称 ナタリー・ポートマンの観察者としては、なかなか興味深い作品だった。

夫のトビーを失ったと思い込んで、その弟ジェイクのサポートを受けるうちにちょっといいムードになってうっかりキスをしてしまったという、複雑なりき未亡人心

帰国後にすっかり変わり果てたトビーをケアせねばならないが、人を寄せつけないピリピリした雰囲気に気圧されてしまってなあなあな距離感を保ってしまう、微妙なりき妻心

そうした寄る辺ない心境を悲しみが乾くまでハル・ベリーよりも中間色豊かに演じている。

トビーとジェイクは「わかりやすく名演」だが、真に素晴らしいのはナタポーだ。

ただし綺麗すぎね。

本作のナタポーはヘアメイクに手を入れすぎ&照明凝りすぎで不必要に美しく、やや現実味を欠く。こういう役にはミシェル・ウィリアムズのような生っぽい女優が丁度いいと思う。

こういう役を演じるなら、もうちょっと痩せこけて、キューティクルとか破壊しないと。

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入浴中すら美しく気高いナタポー。どうしたらそんなに気高く入浴できるんだ。


◆もはや萌え映画◆

これはもしかしたら歪んだ見方かもしれないが、「萌え映画として享受するという道もあるかな」と思ったので書かせて頂く。

愚弟ジェイクが妙に可愛いので、そこを支点にして本作を観るとジェイク萌えという境地に辿り着ける確率は高い。

映画前半では、「しっかり者の兄トビー」と「問題児の弟ジェイク」というコントラストが、父親サム・シェパードからの露骨な兄贔屓によって強調される。

ところが、戦場で闇落ちしたトビーが帰国してからは「問題児の兄トビー」と「しっかり者の弟ジェイク」へと兄弟関係が反転するのである。

これまで兄に面倒ばかりかけていた弟が、今度は捕虜生活でおかしくなった兄を支える…というジェイク萌え!!

あると思います。否、あって欲しい。

いや、あるべきだ。


というわけで、二大イカレ俳優の兄弟愛とPTSD、そしてナタポーの不必要な美しさを隠れ蓑とした萌え映画がマイ・ブラザーである。

どうでもいいけど、ジェイク・ギレンホールってトイ・ストーリーのウッディに似てるよな。

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スパイダーマンとウッディ。

 

恋しくて

青春映画の大傑作。恋の突撃兵殺しに幸あれ!

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1987年。ハワード・ドゥイッチ監督。エリック・ストルツ、メアリー・スチュアート・マスターソンリー・トンプソン

 

ショートカットのワッツはクラスでは悪ガキも一目置く存在だが、幼馴染みでうだつの上がらないキースに何故だか今も片想い。一方のキースはいかにも卒業パーティの女王になりそうなお嬢様、アマンダに御執心で…。(Yahoo!映画より)

 

今日は更新をお休みしようと思っていたけど、どうしても皆さんにお届けしたいレビューがあるのでガツンと更新。

この心意気、買うべし!

わりに長い文章なので、前置きはこの辺で(書きたくないだけ)

こんなわけで『恋しくて』。青春映画好きは必見でっせ!

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◆事実上のジョン・ヒューズ映画!◆

素晴らしい青春映画を観たから「ひゃっほー」と言うぜ。

ひゃっほー。

はい言った。これぞ有言実行。これぞデキる男。

出会いがしらに思いもよらない良作とぶつかる悦びが、映画好きを次の映画へと駆り立てる。

今回、私がぶつかったのはハワード・ドゥイッチ『恋しくて』だ。

ハワード・ドゥイッチという名前はべつに覚えなくていい。大した監督ではないので覚えるだけ記憶領域の無駄遣いというものだ。代わりに覚えて帰ってもらいたいのがジョン・ヒューズである。その名を記銘せよ!

 

ジョン・ヒューズといえば、『ブレックファスト・クラブ』(85年)『フェリスはある朝突然に』(86年)など、80年代にすばらしい青春映画をいくつか残した生涯青春監督である。

『ブレックファスト・クラブ』が暴露したスクールカーストの実態は、ゼロ年代以降の大衆文化のモチーフとして頻繁に使われているし、主人公がカメラに向かって話しかける『フェリスはある朝突然に』のメタギャグは、さまざまな映画で死ぬほどパロディにされてきた(最近だとデッドプールスパイダーマン:ホームカミング』か)。

そんなジョン・ヒューズが製作・脚本を手掛けたのが本作。

映画業界ではわりによくあることだが、いわばハワード・ドゥイッチというのはスケープゴートで、実質的にはジョン・ヒューズが全権を掌握したジョン・ヒューズ映画なのである。

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青春映画といえばジョン・ヒューズアメリカでは未だに根強い人気を誇っており、さまざまな映画で幾度となくパロディにされている。


バック・トゥ・ザ・フューチャーの裏側◆

準備はいいか? 俺はバッチリだ。

それではキャストを見ていこう。

校内ではいまいちうだつの上がらない主人公を演じているのがバック・トゥ・ザ・フューチャー(85年)の主役に抜擢されたものの撮影6週間目で降板させられたことでお馴染みのエリック・ストルツ

ジェダイ顔のハンサムである。

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そんなエリックと幼馴染みでドラムばかり叩いているボーイッシュな同級生が、私が『フライド・グリーン・トマト』(91年)評でキャシー・ベイツの話に夢中になるあまりすっかり言及するのを忘れていたことでお馴染みのメアリー・スチュアート・マスターソン

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二人は毎朝いっしょに通学して、同じベッドで寝ても間違いが起きないほどの親友である。

 

そんなエリック坊やが、いけ好かない金持ちヤンキーと付き合っている学園のマドンナに片想いをしてしまう。

それを演じているのが、バック・トゥ・ザ・フューチャーで主人公の母親を演じたことでお馴染みのリー・トンプソン

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劇中だとエリックはリーに片想いしている…という設定だが、実際の撮影現場ではエリックは彼女に殺意を抱いていたはずだ。

「俺は『BTTF』の主役を降板させられたのに、おまえだけ良いポジションを取って3作全部に出やがって! リー・トンプソンマイケル・J・フォックスだけはぶっ殺す」

これがバック・トゥ・ザ・フューチャーの裏側だ!

真実とはかくも醜くて残酷なもの。テリブル、テリブル…。


◆マスターソンの言語感覚!◆

リーに猛アタックをかけるエリックに、幼馴染みのマスターソンは「やめときなって」と何度も忠告する。

リーは高嶺の花で、同じくカースト上位の金持ちヤンキー クレイグ・シェイファーと付き合っているので、どう考えてもカースト下位のエリックに望みはないのだ、と。

だが、エリックに脈がないことを冷静に分析する一方で、どうもマスターソンの忠告には一抹の私情が感じられるのだ。

「リーを一言で表すなら『男の餌』だよ。顔がいいだけで中身がないんだ。男にとっては連れて歩くことで自尊心を満たせる、体(てい)のいいお飾りってわけ!」

ひゃっほー。よく言った、マスターソン!

私が住んでいる四条界隈でいかにもオツムの弱そうなゴージャス女が日サロ行きすぎて全身丸焦げみたいな丘サーファーもどきと歩いている様子を目にしたときの私の気持ちを代弁してくれてまことにアリス。

 

だが、そこまで言われてもリーを諦められないエリックは恋の突撃兵。必死にマスターソンに「どうしてもリーに突撃したいのです。戦わせて下さい!」と抗議するが、マスターソンは恋の突撃兵殺し

「だいたいアンタ、貧乏だろ? 金のない男は相手にされないんだよ」

これに対してエリックは、カースト下位の特権である知性を使って小粋な比喩で反論する。

「表紙だけでは本の良さは分かんないぜ(ドヤ!)」

だがマスターソンは突撃兵殺し。すかさずこう言い返す。

「でも表紙を見れば値段は分かる」

うまい! 完全にKO! ぐうの音もでないエリックは容疑者のように押し黙った…。


校内で変人扱いされているマスターソンは、独特の言語感覚を持った少女だ。

廊下を歩いているエリックを後ろから呼び止めて「座ってるの?」と話しかける。古い付き合いのエリックは「いや、廊下を歩いているんだ」とごく自然に返すが、普通、道を歩いてて「座ってるの?」なんて訊かれたら「え、どういうこと…?」と困惑するよね。

だが私は、こういう意味不明の言語感覚を持った人が好きだ。理解や道理を超えた、鮮烈な言葉を操ることのできる人が。

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不思議な言語感覚を持つ恋の突撃兵殺し。それがマスターソンだと言うのか!

 

◆片想いのいじらしさよ!◆

マスターソンの言語感覚は、さらにわれわれを驚かせる。

リーがクレイグと喧嘩して傷心しているタイミングで恋の突撃をかけたエリックが、思いもかけずリーと良いムードになる。それを快く思わないクレイグは、エリックを自宅パーティに誘って滅多打ちにするという邪悪な計画を立てるが、その計画はあっさりエリックの耳に入る(クレイグは馬鹿だから)

それでもエリックは、あえてパーティに参加してクレイグと決闘するというのだ(バカな突撃兵だから)

パーティの誘いが罠と知りつつも死地に飛び込んでケンカしにいくエリックに、マスターソンは「クレイグの仲間は大勢いるし、勝てっこないよ」と忠告する。だが、そこまで言われても決闘を諦めないエリックは丸腰の突撃兵

「負けることは分かってるさ。勝ち負けの問題じゃなく気持ちの問題なんだ」

オー、カミカゼボーイ!

いつものマスターソンなら皮肉めいた物言いですかさずエリックに反論するだろうが、このときばかりは物憂げな瞳を宙に向けながら、独り言のように呟いた…。

 

「自尊心の傷を我慢すれば血は流れないのよ…」

 

ついに出たというのかッ!

本作屈指の名言が!!

なんと芳醇な文学の香り。なんと耽美な哲学の趣き。

なんと幽玄な、乙女心の…うーん、何にしようかな…ゆらめき?

 

そしてこの瞬間、マスターソンが人知れずエリックを恋慕していたことに、われわれはさらに胸を震わせる。

おそらく彼女は幼稚園の頃からエリックのことが好きだった。ずっと好きだったんだ。だけど物心がついてボーイッシュなファッションとロックンロールに目覚めた彼女は、大好きなエリックから異性としてではなく友達として見られてしまう。そして高校時代の現在。エリックは自分ではなく、自分よりもっと女の子らしくて可愛いリーにゾッコン。

はじめこそ嫉妬心からリーを貶していた彼女だが、リーとエリックが上手くいき始めたことを知って陰で泣く。だけど、エリックの前ではいつも通りの快活なマスターソンを演じ、「いずれリーとキスするだろうから、その前に私が練習相手になってやるよ」といって、半ば強引にエリックにファーストキスを捧げる。それが彼女なりのめいっぱいの強がりなのだ。

やべえ泣けてくる…。

マスターソンの心中たるや!

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練習と称してエリックに本気のキスをするマスターソン。なんと切ない…。


その後、「どうしてもお前が罠パーティに参加するというなら私もついて行く。骨は拾ってやるよ」とエリックの神風特攻に同行することを決意したマスターソンは、しかしエリックが「パーティの前にリーと軽くデートするー!」などとクソみたいにわけのわからないことを言い出したことで、ドライバーとして二人のデートに付き合わされることに…。

夜の美術館やライブ会場。そこで二人がイチャイチャする様子を遠目から見てしまったことで、マスターソンの失恋は決定的なものになった。だが涙を流す彼女に、もはや嫉妬心はない。そこにあるのは恋敗れし女の「痛み」だけである。

それでも、二人が車に戻ってきた頃には何食わぬ顔でエンジンをかけて「そろそろパーティに行くか!」とほほ笑むマスターソン。

ああ、いじらしい女!

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決してエリックには見せられない失恋ティアーズ。

 

もうたまらんわ…。マスターソンの心中を思うとたまらんわ。

本当は長年エリックに愛を伝えたかったけど、そんな柄でもないから言えなかったんだよな…。

椎名林檎「ここでキスして。」の歌詞を借りるなら「そりゃ あたしは美人とか綺麗なタイプではないけれど こっち向いて…」だよ。

そして、そうこうしてるうちにリーに盗られてしまったんだよな!

エリックとリーはマスターソンの心中を知らないから別に何の罪もないが、それでも言わせてくれ。

頼む、言わせてくれ…。

てめえらの血は何色だぁー!!

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心理療法的な人間関係◆

だがこのデートシーンでは、マスターソンの知らないところでエリックとリーは「両想い寸前」から「よき友人」へと関係を見つめ直していた。

クレイグと喧嘩中のリーは、彼氏を嫉妬させるためにエリックとデートしたのだと告白する。一方のエリックも、いっさいはカースト最上位のリーを手に入れることで自尊心を満たそうとしていただけの独り相撲だったことに気付く。

膝を突き合わせて本音で語り合ううちに、この二人が利害の一致から「嘘の恋」を演じていたことが明らかになっていくのだ。

「互いに利用し合っていたのね、私たち」

おっほーん、なかなか深いじゃないか。

これが凡百の青春映画とは一線を画すジョン・ヒューズ節だ。他者と語り合うことで内省的になり、本当の気持ちを曝け出す…という心理療法的な人間関係は『ブレックファスト・クラブ』の変奏だろう。

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嘘の恋に気付いて「友達」としてやり直す二人。

 

そしてクライマックスのパーティ突撃シーンだが、あまりに素晴らしいため、詳しくは言わない。

クレイグとの決闘の思いもよらぬ結末。そして恋敗れしマスターソンに訪れたひとつの奇跡…。

涙腺と鳥肌がバカになるほどのカタルシスが約束された青春の逆転劇に、「ひゃっほー」を連呼しながらの祝福。そう、よく分からんがなぜか魂が震える『ブレックファスト・クラブ』の伝説のラストシーンのようにな。

 

そんなわけで、『恋しくて』を観終えた者はDVDのイジェクトボタンを押すことも忘れて、ただただ「ひゃっほー」を連呼するだけの永久機関と化すことを覚悟せねばならない。

ちなみに本作は、深夜アニメのラブコメにありがちな一向に幼馴染みの気持ちに気づかない鈍感主人公の先駆けでもある。

ことによるとジョン・ヒューズの最高傑作かもしれない(監督はハワード・ドゥイッチとかいうスケープゴート野郎だが、もはや関係あるか!)

恋の突撃兵殺しに幸あれ!

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現在のエリックとマスターソン。涙に滲んだ過去と未来!

 

黒い牡牛

動物の尊厳を描いたドナドナ型の闘牛映画!

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1956年。アービング・ラパー監督。マイケル・レイ、ロドルフォ・オヨ・Jr、エルザ・カルデナス。

 

メキシコの農村。母親を亡くした少年レオナルドは、その夜、落雷で倒れた大木の下敷きになっている黒い子牛を発見する。父親から許可を得て、子牛を「ヒタノ」と名付けて育て始めるレオナルド。1人と1頭の間には、次第に絆が芽生えてゆく。やがてヒタノは牧場主のものであることが判明するが、牧場主はヒタノをレオナルドに任せることを約束。ところが、牧場主が事故死したことから、ヒタノは闘牛場へ送られることになり…。(Amazonより)

 

やっほほ。みんなどう?

昨日は一日じゅう虫の居所が悪かったです。

といっても私は、365日、常に何かしらに対して怒っているので、いわばこれが日常なんですよ。生まれたときから既に怒ってましたからね。「何なんだ、この世界は」って腹を立てながら分娩室で誕生したわけです。

あと、別に怒ってないときでも怒ったような顔をしています。

怒りの根源って「疑問」だと思う。

「なんで?」という疑問が強くなっていったものこそが怒り。

たとえば「仕事がトロくてむかつくので、これからあなたを殴ります」と前もって予告したあとに殴ってくる奴に対して、人は腹を立てない。仮に腹が立ったとしても、それは殴られたという外的刺激に対する感情の乱れに過ぎないので、怒りではなく「興奮」である。

一方、何の理由もなく急に殴られたら、人はまず「なんで?」と疑問を抱く。なぜ殴られねばならないのか? どれだけ考えても答えは見つからないので「不快感」を抱くようになる。そして「理不尽だ」と結論する。その理不尽な事柄に対する感情に名前をつけたものこそが「怒り」なのだ。

 

裏を返せば、普段あまりモノを考えずに生きている人は基本的には怒らないし、温厚な性格だと思う。パリピとかね。「アホはおめでたい」とか「バカの方が幸せになれる」という言説の意味するところはここにある。

要するに、考えるから怒るのだろうな。いつも考え事ばかりしている人(主婦や学者)や、自分なりの考えを持って譲らない人(夫や文化人)ほど気難しくてよく怒る。

でも、だからこそ怒りって大事だと思うン。喜怒哀楽の中でいちばん大事。怒りの根源は疑問を抱くこと。疑問を抱かないと科学も政治も文化も産業も発展しない。それらが発展しないと人類は死ぬる。

怒りは人を突き動かす。ロックンロールだ!

だいたい、浮世の人民は「怒り」というものをネガティブに捉えすぎている。波風立てず、できるだけハッピーな方がいいよねって。確かにそれは素晴らしいしラブ&ピースは最高だけど、それだけになってしまうと全世界が思考停止して頽廃、衰退、死あるのみって感じになってしまう。何に対してもキレまくるのはただのヤカラだけど、「なんで?」という疑問を抱いたら徹底的に追求して怒っていきましょう!

 

…というのが、年中怒っている私が「まぁまぁ。そんなに怒るなよ」となだめられたときに返す必殺の詭弁です。

眉間にしわを寄せすぎてムッとした表情がデフォルトになってしまった私をどうかよろしく。みんなの楽しいブログを読んでる時でさえムッとしてるからね。

まぁ、そういうわけで『黒い牡牛』です。「もー!」が口癖の私にはぴったりの映画だ。

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◆トランボが二束三文で偽名を使ってまで書き上げた珠玉のシナリオ◆

ローマの休日(53年)は好きですか。

皆さん好きですね。

好きじゃないという奴はローマで休日を過ごす資格なし。アイスなめる資格なし。

まぁ私はそれほど好きではないのだが。べつに今後ローマで休日を過ごすことなんてないし、アイスなめたいって欲望もないし。グレゴリー・ペックよりケーリー・グラント派だし。

そんなローマの休日の脚本家として知られるダルトン・トランボが、赤狩りでハリウッドを追われていたことから「ロバート・リッチ」という偽名で原案を執筆した作品が今回の『黒い牡牛』である。本作はアカデミー賞原案賞を受賞したが、会場でオスカーを受け取ったのはトランボの替え玉だった。

 

『黒い牡牛』はトランボを知っていれば感慨ひとしおである。

ハリウッドに迫害され職を奪われたトランボが、二束三文で偽名を使ってまで書き上げた珠玉のシナリオなのだ。当時の人々は、まさか『黒い牡牛』を書いたのがトランボだとは夢にも思わないので、アカデミー賞原案賞の栄光はロバート・リッチという架空の人物に譲られることになった。

ようやくトランボが偽名で執筆活動をしていたことが世に知られ、改めて本人にオスカー像のレプリカが授与されたのが『黒い牡牛』の公開から19年後の1975年。トランボが亡くなる前年だった。

ちなみに、当時は脚本家イアン・マクレラン・ハンターが書いたとされていたローマの休日の原案賞も、公開から40年後の1993年(トランボの死後)に改めて贈られ、原案者クレジットもハンターからトランボへと正式に変更された。

 

まさに、ハリウッドの逆風に晒されながら誰にも知られることなくシナリオを書き続けた孤高の脚本家。

彼にまつわるエピソードは『トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(15年)に詳しいので、古い映画に興味がない人もぜひ観てみてください(激烈にいい映画です)。

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 実際のトランボ(左)と、トランボに扮するブライアン・クランストン(右)。


◆よく連れていかれる牛の話◆

さて。少年と牡牛の交流が描かれる本作だが、およそハートウォーミングとはかけ離れたシビアな作品だった。

レオナルド少年の母親の葬儀に始まるファーストシーン。いかにも陰気。次のシーンではレオくんの家の牧場で飼っていた牝牛が雷に撃たれて死ぬ。いかにも陰気。死ぬにしても雷て。

だが牝牛が死の直前にぷりっと産んだ仔牛は、レオくんを絶望の暗夜から救い出した。牡の仔牛に「ヒタノ」と名づけたレオくんは、いつしかヒタノとマブダチに。

だが、ヒタノは事あるごとに邪悪な大人たちに連れていかれそうになる。「ドナドナ」を5回歌っても足りないぐらい何度も何度も捕らわれの身になるのだ。おまえはピーチ姫か?

隙あらばすぐに連れていかれるヒタノ。それを取り戻すレオ少年。このヒタノ救出作戦がしつこいぐらい繰り返される。おそらく本作はポン・ジュノ『オクジャ okja』(17年)に影響を与えているだろう。

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大好きなヒタノと寝るレオ坊。焼肉食ってる夢見てたらおもしろいのに。

 

次第に成長するヒタノには恐るべき闘牛ポテンシャルが秘められていた。すっかり大きくなったヒタノは、大地を揺るがし、柵の壁を突き破り、ニワトリを追いかけ回す。百万馬力の猛牛だ。

これに目をつけた邪悪な大人たちは、やっぱりヒタノを連れていく。「強いんだから少しは抵抗せえよ、ヒタノ」と思ってしまった。だがヒタノは抵抗しない。普段は見るものすべてを蹂躙し尽くす猛牛だが、連れていかれるときはスーッと連れていかれるのだ。

大人たちはヒタノをスペインに連れて行って闘牛にしてしまう。

ここでおもしろいのは、ヒタノを救い出すために単身スペインに乗り込んだレオくんが闘牛場に乱入して「やめて、やめて!」などと情に訴えて競技をやめさせるのかと思いきや、なんとスペインの大統領に会いに行って「このままだと僕の大事な牛がやられてしまうので、今すぐ競技をやめさせてください!」と直訴するのだ。

国のトップに直談判…。掛け合うところ間違えてない?

だが、ばかに物分かりのいい大統領は「やめたりーな」と一筆書いてやり、レオくんはその手紙を持って闘牛場へと走る。

 

闘牛場では、名うての闘牛士が赤い布をヒラヒラさせては突進してくるヒタノをかわす、みたいな白熱のプレイがおこなわれており、いよいよ競技も大詰め、ヒタノの背中をブスブスと槍で刺し、とどめの瞬間を迎えようとしていた…。

ヒタノ「背中、熱っつー」

だが、血だらけになっても勇敢に闘牛士に立ち向かうヒタノに心を動かされた人民が殺すなコールをしたことで、恩赦が与えられてヒタノは生かされることに。

ラストシーンで、レオくんとヒタノが寄り添いながら会場の出口へと向かうシルエットが実に美しい。

 

◆殺される者の誇りと尊厳◆

本作の見所は、まず第一にジャック・カーディフの撮影だろう。

『黒水仙(47年)アフリカの女王(51年)戦争と平和(56年)などスペクタキュラーな画をよく撮る撮影監督だが、本作でカメラを向けたのは青空と積乱雲。まるで細田守のアニメのようだ。

また、雄大な自然をバックに動物たちと走り回るメキシコから、ビルと自動車でごった返すスペインへと舞台が移っていくが、二通りの街の活力が見事に描き分けられている。

 

そして、「レオくんの愛情がヒタノを救う」というありがちなメロドラマには堕さず、「ヒタノの威厳と強勇が勝利する」という着地点の高潔さ!

この映画に「子供と動物のメロドラマ」はない。ヒタノは自力で生を勝ち取ったのだ。

結局、大統領の手紙はクソの役にも立たなかったが、大統領に命令されたから競技を中止するのではなく、ヒタノの勇敢さに胸を打たれた人民が自発的に競技中止を訴えるというところがミソなのだ。

ヒタノが体現した「殺される者の誇りと尊厳」は、このシナリオを手掛けたトランボ自身へと照射される。実際に『黒い牡牛』が勝ち取った原案賞は後年トランボに贈られ、闘牛場で戦い抜いたヒタノと同じように人々から祝福されたのだから。

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恩赦が与えられたヒタノを抱きしめるレオくん。

レオくん「よしよしよし。かしこいな、かしこいな」

ヒタノ「背中、熱っつー」


◆闘牛に対する一家言◆

本作への讃辞を根底から覆す形になるかもしれないが、闘牛が嫌いだ。

もうぜんぶ人間の勝手だわな。

勝手に連れてきた牛を挑発して最終的に剣でブスブス刺し殺して「いい闘いだった!」とか。いやいやいや。どのみち牛は殺されることが前提になっていて、もう出来レースも甚だしい。競技という名の殺戮ショーだよ。

基本的に人間は野蛮なのでそれ自体は別にどうでもいいのだが、私が嫌悪感を覚えるのは「闘牛を見て感動する」という観客サイドの精神の在り方である。

「人間も牛も勇敢だった! よく頑張った!」といって、まるでファイターを讃えるかのように「一方的に惨殺された牛」にスポーツマンシップを重ね合わせて感動なんかしちゃったりして。「狂ってるなぁ…」と私なんかは思います。

そのくせ、牛が闘牛士を襲った途端に「何してけつかんねん!」とばかりにその牛は大勢の人間から袋叩きにされてぶっ殺される。えぇー。

闘いと言っておきながら「牛が手を出すのは許さない」って。そういうのを「なぶり殺し」と言うのでは?

北斗の拳のクラブかよ!

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クラブ様。「一瞬でも俺の体に触れることができたら生きて解放してやろう」と言っておいて、いざ触った者は「家畜の分際でこの俺の体に触りやがったな!」と理不尽な言い分で惨殺するDQN


そんなわけで、映画はよかったけど闘牛の決闘精神はイヤだ、という二律背反したワガママな結論に至って候。