シネマ一刀両断

面白い映画は手放しに褒めちぎり、くだらない映画はメタメタにけなす! 歯に衣着せぬハートフル本音映画評!

夜は短し歩けよ乙女

感性の毛穴が開きまくっている。

 

2017年。湯浅政明監督。アニメーション作品。

 

所属クラブの後輩である「黒髪の乙女」に恋心を抱く大学生の「先輩」は、「なるべく彼女の目に留まる」ことを目的とした「ナカメ作戦」を実行する日々を送っていた。個性豊かな仲間が巻き起こす珍事件に巻き込まれながら季節はめぐっていくが、黒髪の乙女との関係は外堀を埋めるばかりでなかなか進展せず…。(映画.com より)

 

f:id:hukadume7272:20180119042636j:plain


竜巻のような作品だ。
湯浅政明の双曲線遠近法的作風と森見登美彦の言語感覚がフュージョンしたプログレッシブ・アニメの最先端と言えまいか。言える!

『四畳半ぽっちゃり体型』だか『四畳半スチャポコ体系』だかといったテレビアニメ(やべえ、タイトルが思い出せねぇ)を見たときは、森見登美彦なんちゃって純文学風な饒舌さにアニメがついて行けてない印象を持ったので観る前はちょっと不安だったが、そんなものは取り越し苦労。ご苦労!
台詞過剰な昨今のアニメシーンごと豪快に吹き飛ばすほど、湯浅政明脳内物質ナントカが横溢したイメージの洪水にただただ心地よく溺れるのみ、といった作品になってございます。

 

湯浅政明必殺の極端に歪曲されたパースは、たとえば詭弁踊りのクレイジーっぷりを加速させるといったギャグの用途だけでなく、ヒロインが暴風に飛ばされそうになりながら主人公のアパートを一歩また一歩と目指すシーンでの激情ほとばしる恋路の演出でも抜群の効果を発揮している。
かと思えば、ウェス・アンダーソンとかジム・ジャームッシュのような平面絵巻の世界で四条界隈を飲み歩く黒髪乙女とそのお供たち…というモダンアートのような画面構成により、ワンラーランドとしてのif京都が立ち上がっていく。
まさに立体と平面の蜜月。

 

f:id:hukadume7272:20180119044120g:plain

部屋の中で真似したくなること請け合いの詭弁踊り。

 

酒豪の黒髪乙女の足取りを追って東奔西走する主人公が、木屋町、古本市、学際など行く先々でトラブルに見舞われる恋の地獄巡りシルビアのいる街でというスペイン・フランス合作の映画を彷彿させる(本作と真逆で寡黙かつ静謐な作品なのだが)。
とどのつまりは一夜のボーイ・ミーツ・ガール。だけど、ヒロイン目線で見れば『若草の萌えるころ』に早変わりする…という見方もまた楽しく。

いずれにせよ、膨大なダイアローグのパワーとリズムそれ自体を無手勝流でアニメートした湯浅政明竜巻を生み出す独創性に脱帽および失禁。感性の毛穴が開きまくっている。

 

やたらとミュージカルを披瀝する学際シーケンスの後半は、途端に躍動感が失われ、画が弛んでしまうことを唯一の欠点としたい。
京都の風情や季節感もほとんど出ていないが、そのぶん一風変わった鴨川や、一風変わった木屋町など、アニメならではの粋なアレンジは充実している。
私は京都在住のサラブレッド京都民だが、「こんなの京都じゃなーい」などと無粋なことを言うつもりは豪もない。そもそも本作で描かれている舞台は京都ではない。
ここは湯浅政明のワンダーランドなのだ!

素晴らしきかな、人生

ウィル・スミスがずっとボーっとしてる映画。

 

2016年。デヴィッド・フランケル監督。ウィル・スミス、エドワード・ノートンケイト・ウィンスレット

 

クリスマスシーズンのニューヨーク。広告代理店で成功を収め華やかな生活を送っていたハワードだったが、最愛の娘を失ったことで大きな喪失感を抱く。完全に人生を見失ってしまったハワードを同僚たちも心配していたが、そんなある時、ハワードの前に年代も性別も異なる3人の奇妙な舞台俳優たちが現れる。彼らとの出会いにより、ハワードの人生に徐々に変化が起こっていく。(Yahoo!映画より)

 

f:id:hukadume7272:20180118040725j:plain


娘を亡くして抜け殻と化した男をウィル・スミスが演じるが、悲嘆に暮れる男というよりはただ単にボーっとしてる奴にしか見えないやはり調子に乗りまくっている実子ジェイデン・スミスと公私ともに仲のよい親馬鹿セレブにこの役はいささか分不相応か。
会社のトップにも関わらず、大勢の部下の明日が懸かった経営危機をどうにかしようという気力もなく、娘が死んだ深い悲しみをドミノを作っては倒し続けるという謎の反復作業で癒すだけの毎日。
親友であり仕事仲間のエドワード・ノートンケイト・ウィンスレットが気を遣って話しかけても無反応。まぁ、絶望しすぎて人と向き合う余裕がない…ということなのだろうが、単にシカトしてるようにしか見えないという。しらこいわー。

 

監督がプラダを着た悪魔のデヴィッド・フランケルなので、本作の主要キャストも、プラダ、グッチ、クロエなどの秋冬コレクションの新作からヴィンテージまでを網羅した最新NYファッションに身を包む。当然ウィルも…。
人をシカトするぐらい絶望してるのに、おしゃれする余裕はあるのかよ!

そんな超絶ハートブレイクのウィルが、自らを苦しめている時間に宛てて書いた抗議の手紙(愛よ! おまえは俺を苦しめる! 死よ! なぜ娘の命を奪った! 時間よ! 俺の時間を返せ! …といった小っ恥ずかしい中二病レターである)を盗み読みした同僚E・ノートンらが、大金で雇った3人の舞台俳優に時間を演じてもらい、孤独なウィルと対話させることでその魂を慰撫するというウィル救済計画がおこなわれる。

は?
つまり3人の舞台役者たちは、ウィルにしか見えない抽象概念(時間)の具現化としてウィルに接触を試み、「やぁウィル、私は死よ」「どうもこんにちは。俺は時間だよ」というキチガイ沙汰の嘘を信じ込ませようというのだ。 村上春樹の読み過ぎだろうか。

まぁクリスマス・キャロルの変奏なのは分かるけれども…。

 

だが結局、彼らよりもグループセラピーで知り合った女性との交流の方がウィルを勇気づけることに関して遥かに効果的で、舞台役者たちの存在意義が甚だ疑問、ひいては物語の主軸が大きくブレてしまっている。
そんな本作。タイトルこそ酷似しているが、もちろんかの有名な素晴らしき哉、人生!のリメイクではないのでご注意。クソややこしいわ。

 

f:id:hukadume7272:20180118044337j:plain

てっきりキャプラ版のリメイクだと思ったが、ビビるほど関係なかった。

 

クリスマスシーズンのニューヨークが舞台だが、人物のアップショット主体なので街の景色や雰囲気がほとんど楽しめないのが難点。
しかし、K・ウィンスレットの他に、ヘレン・ミレンナオミ・ハリスキーラ・ナイトレイなどイギリス一辺倒のキャスティングが群像劇に気品を与えており、どこまでも軽薄で無反省なゲイリー・マーシャル*1との差別化が成功している。

ウィルの妻や娘のバックボーンがまったく明示されない理由はクライマックスの仕掛けによって明かされるが、なまじ仕掛けの為だけにバックボーンを隠しているため、重苦しい展開が続くわりにはキャラクターに奥行きがなく、濃厚なドラマ性にも乏しい。
群像劇スタイルゆえにウィルの内面を描き込めず、物語の要点が拡散してしまっている節もある。

突拍子もない嘘をつき通す意思がないから、こちらとしても「騙されてみよう」と思えない。
そしてドッキリのターゲットである主演ウィル・スミスが完全なる木偶の坊。本人は懸命に虚脱芝居をしているつもりだが、傍から見てる分にはボーっとしてるおっさんにしか映らないという…。
というわけで、元気のないウィル・スミスが見たい人だけにおすすめ。

*1:潮風のいたずら』や『プリティ・ウーマン』などラブコメばかりをやたらに手掛ける監督。『バレンタインデー』や『ニューイヤーズ・イヴ 』など女子御用達の映画をよく撮る。2016年没

IT/イット “それ”が見えたら、終わり。

もはやピエロ退治なんてどうでもいい。

 

2017年。アンディ・ムスキエティ監督。ジェイデン・リーベラー、ソフィア・リリス、ビル・スカルスガルド。

 

とある田舎町で児童が行方不明になる事件が相次ぐ中、おとなしい少年ビルの弟が大雨の日に出掛け、大量の血痕を残して姿をくらます。自分を責めるビルの前に突如現れた“それ”を目撃して以来、彼は神出鬼没、変幻自在の“それ”の恐怖に襲われる。彼と同じく“それ”に遭遇した人々とビルは手を組み立ち向かうが…。(映画.com より)

 

f:id:hukadume7272:20180117031823j:plain


あの3時間越えのテレビ映画版『IT/イット』をリメイクしたジュブナイル・ホラー。全世界7億ドルのメガヒット作で社会現象を呼んだ。
原作は世界一映画化されている小説家スティーヴン・キング御大。

『IT/イット』はクソであるという堅固なスタンスを持っている俺としては、今回のリメイクが『IT/イット』よりもスタンド・バイ・ミーに寄せてジュブナイル要素を多くまぶしたアレンジに好感が持てる。
また、最大のアレンジは少年期と壮年期をA面/B面構成で描いた長大な1990年版に対して、こちらは少年期だけにスポットを当てている(したがって壮年期パートは次作に譲られる)。

校内の負け犬が集まった「ルーザーズ・クラブ」の7人が殺人ピエロ、ペニー・ワイズに立ち向かう…という大筋は同じだが、映画のタッチが完全に青春映画のそれで、恐怖シーンの直後に陽気なロックンロールが流れたり、仲間同士でじゃれ合ったりする不思議な画運びが特徴的。
ホラー映画の全編を支配している禍々しいムードがあまり無く、むしろスタンド・バイ・ミーとかグーニーズの雰囲気がずーっと流れてる状態なので、ホラー映画が苦手な人でも楽しめる確率は高い。

虐められっ子のデブにクレイジー気味のメガネ少年なんて完全にスタンド・バイ・ミーだし、ソフィア・リリス演じる紅一点の垢抜けない少女も良く。
そんな彼らが和気藹々と川遊びをして自転車を乗り回し、たまにペニー・ワイズと戦ったり血まみれのシャワールームを皆で楽しく掃除する…という絵面を眺めてるだけで感無量。
そうそう、屋根の低い田舎町のロケが絶品で、アメリカ郊外の落ち着いた景色を眺め続けるのも一興。ペニー・ワイズとの戦いでは、廃屋に洞窟などバタリアングーニーズ的な舞台設定の目まぐるしさも楽しく。それらが80年代ノスタルジーの火花を炸裂させながら現代のスクリーンに甦ることに高揚感を禁じ得ず!

恐怖演出は完全ワンパターンで音響による虚仮威しも目立つため、ホラー映画としては二流でしょう。また、ペニー・ワイズ攻略法や宙吊りにされた犠牲者の安否など、映画内ルールが曖昧で整合性欠きまくり。
だがルーザーズ・クラブが一人またひとりと家に帰っていく解散エモは、スタンド・バイ・ミーにおける町外れの十字路でのお別れ名シーンに引けを取らないほどの寂寥感がうまく出ていて、俺の心の柔らかいところにあるノスタルジー性感帯がバリバリ刺激される。

そんなわけで、もはや俺にとってはピエロ退治なんてどうでもいい。何だったらベン・E・キングのあの曲を最後に流してくれても構わなかった…というほど、恥も外聞もなくスタンド・バイ・ミーに重ね合わせて遠き日に思いを馳せてしまう。そんな映画原体験を呼び起こしてくれる作品だったのでございます。

自我の沈殿物を混ぜっ返せよ。

映画好きには自尊心や自意識の高い人間が多い。という話をいまからするな。

 

たとえば、あるとき、ふと『スケアクロウ』という映画を観返したくなった男は、レンタルビデオ屋に赴き、『スケアクロウ』のDVDを手に取ってレジスターへ向かおうとするが、刹那、男の脳内を瞬時に曇らせる懸念あり。

それは、『スケアクロウ』をレジスターに持っていけば、ビデオ屋の店員に「こんな古い名作を今ごろ観るのかよ、いくじなし」と思われるのではないか、という不安である。
男は、相手なき相手に抗弁する。

 

違う。違うねん。俺は以前に『スケアクロウ』を観たのだ。初めて観る映画ではないのだ。ふと観返したくなって借りに来ただけなのだ。それなのにおまえは、あたかも俺が初めて『スケアクロウ』を観る、いわばスケアクロウ・ビギナーであると早合点をして。なめないでよ。たしかに、この映画のあらすじはほとんど忘れてしまったが、アル・パチーノジーン・ハックマンのコンサバティブな友情を綴った、苦いロードムービーであることを俺は知っている。なぜならすでに観たから。だからどうか私をスケアクロウ・ビギナーと早合点しないでください。

だが、その心の叫びは店員に届くはずもない。なぜなら言語音声の叫びではないからだ。心の叫びが都合よく第三者に届くのは、マンガや小説といった紙媒体のメディアだけである。

 

であるならば、と男は思う。
であるならば、レジスターに『スケアクロウ』のDVDを持って行った際に、会員カードを出しながら、独り言のように「やっぱり何度観ても名作だよねぇ」と呟く、という作戦はどうか。

この演出された独り言により、店員をして「あぁ、この人はすでに『スケアクロウ』を何度か観てるのか」と推察せしめ、見事、スケアクロウ・エキスパートだと思ってもらえる、という輝かしき正常なる理解を得るに至るのだ。

 

しかし、と男は思う。
しかし実際問題、あくまで事務的な接客をする店員を前に、いかな独り言とはいえ、「やっぱり何度観ても名作だよねぇ」と呟くのは少々イタくないか?

むしろ相手に話しかけるより、独り言として呟く方がイタさ増し増しではないか?
いわんや、統計的に映画マニアは非社交的、または反社会分子であるケースが往々にして確認されており、そんなディスコミュニケーション野郎が、店員に(独り言の体でさえ)話しかけることなど到底できるはずもない。

 

しからば、と男は思う。
しからば、言葉を発さずして自分がスケアクロウ・エキスパートだと思わしむる、他の方策を模索するまでであり、その上策とは、『スケアクロウ』より遥かにマイナーな映画を同時にレジスターに持っていくことにより、店員をして「あぁ、こんな弩マイナーな映画を借りるぐらいなのだから、この人は相当な映画マニアで、一緒に持ってきた『スケアクロウ』なんて当然観ているに決まっているよねー」と思ってもらえる、という輝かしき正常なる理解を得ることである。

しかしここで問題発生。

この作戦の胆は、囮のマイナー映画と本命の『スケアクロウ』の知名度に落差があればあるほど絶大な効果を発揮するわけで、たとえば「最近、宮崎駿の『となりのトトロ』と、ミロス・フォアマンの『パパ/ずれてるゥ!』を観たんだよねー」と語る奴がいたら、確実にこいつヤバいなと思うわけだが、その“ヤバさ”の基底には、『パパ/ずれてるゥ!』のマイナー性に誘爆されたミーハー映画の定番たる『となりのトトロ』が、メジャー映画でありながらメジャー的な見方がされるとは一概には断定できず、ことによると何か邪悪な、あるいは突拍子もない意図を含んだまなざしで『となりのトトロ』を観るのではないか、という恐るべき邪推の余地を与える高等テクニックが作用している点にある。

だがこの案件の問題点は、果たして『スケアクロウ』が知名度の高いメジャー映画であることには違いないが、“映画マニアの常識”の範囲外に偏在する“一般的な知名度”とも比例しているかというと決してそうではなく、『スケアクロウ』を知らない、観てない、という映画ファンも確実に一定数(それもたぶん意外と多い)いるわけで、そうなってくると『スケアクロウ』をメジャーとして規定することの前提そのものが揺るがされ、ひいてはどんなマイナー映画と一緒にレジスターに持って行こうが、「なんだこれ、どっちもマイナーじゃん」と思われればそれまでであり、結句、店員からはやっぱりスケアクロウ・ビギナーの烙印を押されて、その夜の枕を涙で濡らさねばならない、ということになりかねない。


み・た・い・な・こ・と・を、内容は違えど映画マニアは日々、自意識を逡巡させて悩乱しており、映画一本借りるだけでてんてこ舞いの大騒ぎ、飲み屋で年下のギャルに「映画好きなんですかぁ? あたし、スピルバーグが好きなんですうー」との言に「浅い。この糞ミーハーがっ。化粧を落として死ね!」なんて思って侮っていると、「特に好きなのが『オールウェイズ』でぇ~。あれってオードリー・ヘプバーンの遺作なんですよねぇ?」と不意打ちされて、自分が『オールウェイズ』を観ていないことに赤面および絶望をした挙げ句、飲み屋を出て向かいのビルを上って飛び降り自殺をする、みたいな実にクレイジーな行動原理に支配されているのである。すなわち、誇大妄想に操られたマリオネット!


※ちなみに私はスピルバーグが好きだという人に「浅い」とか「化粧を落とせ」とか思いませんよ。

 

この手の人種は、ある意味自尊心や自意識の高さが映画への愛に走らせているとも言える。

なんだかよくわからん話になっちまったが、要するにあれだ、自尊心の燻りと自意識の撹拌、それと感情の暴発に一定の価値を置いておけ、ということです。

深夜のレンタルビデオ屋の接客態度は、深夜のコンビニ店員の接客態度を遥かに下回るという法則

某レンタルビデオ屋の接客態度が悪すぎるというか、もはや客を客とも思ってない風なので、客に接するという意味に於いては接客ですらなく、接客態度が悪いというより人間としての態度が悪い、みたいな、次元の突き抜け方をしていた。

 

私がこんなことを云うと、すぐに半身浴をしながらセリーヌ・ディオンを聴くのが日課ですのよウフフみたいな女が「また怒ってるのね、ふかづめさん。あなたちょっと怒りすぎよ」なんつってセリーヌ・ディオンのベストアルバムを私にくれようとするが、それは別にいらないっていうか、私は怒ってないんですよ。

むしろ反対に、「この国の接客の態度は馬鹿丁寧に過ぎて、このレンタルビデオ屋ぐらいのいい加減さぐらいが丁度よい」ということを云おうとしてんのじゃん。

どうして早合点するの。どうして早押しクイズで「第40代アメリカ合衆国大統領の…」と云ったアナウンサーの言葉に、食い気味でレーガンレーガンレーガン!」と答えるも、実は問題が「第40代アメリカ合衆国大統領レーガンは映画俳優としても活躍していましたが、そのレーガンがオーディションを受けた映画のタイトルは何でしょう?(答え:『風と共に去りぬ』)」だった、みたいな早とちりをする的な焦り方をするの、あなたは。風呂で溺れてろっ。

ほいで、先日、深夜にレンタルビデオ屋に行ったんだけど、DVDをレジスターに持って行ったとき、店員がちょうどこんな感じでくつろいでたんだよな。

 

f:id:hukadume7272:20180119050959j:plain



そんな折に私がDVDを持って行ったため、あたかも店員、「はぁ?おまえにDVDを貸し出す為に、このかけがえのない俺が、くつろぎタイムを中断して働かなきゃいけないわけぇ? この宇宙にただ一人しか存在しないかけがえのない俺がぁ? 親の寵愛を一身に受けてすくすくと育ったこの俺がぁ? もはやこの世の唯一神を自称することにやぶさかではないと云って憚らないことでお馴染みのこの俺がぁ? そんな宇宙のキーマンたる俺が、おまえごとき虫ケラトプスにDVDを貸し出さなきゃいけないの? どういう論理? タチの悪いジョークだよなぁ?」という不満げな貌をして、むっくり起き上がったので、私、おくつろぎのところ本当にごめんなさい、という申し訳ない気持ちでDVDをレジに置いたらば、「このクソが。まったく。俺に働けというのか、人を舐めやがって。このいじけた屯田兵がぁ。さっさと会員証出さんかい。もたもたしてたらいてまうど、屯田兵こら」とでも云いたげに軽く舌打ちをしたので、慌てて会員証を出したらば、「それでいいんだよ、クソボーイ」と、ひったくるように私の手から会員証を取り上げて、機械に通して会員認識、会員証を私に返すときは当然片手で投げ捨てるように、「おまえのようないやらしい馬鹿豚ポップコーンを会員にしたのがそもそもの間違いだよ。うちの店、最大にして最悪の手落ちだよ。別に何もしてないのになぜか逮捕されて極刑を言い渡されやがれ、この腐ったミカンの皮がっ」と、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせたい気持ちが今にもはじけそうだ、といった貌。

バーコードを通しているときも「くだらない映画なんて観てんじゃねえっつーの。映画なんか観る暇がありゃあよ、一人でも多くの人民に俺のすばらしさを説く、みたいな活動でもしてろよっていうか、むしろおまえは馬鹿豚ポップコーンだから、それをする為だけに生まれてきたわけだろ? ならばせめて、その使命を全うすることが、排水溝がぬめったみたいなおまえの人生の唯一の救いだろうがよ。株価下落みたいな貌しやがって」と愚痴愚痴云うみたいな態度だったので、仰る通りですと反省していると、一通りの貸し出し作業が終了して、「返却予定日は1月21日だ。別に金だけ払って、今すぐこの場で返却してもいいんだぞ。1月21日。わかったな。覚えたな。この日までに返さなかったら、ひどいぞ。絶対ひどいぞ。一族もろとも根絶やしにして、村に火をつけて、おまえの屍のまわりを仲間たちとバイクでぐるぐる旋回するからな。その際、木の枝でおまえの屍をつつくなどもする。なんなら『やったー』とも云う。それをされたくなかったら、1月21日までに絶対に返しに来い。1月21日までに返却する。そのことだけを考えて今から2週間を生きろ。ぶざまにな」という台詞が今にも口から出そうな店員からDVDを受け取った私は、「仮にこの2週間のあいだにおまえが事故死とかして返却が遅れた場合でも、やはり一族は根絶やしだ。バイクで回って枝でつついて『やったー』と云うコースも変更せず、滞りなくやる。わかったらとっとと失せやがれ。帰り道で隕石が頭に直撃したらおもろいのに。はははは。おもろ」という侮辱を背中に受けている気がしながら店を出た。

この国の接客態度は丁寧すぎる。このレンタルビデオ屋のようなガサツな感じがちょうどいいと思う。

それにしても、むちゃむちゃ腹が立ってきたのはなぜだらう。